第56話 ACT17 戦慄6

 ずい、と、あやめ丸を下段に構えた姫緒が一歩、前へと進み出る。

 それが合図であったかのように風小が応え、金猿の群れ目がけて高く飛び上がった。

 前回の金猿との戦いに挑む際、風小はこの篭手の重さを嫌った。

 自分の戦いのスタイルはスピードとパワー。

 そのうちのどちらかが欠けるのも彼女にとっては面白くなかった。

 金猿ごときあやかしは如何様にも始末出来ると言う奢りもあり、風水銃での戦闘を選んだのだ。

 しかし、その戦法が金猿に対して有効でないとなれば、背に腹は変えられぬ。

 今は、由美の『究極』だと言う言葉を信じるほかは無かった。

 篭手の、重みによる戦闘への干渉は風小の予想以上で、繰り出そうとした拳のタイミングがいつもよりわずかに遅れる。が、しかし、標的とした金猿を捕らえ逃すほどの障害にはならない。

 狂ったタイミングを、力でねじ伏せるように補正し、怖気付くように身をすくませる金猿目がけ拳を叩き込む。

 一瞬、篭手がまとっている紅の闘気が、金猿の方へとわずかに移動したかと思われた次の瞬間、金猿の身体は粉々に消し飛んだ!


「ワーお!」


 思わず己の拳を見つめる風小。

 隙を見せた風小の背後から、別の金猿が集団で飛びかかる。

 風小はその気配を察知し、襲い掛かってくる一団に、裏拳の要領で薙ぎ払うように拳を叩き込む。

 反撃に気づいた金猿達は、一斉にその鋭く長い爪を身体の前で受けの構えに組み、防御を試みた。

 が、しかし、その必殺の強靭な爪もろとも金猿達は、粉々に、文字どおり粉砕されてしまった。

 呆れ返るその威力に、声も無い風小。

 篭手がまとった紅の闘気に触れただけで、あやかしと言う不安定な存在そのものから消し飛ばしてしまう。


「由美さん!これ、マジ、キュウーキョクぅ!」

『当然です!私は、嘘と貧乏人は大嫌いです!』


 高揚する風小の心に由美の声が蘇る。

 風小の心は躍った!闘気を奮い立てる風小!篭手は益々唸りを荒げ、紅の様相を増して行く!

 視界に入る金猿達を次々と薙ぎ払い、姫緒の前に道を切り開く!

 高い態勢から、そして、低い態勢へと思えば、舞うように跳び!回転し、駆け抜ける!

 スピードはやがて加速を繰り返し、篭手は、紅の長い帯のような残光を空間に映し出す!残光をまとい、両腕を振り回しながら闘い跳ねる風小のその姿は、さながら、紅の羽衣を幾重にもまとい、舞い踊る天女の姿。

 歩調を乱すことなく、姫緒は、姫緒は、ゆっくりと風小の開いた道を進んでいく。 

 歩を進めるごとに、姫緒の白い肌が、常軌を逸した艶めかしい輝きに包まれていった。

 すると、妖刀あやめ丸の、その刀身があたかも、姫緒と己の美しさを競うように、冷たい白蝋の輝きを放ち出し、さらに、その輝きに応えるかと言うように、右手に下げられた呼ビの荒石が小さく震え、共鳴し、鈴の音を響かせ出す。

 荒石から発した鈴の音は、やがて大きくなって行き、その中を、厳しくも殺伐と。

 姫緒は、風小が開いた姫緒のための道を、静かに歩んでいった。

 あやかしを祓うかのように鳴り渡る鈴の音、その音色は、金猿達に異変を起こした。

 嵐の中の枯葉のごとく乱舞し、降るように風小を襲っていた金猿達の動きから、まず、すばしこさが消えていった。投げやりにも見える攻撃を繰り返し始めたかと思うと、風小の攻撃をかわすことも反撃することもしなくなり、金猿達はやがて、電池の切れかけたおもちゃの様に、その場でふらふらと身体を揺らすだけになってしまっていた。

 戦いの場であった空間から、金猿達の騒乱が消えていた。

 静寂を乱すのは、ただ冴え渡る荒石の鈴声。

 金猿達は風小のなすがままに破壊されていく。

 様子が判らず、訝しむ風小の攻撃の手が止まった。

 荒石の発する音が一面に鳴り渡ると、金猿達の身体の揺らぎは次第にぐらぐらと大きくなって行き、その場で立ち尽くすことも困難な様子になって、終(つい)には力が抜けたように膝を折ると、ガクリと前のめりに倒れてその場にひざまずき、土下座するようにうずくまる。

 そのまま、金猿達の巨大な目はゆっくりと閉じられていき、すべては完全に沈黙した。

 見渡す限りの平伏す塊となったあやかしの中で、姫緒は、風小を脇に従え立ち止まり、ついと、あやめ丸の切っ先を那由子に向ける。

 白蝋の輝きを放っていたあやめ丸の刀身が、一瞬で的を射抜くような透明感の在るそれに変わると、荒石は共鳴を止め、空間は、心を慄(おのの)かせるような静けさに満たされた。

 躊躇いの無い視線で姫緒が那由子を見つめる。


「鬼追師さんは、綾子を、妹を助けられる?」


 那由子が悲痛な面持ちでそう叫喚したかと思うと、すぐ蔑むような笑みになり口を開く。


「無理だよ。だって、鬼追師さん、弱いんだもん」


 姫緒が静かにあやめ丸を降ろすと、風小は傍らに片足をついて跪き控えた。


「属性石(キャラクタル)」


 小さく言い放った姫緒の、鳩尾の当たりが強く鈍い光で輝きだす。

 光は流れるように首下へと移動していくと、服の襟元から、青みを帯びた白色光を放つ輝石となって現れ、空中に踊り出し、彼女の目の高さに浮いて止(とど)まった。


「ムーンストーン。属性は『ルナティック』」


 姫緒は空中に浮かんでいるムーンストーンを手にとった。

 ムーンストーンの『属性』が姫緒の身体に流れ満ちていくとともに、濡羽色の長い髪がさわさわと次第にざわめき出し、白乳色の輝きが彼女の全身を覆った。


「封印術、絶対崩壊域!」


 姫緒の号叫と供に、那由子の周囲と上空に、封印の印が描かれた巨大な光る方陣が出現し、軋む様な呻きを響かせ、ゆっくりと回転しだす。

 方陣は、那由子のまわりに強力な封印空間となって彼女を取り囲んだのだ。

 だが……。


「何故」


 予期せぬありさまに、思わず姫緒の口から言葉がこぼれた。


「何故、上がってこない」


 本来、この術は敵の四面と天地とを六つの方陣で囲み、強力な結界によって封印するものだった。

 今この空間には、四面と天井の方陣は確かに出現し、完璧なまでの形影を空間に出現させていた。

 この状態で失敗はありえない。

 だが、技の完成を示す、下方から迫り上がるはずの方陣が上がってこない。

 技は未完成のまま方陣を回転させ続けた。


「グググ……」


 うずくまるあやかし達の間からうめき声が漏れ出し、まるで呪縛を解こうと足掻くように首が小さく震えだした。

 風小がその異変に気づくと、両手の篭手が反応し、鋼の色から再び薄っすらと紅味を帯び始める。

 彼女は静かに立ち上がり、姫緒を庇う様に前に出ると、攻撃に備えようとしたが、姫緒がその場の事態を見守る事にしたのを見てとり、それに従った。

 姫緒はひとつの仮定を考えていた。封印の術は正しく作用している。と言う仮定。

 それはつまり、この術が失敗したのではなく、『継続中』ということ。

 嘲笑うかのような面持ちでたたずむ那由子。

 未完の封印術。

 蘇生の兆しを見せる金猿の大隊。

 姫緒にとって、非常に腹立たしくも、もどかしい状況ではあったが、耐える事にはやぶさかではなかった。

 姫緒にはそれが永くは続かないであろうと言う確信があったから。

 術は継続中。ならば、この事態を引き起こした何らかの理由を伴った結末が、確実に迫っている事は明白なのだから。


「あっ!」


 風小が小さく声を上げた。那由子の足元が徐々に明るく輝きだしている。


「姫さま」


 風小が姫緒の顔色を伺う。姫緒は鋭い目で那由子を見つめていた。

 めりめりと言う、樹の生皮を剥ぐような音と供に地面が割れて迫上がり、巨大な影が那由子の背後にそびえ出す。同時に、技の完成を告げる、最後の方陣が下方より浮き上がってくる。

 方陣の光に照らされる中で、そびえ立った巨大な影のそのおぞましき細部がはっきりと浮き上がった。


「これを、浮き上がらせようとしていたのね」


 それは、幾重にも折り重なり、絡み付きながらもがく、金猿の群れの塔。

 いや、其処に群がっているのはただの金猿ではない。

 そこにいるのは、より一層『異形』の色濃い金猿達!

 金猿の形体をしていながら、僅かばかりに垣間見れるその異形。

 その姿形は。

 人間。

 人間の腕を持つ金猿。

 人間の顔を持つ金猿。

 人間の足を持つ金猿。

 片手片足だけ人間の金猿。

 指だけ人間の金猿。

 顔半分が人間の金猿。

 耳だけ人間の金猿。

 奇奇怪怪な金猿達の姿。


「違う」


 姫緒が顔を歪めた。

『死神に喰われた魂は呪われる』


「これが、ななつさまに魂を喰われたもの達の末路」


 姫緒は悟った。其処にあるモノ達は、『生(な)りかけの金猿』なのだ。

 数千、数百にも及ぶと思われる金猿達は、互いの身体と身体の間を粘質な液体で固められており、其処から我先に這い出ようともがき、圧し合っている。

 しかし、その塊の中から少しずつ這い出るごとに、身体は金猿に変化する。

 粘液に浸かっている部分は人間のままでいられるらしかったが、其処に止(とど)まる事は酷く苦しいらしく、悲鳴を上げ、助けを叫びながら、必死に、自らあやかしになるために、群れから離れようともがき、抗う。

 塊から抜け出て、完全な金猿の姿となったモノ達が、ボタボタと地面に落ちると、粘液の欠片を地面に擦り付けながら当ても無く這いずり回っている。

 その光景に、姫緒達は驚愕し、固唾を飲んで見守るしかなかった。


「ほんとにタスケテくれる?」


 那由子が呟き、静かに微笑む。

 その、あまりに尋常でない微笑を、狂怖とでも呼べばいいのだろうか?

 『ナニをこんな普通のことで驚いているのか』と言わんばかりの、常なる物と常ならざる物の境を破壊する狂気がその微笑にはあった。

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