第5章 発 動
「なんだこれは⁈」
崖下にあるはずの〝遺跡〟は無かった。正確に言えば見えなかった。
同時に、そんな巨大な施設が、我々や共和国政府にも気付かれずにどうやってここに建造出来たのか?
地球からの物資輸送は、各国の検査官の監視のもと、3ヶ月に一度の
さらに付け加えると、姫島らが所持していた
それらが一挙に分かった。
「コイツはあんときの──〝水汲み作戦〟の時の取りこぼしじゃないか」
〝
先に降下した
ちなみに、RERCの
「ひぃっ‼」
みのりちゃんが切り詰めた悲鳴を上げる。おおっと、そうだった。俺と御影恭子は現在の状況を予想していたが、みのりにとっては不意打ちだったかもしれない。いや、きっとそうだったのだろう。
平面的で上下の視野が狭い〈ブラック・タートル〉の
ちなみに、実際の下降流はそこまで急に吹き下ろされているわけではない。俯角40度くらいだろう。意図的に
仮に高度を何とか保ったとしても、正面にある
「こっ、高度、300……290……280……」
みのりちゃんが墜落へのカウントダウを始める。こちらで見ている
「──ここだな」
「200を切りました‼ 190……180……」
頭上を
「170……160……このままだと墜ちますよ!
みのりちゃんは半ばパニックになっている。こいつが操縦桿を握りたがらないのは、こういう状況が苦手なのだろうと察しがついた。遠隔では冷静に対処出来て優秀な新兵が、現場では取り乱してしまうということは良くある。もちろん、その逆もある。人それぞれだ。
みのりとは対照的に、御影恭子は落ち着いたものである。俺の操縦と視線の先のデータを確認しながら、やっていることを理解しているようだ。まあ、コイツは〈収水〉から躊躇なく緊急脱出をするようなヤツなのだから、肝が座っていると見るべきだろう。
「みのりちゃん──」
「なっ、なんですかっ‼」
すっかりテンパって、叫んでいるとも怒っているともつかない声でみのりが返す。
「──これが
* * *
静寂が来る。
「えっ?」
みのりが目を丸く──してたと思う。振り向いてまで確認してはいないが。高度低下は止まった。いや、僅かに降下しているが、この機体でこの降下速度はあり得ないほどだ。もう少しばかり
機械式のフラップをここで出す。どうせ使い捨てだ。使わないのは勿体ない。緩く右旋回しながら、着地ポイントを探す。崖下は地面の凸凹もあまり無く、どこに降りても支障は無さそうだ。6輪ある地上走行用のタイヤは、横に展開すると多かれ少なかれ
本来、〈ブラック・タートル〉の着地時には自動で
「後方にRERCの
「分かってる」
みのりちゃんは元の冷静さを取り戻していた。〈ブラック・タートル〉はゆっくりと右旋回して、降下時の時と比べてほぼ直角──
それに、例え彼らが我々と同時に同じ場所に降りたとしても、彼らは地べたを走る足を持っていない。この勝負。やはり俺たちの勝ちのようだ。
「あれは何?」
副操縦席の御影恭子が右手9時の方向を指差す。〈箱船〉の手前から土煙が上がっているのが見える。高速移動物体だ。
「
カメラ映像で捉えたみのりちゃんが答える。さっき上空で視認したあの車両だろう。
「RERC機にだって? こっちじゃないのか?」
「──いえ。違うようです」
意外だった。俺たち3人は勝手に押し掛けただけだから、出迎え無しでも仕方がないが、〈ブラック・タートル〉の
「
確か、
「ここからは確認できません」
我が軍の〈ブラック・タートル〉ではなく、RERC機に用事があるとするならば、先に撃墜──撃墜でいいのか?──された
「RERC機に向かっている
「何の装備ですか?」
「だから、迎撃用の装備は?」
「えーっと……、表面上は何も──」
何も……無い? 迎撃目的では無いのか? ああそうか。姫島は、彼らに対する『攻撃は中止』と言っていた。じゃあ
ふーむ。分からん。分からんが、考えるのは着陸してからだ。
「
「
御影恭子は疑問形で聞いて来てはいるが、こちらの意図は理解しているらしい。手動で回路を切ったことも確認しているだろう。
「いや、必要無い。そのまま地上を走る」
「
「ギア・ダウン」
「ギア・ダウン」
〈ブラック・タートル〉の
「
「フラップス、ツー」
こいつは小型機扱いか……そりゃそうだな。
「
「ワン──、
御影恭子が
「気圧が90倍だからな。正直、俺も分からん──」
嘘をついても仕方がない。偽らざる気持ちを話す。
「──だが、降下中に大気状態は把握した。これでいい」
確証はない。だが、これでいいことは分かる。何故分かるのかは俺にも分からないが、これでいい。それに、
「
「
『フィフティ──』
『トゥエンティ──』
警報音と共にEGPWSだけが喋り続ける。崖越えでその役を自ら買って出ていたみのりは、既に腹を据えたのか、はたまた気絶寸前なのか、黙りこくっている。
どうでもいいが、航空機着地の時だけ計器がフィート単位になるとか、いい加減、前世紀までで終わらせるべきだったと思う。
『テン──』
手探りで
空母に着艦する時のように本気で短距離着地をするならば、オプション可変翼の前面に付いている逆噴射装置が使える。
また、もしもバランスを失い、前転や横転しそうになった時は、そもそも使う予定だった
思った通り──いや、思った以上の完璧な
「上沢少尉は──」
後方から言葉を無くしていたみのりちゃんが声をかけてくる。
「──無次元化した風が見えるんですか?」
「何? 何だって?」
「む──いや、なんでもないです」
風が見えるかと言われれば、飛行機乗りなら多かれ少なかれ誰でも見えている。見えなければ空は飛べない。ただ、俺にはみのりの言っている言葉の意味が見えなかった。
充分にスピードが落ちたところで車軸をほぼ水平にし、通常走行に切り替える。操縦輪がそのまま使えるから簡単。
〝遺跡〟は──いや、それを取り囲む〈箱船〉は、近づけばかなり大きいものであることが分かる。〝遺跡〟自身が水平200メートル四方なのだから、それ以上に大きいのは当然であるが、幅はほぼそれと同じだとしても、崖に平行に500メートル近い壁がそそり立っていた。材質は白い硬質セラミックのように見える。雪氷のように見えたのはそのためだ。ところどころに窓らしきものがあり、銀色の鈍い光を放っている。〝水汲み作戦〟時に取り逃がした塊はここまで大きくはなかったので、彗星に偽装して建材を運ぶ作業は、一度だけではなく、過去に何度も行われたのだろう。そうでなければ、短期間にこれだけのものが作れるとは思えない。
残り100メートル付近まで近づき、おもむろに
「当機は間もなく目的地に到着します。皆様、
ネタで言ったつもりが、この段階でハタと気付いた。
「──俺たち3人はどうやって地面に降りればいいんだ?」
* * *
話は単純だった。要するに〝地面に降りなければよい〟のだ。
「よし、そこだ。格納扉が見えるだろ」
「あの
「ああ、そうだ」
姫島はそういうと、俺が〈ブラック・タートル〉を停止させる前に飛び降りた。同時に杭瀬と千船も降車する。バックモニターで確認すると、姫島が正面で杭瀬は左、千船は右に展開する。降車戦闘の
『
我々が止まったのは、〈箱船〉の〝端〟の方だった。見知らぬ巨大建造物を前にしてどっちが端なのかといえば、『よく分からない』と答えるしかないのだけれど、幅200メートル、長さ500メートルの建物ならば、幅の狭い200メートルの方が端であろう。『幅200メートル』と言った段階で、既にこちらが端であると思い込んでいる証拠だ。
〝遺跡〟は天面が平らな正方形であるらしいのだが、それをすっぽりと隠す〈箱船〉の天井は半円状をしている。一言で言えば、かまぼこの形である。おそらく耐圧のための形状であろう。ただ、かまぼことしては盛りが少なく、端の方から見ればなだらかな太鼓橋の断面のように見える。そこに格納扉が付いていれば、否が応でも
ちなみに、もう一方の端には
姫島は扉脇の操作盤を、手首に内蔵された
──と言うか、入らなければ、数十分で
俺は扉の前に横付けした状態で止めていた〈ブラック・タートル〉を超信地旋回させ、中へと向かう。〈マンタ・レイ〉の
入った先は奥行き10メートル程度の
〈ブラック・タートル〉が入り切ったところで、外部扉が静々と閉まり、温度と気圧が下がり始め、排気ポンプに直結しているであろう換気ダクト口周辺から盛大に
「おい! 何処に行く⁉」
行動が怪しい。施設外に置いてけ堀を食らわなかっただけマシと言うものだが、ここに幽閉されたままというのも困る。ここまで来た意味がない。
「心配するな。内部扉が開けば、そこから降りられる」
「お前達は何処に行くんだ」
「そこで装甲を脱ぐと減圧症になるからな。俺たちは
そう言い残すと、『
「何だ! どうなってる⁈」
──と騒いだのは俺だけで、みのりに
「温度と圧力が下がっているだけです」
「いや。これは明らかにヘンだろ」
「超臨界流体状態……。ケイマン海溝の熱水噴出
俺の突っ込みに御影恭子がひとり言のようにつぶやく。
「えっ? 海水の超臨界ですか? じゃあ、水深3000メートルを越えてる場所で?」
みのりちゃんが興味を示す。
──面白くない。俺だけ置いてけ堀かよ。
あたりはほぼオレンジ色に染まる。2人が平然としているところを見ると、どうやら極当たり前の状況のようだが、これでいいのか?
みるみる間に周囲が泡立つような状態になって、どんどん暗くなる。泡風呂に潜ったような状態にも思えるが、泡が見えるわけではない。第一、泡だらけならあたりが白くならなければならない筈なのだが、夕暮れのように暗くなるのはどうしたわけだ。
「大丈夫──なのか?」
「〈ブラック・タートル〉の外殻は
「多分かよ!」
つい本気でみのりに突っ込みを入れる。あたりは一瞬真っ暗になったかと思うと、再び明るくなった。よく見ると
「
あまり趣味の良い
「ええっと、おそらくですけど、これは本当に洗浄のための処置かもしれません。
後から聞いた話だが、普通我々が吸っている空気も、超臨界流体と見なせるのだそうだ。いくら圧力をかけても、常温では液体にならないからなのだそうだが、小学生の頃から気体だと教えられている俺にとっては何のことかサッパリ分からない。まあ、今後、死ぬまで役に立たない知識のような気がする。
「んー。なんだかよく分からんが、これから精密部品工場に入るわけじゃないぞ」
「そういう実験をしているんじゃない?」
御影恭子が隣から茶々を入れる。そういえば、〝遺跡〟の御本尊というのは、モノポールとか言う素粒子で、硫酸なんとか菌が作り出した微小磁石に大量に囲われている──とかなんとかいう話だった。細菌が作り出した結晶体みたいなものだとすれば、それは
モニター画面を見ると、〈ブラック・タートル〉は、知らぬ間に、液化二酸化炭素の中に半身を沈めている。だが、その水位──正確には、液化二酸化炭素位──もみるみる下がって行く。排水溝──正確には、排液化二酸化炭素溝……くどいな──らしきものは見当たらないから、全てが換気ダクトから気体として吸い上げられているようだ。相手が水なら、こんな方法で水溜まりが勝手に蒸発することは無い。
──いや、俺がまだ新兵だった頃、地球静止軌道上のステーション事故で、真空中に数秒間放置されたことがある。あの時は瞬間的に口内の唾液が泡立ったのだった。その後数日間、頭痛と関節痛に悩まされた。姫島の言っていた『減圧症』治療のため
気圧が空抜0メートル高度──すなわち、0.7気圧まで下がり、酸素主体の無窒素雰囲気に換装される。気温20度。センサーでチェックする限り、ヘルメット無しでも問題無さそうだが、用心のため被って出るべきかと思案していた時に、前方の赤色灯が回り、内部扉が開き始める。
結局のところ、俺はヘルメットを被ることなく外に出ることになる。扉が開いた向こうに、長田大尉──
* * *
「よく来たな」
それが
「さっそくだが、3番駐機場に入れてくれ。後続が来る」
「
「エネルギー管理委員会のお客さんがくる。お前も見ただろ」
「お客さん? それは、どういう──」
「話は後だ。降りてから説明してやる。ここまで来たなら、色々と知りたいことがあるだろう」
「は、はい」
それは──そうなのだが、話が複雑そうだ。
そもそも俺は、
駐機場は、
直線で中央の通路を走り、超信地旋回。戦闘機の
さっきまで460度の高温に晒されていた〈ブラック・タートル〉の外壁は、ほんのり熱気を帯びているだけだった。外壁に使われる超耐熱セラミックは、千度を超える高温で赤く焼いても、その直後に素手で掴めるほどの熱遮断能力を有している。とは言え、この急冷却は驚異的だ。おそらく、先ほどの
2人揃ったところで、
「よく来たな──」
二度目の
「──で、ここに来たのは、そこの研究者の調査依頼か?」
「そこの?」
と言って振り向くと、御影恭子がハッチから顔だけ出してこちらを見ている。
「いえ。捜索です」
「捜索? 誰が行方不明になったんだ?」
『貴方です』……とは言えなかった。
地上に──いや、上空に残された管制室の面々が
『管制室が占拠され──』というのは報告すべき事項かもしれないが、その相手がよりにもよって、今ここに来るという
「それについては既に解決しました。詳細は後ほど報告します」
とみのりちゃんが話す。まあ、確かに解決したと言って間違いはない。
「そうか」
──いや、
「で、そちらは?」
既に俺たちの後ろに来ていた御影恭子が、ペコリと頭を下げた。
「
「ああ。彗星に取り付こうとしたお嬢ちゃんか……」
「あの時は失礼しました」
そう言えば、彼女の素性を始めて聞いたような気がする。さらっと言っているが、何かとてつもなく高尚そうな組織だな。もし、〝水汲み作戦〟の前に聞いていたら、俺も少しは態度を変えていたかもしれん。いやいや、そんなことより、俺と接するときの態度とえらい違いじゃないか! 俺が彼女のことを『お嬢ちゃん』とでも呼ぼうものなら平手打ちのひとつも飛んできそうな感じなのだが。
「確か、磁石を作る細菌の追跡調査が目的との報告を受けている。今回もその調査の一環と考えていいのかな?」
「はい。当センターの
「ふむ。技術的な部分は担当者がいるから紹介しよう。おっと、ここで立ち話は邪魔なようだ」
俺は、みのりと顔を見合わせた。俺の顔にはおそらく眉間に立てスジが3本くらい入っていたと思う。みのりは一瞬目を丸くしたが、観念したのか何かを悟ったのか、一度だけ小さく
「どうしましょう?」
「いや、どうもこうもないだろ。なる様にしかならん……」
俺たち──いや、御影恭子は直接は面識が無いかも知れないが、俺とみのりちゃんはその2名を知っていた。一人は巨漢で
案の定、こちらに気付いた2人は、我々を──というより、おそらくみのりなんだろうが──睨みつけた。
駐機場の奥で固まっていた俺たちを尻目に、
やがて
「紹介しよう──」
「──こちらは、エネルギー管理委員会の監視員だ。──表向きはな」
「…………」
神妙な顔で軽く会釈をする。みのりちゃんも同じだ。不意打ちを食らわない為に相手の目を見ながらのお辞儀。昔の格闘家がやってたのを真似てみた。はてさて、どう対応したものか考える間もなく、話は続く。幸いにも、
「実際はこの
「──
RERCがこの施設の提供元というのも意外だったが、それを
「そうだ。で、この2人が──」
「その節はどうも……」
「なんだ……知り合いか?」
「え? ええ、まあ」
俺が言うより前にみのりが曖昧な返事をし、俺の後に奴と握手をした。組み手の練習みたいに見えたとしても、握手は握手だ。ちなみに、もう一人の
「そして、こちらが御影博士──」
博士と言われた御影恭子は、『どうも』とだけ言い、そのまま素直に何のためらいも無く2人と握手した。
前言撤回。このガタイのデカイ
「既にモノポールの移し替えは80%は終了している。初期段階で、マグネなんとかという細菌──」
「
と、御影恭子が突っ込み。
「──そいつらの培養条件が中々厳しくて手間取ったが、今は酸性度も安定している。数時間もしないうちに最初の実験は行える筈だ」
「それは良かった──」
と、むっつりスケベの
「──こちらも秘密裏に行動する事が難しくなっている。情報の流出元が特定出来ない現状では、再び同士討ちの危険性も否定出来ない」
「全くだ」
あるいは〝同士討ち〟と言うのは、俺とみのりの図書館からの脱出劇なのかもしれない。あの時はコイツらとは互いに敵同士だった──って言うか、未だに襲撃された理由が分からないが、コイツら2人は俺たちを勝手に敵だと認識し、今また俺たちを勝手に同士だと思ってくれた──そういうことだろう。
ならば、ここで『何の事やら、あっしにはサッパリ?』なーんて態度を取るべきではない。折角の小芝居が台無しだ。後でこっそり聞けば済む。
そもそも
俺はその場ではそれ以上の発言をしなかった。というか、出来なかった。下手に推測で話をしてもボロが出る。それ以前に、推測するほど話の材料を持ち合わせていない。駐機場で
御影恭子が黙っている真意は定かではないが、どちらかというと、口裏を合わせる云々ではなく、実験そのものに興味があるようで、
俺たち3人と
正副操縦士2人は直ぐ横のエレベータに乗り、別行動。
通路の左側は、恐ろしく厚みのある小窓が並んでいる。銀色の鈍い光を放っていたあの窓だ。そこから見える景色は、窓の存在意義を揺るがすほどに殺風景だ。外はオレンジ色に薄暗く、大気差現象ですり鉢状に見える岩だらけの地形が果てし無く続く。見れば見るほど心が
ただ、本当に見るべき窓はそっちの窓ではなかった。通路を隔てて反対側。いわゆる本来の
外部に通じる窓が分厚いのは、外気が90気圧もあることを考えれば当然であるが、
「巨大な
俺は横目で
「残念ながら中の見学は難しいな」
「なん──、何故ですか?」
御影恭子は手を窓についたまま、顔だけ横に向けた。
「そこに入れるのは特別な人間だけでな」
「特別?
「いやいや。そういう意味じゃないんだ、お嬢ちゃん──」
御影恭子の本来の勝ち気な本性が出たらしく、
「──その
「30気圧ぅ!」
「30気圧ぅ!」
やばい。俺まで叫んでしまった。それも何度目かの
「あれは確か……」
知った顔が見えた。実際には良くは知らないが、ヴィーナス・アタックの
その彼らが、揃いも揃って
もちろん、彼らだけが作業をしているわけではない。言うなれば、彼らは指示通りに動く鉄の傭兵で、実際に指示を出しているのは、ヘルメットと作業着だけの研究員のようだ。小難しい顔をして水槽に付属のコンソールパネルに張り付いている。クドいようだが彼らは、深海調査で着るような完全密閉の
「風邪を引いているのか?」
多くではないが、咳き込んでいるヤツがいる。音声は分厚い窓越しからは聞こえてこないが、肩を小刻みに震わせるその動作からして、まず間違いない。そういえば、
「あれは一種の後遺症だ。じきに直る」
「そう。そうよね」
──と、最後に残った御影恭子も、納得したのか、はたまた、酸っぱいブドウのイソップ童話さながら自分に言い聞かせたのか、その場を離れた。
* * *
結局のところ、
俺たち3人は、長い通路の先のゲストルーム──待機室といった方が正しそうだ──に通された後、
俺としては彼らに殺されかけた事もあり、頭で分かっても心から納得する事はできないが、任務ではこういう理不尽なことはよくある。任務の全貌を知っているのは一握りの幹部だけで、最後まで自分が何をしていたのか分からないことだってある。
その昔、国連軍でアルバイトしてた時は、よく護衛任務が回って来たものだが、自分が
──などと、俺とみのりちゃんはそれでいい。軍部に所属している以上『これは命令だ!』と言われればその中身は問わないし問えない。だが、残された3人の中のひとりは『何故?』を問うのが職業ときている……。
「何なのよ! どうなっているのよ! あんな巨大な
──何処だよ、それ? なんだよ、そのエステルってのは?
「──ったく。そもそも、なんで30気圧の中を人が自由に動いて……いや、そうじゃないわ。そもそも、人が中に入っていたら
──それを俺に言ってどうするんだ?
「それに、30気圧、30気圧よ。あれが
「何を言っているのかサッパリ分からんが、それを俺に言うなよ、俺に!」
黙って聞いていればベラベラと喋りやがってコイツは。
「アンタ──、約束したでしょ。したわよね? 遺跡まで連れてってくれるって。アタシはそこに密集している磁性体と、それを作り出した硫酸還元磁性細菌の
「俺が?」
「アンタが!」
「えーっと……」
みのりがこのタイミングで口を挟む。
「長田大尉は『この部屋を出ちゃだめ』とは言ってません。とりあえず、〈箱船〉内を巡ってみるのは……どうかと?」
ふむ。言われてみればその通りだ。部屋には案内されたが、待機命令は出ていない。
「それに──」
みのりの話はさらに続く。
「──歩いて来た通路から見た限り、遺跡らしきものは無かったと思います。位置的にはあの巨大タンクがあるあたりだと思ったのですが……」
そう言えば、確かに〝遺跡〟はまだ見ていない。
結局俺たちは、不本意ながら御影恭子に追い立てられるようにして、〈箱船〉内を探険することになった。探険と言えば聞こえが良いが、要は遺跡を見つけ出してその一部を
降下前の俺のイメージでは、遺跡は剥き出しの金属とか岩石の塊で、その一部を削って手渡せばいいくらいに考えていたのだが、建物に覆い囲まれているとなると、こっそりと切り取ることが出来なくなる。最悪の場合、何処かを壊して盗み出す必要が出てくるだろう。だが、流石に30気圧の
気圧だけを考えるなら、外の90気圧の方が遥かに過酷な環境だ。そこで活動するなら最低でも
だが、
まあ、ここには知った顔もいることだし、
だが、その前に、『遺跡は何処に行ったのか?』──が、現段階で知るべき最初の事項だ。部屋を出る時に、もしや鍵でもかかっているのではと考えたが、ドアはあっさりと開いた。真っ先に大股でズンズンと歩いて行く御影恭子。だが、十歩をほど歩を進めた後にクルッと踵を返してこちらを見る。開口一番、
「──で、どこに行けばいいの?」
本当に無計画なやっちゃな。もっとも、俺にも計画があるわけではないが……。
「そうだな。闇雲に歩くのは無駄だ。手っ取り早く、場所を聞くのがいいんじゃないか?」
「聞く? 誰に?」
「
姫島らが消えた
「それはちょっと……考え直した方がいいかも知れません」
「ん?」
みのりちゃんが、思案顔で話す。
「確かに長田大尉は『この部屋を出ちゃだめ』とは言ってません。言ってませんけど、『自由にしていい』とも言っていないんです」
「そりゃ……そうだな」
「だから、単に言い忘れただけかも知れません。
「それはそうだが、何か問題があるのか?」
「そうしたら『この部屋を出ちゃだめ』って言う〝命令〟になっちゃうんですよ」
「な、なるほど」
「それに、少しばかり顔を合わせ辛くて……」
「なんだ? それ?」
律儀なんだが、したたかなんだがよく分からん。『出るな!』とは言われてないから動けるが、一度厳命されたら動けなくなる。だから、顔を合わせない方がいいってことか。
──ま、俺も『そのような命令は出ておりませんでしたぁ!』というのはよく使う手段だから分からんでも無いが。
「で、結局何処に行けばいいのよ!」
軍規とは一切無縁の御影恭子がイラついている。
「はい。えっと、元々の遺跡があった場所に戻りましょう」
「
「そうじゃないんです。──いえ、そうなんですけど……」
どっちなんだよ?
「無いことを確認しに行くんです」
「無いことを──確認?」
「はい。〝遺跡〟はもう無いんだと思います」
「どういうことよ?」
御影恭子のイラツキが頂点に達している。
「つまり、既に、
「何言ってんのか分かんないわ! ともかく行けばいいんでしょ。そこに」
「あ……、はい」
良くは分からないが、良く分かった。ともかく行けば分かるらしい。
2階分上がった先は、〈ブラック・タートル〉を停めた
「上を見て下さい」
俺、そして御影恭子もだが、下の装置を眺めながら遺跡の痕跡を探していた俺たちは、みのりの言葉に意表を突かれた。上だと?
天井にはモザイク状にフラットパネル照明が組み込まれているだけで何も無い天面だった。それ以外は本当に何も無い。屋根自体はやや丸まっている気もするが、それは圧力分散のための構造だろう。その他は柱一本、
「何も──何も、無いじゃないか……」
「ええ。そうです。何にも無いんです」
「えっ?」
どうもみのりの意図が良く分からん。御影恭子は黙っている。
「装置に比べて天井が高過ぎると思いませんか?」
「ほぉ?」
確かにそうだった。意味の無い虚無な空間が頭上にあり過ぎる。
「──ひょっとして、ここに〝遺跡〟があったと言うのか?」
「これを見て下さい」
俺の質問には直接答えず、みのりはポケットから端末を取り出し、現在位置の地形図を空中に表示した。幾度となく確認した
「これに、先ほど〈ブラック・タートル〉で上空を通過した時に計測した
「これは……⁈」
オレンジ色で表された立体地形図に、上から捉えた〈箱船〉の形状が薄い水色で重なる。遺跡はすっぽりと〈箱船〉の中に入っているが、その平たい天頂部は、正にこの位置──
「ここにあるべき遺跡が消えていると言うことか……」
「そうです」
「じゃあ、私の遺跡はどこに行ったのよ」
『お前のものじゃ無いだろ』──と、心の中で御影恭子にツッコミを入れつつも、確かにそれは気になる。
「ここに
みのりは少し考えてから、我々が進入した
「
「ええ。〈箱船〉へ入る時に確認したので間違いありません」
俺はそんなとこまで見ていなかったが、みのりは意外と冷静に観察している。
「ふーむ。しかし、これは
「私も最初そう思いました。でもあの
みのりは〈箱船〉の反対側、先行して到着した
「──それに、こちら側には
確かに二つの出っ張りはどこにも無かった。一見すると左右対称にみえる〈箱船〉だったが、細かい部分に微妙な違いがある。
「それともうひとつ。元々の
「どこだ?」
「ここです……」
みのりの指先は、我々が進入した
「なるほど。だが、それが遺跡とどういう関係があるんだ?」
「
御影恭子が口を挟む。
「ええ。
そういう目で見て無かったから分からなかったが、水色のホログラムが示す
みのりは更に続けた。
「既に、大半のモノポールは、
「ん? なんだその、
「硫酸還元磁性細菌が作り出す、モノポール貯蔵用の
「うーむ。えーっとだなぁ……。何を言っているのか良く分からないのだが──なぁ? みのりちゃん」
「はい?」
俺は、半ば
「どうしてそんなことを知っているんだい?」
* * *
みのりは最初、うつむいたまま黙っていたが、俺と御影恭子のジト目に耐えきれず、渋々話した。というか、白状した。
そうでなくても、
だが、結論から言ってしまうと、みのりの話を聞いても謎が深まるばかりで、解決の糸口は余計に絡み合うだけだった。もっとも、〝解決〟って言うのが何なのかはよく分からない。何がどうなれば解決するのだろう?
「──確かに、遺跡を発見したのは私が最初かも知れません。けど、その場所は分かっていなかったんです」
「第一発見者なのに、場所が分からない?」
「私が呼ばれたのは
「しかしなぁ。いくら地上に降りた場面から操作を任されたと言っても、モニター右上にGPS情報が出ているだろ」
「SECRETになってました──」
みのりは間髪入れずに答えた。
「──おかしいなとは思ったんです。画面情報の形式がOSレベルで違ってましたから」
「んん?」
「GPS情報が表示されていなかっただけじゃないんです。操作系が全て共和国仕様なんです」
「
「はい」
そんなことは通常あり得ない。国連の災害派遣とかでも、自軍の機器は自軍のオペレータが操作するのが当たり前だ。特に情報機器系統は機密が多い。同盟国同士の戦闘機売買にしても、戦闘機自身は輸出の対象になるが──っていうより、それを流通させねば〝輸出〟にはならないが、
「で、遺跡は?」
御影恭子が口を挟む。相変わらずせっかちなヤツだ。
「はい。その時は遺跡とは思わなかったんですけど。『何か四角い奇岩があるなぁ。節理とも少し違うし、どうしたらこんな形状になるのかなぁ』とか考えてて……」
天然ボケなのか計算なのか良く分からないが、みのりちゃんはたまに、こういう間の抜けたことを言う。
「ふむ。えーっと──」
俺は何か思い出そうとしていた。確か、御影恭子から聞いたような……そうだ、そうだった。
「──その
「遭難というか何というか──え? 何故それを知ってるんですか!」
「いや──ちょっと……小耳に挟んでな」
情報源は目の前にいるのだが、そのことは伏せておこう。御影恭子も『遺跡は?』と、この期に及んで聞いているところを見ると、事の詳細は知り得ていないようだし。
「遺跡を見つけて遭難するまでの経緯が良く分からないのだが?」
「実際は、遭難とは少し違います。制御不能になったんです」
「そりゃあ、人間なら遭難で、
「いえ。そうじゃなくて、光学センサーで調査を始めた段階で操作を乗っ取られたんです。直ぐにタスクマネージャを呼び出して確認したので間違いないです。でも、不慣れな操作系だったので、ハッキング先を追う前に逃げられてしまって」
「つまり──だ。
「はい。制御を盗まれたんです。勝手に暴走をはじめて、超音波カッターで遺跡の一部を勝手に切り取り始めて──」
「で、切り取った遺跡は? 遺跡はどうなったの?」
どうやら御影恭子は遺跡の行方にしか興味が無いようだ。分かりやすいと言えば分かりやすい。
「えっ? それは分かりません。映像モニターも乗っ取られてしまいましたから──」
ふむ。みのりちゃんの証言が本当だとすると、第一発見者とは言っても、本当に最初に発見した──という話でしか無く、調査結果もデータも何も得られていないことになる。お宝を発見しただけで、ごっそり横取りされた格好だ。
「あ。でもですねぇ。
「どういうことだ?」
「逃げられる前に、探査ウイルスを仕込んでおいたんです。ダミーのロック機能は簡単に外されたんですけど、二重に裏をかいてて良かったです」
何気に平然と怖いこと言うなぁ……みのりちゃんは。
「行動記録には何が──というか、誰が操作していたかは分かったのか?」
「はい。いや。いえ、えーっと……」
「そこまで言っておいて歯切れが悪いなぁ」
「
「なるほど。ソーニャのとこか」
「いえ。違います」
「違う?」
「司令部付きの部隊ではありません。駐在部隊──〈レッド・ランタン〉管轄域での駐在部隊です」
「すると、さっきの大男の部隊か?」
「そうです。それと──」
「それと?」
「いえ……なんでもありません」
みのりは困っていた。まあそうだろうな。その手の話には
「我が隊の中に、彼らに連絡した内通者がいる──ということだな?」
「…………」
みのりはうつむいたまま黙っていた。
ここからは俺の想像だ。話半分に聞いてくれればいい。遺跡にはモノポールが詰まっている。理屈は難しいが、ともかく究極のエネルギーとして使う事ができる。そこにRERCが目を付けた。独占すれば、金星だけでなく地球においても主導権を握れる。
太古の昔から、争い事は、元を辿れば、水・食料・エネルギーを巡る資源の奪い合いと相場が決まっている。さらに科学技術が発達した今日では、エネルギーさえあれば、水と食料は自在に手に入れる事ができる。地球に限らず、金星でも火星でも同じだ。むしろ、植物が自生しない金星や火星の方が、人工的なエネルギーの依存率は高い。
遺跡の第一発見者はみのりだったが、それは直後に主導権を奪われた。RERCの連中の仕業──だけではない筈だ。手際が良過ぎる。我が軍に内通者がおり、RERCの連中と繋がっていたと考えるのが妥当だ。今回の金星地表への降下作戦自身が、モノポール強奪の
ただ、RERCとて一枚岩ではない。今回の件は
あるいは、本作戦は、もともとは司令部の発案だったのだが、各地域に駐留して司令部の手足となっている駐在部隊が
だが、自分たちのものにすると言っても、遺跡をポケットに入れて着服するわけにはいかない。それに、必要なのはモノポールであって遺跡そのものではない。モノポールを取り出すためのプラントが必要だ。地表に構造物を建てて遺跡を取り囲むだけなら、建材の横流しで事足りるかもしれないが、御影恭子が言っていた〝
余談はともかく、この遺跡強奪作戦がRERCの──さらに言えば、連邦共和国の総意では無いことは明らかだ。トップダウンの司令ならば、
ただ、そんな特殊で巨大なプラント施設を、中央の共和国政府でなく、たかが一地方の駐在部隊がどうやって手に入れたのか? ──という疑問が残らないでも無いが、金星の外にも協力者がいるのだろう。無尽蔵のエネルギーが手に入るとなれば、食らいつく俗物はいくらでも見つかる筈だ。そう言えば、姫島は、アンモビックとかいう国連視察団に情報が筒抜けと言っていたが、そこが絡んでいるのかも知れない。少し気になる話ではあるが、とりあえず今は、〈箱船〉の入手経路は問題では無い。
問題は、誰が遺跡を──遺跡の中のモノポールを盗み出す計画に絡んでいるかだ。RERC側はあの大男。むっつりスケベの
「そんなことより、遺跡は?」
何度目か忘れたが、御影恭子がまた繰り返す。
『遺跡、遺跡とうるさいヤツだな。お前は
「おそらく床下だと思います」
みのりが答える。
「
「そこへはどうやって?」
「
「あるいは?」
俺も嫌な性格だな。聞かなくても分かるだろう。
「先ほどのゲストルームから階段を下ればいいかと……」
「
「は、はい……」
解はひとつしかない。30気圧の
「その前に、ちょっとばかり寄り道していいか?」
「あたしはイヤよ」
御影恭子は即答だった。すまんな。今回は、まずはこちらの任務を優先させて頂く。
「何処に行くんですか?」
「上だ。エレベータで」
「そう──ですね。先に確認した方がいいかも知れません」
さすがみのりちゃん。話が早い。
「何しに行くのよ!」
やれやれ。
「
「ふん。まあいいわ」
御影恭子は少し不満そうだったが、それほど抵抗することなく折れた。
この位置まで来たならこのまま
彼らがエレベータの上ボタンを押したのは確認したが、何階に行ったかまでは見ていないな──と一瞬悩んだが、エレベータに到着してみれば何のことは無い……階表示は3つだけ。つまり、現在のフロアー階と、後は上か下かだけだった。
「ところで──」
エレベータに乗り込み、ドアが閉まったところで、俺はふと気付いた。
「──遺跡にモノポールが含まれているっていう事実はどうして分かったんだ?」
「コロナの調査です」
「
コロナは分かるが、御影恭子が言い換えた『オボイド』は分からん。
「コロナ?
まあ、金星には陸地しかないのだが。
「そうです。最初に見つかったのはイシュタル大陸の
何がどう違うのかさっぱり分からん。大小の違いかな。
「そのコロナだかパンケーキだかから遺跡が見つかったのか?」
「遺跡本体ではありません。強いて言えば、四散した遺跡の欠片です。そこから採取された黄鉄鉱の中から僅かなモノポールが見つかったんです」
「ふーん、全然聞いたことがないなぁ」
「
「……みのりは何で知っているんだ?」
「
「なるほど」
みのりは調べものが大好きである。モノポール貯蔵用の
* * *
天井行きのエレベータが開くと、そこは管制室だった。いやいや、そうじゃない。こんな焦熱──いや、大焦熱地獄の底のような場所に、空を飛ぶための航空管制室などある筈がない。何かの制御室と言うべき場所だろう。一昔前の核融合炉の制御室のような場所だ。モノポールがエネルギー資源となり得るのなら、ここにプロトタイプの発電所があってもおかしくはない。〈箱船〉は元々そういう施設だと考えられる。
数名は知らない顔だった。服装からしてRERCの連中だと分かる。軍隊上がりという感じでは無く、ディスクワークが得意そうな奴ら──つまり、〈レッド・ランタン〉の管制室を占拠しに来た奴らと同じ臭いがする。おそらく、
その陣頭に立って指揮している、あの女狐のようなソーニャとか、むっつりスケベの
まったく、軍部が絡むとロクな事が無い──お前が言うなという気もするが。
で、肝心の
「よぉ!」
背後から声がする。
「湊川! 生きてたか!」
「生きてたかだと⁈ いつも通りわけの分からんことを言うヤツだなぁ。あぁ?」
湊川は、俺の後ろにいる2人──特に片方──に目をやり、小声でこう付け加えた。
「あれほど『手ぇ出すのは止めとけ』と忠告したのに、何をしているんだオメーは」
「分かった分かった。いつものボケで安心した」
普通ならイヤミの言葉になるが、今回は本心でそう思う。安心した。湊川はいつも通りだった。他にも知った顔が見える。
──そう言えば、こういう発電所みたいな制御室に一番似合いそうな魚崎某が居ないが、まあ、知ったこっちゃない。その辺で、乗り物酔いか何かで寝込んでいるに違いない。
「撃墜されたってのはお前か⁉」
湊川が話を変える。
「撃墜? 誰が撃墜されたって? 俺はピンピンしているぞ」
「そうか。落ちたのは無人の
「無人?」
「ああ。司令部付きのRERC機と見られる
「何処かに脱出したとか?」
「こんな地獄の底で何処に隠れるんだよ。例え
「それは……そうだな」
金星の地表に生身で出たらどうなるかは、
金星ならどこでも起こりうる窒息死を除けば、地表で死に至る原因は、気圧と熱によるものとなる。死因が気圧によるものと断定されたケースは、肋骨が折れて心臓を潰したなどあるものの、実はそれほど多くない。
問題はやはり熱──五百度近い外気温の方である。全身がこんがりと焼かれる。時間的には3分どころか3秒持たない。肌は瞬間的な見た目は変化しないが、その外気を一瞬でも吸おうものなら、気道熱傷を起こし、粘膜は全て蒼白になる。基底細胞ごとやられているから、表皮を総取っ替えしない限り再生しない。湿度が無いだけマシとも思えるが、高圧の大気が対流熱の増大を補って余りあるため、地球上の同程度の高温環境より過酷だ。消防服を完全に着込んでいたとしても、10秒保てばいいところだろう。
完全防備の
死んだ後の経過など俺は興味がないが、仕事としての遺体回収作業も、俺たちの重要な任務のひとつである。亡くなった人がどのように朽ち果てて行くかは知っている。
水分が全て抜け、ミイラ化するまでに時間はほとんどかからない。硫酸の雨は地表までは到達しないと言っても、地表での脱水作用は圧倒的で、ミイラは数日のうち炭化する。その後の変化はあまりない。エベレストや南極で死ぬのと同様、少しずつ砕けるまで何年も、何十年もかかる。重力の井戸の底で永遠に形が残るというのは、ある意味残酷だ。見つからないだけでそこにいる筈──そういう思念が、遺族を過去に引き止める。死んだ後まで生きている人間の足を引っ張るとか、俺はそんな死に方は御免だ。どうせ消えて無くなるなら、宇宙空間がいい。後腐れ無いように、第三宇宙速度以上で頼む。
「ん? 湊川。お前、それは宇宙服……だよな?」
今更だが、俺は湊川の身なりに気付いた。ヘルメットこそ被っていないが、
要するに、何が言いたいのかって言うと、登山中にウエットスーツを来ているヤツに出くわしたような、そんな気持ちに今、俺がなっているってことだ。
「ああそうだ。お前もそれで来たんじゃないのか? 俺のバックアップで……」
「バックアップ?」
「
「宇宙船って何だ?」
「はぁ? じゃあお前、何しに来たんだ? 〝パエトーン作戦〟に参加したんじゃないのか?」
話が噛み合ない。ここで素直に『お前達が遭難したから助けに来た』とか言っても鼻で笑われるだけだ。いや、湊川のことだ。大声で笑われる。ここはやはり、
「
「ん? ああ、〈スキップジャック〉の最終調整中だろ」
「スキップジャック?」
「宇宙船の名前だ。エレベータで地下に行けば分かる」
湊川は最後まで、『何しに来たんだ?』という顔をしていた。そりゃそうだろう。俺だて、結局、何しに来たのかは分からない。いや、分からなくなっちまった。
「パエトーン作戦って縁起悪いですよね。ヘリオス作戦にしておけばいいのに……」
再びエレベータに乗り込んで下降中、ポツリとみのりが言う。
「なんだよそれ。ギリシャ神話とかの神様の名前か?」
「そうです」
おお。当てずっぽうが当たったよ。その昔、ネオ・ダイダロスのシミュレーターに搭乗した時に、オリオン計画や元々のダイダロス計画など、古い話がやたら好きな技術者がいて、そいつから色々と聞かされていたから思いついたのだけなのだが。
「ここは金星なんだから、ヴィーナス作戦にしとけば良いのに」
「作戦名としては弱々しいんじゃない? アテナならともかく」
〝遺跡〟に辿り着けずイライラしていた御影恭子が久しぶりに絡んで来たと思ったら、そんなとこかい。アテナならお前にピッタリだろうよ。よくは知らないけど。
「パエトーンは太陽の戦車をお父さんのヘリオスから借りて暴走させた神様です」
「太陽の戦車? 暴走させたのか?」
「ええ。とっても
「その暴れ馬みたいな宇宙船が〈スキップジャック〉なのか?」
「そこまでは──よく分かりません」
そもそも、こんなところに宇宙船というのが、全くもってわけが分からない。ここは大気の底の底。メタンの海並に──は少し言い過ぎだが、オーダー的には同じくらい大気の濃いところだ。そこからの打ち上げはさぞや大変だろう。打ち上げ時の大気抵抗も、当然ながら地球とは桁違いとなる筈で、形状にもよるが、
そもそも、核反応エンジンを用いたロケット──逆に言えば、
モノポールを使った推進機構がどんなものかは知る由も無いが、核反応を使った代物なら制御が難しい──みのり流に言えば〝御し難い〟──のは間違いないだろう。発生する熱量が桁違いだから当然だ。弱火チョロチョロの火加減が出来ない。
地球上での発進なら、発射時は通常の航空機のようにジェットエンジンを使い、その後、スクラムジェットエンジンに切り替えて一気に加速、成層圏上部で核反応ロケットに点火することも原理的には可能だが、大気中に酸素が無い金星ではそれも不可能だ。法的にも不可能である。
となると、核融合炉のエネルギーを電気に変えてから自立型の
それ以上にもっと根源的な疑問がある。宇宙船が何故、地下に置いてあるんだ。上から見た時はこの〈箱船〉以外、
もう何と言うか、ハテナマークしか頭に浮かんでこない。
そう言えば、〈スキップジャック〉ってのは確か
それにしても、我が隊の機体の通称は〈マンタ・レイ〉だの〈ブラック・タートル〉だの、空軍だって言うのに海に関する機体名が多いな。もっとも、金星には海は無く、地上には住めないから、最初から空軍以外はあり得ないのだが……。
「上沢少尉? どうかしましたか?」
「あ。いや……」
しかめっ面で腕を組んでいる俺を見て、みのりは心配になったようだ。
「私も長田大尉に何て話していいか分からなくて……」
「あー。そうじゃ無いんだ──」
そうか、そっちの方か。
「──宇宙船だよ。こんな場所から打ち上げる意味がさっぱり分からなくてな」
「おそらく、モノポールの詰まった
「秘密裏って言ったって、打ち上げれば必ずバレるぞ?」
睨みつけるようなソーニャの瞳が脳裏に浮かぶ。
「それはそうですけど、一気に宇宙空間まで運び出してしまえば、共和国政府もおいそれと追いかける事は出来ません」
「モノポールエンジンを搭載した宇宙船を秘密裏に作って、それを使って盗み出すお宝というのが、モノポールエンジンそのものってことか……」
「おそらく──ですが」
「だが、何故、地下に宇宙船があるんだ? どこから
「それは……全く分かりません」
「宇宙船って言うのは隠語なんじゃないの?」
御影恭子が口を挟む。
「隠語?」
「モノポールエンジンの別名。ここに無尽蔵の発電設備があると広まったら困るでしょ。だから、〝宇宙船〟って隠語を使うの」
「うーむ……」
宇宙船というあり得ない隠語──
俺はコトの真相を
* * *
エレベータの最下層──と言っても、3フロアしかないのだが──に到着するまでしばし待つ。エレベータで制御室まで上がった時の加速と時間から考えて、最上階の制御室は、
ドアが開くと、地下室の天井に接着された巨大なシャンデリアのようなそれがあった。それが何かは全く分からなかったが、あったのは間違いない。
これが宇宙船? いや、違う。
形が変だとかそういうレベルのものではない。ひとつ例を挙げよう。噴射ノズルはどこにある? 宇宙に上がる船だぞ。推進剤やエネルギー源が何であっても、何かしらの噴射ノズルくらいはある筈だ。
場合によっては磁場ミラー型核融合炉のように、磁場でプラズマを閉じ込めることもある。その場合は目に見えるノズルは存在しないが、特徴的なコイルでそれと分かる。確かに超伝導コイルらしきものは周囲に多数あるが、推進装置のそれとは明らかに形状が違っている。あえて言えば、ネオ・ダイダロスに使われているような、逆円錐型のペレット核融合推進エンジンに似ているかもしれない。そのエンジンの実物は見た事は無いが、超短パルスレーザー発振器がゴツゴツと付いていた筈だ。目の前にある装置もそれが多数付いている。
ただ、レーザー核融合推進だとしてもどちらに飛ぶのか分からない配置だ。通常、発振器は船体側に付いていて、噴射側には反射ミラーだけが付いている筈だが、そのミラーが何処にもない。これでは核融合ペレットを均等に加熱することができず、爆縮が正常に起きない。
仮に上手く点火できたとしても、発生したパラズマ流を受ける形状の磁場発生コイルがどこにも無いのだから、爆発するだけで噴射制御ができない。エネルギーが四方八方にダダ漏れだ。下手すると、この装置自身が煽りを受けてぶっ壊れる。それともこれは、レーザー核融合炉と磁場ミラー型核融合炉のハイブリッドとかなのか?
ああそうだ。こいつは核融合じゃなくて、モノポールを使った──何だったっけか? 陽子崩壊反応とか言っていたな。
いやいや、そういう話ができるような──そういう話ができる域に達しているような代物じゃないんだ。目の前にあるものは!
「何よこれ⁈」
それまで、細菌と遺跡にしか興味を示さなかった御影恭子がそれを見上げる。
「エンジンの部品だけなの?」
なるほど。そういう見方もあるか。要するに、配管やら何やらが剥き出しのままで、全く宇宙船の体を成していないのだ。俺は噴射ノズルを探したが、御影恭子は装置全体を俯瞰したわけだ。
宇宙船に限らず大気中を飛び上がる飛翔体は、空気力と空力加熱から
宇宙船と呼ばれた装置だけでなく、その周辺にまで視野を広げると、更におかしい点が見えてくる。噴射ノズルが無いのと対を成す話であるが、噴射を受けるべき
──何故、下に置かれているのではなく、天井に張り付いているんだ?
「洋上石油プラントのようにも見えます」
みのりがポツリと呟く。石油プラントは、俺は歴史の教科書でしか見た事がない。上から吊るされたプラントの図は見た事がないが、確かにこんなゴテゴテと配管剥き出しの構造物だったような気がする。歴史の教科書で思い出したが、昔の加速器の
「未完成品なのか?」
そう思える代物だった。少なくとも何かの装置の実験機としか思えない。俄然、御影恭子が言い出した〝宇宙船〟隠語説が真実味を帯びてくる。
「こいつは……完成品ですよ。必要充分の機能を持っている」
男の声がした。
「魚崎⁈」
全く気付かなかったが、腕組みをして横手から装置を見ている男がいた。空気みたいな存在で全然気付かなかった。黒ブチの眼鏡を通し、どこか虚ろな目が見える。
「こいつは何だ?」
「あー、見たまんまの実験装置だ」
「いや──、見て分からないから聞いているのだが?」
「見て……分からない?」
魚崎は、何が分からないのかが分からないと言った風に問いかけ直す。
「ほら、ここが……爆縮炉となるターゲットチャンバーで、周辺に……正12面体に合わせた集光装置。んー、その装置ごと
「そういう意味じゃなくてだな──」
どうも調子が狂うな。コイツの
「これは宇宙船なんだろ。モノポールを使った核融合で飛ぶとか言う……」
「核融合? 違うよそれは……」
『宇宙船』ってところは否定しなかった。魚崎は目線を合わさないまま、装置を見つめ、ひとり言のように呟く。こういうところに厳密さを求めるんだよな。科学者ってヤツは。
「えーっとだな。なんだっけ?」
俺は御影恭子に助けを求めた。確か何か言ってたよな。
「
「そう。それだそれ。それを使ったエネルギー実験装置だろ」
「ルバコフ効果? モノポール触媒の……陽子崩壊反応のことかな?」
「そうだ!」
いや、本当にそうなのかは覚えていないが、御影恭子──ソーニャだったかな? ──は確かそんなことを言っていたし、俺が聞きたいのは、そんな
「んー、それも違うね。確かに、反応初期の段階で……ルバコフ効果による触媒反応もある程度は生じるだろうが、そいつは……モノポール融合にとっては障害物なんだ。だから、質量差を利用して強制的に超強電場で分離して──」
「そういう話じゃなくてだな!」
俺はキレた。キレたと認識しているから、まだキレてはいないのだろうが、一歩手前まではきている。
「──こいつは違法に遺跡を採掘してモノポールを抽出し、それをエネルギー源に利用した装置だろっていうことだ。違うのか⁈」
「んー、何か根本的に勘違いをしているようだね。君は──」
『君は』と来たか。こんちきしょうめ。
「これはモノポールを使って……んー、エネルギーを作り出すシステムじゃないんだ」
『違法に』ってとこはスルーらしい。
「じゃあ、何を作っているんだよ‼」
「こいつが作り出すのは──」
魚崎は、眼鏡を上にずり上げながら、始めてこちらを見た。
「──宇宙だよ」
魚崎は楽しそうに笑っていた。
「なるほど、宇宙かぁ」
俺もつられて笑った。人間、わけが分からないと笑うものらしい。魚崎の薄笑いと俺の笑いは多分真逆の感情なのだろうが、見た目はそうそう変わらない──筈だ。
さっきまではぶん殴ってやろうかと思っていたが、その感情はことごとく
──となると、彼の無邪気な研究を誰が誘導したかが問題になる。この手の視野狭窄型研究者というか猪突妄信型研究者の場合、研究に必要な予算調達や対外的アピール能力は極めて低い。現に、俺の質問に全然答えてない。というか、質問の意図を全く把握していない。とてもじゃないがこんな感じの説明で
つまり彼の──魚崎の研究を利用しようと企み、各関係機関に働きかけ、こんな巨大な装置を組み上げるだけの人員と金を確保した誰かが別にいることになる。
「説明が必要だな」
別の男の声が頭上からした。今度は聞き慣れた声。
「大尉。コレは何なんです? 〈レッド・ランタン〉に残った俺たちまで騙して、ここで何をしているんです⁈」
「騙す? はは。お前らしい言葉だな。上沢。お前を
「それは──、謹慎中でしたから……」
「それは表向きの理由だ。──簡単な話だ。お前は正義感が強過ぎる」
「だからと言って、こんな違法行為が──」
「まあ話を聞け」
渡り廊下にいたのは
「お前は、このモノポール貯蔵遺跡をどうしたいんだ?」
「どうしたいって……そのまま保存すべきでしょう。遺跡って言うのなら人類の共有財産だ」
「なるほど、共有財産か。だがな、この遺跡はプロメテウスの火なんだ」
「プロメテウスの──火?」
「ああそうだ。人類全体が共有するには危険過ぎる。それに、共有するほど量があるものでもない」
「だ、──だからと言って、我々が独占していいものじゃないでしょうに!」
「上沢。そこがお前の勘違いなんだ。この作戦は国連本部からの
「国連の?」
「我々だけじゃない。連邦共和国とロシア隊の一部も加わっている」
「結局は──」
「ん?」
「──結局は、独占でしょう。混成部隊であっても、この遺跡を独り占めしようとしていることに変わりはない……」
「ふーむ」
分かっている。俺が言っていることが奇麗事だって言うことは。ここに遺跡があり、無尽蔵にエネルギーが取り出せる代物が眠っているのだとすれば、その所有を巡り争いが起こるのは必然だということ。数多くの紛争の原因は、食料や飲み水も含めればエネルギー資源の奪い合いだ。その量が限られているのなら、なおのこと。いずれ紛争が起きることは目に見えている。
だったら、非公式であったとしても、国連の
「長田大尉。ひとつお聞きしたい事があります──」
俺と
「──この装置は宇宙船ということですよね?」
「ああ、そうだ」
「目的はモノポールの持ち出しですか?」
「そうではない。その逆だ」
「逆?」
「逆ってどういう──」
つい言葉が出る。言っていることが分からん。だが、
「使っちまうんだよ。争いが起こる前にな──」
全員に行き渡らない資源があれば、奪い合いの紛争が起きる。それを解決するには、全員に行き渡るだけの資源を確保することが一番だが、それが到底無理なら逆の解法がある。捨ててしまうのだ。誰も使えなくなってしまえば、奪い合いは起こらない。実に単純だ。
紛争が起こる前に消し去ってしまうのなら、非合法に独占するよりはまだマシか──と自らに言い聞かせようとしたのだが、
「──うまく行けば無限に増やすことができる」
資源を増やす作戦なのか、資源を消し去る作戦なのか、どっちなんだよ!
* * *
ここからの説明は主に魚崎によって行われた。会話が噛み合ないことが多くイライラしたが、それなりに理解したことをまとめると、こんな感じだ。
モノポールというのは原始宇宙なのだそうだ。もう、初っ端からわけが分からんが、聞いてくれ。俺だって分からないなりに我慢して聞いたんだ。
で、このモノポールは単独だととても小さい。小さいと言っても比較の問題で、周囲を取り囲む
さらに、モノポールは磁気単極子と言う和名が付いているだけあって、N極のモノポールとS極のモノポールが存在する。これらを交互に立体的に積み上げて行くと、NとSが相互に干渉し合って外部からは磁力は全く検出されなくなるが、内部は原始宇宙の一歩手前になるらしい。だが、実際はそう簡単にはいかない。そもそも、N極とS極は引き合うのだから、放っておくとくっ付いて消えてしまう。
『電子・陽電子消滅の磁気バージョンだよ』──と魚崎は言っていた。『ポジトロニウムに相当するものを作ることも可能だが、これを〝マグネトロニウム〟と呼べないところが残念だ』とか言って一人でニヤニヤ笑っていたが、どのへんが笑いのツボなのかさっぱりわからん。少なくとも、魚崎は楽しそうだった。何が楽しいのか分からないが、楽しそうだった。コイツ、以外とよく喋るな。いや、そんなことはともかく──。
モノポール同士が勝手にくっ付いて自滅するのを防ぐため、N極とS極それぞれのモノポールは格子状に区切られた容器に入れておかねばならない。その容器と言うのが、
遺跡の状態は良くはなかった。何しろ、遺跡を形作る岩石は、今から5億年前のものだったという。表面のほとんどは元々の磁鉄鉱ではなく、酸素が硫黄成分に置換されて磁硫鉄鉱か黄鉄鉱になっていた。遺跡の中心部にいくほどモノポールの含有率は高く、そこから逆算すると、元々存在したモノポールの85%は消えてしまった計算になるらしい。ま、5億年もこの環境下にありながら、15%も残っていることの方が、驚異的じゃないかと俺は思う。
5億年前、遺跡を作るのに使われたとされる硫酸なんとか細菌は、南極の地底湖から発見されていたそうだし、その細菌のDNAをイジり倒して、機能が停止している
魚崎は今ある遺跡をあえて粉砕し、残った15%のモノポールをかき集めて、小規模ながらも元の完全な状態に戻すことを考えた。だが、そのためには、新しい揺りかごを作りながら、モノポールを格子状に組み直す大規模な
この実験を敢行するには巨大な資金を持つ
そもそも国連機関なのに非公認ってどういうことなのか良く分からないが、そういう外郭団体があるらしい。ま、既にそういう非公認の団体が、人類の共有財産である遺跡を壊すことに手を貸している段階で俺としてはムカムカ来ているわけで、
「お前がハズされたのは、正義感じゃなくて、隠しごとが出来ないその性格からだろ」
湊川が呆れた顔してうそぶく。
「──ったく、なんでお前がこの船に乗ってくるんだよ!」
言い忘れていたが、あの後、俺は
湊川が宇宙服を着ているのに俺たちは普通の服装でいいのか──魚崎に至ってはテカテカのチノ・パンにヨレヨレのTシャツだ──と思ったが、今回の搭乗は何度目かの
「言っとくが、この船──〈スキップジャック〉の
2人──というのは、俺と御影恭子のことだろう。魚崎は最初から
「
「〈マンタ・レイ〉の
「〈スキップジャック〉には乗せないのか?」
「こいつは試作機。人類初のモノポール・エンジンで動く宇宙船の試作機だ。で、俺がそのテスト・パイロット。お前には譲らない。今回、指くわえて見てるのはお前の方だ」
「これは──本当に〝宇宙船〟なのか?」
「はぁ? お前、いまさら何言ってんだ。
「ああ。分かった、分かった。それ以上言うな」
とてもじゃないが話にならない。それにコイツは、俺と組むといつもバックアップに回されているから、少しばかり卑屈になっているところがある。
「ところで──」
と、俺は、質問の仕方を変えることにした。
「──〈スキップジャック〉の推進剤は一体何だ?」
本来なら、後ろに座って眼鏡を押さえながら計器類を見ている魚崎に聞くべきだが、コイツに話を聞いても要領を得ない。テスト・パイロットになった湊川なら──、そして、〈スキップジャック〉が本当に宇宙船だと言うのなら、そのへんのことは頭に入っている筈だ。
モノポール・エンジンがどんなものなのかはよく分からない。魚崎はそれを原始宇宙だといい、核融合反応でもルバコフ効果を使った陽子崩壊反応によるエンジンでも無いと言い切った。とりあえずエネルギー源の詮索は放っておいて、単に膨大なエネルギーを生み出す代物──程度に考えておく。
だが、エンジンがいくら強力でも、宇宙船やロケットはそれだけでは飛ぶことができない。宇宙船後方に何かを投げつけ、その反動で推進力を得る必要がある。俺が噴射ノズルを最初に探したのはそれを知ろうとしたためだ。後方に何を投げつけるかが分かれば、エンジンの原理もそれなりに分かってくる。
だが、湊川の返答は素っ気なかった。
「ねーよ。そんなもん」
「何? 無いわけがあるか⁈」
それが無ければ、作用反作用の法則って言う、ニュートン力学に反する。そんなことは原理的にあり得ない。
「ねーもんはねえんだ。『こいつが作り出すのは宇宙だ』と設計者様も言ってるだろ?」
魚崎はそれを聞いてもニコリともしなかった。計器類のチェックに余念が無いらしい。
「じゃあ、どうやって飛ぶんだよ」
「こいつはと飛ばねぇ」
「と……?」
想定外の答えに言葉を失う。あるいは、宇宙船じゃないことを認めたのか?
「──強いて言うなら〝乗る〟んだな」
「乗る。何に?」
「へへ。分かんねーか。それはな──」
湊川はニヤリと笑った。
「──宇宙だよ」
要は、魚崎の真似だった。
魚崎にはエネルギー源となるモノポールの精製について聞いたが、宇宙船が〝飛ぶ〟機構については聞いていない。湊川の話は魚崎よりは分かり易かったが、話そのものは逆で、さらにぶっ飛んだ内容だった。
「我々の宇宙が原始宇宙だったとき、何があったか知っているか?」
湊川は意地悪そうに質問する。
「知らん。第一、原始っていつの頃の話だ」
「それは──俺も知らん」
何だ、知らないんだ。こいつも魚崎からの受け売りの知識だけだな。
「インフレーションだ。インフレーション」
湊川は不機嫌そうに言う。その一方で、コンソールに流れている情報を読み取り、的確に処理をしているようだ。
「インフレーションって、インフレーションって、──何だ?」
馬鹿2人組の会話になっているが、仕方が無い。俺らは科学者じゃないんだ。
「宇宙空間が急激に大きくなったという話さ。〈スキップジャック〉のモノポール・エンジンは、その〝インフレーション宇宙〟を人工的に作り出す装置だ」
「空間を大きくして
「イメージとしてはそんなところだ」
「湊川……、お前もイメージだけしか分かってないだろ」
「細けぇトコはいいんだよ!」
ははっ。開き直りやがった。
話は単純だ。だが中身がぶっ飛んでいる。
集積されたモノポール──正しくはモノポールを内部に取り込んだ状態の
魚崎の話に出てきた、ポジトロニウムだがマグネトロニウムだか──あれ? どっちだ? ──ともかく、詳細は分からなかったが、通常、そいつらの末路は、単に消えて無くなるだけの
いやいや、移動ではない。移動はしていない。宇宙船は同じ場所にいるのだが、地面と宇宙船の間に新たな空間が創造されるから、座標そのものが変化してしまうだけだ。『こいつはと飛ばねぇ。強いて言うなら乗るんだ』という湊川の言葉はそう言う意味だ。
──っていうことは、コイツは本物の宇宙船だということだ。
こんな原理で飛ぶヤツを宇宙船と呼んでいいのかどうかは分からないが。
「インプロージョン・シーケンスをスタートしますか?」
「何時でもいけるぜ」
合成音か生身の声か分からないような女の声に、湊川が応える。
「
「
「カウントダウンのタイミングはどちらで行いますか?」
「そっちで頼む。10秒からでいい」
「分かりました。10、9、8……」
操作は全てタッチパネルで行われている。操縦桿やスロットルレバーが無いのは淋しいが、ネオ・ダイダロスの操縦系統もそうだった。宇宙を作り出して膨らませるなどと言う奇想天外な話に面食らったが、何の事はない。制御系としては核融合ペレットにパルスレーザーを当てて飛ぶネオ・ダイダロスとそんなに変わらない。磁場で封じ込める核融合炉のような機構が、別途加わっているだけだ。
奇妙なのは、燃料となるモノポールとその推進原理だけ──いやまあ、そいつが一番のキモなのだが──で、制御機構や操縦系が未知の理論で一新されているわけではなかった。これなら、その気になれば短期間のうちに開発できるだろうし、特別なブレイク・スルーも必要なく、既存の技術の寄せ集めでなんとかなるだろう。
「5、4……」
「ん? おい、どうした?」
カウントダウンは唐突に4で止まる。湊川の問いかけに応えたのは、女性の声ではなく、
「湊川。今日のテストは
* * *
「偵察機は無人の囮だったからな」
俺と湊川が制御室に戻ると、
「撃ち落としますか?」
無線から入ってくる声は姫島だった。普段はにこやかだが、こと戦場においては過激である。職務に忠実と言った方がいいかな。
「いや待て。小型機の
「こいつは──」
大きな方は、連邦共和国の船。例によってRERC絡みの大型船のようだ。
反対に、我々の乗った〈ブラック・タートル〉もRERCの連中──RERCの司令部付きではなく駐在部隊の連中──に撃ち落とされそうになった。だが、姫島の投光機信号で誤解は解け、アイツらと握手までした。つまり、
つまり、本作戦に関して、
「こいつは──、
──そう。〈レッド・ランタン〉に残った谷上中尉以下の残留部隊ということになる。はてさて、俺はどっちに付けばいいんだ?
「
姫島はあくまで『撃ち落とす』つもりだ。味方でも容赦ない。
やってきた二機の〈ブラック・タートル〉は、落ちるしか能のないグライダー装備と違い、
しかし、このオプション主翼は我が小隊には配備されていないものの筈だ。
「まあ待て。〈ブラック・タートル〉はともかく、大型船の戦力が分からんウチは手を出すな」
「大型船の方が回避能力が低くて良く当たります。装甲も紙レベルですが?」
「そんなことはあちらさんも分かってる。分かっているのに大型船でやってくるからには何かある」
「何ですかね?」
「それが分かれば苦労しない。相手の出方を見よう。迎撃は放電霧を越えるまで待て」
「
ほどなくして降下部隊から通信が入る。
「長田大尉。ご無事ですか?」
予感的中。無線の主は谷上中尉だ。
「無事だ。ピンピンしている」
「それは良かった。そちらに、捜索隊を買って出た上沢小尉と伊川軍曹もいると思いますが……」
「捜索? そうか、そういう話をしていたな」
「ところで、降下地点は赤道を越えた
「……何が言いたい? 時間稼ぎなら他でやってくれ」
「分かりました。単刀直入に言いましょう」
「そうしてくれ」
「不法占拠している遺跡から退去して頂きたいのですが……」
「不法占拠ではない。|宇宙に関する国際連合条約《UNCLOU: United Nations Convention on the Law of the Universe》による暫定的占拠だ」
「それは初耳です」
「公開鍵暗号電文で通知された
「なるほど。では、それは後で確認しましょう。ですが、
「ここは
「共和国の駐在部隊……。なるほど、そういうカードをお持ちでしたか。ただ、どちらが優先されるかは、国際宇宙法裁判所《ITLOU: International Tribunal for the Law of the Universe》でも争われていない事案ですがね」
「はっはぁ。それこそ
「それともうひとつ。遺跡の占領は、
「今は
「おっと、そうでした。そこの環境作業部会の決議に反しています」
ややこしい。実に、ややこしい。政治と法律の分野は性に会わない。──っていうか、何故に
「姫島」
「はい」
「そこから〈ブラック・タートル〉が狙えるか?」
「いつでも撃てます」
「狙いだけでいい。こちらの合図でレーダーを照射しろ」
「こちらの位置がバレますが?」
「ダミー照射でいい」
「
姫島ら
さらに、彼らは敵の誘導弾に備え、
「
「──こちらにも、いきり立っているヤツがいてな」
だが、裏に隠れるのか? 露払いとして大型船を守るのでは無く、盾として使うのか? 藁のような盾を?
「そちらの手の内も見せてもらおうか?」
「…………」
一瞬の沈黙の後、谷上中尉は、
「できれば見せたくは無かったのですが──」
とだけ付け加えた。
相手の高度は20キロメートルを切った程度。濃密な大気のため、望遠でも揺らぎが激しく、詳しくはよく分からない距離ではあるものの、大型船の〝腹〟が開くのが見えた。俺は何度目かの
「クラスタミサイルとはスマートじゃないな」
「いえいえ。オスロ条約には抵触しません。ただのパチンコ玉射出機です」
「この大気密度では、施設に亀裂が入るだけで自壊する──そういうことだな」
「そういうことです。ですが、我々の目的は破壊活動ではありません」
「我々とは?」
「共和国政府と共に
それは確かにそうだった。『我が隊に内通者がいる』俺がそう言って、みのりが黙り込んだのも、元はと言えば、その内通者が
国連本部からの
だが、谷上中尉が〝正義の味方〟かと言うと、これもかなり怪しい。単に状況把握を目的とした偵察だけなら、俺もそう思ったかもしれない。何しろ、奪い合っているのは遺跡だから、移動出来るものではないし、場所さえ特定してしまえば、所定の手続きをとって
第一、クラスターミサイル──ではなく、巨大な鉄球花火を持って来たという段階で、この〈箱船〉を強奪する気満々じゃないか。破壊が目的ではないなら、脅して奪い取ろうということだろう。
この争い……。どちらにしても正義は無いように見える。
逆に、姫島ら
この勝負、
──なにやら、ソーニャの高笑いが聞こえてきそうだな。アイツが後ろで手を引いているのは間違いない。そもそも、あの大型船は
「ふむ……」
「分かった。投降しよう。本施設は放棄する。好きにするがいい」
「えっ⁈」
つい、声が出る。湊川も、他のクルーも同様だ。ちなみに言っておくが、
「……そうして頂くと助かります」
一瞬の間の後、拍子抜けしたような谷上中尉からの声が入る。
「ただ、〈マンタ・レイ〉に全員が搭乗し、本施設を離れるまで時間がかかる。暫く猶予をくれないか?」
「分かりました。20分だけ待ちましょう」
「助かる」
確かに、同士討ちしてまで〈箱船〉の分捕り合戦をしても仕方が無い。無駄な消耗戦をしても我々小隊が損をするだけで、漁父の利を得るのは共和国政府だけだしな。──などと考えていたら、
「教授──」
「んー、なんですか?」
『教授』と呼ばれたのは魚崎だった。そういえば、制御室には一緒に来ていなかったなと思っていたら、まだ例の宇宙船〈スキップジャック〉に乗っているらしい。ディスプレイを見ると、先ほどと全く同じ席に同じように首を傾げて座っている。そういえば、御影恭子もここには来ていないが、船内には居ないようだ。アイツは何してんだ?
「発射シーケンスは止めたままか?」
「あー。いや、一旦、リセットをしている」
魚崎はカメラを覗き込む様にこちらを見ている。覗き込んでもこちらは見えないだろうに。
「それなら直ぐに再開してくれ。ただし今回は本番だ」
「はぁ。では、早速……」
魚崎は驚きもしなかった。眼鏡を押し上げ、少し微笑んでいた。
「湊川。本作戦は予定を繰り上げて最終段階に入る。強制はしない。やる気はあるか?」
「ここまで来たら、後には引けないでしょう」
湊川は嫌々そうなフリをしているが、顔は魚崎と同じだった。早々と敬礼をし、宇宙船へ戻ろうとする。
「上沢ぁ」
「はい」
「お前には本作戦に関わる義務は無い。だが、こういう事態だ。バックアップで湊川と一緒に搭乗してもらえれば有り難い」
「は──」
湊川が振り向き、露骨に嫌そうな顔をする。それなら返答はひとつしかない。
「──分かりました。乗りかかった〝船〟ですし」
「上手いこと言ったつもりか⁉」
湊川は迷惑そうな顔をしてそう言った。俺は笑った。魚崎と同じ、薄笑いで。
* * *
「ったく。何でお前が乗ってくるんだよ」
「
「けっ!」
俺の目算通り、この船は、タンデムミラー型推進ロケットのような、磁場封じ込め型核融合炉と核融合ペレットを使う慣性閉じ込め核融合炉の
もちろん、差異はある。まず、直線的なタンデムミラー型ではなく、ドーナツ型のヘリカル磁場装置が使われている点。魚崎曰く『
もっとも、この磁場装置は、プラズマを封じ込めるのではなく、プラズマと化した
超短パルスレーザーを使った慣性閉じ込め核融合炉の方も、連続使用を想定していないという点が異例だ。その代わり、一度にエネルギーを使い切るフェムト秒単位の超短パルスレーザーの威力はとてつもない。魚崎の言葉を借りれば、モノポールを
超短パルスレーザーの発振に合わせて、
分からないついでに言ってしまうと、一度使ってしまったモノポールを再び回収するには、〈スキップジャック〉が作り出したインフレーション宇宙が
そういえば、
動作原理は複雑怪奇で俺の頭では理解不能だが、実際の点検作業自体は非常に単純だ。外部動力炉との接続と電力流量チェック。スラブ型レーザー増幅器とパルスストレッチャー・コンプレッサーおよび最終段で通過する
ちなみに、〈スキップジャック〉を動かすための動力源は、〈箱船〉の中に外部動力炉として、別途備わっている。
ただし動力源と言っても、それは
それから、グラフェンなんとかってのは初耳だ。昔、魚崎がグラフェン構造がどうのこうのとか言っていたような気がするが、記憶が定かではない。確か、ネオ・ダイダロスのレーザー駆動系にも、似たような場所にSESAMという似たような名前の回路があったが──、親戚か何かだろうか?
「ところで……」
俺は湊川に聞いておきたいことがあった。
「後ろの席の2人は何だ?」
うーむ。自分の発言ながら、この展開は
「何だとは失礼ね! アタシは──」
「魚崎博士は〈スキップジャック〉の設計者だ──」
「──ここに濃縮された磁性体があるって言うから──」
「──エンジニアとして状況を見てもらうために──」
「──それを探していたらアンタ達が勝手にやってきて──」
「──本船の機関士としての役割を──」
「あーっ、ウルサイわい。いっぺんに喋るな。俺は聖徳太子じゃねー!」
「準備はどうだ?」
「だから一度に喋るなと──」
「その声は上沢だな……」
「うが‼」
横でニヤニヤしながら湊川が応える。
「動力系統、レーザーとミラー軸合わせ共に調整済み。いつでも起動できます」
「了解した。こちらの隊員もほぼ〈マンタ・レイ〉に搭乗済みだ。今、
「起動しますか?」
「いや待て。上空で谷上が熱源感知していたなら、起動がバレるおそれがある。〈マンタ・レイ〉上昇時に合わせるんだ。モーター熱と気流で誤摩化せる」
「
モニター画面では、今まさに、〈マンタ・レイ〉のメイン・ハッチが閉まろうとしているところだった。格納された
上空二機の〈ブラック・タートル〉は、高度5キロメートルを割る程度まで降下している。だが、花火が仕込まれた大型船は放射霧より下には降りて来ていない。地上からの奇襲に対する防御だろう。少なくとも、撃墜される前に、全ての子爆弾──子鉄球か? ──を投下可能だぞという脅しにはなる。〈箱船〉乗っ取り後も地表まで降りてこないつもりなのかもしれない。
「全員〈マンタ・レイ〉に搭乗した。これから
「
「
「打ち上げ作業をスタートしますか? 本行程は演習ではありません。繰り返します。本行程は演習ではありません」
先ほど聞いた合成音か生身の声か分からないような女の声。いや、ここには我々4人しかいないから、合成音で確定だ。
「何時でもいけるぜ」
これまた、先ほど聞いた言い回して、湊川が応える。
「生体認証を再度確認します──確認完了。動力炉を接続、起動します」
このやりとりは、さっきは無かった。本番はセキュリティが厳しくなるのか? それ以外にも『起動します』という言葉は無かったと思う。シミュレーションでは省くらしい。
ゲージ類は次第に上がって行くが、振動や音は全く感じない。動力炉が外部にあり、足元で核融合ペレットによる連続点火が行われているわけでもないのだから当然だが、起動時に行われる筈の角運動量制御フライホイール動作試験音すら皆無なのは少々淋しい。
宇宙船の場合、全飛行行程の中で加速時間より慣性飛行時間の方が遥かに長いからこういう静かな状態が多くなる。真空中ではいくら高速で飛んでいても、体感でそれを感じ取る術はない。大気中を飛ぶ飛行体を俺が好きなのは、この静けさが苦手だからかもしれない。今頃になって気付いたのだが、この宇宙船〈スキップジャック〉は、機械式の可動部が極端に少ないんじゃないだろうか?
だが、進路変更を行う機能──操縦桿ではなくタッチパネル式ではあるが──は付いているのだから、何らかの姿勢制御機構がある筈だが、噴射ノズル無しにそれをどうやって制御しているのかが良く分からない。イオンスラスターくらいはどこかにあると思い、搭乗前に確認したが、それらしいものは無かったのが気になる。
駆動系の知識は『
「自律的点検システム作動。全点検終了まで240秒」
時計を目にやると、20分のタイムリミットまで、あと5分ほど。何とかなりそうだ──が、1分の猶予で
「上昇時に撃ち落とされたりしないのか?」
何しろ上空15キロメートルには花火入りの大型船が睨みを
「そもそも、どうやって
天井は開かない。開かないのは分かっている。
この上には、
「んー、あー、それは問題ない。天井はそのままだ」
魚崎が答える。
「天井がそのままだとぶつかるだろ」
「……ぶつからない」
「何故?」
「んー、天井も
「は?」
「だからだなぁ──」
湊川が会話に割って入る。そもそも会話にはなっていなかったが、こんなやり取りが延々と続くのを嫌ったのだろう。御影恭子は隣で目を瞑り足を組んで黙っている。そういえば、コイツは〝水汲み作戦〟の時、魚崎と二、三、会話しただけで直ぐに黙ってしまったのだったっけ? 御影恭子と魚崎晋……ま、どう考えても相性は悪そうだ。
「──俺たちが乗っているのは……そうだな、エンジン部分そのものなんだよ」
「じゃあ、やっぱりこの船は未完成品だってことか⁈」
「そ、そうじゃない」
魚崎の回答を湊川が手で制する。
「〈スキップジャック〉がエンジンだとするならば、船体は〈箱船〉全体だ」
「ん?」
「〈スキップジャック〉は宇宙を人工的に作り出す装置だと言っただろ。だから、金星の地面と、この
「上に乗っている俺たちは
「そういうことだ」
「
さっきも似たような会話をした筈だが──うーん、やっぱり良く分からない。だが、この施設に〈箱船〉という名称を付けた意図は何となく分かった気がする。
「いや……、飛ぶのではなく、んー、座標は変わらない」
魚崎のツッコミが入る。こいつのツッコミは、ボケなのかツッコミなのか分かり辛い。
「ああ、そうだった。そうだった。新しい空間が間に詰め込まれるだけだ」
湊川も魚崎の〝科学的に厳密なツッコミ〟には辟易しているらしい。そのイライラ顔を横目で見ながら、俺はさらに質問をする。
「
「ROC? 理論上何度でも再生可能だ。周囲の空間ごと持ち上がるってことは、大気摩擦を考えなくて済むから、通常の輸送機よりも──」
「ああ、すまん。
「その心配はいらない。〈スキップジャック〉の最高速度は無限だ」
「何⁈」
「いや……、無限では無い。理論値上限は、光速の10の26乗倍? んー……オーダーで10の7桁程の誤差がある──」
「は⁈」
魚崎のツッコミが再び入るが、それ以前に、お前達はいったい何を言っているのだ?
「──だが、心配はいらない。んー、スケール
「湊川ぁ……翻訳してくれないか? 分かるなら」
「ああ? そうだな。簡単なことだ──」
湊川は親指を立てながらこういった。
「──
ウインク付きだった。余計に心配になった。
思わず後部座席の御影恭子を見たが、腕組みをして『アタシに聴くな』という拒否の眼差しをしている。逆ギレしている。──いや、コイツは単に、硫酸なんとか細菌が作った特殊な磁性体が手に入らなかったことに腹を立てているだけなのかもしれない。どいつもこいつも、まともなヤツがいない。唯一まともだったみのりちゃんはさっさと何処かに行ってしまったしな。
「湊川、上沢、首尾はどうだ? そろそろお客が到着するぜ」
有線回線から聞き慣れた声がした。いや、しかし──
「姫島か?」
どうして姫島がここに──何処に?──いる。
「上沢か? 追い払うか?」
パッシブレーダーを見ると、上空にいた2機の〈ブラック・タートル〉のうち、1機は反転し〈マンタ・レイ〉へと近づいていた。〈マンタ・レイ〉は上昇というより、水平方向へ移動していて、〈箱船〉から距離をとる動きをしている。問題はもう1機の方だ。こちらにゆっくりと接近中である。
「追い払うって……ここで戦闘を開始したら、鉄球の雨が降るぞ」
「それが目的なのさ──」
湊川がわけの分からないことを言う。
「──可能な限り実験を遂行させる。だが、不可能と判断したならば、奴らに
「悪いがそういうことだ。この場合、連邦共和国の船からの攻撃だから、自沈とは言い難いが、『禁じられている戦闘により遺跡が破壊された』と言うスジで話を持っていくことが出来れば、奴らも
狐と狸の化かし合いだ。俺が苦手なジャンルだな。
「こっちには2名の民間人も乗っているんだぞ!」
俺は叫んだ。どっちも民間人と呼ぶには、少し逸脱している気もするが、軍人ではないという意味では民間人でよかろう。
「心配するな。そこは地階だ。上が壊れても、そこまでは及ばない。──救出は若干面倒だがな」
「自律的点検システム
また誰かが割り込んできやがった──と思ったら、〈スキップジャック〉の合成音声だった。
「
「姫島、残念だったがお前の出番は無さそうだ」
「分かった。あと30秒だけ待ってやる。それ以上は待てん」
「
「カウントダウンのタイミングはどちらで行いますか?」
「そっち──いや、俺がやる」
湊川は先ほどのシミュレーションの時とは違い、やる気を見せている。
「分かりました」
湊川がこちらを向く。
「今回は俺が
俺の扱いは、
「分かった分かった。とっととやってくれ」
それを聞いて安心したのか。湊川は首を鳴らすとカウントダウンを始めた。──と言ってもスイッチを押すだけだし、そもそも既に周囲に誰もいないのだから、カウントダウン自身の意味がない。そのまま
「10、9、8……」
「──ところで、」
俺は肝心なことを聞くのを忘れていた。
「コイツの──、〈スキップジャック〉の目的地は何処だ?」
「7、6、5……」
「上空1000キロメートル……ってとこかな?」
「曖昧だな」
「4、3……」
「下手すると火星かもな?」
「は⁉」
「2、1……」
「それはどういう──」
「
──遅かった。もっと早くに聞くべきだった。
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