同年 九月十二日
(異様に四角い文字で)
九月十二日
嵐。陛下はふさぎこんでおられる。
底なしよ、いい仕事をしてくれた。さすがに二日酔い。二十三時就寝。
(文字の下にびらびらと長い模様がついている字で)
神聖暦八月十二日すなわち九月十二日
ひどい天気です。我らが「早風」は上下に大きく揺れ、波間をなんとか自力で間切るので精一杯という有様。これはきっと底なしの魔女の呪い、醜い仕返しに違いありません。
昨日ヴァルク神の祝福を受けし夜露を盗み、すべて飲み干した底なしの魔女は、今日は嵐を呼んで我々を苦しめているのです。なんという恐ろしい仕業でしょう。寒気がいたします。
魔女は不敬なことに陛下にもひどい逆恨みをし、荒れ狂う海の中に陛下の大事なしもべたちを放り込んでしまいました。
ナファールト陛下は数多の精霊のしもべをお持ちで、幼きみぎりより、彼らから叡智ある魔法の言葉や外国の言葉、さまざまな武術、そして帝王学などを学ばれておりました。
その忠実なるしもべたちが、あろうことか魔女のすさまじい呪いの力で、みな暗い海の中へと落とされてしまったのです。
魔女の魔力の前にしもべたちはぐうの音も出せず、抵抗することも叶わず。
ああ、何と恐ろしい! 魔女の闇の力というのは、かように苛烈なものなのでしょうか。
私のシャリルさまが陛下のしもべたちをなんとか救おうとなさいましたが、風雨がことのほかひどく、甲板に立っていられるのもやっとという状況では、力及ばずもいたしかたなく……。
ああ、陛下のお嘆きが船室の外から漏れ出てまいります。
食事も喉を通らぬお悲しみ様に、みな心を痛めております。
何のお力にもなれぬこの身が情けなく、もどかしい限りです。
せめて魔女に呪い返しをしてやらねば。
そして陛下の船室の扉に、この私が強力な結界を張りましょう。
陛下は、二十二時に寝台に入られましたが、まだ泣いておられます。
(少し斜めになった美しい帝国標準文字で)
神聖暦八月十二日
ひどいことになりました。あたしは、今すごく怒っています。
メルニラムの奥様が、お酒が飲めない腹いせにとんでもないことをしてしまいました。
陛下の大事な宝物を海に捨ててしまったんです。
ラ・レジェンデのデッキとカード一式。
そう、あの大陸の神話を遊びながら覚えられるっていう、大人気のカードゲーム。
老若男女、王侯貴族から乞食まで、だれもがはまっているアレです。
レア一枚数万リーデルもするっていう。
ああ、陛下がとても大事になさってたものなのに…。
陛下は公の場にも宮廷にも一切、お姿を見せたことがありませんでした。
摂政であるメルニラムの旦那様と奥様が、陛下をずっと後宮にお隠しに…いえ、閉じ込めていたからです。陛下はまだ九歳で、読み書きはおできになれるけれど、外のことは何も知らず、ご自分の立場もよく解ってらっしゃらないみたい。
後宮ではほとんど部屋から出してもらえなくて、召使とカードゲームなさるのが唯一の他人との交流…そんな感じだったようです。
たしかに神殿で長たらしい祭司様のお話を聞くより、ラ・レジェンデで遊んだ方が、簡単に大陸の歴史を覚えられるけれど…。でもそれだけを持たされて、あとはろくに家庭教師もつけられず幽閉されてたなんて…不憫で仕方ありません。
水兵さんたちと仲良くカードで遊んでらした陛下を見るたび、あたしはあの子を思い出していました。あたしの弟を…。あの子も、ラ・レジェンデで遊ぶのが大好きでした。
レアカードをゲットしようものならもう有頂天になって、あたしに「見てみてお姉ちゃん」って自慢したりして。
陛下も先日破戒天使ザブリエルのカードをゲットした時、そんな風にあたしに見せてくれたんです。
あの時の、本当に嬉しそうな無垢な笑顔…ああそれが、今はこの上も無く悲しげで…
とても見てられません。
「子どものオモチャなんかもういらないでしょ!」
…て信じられないです奥様。陛下はまだお小さい子どもじゃないですか。ひどいです。
小さな子の大事なものを、ごっそり海に投げ捨てるなんて。
腹が立って仕方ないので、奥様の「秘蔵お菓子箱」からまたキャンディをごっそり抜き取ってやりました。陛下にこっそり差し上げましたが…
ああ、真珠のような涙は枯れそうにありません。
おかわいそうに。どうか泣かないで下さい、陛下。
(大きな丸い字で)
九月十二日
さよならボクのザブリエル。さよならボクのレイズライト。さよならルーセルフラウレン。さよならデニアーク……レヴツラータ……ヴァーテイン……モップル……サラスニー……フェイスニール……ヴァルク……ガルジューナ……エルギル……
(ページ全体にたくさんの涙の染み)
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