第10話 予期せぬ決意
「――それでは、もう一度、状況を整理しますよ、大野さん。今ホワイボードに書いてある事で過不足などは無いですか?」
ワンダーボーイからは、パトカーに乗って移動した。始めての経験だったが、やはり、しなくていいならば、したくない経験だった。現場に現れた、刑事二人に連れられて、佐賀県警の取調室につれてこられた。一緒に車に乗ってきた、鍋島と理沙の事が気になる。本来は、殺人犯にされるかもしれない、自分の今後を心配するべきなのだが。
蓮池警部補の低い声は、滑舌も良く聞き取りやすい。この声のおかげで、落ち着いて話を聞く事ができそうだ。
・大野さんは塾の講師である。
・塾の生徒がワンダーボーイにいると、同生徒である鍋島君から聞いて、大野さんは同店に行った。
・店の扉は閉まっていたが、鍵はかかっていなかったので、勝手に入った。
・店に入ると、店内は中古ソフトと一万円札が散乱し、ワンダーボーイのオーナーである鯨間(くじらま)さんが、後頭部血を流して床に仰向けに倒れていた。
・鯨間さんは、大野さんのご実家のお寺、勝厳寺の檀家であり、以前から面識があったので、すぐに本人とわかった。
(何度同じ事を聞くのだろうか。同じ事を、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し……)
「何度も言いますが、ひとつだけ訂正があります。鯨間さんは、確かに、うちの檀家さんですが、顔をはっきり見たわけではなかったので、『すぐに気が付いた』と言うところは誤りです」
「ほう……そうでしたかな、それは失礼。では、いつ気が付いたのですかな?」
「鍋島が名前を教えてくれたときです。名前を聞いて初めて、もしかしてと思い、改めて仏様のお顔を拝見して、うちの檀家さんだと気が付きました」
「顔も見ていないのに、よく、死んでいるとわかったもんですね」もう一人の刑事が口を挟んできた。できれば、蓮池警部補だけと話したい。でなければ、いつまでも落ち着いたままではいられなくなりそうだ。
「仏様は見慣れていますからね……なんとなく、雰囲気と言うか――わかるんですよ」
なんとなくわかる、と言う事を詳しく説明しろと言われたら、二日、三日家には帰れないだろうと英章は思った。
「ふむ、では……なぜ、生徒を探しに行ったのですか? あの時間は既に授業も終わり、生徒達に用は無いはずですが?」
「それは……」
大野は少し言いよどんだ。生徒達が不正行為をしようとしていた事を事前に止めるために来たのだが、自分が警察に暴露しては話が大きくなりすぎるし、なにより筋が違う。彼らは本当に鯨間さんの所に行こうとしていたのかすら確認できていないのだ。
「それは、彼らが授業に出てこずにゲームばかりしていて、塾をサボったからです。塾といえども、可愛い生徒達です。大学への進学を目的にしているのですから塾の講師としては、当然彼らに授業を受けさせたいと考えますよ」
ちくりと胸が痛んだ。大野は嘘をつくのが嫌いだ。今まで嘘をついたと言う記憶もふたつかみっつしかない。しかも、その嘘は棘となり、深く大野の胸に刺さったまま、決して抜ける事は無い。今回は生徒を守る為だし、なにより、彼らが授業に出てこない事、ゲームばかりしている事、大学へ進学させてやりたい事、彼らを愛している事、全て真実だ。嘘偽りは無い。
「ふむ……。その点は鍋島君の話と一致しているようですね」
(え? そうか、鍋島や理沙の話も聞いていたのか……。なんと迂闊だった事だろう。しかし、鍋島は僕がなんと話すかを予測していたのか……それとも、ただの偶然か)
「しかし、こんな話がありますよ。大野さん。貴方のご実家――勝厳寺ですが、結構な借金があるそうですね。そして、その期限が迫っていると聞きました。お寺の主な収入源はなんでしょうねぇ」
また、もう一人の刑事が口を挟んできた。落ち着いた声の蓮池警部補と違って、ずっと彼と一緒に行動している、太田刑事は、声が甲高く、癇に障る――もっとも、声のせいか、言っている内容が癇に障るのかは、判断の難しいところだ。
「何と言う事を言うんですか? それは、檀家の方がなくなって、お葬式になればお寺にお金が入ってきます。でも、そんな罰当たりな事……。借金だって父と兄と――住職と副住職と私でがんばっていけば絶対に返せます!」
「しかしねぇ。返済のあてはあるんですか? もう期日は迫っているそうじゃありませんか。すでに当てがないと返せる額じゃないと思いますがねぇ」
「借金は私が稼いで返します!」
思わず、そう言ってしまった。寺の借金は家族全体の問題だが、所詮は、父である、住職がこさえたものだ。父が返済して当然だと思っていたが、思わず言葉にして言ってしまった。一度口から出た言葉は、魂と力を得て、独り歩きを始める。言葉の行き先の責任は、発信者に返ってくるのだ。
「まあ、良いでしょう。とりあえず、聞きたい事はそれぐらいなのですが、英章さんにはもう少しお時間を頂きますよ。鑑識が現場を調べていますので、終わるまでは、いていただけますか?」
蓮池警部補の声は説得力があって、つい、イエスと返事をしてしまいそうになる。理沙と鍋島の様子を見に行きたいし、家にも連絡を入れたい――そんなの事をしても良いのだろうか。
「あの――」やはり聞いてみようとしたとき、ドアを開けて、スーツの男が入ってきた。その男は、周りには目もくれず、蓮池警部補に小声で耳打ちすると、ピシピシとメリハリの聞いた動作で、間もなく部屋を出て行った。蓮池警部補は、特に何の反応も無かった。
「英章さん、新しい事実が出てきたようですよ。ちょっと、別室に来ていただけませんか?」
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