第14話 死に向かう者のニーズと生きる者のニーズ

 


 テレビのコマーシャルが流れている。龍造寺グループのコマーシャルだ。物心ついた時には、いわゆるゴールデンタイムになると必ず流れていた。今となっては古臭く感じるが、返って趣深いとも感じられる。

 いつもは人気の少ない勝厳寺だが、今日は、英章が思っていたよりも沢山の人出があった。お寺の一番のイベントはお葬式だが、英章は、もっと、他のおめでたい事でも、沢山人を呼べたら良いのにと考えていた。しかし、良いアイディアは思い付かない。

 勝厳寺は実は由緒正しきお寺だ。室町時代に建立されて、五百年ほどの年月を経てきた。古くて趣深いとも言えるが、修繕が追い付いておらず、老朽化しているともいえる。最近はめっきり檀家が減り、お布施も少なくなってしまった。九州ならではの毎年の台風で、痛んだ箇所の修理を終える頃、次のシーズンの台風がやってくると言う具合だ。とてもじゃないが追いつかず、住職は毎年、修繕費の調達で四苦八苦している。

 かつては、地域で一番栄えた寺として名を馳せた事があるらしい。その時には、遠く関西、関東にも多くの檀家を有し、この世の春を謳歌していたらしい。鎌倉時代に元寇から日本を守るために、防人としてやって来た、千葉県出身の千葉氏が、このあたりを治めていたと言う事も関係があるのかもしれない。

 英章は、詳しい事はよく知らなかったが、とにかく、今は衰退してしまっているという事実を突き付けられて、何だかスッキリしない日々を送っていた。必要な物が消えて行く世の中は、何かが間違っているのだと思うのだ。しかし、何が間違っているのか、今の英章には分からなかった。

 お寺の維持、運営のために、積み重なって来た借金の支払いが滞ってしまい、そろそろ期日を迎える。英章は、父親である住職が支払いをするのだと、なんとはなしに思っていたが、お寺の問題は、僧侶である、英章の問題でもある。警察で取り調べを受けていた時に、思わず叫んでしまったあの言葉は、心のどの部分から飛び出してきたのだろう――借金は私が稼いで返します。英章は、あの時から、自分も借金返済の当事者であると言う思いが強くなった。家族と協力して、自分の力で借金を返済しようと、そう心に誓った。

 しかし、この、収入が少ない中、どうすれば良いのだろう……英章の誓った思いは、虚しく彼の心の中でこだまするばかりだった。ここまで衰退してしまった理由は何かと言うと――実は、このお葬式なのだ。檀家さんからのお布施が、主な収入源なのだが、その檀家さんが、だんだんと減っていく。一番の収入源でもある、お葬式が、実は財源を減らす原因でもある。

「ねえ、住職。お葬式の参列者はどれぐらいになるかな?」

「まあ、四十人から、五十人てとこじゃないかのう。どうしたんだい?」

「いや、どれぐらいお布施が集まるものかと……」

「英章や……お布施と言うのもは――」

「わかっています。よぉく、わかっていますよ。幼少の頃より骨の髄まで叩き込まれていますので。骨の髄はもちろん、頭蓋骨にも、ガツンと叩きこんでくれましたよね」

「言ってわからん奴は犬畜生も同じ。しっかり叩き込まんとな」

「最近は犬や猫も叩いたら保護団体からものすごい抗議がくるんですよ」

「そりゃ不憫だな」

「犬や猫は、言葉がしゃべれないからね。不憫な子達も多いさ」

「不憫なのはお前じゃよ、英章。お前を殴っても、だぁーれも文句を言わん。つまりお前は犬畜生以下じゃ、ちゅう事よな。おお、なんと不憫な事か……」

「ああ、不憫ですとも! こんな貧乏寺に生まれついて、今月末には、この寺も手放さなきゃいけなくなるかもしれないんですよ! お布施の皮算用ぐらいしたって、お釈迦様も文句は仰らないだろうよ!」

「うむ、お釈迦様は思慮深きお方じゃからの」

「お釈迦様の方じゃなくって、借金の方に食いついて下さいよ。どうするんです? アテはあるんですか?」

「この、大野雲銀(おおの うんぎん)天に誓う! 全ては御仏の思し召し、インシュアッラー……」

「アラーの神様は仏教でしたっけ? バチがあたるのは住職の方だね!」

「ここは日本じゃぞ、英章……日本には昔々から八百万(やおよろず)の神々がおってな。お釈迦様もアッラーさんもキリストさんも八百万一人目と、二人目三人目じゃよ。日本ではお友達じゃ」

「良いのかな、そんな事言って、本当にバチは当たらない?」

「うーむ。きょうび、バチは当たるかもな。バチはバチでも、バチカンが真っ赤な顔をして当たってくるかも知らん」

「そっちの方が怖いね」

「それより、鯨間さんのお心の事を考えなさい……わしはそろそろ、お経をあげる準備をするぞ」そう言うと、住職はすっくと立ち上がり、参列者を迎える準備を終えて、控えの部屋から出て行った。お葬式は本堂で行われるが、その後、参列者にお茶をふるまうのも大切な仕事だ。人手の少ないこの寺では、英章達兄弟はもちろんの事、住職もお茶の準備に駆り出される。もう、良い年なのに、せわしなく動き回って世話を焼いてくれる。ずっと、そうあってほしいものだと、英章は強く思った。そして、最近心に浮かんでは結論が出せずにいた悩み事も、住職程の経験を積めば分るのだろうかとも……。

(鯨間さんの心……彼は一体、何を思って亡くなって行ったのだろう。まだ僕には分りそうにない。もっと修行を積めば、分るようになるのだろうか……住職は、きっと分かっているのだろう……)

「大野先生、今日は」老人が多い参列者の中で、とびきり張りのある声が聞こえてきた。

「おお、理沙……鍋島も一緒か、二人とも良く来てくれたね、ありがとう」

 参列者は、本堂に集まりつつある。そろそろ、葬儀を始めても良い頃だろう。理沙は小さなころから、良く父親と墓参りに来ていた。若くして亡くなってしまった涼子も、この、勝厳寺に眠っている。彼女のお葬式の時には、理沙は泣いて、泣いて……そのまま、息ができなくなってしまうのではないかと英章は本気で心配した。英章は高校生の頃にはお経をあげていたので、泣きじゃくる理沙の面倒を見てあげる事ができなくて、申し訳なかったと言う気持ちが、今でも残っている。

「うん……鯨間さんとは、生前は親しくなかったけど、同じ檀家だし、お父さんも、うちも娘一人だから人事じゃないよ、行ってきなさいって言っていました。お父さんも後で来るって」

「そうか……。今日の参列者が多いのも、そう言う理由があるのかもしれないな。天涯孤独で、若い身なのに、自分の墓の事まで遺書に書いてあったような人を、見送らない訳には行かないと言う事かな」

「遺書があったの? 自殺でもないのに」

「そう、僕も住職から聞いただけ何だけど、鯨間さんは、自分の病気の事を知っていて、死後の事について遺書をしたためて、弁護士に渡していたそうなんだ。弁護士さんから葬儀と永代供養の申し込みがあったんだけど、これだけ準備周到な人も珍しいと思うよ……」天涯孤独である事は、死に対しての意識が高くなると言う事はあるかもしれない。自分の死後、自分の墓を見る人はいない……死に直面した人は、どのように感じるのだろうか。僧侶である英章には分からなければならないのかもしれない。しかし――(僕にはまだわからない。人の欲求は生きる事に対して生まれる。金持ちになりたい、有名になりたい、権力を手にしたい、理想の相手と出会いたい。しかし、死に行く事が決まったその日から、その心はどこにその欲望を向けるのだろうか。死に向かう為に、生きていく……死に対するニーズを満たす事が、寺の仕事……なのかもしれない)

 相変わらず、暑い日が続く中、英章は法要のための袈裟を着て境内を見回した。参列する人達がぽつりぽつりと等間隔に隙間を空けて、本堂の方へ歩いて行く。人の人生とは一体なんだろうか――と、英章は、ゆっくり歩く人の列を、生まれてから死に向かっていく、人の生涯の縮図に見立てて考えた。

「大野さん、私も遺書の話は聞きましたよ」

「と……取立(とりたて)さん――こんにちは、今日はどんなご用事で……?」

 不意を付かれて、英章は声をひっくり返して答えた。取立は、周りの理沙や鍋島に、丁寧にお辞儀をすると、楽しそうに話を続けた。彼は、いつでも、誰にでも、どんな内容でも、楽しそうに話をする。例え、葬儀の場でも、借金の話でも……。

「やだなぁ、大野さん、今日は借金の取り立てではなく、お葬式の参列者ですよ。喪服を着ている人がお寺に来て、何か用ですかって、ありますか? もっとも、月末にはきっちり回収にお伺いしますがね」

「それはどうも」月末には来なくて良い、英章はそう思った。

「鯨間さんは、永代供養をお願いすると遺書に書いてあったそうですね」

「良くご存じで」

「商売柄、そう言う情報はすぐに入ってくるんですよ。お店の方は、婚約者に全部あげちゃうらしいですね。どんな事になるとも知らず」

「どんな事?」理沙が無邪気に質問してきた。彼女の場合は、単純に、好奇心旺盛な為に、その場が葬儀の会場と言う事も忘れてしまうだけだろう。

「それがね――あ、来ましたよ。良く顔を出せるもんですね。春日のぞみ」

「どう言う事ですか?」英章は、改めて聞き直してみた。葬儀に顔を出せないような事とは、一体どんな事だろうか――英章も好奇心旺盛だった。

「春日は、中古ソフトショップ『わくわく』のオーナーと結婚するんだ」鍋島が急に話に加わって来た。これまで、ずっとだんまりだった鍋島も話に加わってきた。葬儀の場と言う事で気を使っていたが、皆がしゃべりだすので、まあ、良いかとでも思っているのか。いや、そんなタイプではないはずだと英章は思った。

「春日さんは、鯨間さんの婚約者でしょう? どうして?」

「今、春日の隣に座っている男が、わくわくのオーナーだ。俺は、ワンダーボーイと、わくわくの両方に出入りしていたからな。わくわくのオーナーと春日が仲良くしていたのも知っていた。もっとも、売買以外の話をする事はなかったが――春日の方は、俺が両店のオーナーに都合の悪い話しをしないかと、気にはしていたんだろう、それで、俺の事は覚えていたんだろうな」

「春日のぞみは、大阪から二年前に戻って来たんですけど――地元は佐賀市内なんですけどね、大阪へ行っている間も、IT系の会社社長に囲われていたらしいですよ。そして、戻ってきたらすぐに、ワンダーボーイのオーナーに取り入って、今度は、わくわくのオーナーですよ。噂の対象にならないはずが無いでしょう?」

 そんなに、悪い人には思えない――英章の目にはそのように映った。親しい人を亡くして、憔悴している、一人の女性にしか見えなかった。それにしても、わくわくのオーナーと春日さんが、一緒に葬儀に来るのはど言う事だろうか。陰口をたたかれると分っていながら、二人で葬儀に出てくるには、それなりの理由があるのだろうが、英章には思い当たらない。

「そうなんだ……それで、気になっていたから、あの時コンビニで鍋島君に話しかけたのね。でも、それって……二股って事?」

「需要と供給ってやつだ――ワンダーボーイと、わくわくを往復していたのは、俺達だけじゃなかったって事さ。もっとも、利益に関しては春日にはかなわなかった訳だが」

「そんな……」

 英章も、そんな……と呟きそうだった。理沙が変わって言ってくれたので口を動かさずにすんだ。

「英章さん、それがねぇ、ワンダーボーイ本店と、今回立ち上げる事になっていた二号店の二店舗は、今後、オーナーは春日のぞみで、実質の経営は、わくわくのオーナーがやるらしいですよ。わくわくは、一気に三店舗を構える事になったわけです……勝厳寺も一気に三店舗ぐらいになりませんかね?」取立は、相変わらず楽しそうに話す。

「そんなわけないでしょう。適当な事言わないで下さいよ」

「そうかな、そんな固定概念にとらわれているから、借金が返せないんじゃないか? 返すあてはあるのか?」鍋島はいつもの様に、少し棘のある言い方をしたが、英章にはそれを制する理由を見つけられなかった。

「……インシュアッラー」アラーの神の思し召し……思わず、住職の受け売りが出てきてしまった。人から自分の借金の話をされると、誰もが現実逃避したくなってしまう。きっと誰でも、必ずそうに違いない……そう、英章は確信して言った。

「借りた金は返さなければならないだろう? 生徒に学問を教える立場の人間が、天に運任せで良いのかい? センセイ」

「冗談だよ。もちろん、返すさ。こんな時だけ先生と呼びやがって……。でも、本当にどうやったら返せるんだろう……」本当に、どうやったら返せるんだろうか、英章は、言葉に出して言うつもりは無かったのだが、ついと、唇から零れ出た。英章は、最近、一人の時も、同じような独り言を呟いている自分に気が付く事はがある。

(不安をかき消す為には、それを口に出せば良いのだろうか。しかし、出た言葉が耳から入ると、それは、不安の種になる……一体、どうすれば良いのだろう)

 英章には借金問題に対して、どういうアプローチをすれば良いのか、全く思いつかない。初めのとっかかりだけでも誰か教えてくれないだろうかと、誰かにすがりたい気持ちだった。

「そもそも寺のビジネスモデルには致命的な欠陥がある。成長戦略が全くないんだ。成長を考えない企業は、現状維持すらできず、ジリ貧の道をたどっていく。檀家制度で得た財産を食いつぶしていくだけだ。NHKの集金を知っているか? 頭を下げて銀行振込をお願いしに行くんだ、振込みに変えてもらった分、集金するお客が減っていく……減れば減るほど、自分の仕事もなくなるんだよ」

 鍋島は、知ってか知らずか、人の心を踏みにじるような事を口にする事がある。集金人と、寺の人間を同時に敵に回した事に気が付いていない。かといって、彼らを馬鹿にしている気持ちはない。ただ、鍋島が選んでしまった、金と言うものさしをあてがって物事を見るので、おのずと、この様な口ぶりになる。

「集金の事は知らないよ! お寺にだって成長戦略は、ちゃんとあるぞ、お釈迦様の教えを説いて、世に広めていく、信仰に厚く生活していれば、人生は豊かになるんだ。そうやって、努力していけば、檀家さんも、だんだんと増えていくはずだ」

「それが、そうなっていないのは何故だ? 時代にそぐわないからだ。古くから変わらず続いているものは、存在意義があるから続いている、そうでないものは淘汰されていく運命なんだ。檀家制度に先はあるのか?」

 確かに、檀家制度は衰退の過程をたどっている。それは、英章も感じていた。終わりの時が近付いている……その時まで、手を拱いて見ているだけでは駄目だ。それは、英章にもよく分っている。それこそ、ご先祖さまに申し訳が立たない。英章は、鍋島の言う事に、何も言い返せなかった。時代にそぐわない――確かに、檀家制度が始まったのも、古いとはいえ、江戸時代からの話だ。その前は、有力武士の庇護のもと、経営が行われていた。寺自身が所領地をもって、自立していた場合もある。さらに遡れば、有力貴族が寺にお布施を払っていた。社会秩序を作るために仏教の力を借りていたからだ。時代に合わせ、寺の形も変化してきた。今の制度が未来永劫続くと言う事はあり得ない。

「じゃあ、どうすれば良いんだ? 檀家制度をやめてしまえって事なのか?」

 英章は思わず声を荒げた。普段は穏やかな英章だが、時に急激に感情的になる激しさを秘めていた。しかし、この時は、自分の声の大きさに驚いた。これ迄、家族や友人など、自分以外の大切な人の名誉や安全が踏み躙られそうな時に感情を激しく揺さぶられる事はあった。例えば鍋島から不良グループとの悪巧みを聞いた時の様に……。しかし、自分に対して向けられた言葉に反応する事はなかった。それ程、借金問題は英章の心に重くのしかかっていると言う事なのだろう。

「大野先生、今日はお葬式なんだから……その、お気持ちをしっかり……」

(葬儀の場で、僧侶の僕が、お気持ちをしっかりと、言われてしまった。しかも、高校生の女の子に……。これはまずい。少し落ち着かなければ……しかし、鍋島の物言いは、無礼ではあるが、痛いところをついてくる。つい、感情的になってしまうのは、自分でも感じている弱点を、見透かされてしまったからかもしれない……いかんいかん)

「ビジネスの基本は、マーケットとそのニーズ――需要と供給だ。単純に止めてしまえば良いと言うものではないかもしれない……檀家制度の良いところは残しておけば良い。不都合になってしまったもの、檀家たちにとって、不便であり、負担である部分を変えるんだ、ニーズに合わせて」

「ニーズに合わせる……」

「そう、そして、最も大切なものに固執する。仏教のコアとは、宗教にとって一番大切なものは何だ」

「それは……信仰心に決まっている」

「そうか、信仰心か――じゃあ、大切なのは心だろう? 心に形は無い。じゃあ、どんな風に変えてしまっても良いんではないか?」

 英章は、心に光が刺した様な新鮮な驚きを持って、鍋島の顔を見直し、こう思った。確かにそうだ。形は心を支える為にあるもの。本来は仏像も必要ない。ただ、みんなに分かりやすく、信仰の心を伝えるための道具として、大きく、威厳のある仏像を作ったのだ。人々の心を集める為に。

「鍋島、お前の言う事はもっともだ。一体どこで宗教について学んだんだ?」

 鍋島は答えに窮した。英章の言葉を受け、自分の思うままに発した言葉だったが、頭の中のどこを探しても、宗教について学んだ記憶はない。

「グ……ググッたら出てきた」思わず、適当に答えて後悔した。

「そ、そうか」英章も、何と答えて良いか戸惑って、特にコメントも出さずにスルーした。ググった事が、良いのか悪いのかも判断が付かなかったからだ。「……分った。原点に戻ろう。原点に戻った上で、再出発しよう。今の時代に沿った新しい檀家制度を始めよう」鍋島に信仰心があるかは分からなかったが、ステレオタイプの無い、虚心坦懐な言葉だと受け取る事にした。とにかく、一理ある――英章は、今、目が覚めた様な気がした。鍋島にお礼を言おうとしたが、鍋島に先を取られた。

「ならば、新しい檀家制度ビジネスを始めよう……では、契約を交わそうか、条件は――」

「契約? 契約が必要なのか?」


 よくも、まあ、こんなにすらすらと条件が出てくるものだと、英章は、半ばあきれた。鍋島の提示した条件はこうだ。

 一、計画は鍋島が立ている。

 二、決断は英章が行う。

 三、鍋島には英章の決断を拒否する権利がある。

 四、資本金は鍋島が出す。

 五、資金の管理は鍋島が行う。

 六、売上の十パーセントを鍋島に払う。


「なんだよこれ、結局、鍋島の言う事を聞けって事じゃないか」

「当り前だろう。資金は俺が出すんだ。オーナーの意向に背いてビジネスができると思うな」

「資金って、鍋島は、まだ高校生だろう? そんな金がどこにあるんだ?」

「高校には行っていない。若いから、と言う理由でひとくくりするのは感心しないな。俺が三百万稼いだ事は知っているだろう。それを使う。もともと、別のプランで増やすつもりだったが、ハードルは高いほど面白い」

「面白いって、人事だと思って……それと、十パーセントで良いのかい? 残りは僕がもらって良いのか?」

「ああ、そのとおり、でなければ、借金を返せないだろう?」

「よし、分った。契約書にサインをしよう。後で持ってこい」

「実は、もうここにある。この場でサインをしてくれ」

「――用意が良いな……」英章は、勢いで契約書を持ってこいと言ったものの、既にあると言われて尻込みした。当然、かつ、正しい反応だろう。

「勝負は戦いの前に決まる。戦いの前に、どれだけの準備を整える事が出来るかだ」

「孫子か……それもググッたのか? まあいい、学ぶ事は良い事だ。しかし、契約書にサインとなると、ちょっと時間をくれよ。借金問題の事もあって、契約書にはちょっと抵抗感があるんだ。それに、これから葬儀が始まるんだ。雑念を入れたくないんだよ」

「そうよ、二人とも良い加減にしなさい」

 高校生に叱られてしまった。理沙はすっかり呆れ返って、二人を眺めていた。取立は、いつの間にか本堂に行っていて、住職があげるお経を聞きながら手を合わせていた。

「わかった、後日改めて、話をしよう」

 英章は、半身を反らせて、そう言いながら、慌てて本堂へと向かって行った。




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