同年   九月十日

 (異様に四角い文字で)

 九月十日

 曇り。南東の風。陛下はお元気だ。多島海が近い。蒼き漁火よ、我を導け。

 今夜より計画始動。

 二十三時就寝。





(文字の下にびらびらと長い模様がついている字で)

 神聖暦八月十日、すなわち王国暦九月十日

 一日中曇り。航海はことのほか順調にすすんでおります。

 トン・ウェイ艦長の話では、この調子で行けばあとひと月半で目的のいやはての島へ到達するとのこと。

 ひと月半。なんという遠い旅路。

 我々が流される島は、いったいどれだけ最果てにあるのでしょう。

 今日は夕刻に怪異なる現象を発見いたしました。

 晩餐が済み、陛下を筆頭に、我々は潮香る夜風に当たっておりました。

 私が麗しのシャリル様への新作の六韻律に悩み、満天の星に天啓を求めようと空を仰いだその時、

 メルニラム公爵が大きなお声をあげられました。

「見よ、あれはなんだ」

 なんと西南の海上に青白い光がいくつも現れたのです。

 それは幾重もの列をなし、ゆらゆらと幽幻の光を放っておりました。

 古文献に記された、伝説の「海人夜行」にまちがいありません。

 我が目で直に見ることになるとは思いもよらず、ただただ、私は吃驚するばかりでございました。

 外海の奥底には、海を統べる海神の異形の落とし子たちが、うようよしております。彼らは夜になると海上へ顔を出し、群れをなし、獲物を求めて海をさまようのです。

 青白き光は彼らの光る眼であると記されております。

 陛下は船べりに立たれ、その光に挑むようにじっと見つめておいででした。

 私のシャリル様もそのお隣で、剣の柄を握りしめ、厳しいお顔つきでじっと眺めておいででした。

 お二人は異形のものどもが我らの船を襲わぬよう、結界の呪文をずっと唱えておられたのです。

 さすがは我が陛下。さすがは王国随一の将軍。皆が安心して眠れるようにとのお心遣い。

 なんとお優しく、そして頼もしいお二人なのでしょう。

 宵闇の海の光を背に、我々の船「早風」は、足早に波間を掻き分けていくのでございました。


 陛下は、二十二時にお休みになられました。





(少し斜めになった美しい帝国標準文字で)

 神聖暦八月十日

 やっとインクが手に入りました。ネイス侍従長はとてもケチで疑り深いです。

 「インクなんてとおぉんでもない。今はインク一滴たりとも無駄にすることはできませぇん」と取りつく島もなかったです。

 侍従長はナファールト陛下だけでなく、随行者すべての荷物を細かく管理しています。

 ひっきりなしに船室や船倉にある皆様のお荷物をチェックしては、物品の残量をメモっています。

 浪費癖の激しいメルニラムの奥様は何でも大量消費してしまうので、侍従長は奥様をひどく警戒しています。

 「底なしの魔女」と影で呼んでいるぐらい。奥様のメイドのあたしは「使い魔」呼ばわり。

 あの方の妄想フィルター、なんとかならないかしら。


 昨日奥様はあたしに書けと命じた備忘録がどうなっているか確認するため、あたしが帝国語で書いた文章を目の前で読めと命じられました。

 仕方ないので、適当に話を作って読み上げました。どうしようもないふざけた内容を喋って、呆れられて、もういいわ、って言われるのを狙ったんですけど、ダメでした。

 ふざけるなと、鞭で叩かれました……。昨日の分が白紙なのも許せなかったみたいです。字は読めない奥様だけれど、白紙はさすがにひと目で解りますから。

 なまけるな、ちゃんと書けとひどいお怒りよう。どうあっても、回想録か何かにして、一儲けなさりたいようです。

 鞭で叩かれるあたしを、旦那様が見物に来られて……ニヤニヤしながらワインを瓶ごとあおり、奥様に鞭をよこせと催促なさって……ああ、その後は、旦那様の酒くさい息しか思い出せません。

 お仕置きは嫌です。インクを手に入れ、何か書き続けるしかありません。

 内容は、もちろんあたしの自由。あの二人が読めない帝国語で。そして適当に無難な内容を読み上げるふりをして喋る。

 それが、あたしのささやかな抵抗です。

 もし万が一奥様があたしの書いたものを本にでもしようものなら、ご自分の恥を世界にさらすことになるという寸法。でもそんな機会は、十中八九来ないでしょう。

 あたしたちが向っている孤島には、人はいくらか住んでますが、ろくにお店もない、まともな街などないと聞いてますから。

 侍従長は、あたしには未来永劫インクを配給してくれそうにないので、陛下の船室からこっそり拝借しました。お可愛らしい陛下の目を盗んでっていうのは、かなり気が引けたけれど……。

 ごめんなさい、陛下。どうかお許し下さい。

 無邪気に海上のきれいな光を眺めている小さなお背中に、あたしは何度もあやまりました。

 本当にごめんなさい、陛下。

 お仕置きは嫌なんです……ごめんなさい……。


 



(大きな丸い字で)

 九月十日

 インクが見あたらないので、ネイスさんに新しいビンをあけてもらいました。

 だいじにつかいます。ごめんなさい。

 今日は、おばさんのメイドのリークさんが、ボクの船しつのおそうじをしてくれました。

 床も窓もすごくピカピカになりました。

 リークさんの手は魔法みたいです。雑巾もモップもおどるようにうごきます。

 リークさん、ありがとう!


 夜に海が青白く光っているのを見つけました。

 艦長さんが、船が「エルキイカ」をとっているんだとおしえてくれました。

 エルキイカは、体が光るイカで、ちっちゃくて、とってもおいしいそうです。

 このイカをとる人たちは、たじま海にすんでいるそうです。

 つまりボクたちの「はやかぜ」は、いよいよ、たじま海に近づいてるそうです。


 ねむいです。ねます。おやすみなさい。

 みんなも、よく眠れますように。

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