同年   九月十一日

 

(異様に四角い文字で)

九月十一日

 曇り後雨。西風。船足が緩む。想定の範囲内。陛下は沈んでおられる。

 計画は順調。底なしも酔いどれも荒れている。

 二十三時就寝。





(文字の下にびらびらと長い模様がついている字で)

 神聖暦八月十一日、すなわち九月十一日

 午後より風雨が強まってまいりました。強い西風に流されております。

 私のシャリル様に捧げるべき良き韻律が浮かばぬため、私は天界一の歌神ヴァルク神の助けを得ようと思いました。

 ヴァルク神は陽気で気まぐれな男神。小さな妖精を大勢引き連れ、面白おかしく歌を歌いながら、夜通しブドウ畑を縦横無尽に飛び歩きます。神の息吹に当てられたブドウはすべからく、魔法の夜露となるのです。

 ヴァルク神は気が向くと夜更けにそっと人家に忍び込み、自分の息吹の宿る魔法の夜露を、眠っている人々の口に垂らすことがあります。夜露を飲み込んだ者は、たちまち誰かを求めて止まぬ、恋の病に陥ります。誰かを口説かねば気が済まぬぐらいに。

 このヴァルク神の祝福を受けし夜露を以ってすれば、我が恋心も炎のようにかき乱され、我が韻律は白鳥どころか炎の不死鳥を顕現させることができるやも。

 しかしてヴァルク神は、私の願いを聞き届けてはくれませんでした。

 船倉に私が保管しておりました秘蔵の夜露が、すっかり消えうせていたのでございます。

 これは一体どうしたことか。よもや底なしの魔女がこっそり奪ったのでありましょうか。

 我が敵は知らぬ存ぜぬを通しておりますが、きっとそうに違いありません。

 濡れ衣を着せられたと嵐のように荒れる魔女とその夫を、陛下が果敢にお鎮めになられました。

「暴飲の罪ほど悲しく愚かなものはない」

 ああ、仰るとおりです我が陛下。しかしなんという天誅か。

 ヴァルク神よ、我が心は決して邪まなるものではございません。ただただ純粋にシャリル様を想い、あの麗しき乙女の御顔に光り輝く微笑をと、ただそれだけを願っているのです。


 陛下は、二十二時にお休みになられました。





(少し斜めになった美しい帝国標準文字で)

 神聖暦八月十一日

 今日、メルニラムの旦那様と奥様がネイス侍従長に「ワインがない。二人で隠れて全部飲んだのでは」と責められました。

 船倉にあったなけなしのワインの瓶はみんな空。

 トン・フェイ艦長も困り顔。誰が飲んだのかと犯人探しの一日でした。

 召使いやメイドもみんな絞られました。でも一体誰がワインを全部飲んでしまったのか、まだ分かりません。

 一番に疑われた旦那様と奥様は「濡れ衣だ!」とひどいお怒りよう。

 お小さい陛下すら、烈火のごとく荒れ狂う奥様にひどい罵声を浴びせられて……。

 ああ、陛下はまだ十歳にもならない方だというのに。


 革命が起こって、宮殿が民衆に取り囲まれた次の日。

 メルニラムの旦那様と奥様、あたしともうひとりの召使いは、革命軍の将官の手で、宮殿から引きずりだされるように王都の北にある港に連行されました。

 港には、隣国ファンランド王国の海軍の軍艦が我が物顔でひしめいていて。

 あたしたちはその中で一番小さな船に乗せられました。

 しばらくして、ネイス侍従長とディゴール将軍に護られたナファールト陛下が、厳重な見張りのもと檻つきの馬車に乗せられてきました。

 ファンランドの兵士に見張られながら、タラップを昇ってきた長い髪の美少女。

 ……と見まがう小さな男の子。それが、ナファールト陛下。あなたでした。


 柔らかで真っ白な長い髪が潮風に揺れていました。

 大きな金色の瞳。幼さの残るふっくらとした薔薇色の頬。

 太陽のように明るい無邪気な笑顔。華奢で細い手足。肌は、真っ白。

 あの時、あたしはあなたに初めてお会いしたのです。

 あなたはあたしの名前をお聞きになって、そしてそのあどけない笑顔で、こう言いました。

 ただのメイドのあたしに。


「ボクは、ナファールト・ド・ナンスです。きてくれて、ありがとうございます。

 エンネ・リークさん、どうぞ、よろしくおねがいします」


 ぺこりと頭まで下げられてしまいました。

 本当は、殺されるのを覚悟で、その場で逃げ出そうと思ってたんです。

 いくらなんでも絶海の孤島なんかに行きたくないって。でも……。

 でもあたしは…あたしは、逃げ出せませんでした。

 こんな小さな子を置いて、逃げ出せませんでした。

 陛下、あなたをひと目見るなり、涙が出そうになりました。口をおさえて、泣くのをこらえました。

 あたしのたったひとりの大事な家族……あの子を思い出したから。

 今はもうこの世にはいないだろう、あたしの弟を。


 陛下は奥様にひどく怒鳴られてショックを受けられ、船室で静かに泣いておられます。

 おかわいそうな小さな陛下……あたしは、あなたをお守りしたいです。

 あたしは、あなたのすぐそばにいるのだから。




(大きな丸い字で)

 九月十一日

 おじさんとおばさんが、ひどくおこっています。

 お酒が、ぜんぶなくなってしまったそうです。おじさんとおばさんは、お酒がだいすきです。

 ボクにも、むりやりのませます。

 「おまえがのんだんだろう」と言われてしまいました。

 でも、ボクじゃありません。

 いろいろ、他にもかなしいことをいっぱい言われました。

 しんだお母さんのこととか。

 ふたりとも、明日はやさしくなりますように。怒りが、とけてなくなってしまいますように。

 かなしいので、竜王メルドルークのカードを持って、ねます。

 メルドルークが、ぼくのかなしい気もちを食べてくれるからです。

 おやすみなさい。

 みんなも、よく眠れますように。




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