第4話 秘策

 今日は、食事の準備をいつもより早くしてしまったため、段取りが狂ってしまった。予定に無かった神の来訪で、すばやくできるパスタに献立を切り替えたせいだった。

 ぽっかり明いた時間で、理沙はさっきの事をぼんやり考えていた。しかし、考えがまとまる前に、いつもよりも遅く帰ってきた父、一郎を迎える事になった。考えても良くわからないと言う事はわかっているので、丁度良かったのかもしれない。

 冷めてしまったパスタスープを温めなおし、同時にパスタを茹でた。今日はちょっと手抜きしたのだが、一郎は全く気が付かない。食事に対しての興味が薄いのだろう。


「お父さん。総理大臣になるには何をしたら良いの?」


 スーツを着たまま、食卓で資料を読む、一郎の為にパスタを皿に盛り付ける。


「なんだ? 怖い顔をして。そうだなぁ国会議員になって議員の投票で……」

「議員の投票って言っても、一番大きな政党の一番偉い人がなるんだよね?」

「……まあな」


 一郎は少し渋い顔をして、一瞬握ったフォークを止めた。


「お父さんって無所属でしょ? 無所属で総理大臣になれるの?」

「……お父さんにはやりたい事があるんだ。その為には無所属でなければ――どうしたんだ? 急にそんな事聞いて。社会の宿題か? だったら、父さんに聞くより、教科書を読んだ方が良いだろう?」


 最近一郎は、理沙の成績にうるさくなった。確かに伸び悩んではいるが――。


「違うの、お父さんを総理大臣にするために『私は』何をしたら良いの?」

「あはは、そうだなぁ。いつも元気に頑張ってくれたら嬉しいな」

(頑張ってか……)「何を頑張れば良いの?」

「そりゃ、学生の本分は勉強だろう。そういえば、この前のテストの結果、まだ見てなかったな。持って来なさい」

(藪へビだ……)「そ、そう言えば、今日神さまに会ったの。掃除のお札に願い事を叶えてくれるんだって! すごいでしょ?」


 理沙はわざとおどけて言った。こんな話を誰が信じるものかと思っているが、話をそらすには、良いネタだと思った。


「神様か……」そう呟くと、一郎は黙ってパスタを食べ初めた。

「パスタ、おいしくないの?」いつもは、ワザとらしいほど、ウマし、ウマしと食べるのだが、今日はいつもと違って食事の感想はおろか、笑顔一つも見せない。少しは笑ってくれると思ったのだが、あまり受けが良くなかったようだ。


「理沙は――神様に願い事をすれば叶うと思っているのか?」

「えっ……? そんな事――思ってないよお……」話はそらせたが、逆に、余計に心配させてしまったかもしれない。理沙は、あまりにも、ばかばかしい事を言ってしまったと後悔した。 


「叶うと思っていない願い事など、叶うはずがない」


 (一体どっちなのよ……)「おかわりは? もういらない?」


「ごちそうさま」


 少し低い声だったのが気になった。一郎は、いつもの様に食器をシンクへ運び、書斎へ向ったが、キッチンに、なんだか重い雰囲気を残していった。


 (疲れているのかな? 機嫌が悪いだけ? 洗い物する人の気持ちにもなって欲しいわ。さあ洗おう! と思えるような一言が欲しいよねぇ)


 理沙は掃除が好きだが、同じように、洗いものも好きだった。実は、先に好きになったのは、洗い物の方だ。小さい頃には、お気に入りのヒヨコのエプロンを母に着せてもらって、シンクに並んで手伝った。

『理沙は、洗いもの上手ねぇ。お母さんが小さい頃はもっと下手だったよお――』

(へへ、ほんとう? 理沙がんばっちゃうもんね!)

 涼子は、人を『のせる』のが上手な人だった。一郎が議員に立候補したのも、彼女の影響による所が大きかったのだろう。

『あなたなら大丈夫よ。だって私が選んだ人なんだから』

 何の根拠があるのかは解らないが、涼子はいつも自信満々だった。根拠の無い自信と言うのは、周りを不安にさせる事が多いが、涼子のそれは、いつも人を勇気付けた。自信と言うのは伝染するのだと、理沙は、涼子から学んだ。

 理沙は、今、一人でシンクに立っている。でも、いつも母を感じていた。あの時の様に、お皿の泡を流していると、あの時の様に、母の声が聞こえてくる。

『――でもね、そんなに急いで洗わなくても良いのよ。まずは、時間がかかっても丁寧に洗う事。丁寧にきれいに洗えるようになったら、自然に丁寧に速く洗えるようになるわ。初めに速く洗えるように練習すると、丁寧に洗う事は一生覚えられないの』

(うーん、よくわかんない)

 そう、一郎の誕生日のお祝いに、すき焼きをした夜、理沙と涼子は、一緒に鍋と皿を洗っていた。 すき焼きは鍋に油が残って、それなりに気を使う。涼子はとてもきれい好きだった。しかし、決して神経質と言うわけではない。どちらかと言うと大雑把だと言う印象を持たれやすかった。たまに、とんでもない事を平然と言い放つような事があるのも、その理由のひとつかもしれない。

『私ね……私にはね、あなたを総理大臣にするための秘策があるのよ』 

一郎に向かって、いたずらっぽく微笑み、理沙の洗った皿を乾いた布で拭き上げながら、確かに涼子はそう言った事があった。

「――お母さん、お母さんの秘策って何? 私に教えて……。お母さん……」





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