第57話 ACT17 戦慄7
足下の輝く方陣は、完全にその姿を現し、ゆっくりと回転を始めている。
完璧に出現した六面の方陣の唸りが、ウネリとなって、呼応するように高まりだしたかと思うと、分裂を始め、新たな方陣を作り出した。
分かれた方陣は、その輝きと回転を増しながら、那由子と、その背後の忌まわしい狂気の塔へと向けて発射され、次々にぶつかって行った。
巻き起こる旋風(つむじ)が姫緒と風小のまわりに座礼する他の金猿達をもからめ捕り、結界中に作り出した光と騒乱の渦中に舞い上げて行く!
呪われしモノ達の泣き叫ぶ声は、天地を、この異空間そのものを激震させる。
狂気の象徴のようにそびえ立っていた金猿の塔は、阿鼻叫喚の様相を映しながら崩れ出し、運命の象徴のように点滅を繰り返していた信号機は、跡形も無く消し飛んだ。
やがて、それらすべてが一箇所に集まって、黒い塊に姿を変えると、その塊を、下方の方陣が巨大な光のドームのように一気に膨れ上がり、飲み込み消滅していった。
後には……、何も……残らない。
残らないはず、だった。
だが、そこにたたずむ影がひとつ。
それは。
那由子の影。ひとつ。
「ほら。鬼追師さん、ぜんぜん弱い」
呆気にとられる姫緒を嘲るように、那由子はそう言って右手を突き出すと、掌上に小さな、ピンポン玉ほどの大きさの象牙色の珠を出現させた。
「姫さま!危ない!」
ただならぬ殺気を感じた風小が姫緒の前に身を呈して立ちはだかる。
那由子はそんな風小をまったく気にかけない様子で、珠を口元に近づけると、「ほぅ」と小さく息を吹きかけた。
珠は那由子の手から離れると、加速して光の矢となり、風小を、素通りして姫緒を貫いた。
「ひッ!」
いままで味わったことの無い『快感』に貫かれ、姫緒は糸が切れたようにその場に崩れ、地に這いつくばる。
「きゃー!姫さまぁあぁぁー!」
風小の悲鳴。その声に、地面に伏せたままの姿勢で、姫緒がどんよりと意識を取り戻す。
彼女は、自分がほんの一瞬、意識を飛ばしていたことを知る。
快楽に上気する頬。
高鳴る心臓の鼓動。腰にまとわりつく虚脱感。
イッてしまっていた。
あまりの苦痛に。たぶん普通の人間ならその痛みで気が狂っているであろう激痛を受けて、姫緒のマゾが絶頂したのだ。
いまだかつて、こんなことは無かった。如何なるあやかしの苦痛に対しても、それを愉しむことはあっても、一瞬で気を飛ばしてしまうなとど言うことは。
この苦痛はまさに、死の苦しみ。
生きたまま死の苦しみを味わう。
自分がまさに望んでいた至極の行為。
言いようの無い淫靡な誘惑にぶるぶると身体が震えた。
「この珠はね」
那由子の掌に再び玉が現れる。
「この珠はニンゲンの魂にしかぶつからないんだよ。ぶつかった魂はどんどん削られてイッテね、ななつさまに魂を食べられちゃったのと同じになるんだよ。つまり……」
悲しげに那由子が笑った。
「『金猿』になっちゃうんだよ」
那由子の言葉に、風小がギョッとして、倒れている姫緒に覆い被さった。
「駄目だよ。聞いてなかったの?あやかしには当たらないんだよ、だからか庇っても駄目だよ」
那由子の言葉に、風小は自分を通り抜けた光の矢を思い出し、顔を蒼白にした。
「いやぁ!やめてぇ!姫さまをあやかしにしないでぇ!」
必死に叫ぶ、泣く事も忘れて哀願する。しかし、那由子は小さく首を振った。
「つぎで終わりだよ。もういいや。がっかりだよ。でもね、鬼追師さんは一生懸命やってくれたからね、『金猿』になっても私のそばに置いてあげるよ。名前も『姫緒』って名前にしてあげるからね」
くすくすと笑いながら、那由子が珠を口元に近づけて行く。
「だめえぇぇぇぇぇー!」
叫びながら、風小が姫緒の身体を強く抱きしめた。
「風小」
姫緒が呟く。
「最後まで諦めるな。私達には、まだ鬼追師としてやらなければならないことがある。そうでしょ?人の心を救うのが鬼追師の本分。ね?あやかしに魅入られ、迷った魂を闇に返してあげないと」
姫緒は風小の乱れた前髪を整えてやった。
「手を貸してちょうだい、立ち上がりたいの」
風小は小さく頷くと、姫緒の腕を自分の肩にまわし支えになった。肩を借りて立ち上がる姫緒。
その様子を見ていた那由子は口元に運ぶ手を止めた。
「まだ、何かできるの?」
対峙する姫緒と那由子。
「さあ?どうかしらね」
姫緒が不敵に微笑んだ。
最大の奥義を持っても倒せなかった敵。もはや手段を選ぶわけには行かなかった。
「風小。これより、この場に『混沌城』を召還し、次元を破壊して那由子ごと封印します!」
ギョッとする風小。
「あなたの紅の篭手に賭けてみましょう。由美さんが『嘘がキライ』だと言う言葉を信じて。篭手が究極の攻撃力と守備力を持つというのなら、或いはあの珠の攻撃を無効化、いいえ、ほんの少しでも弱体化させるだけでいい。私に時間を頂戴」
姫緒はそう言うと風小から離れ、やさしく微笑みかけた。
「私と一緒に死ぬのは嫌?風小」
風小は力強く瞳を輝かせると、大きく何度も首を振った。
「姫さまのお好きなように。私は姫さまの『忠実な片割れ』ですから。いつだって、ただ姫さまについていくだけデスよ!」
うれしそうに微笑む風小を見て姫緒が小さく頷いた。
「最後の闘いよ。楽しみましょう、風小」
「はいデスよ!」
風小の両腕の紅の篭手が唸りを上げた!その輝きが鋼のそれから灼熱の紅に急変する!
「方印の要見立てし偉大なる黄龍よ」
姫緒の詠唱が始まる!
「ナニを始めるのかと思ったら」
那由子が、ほとほと愛想をつかしたといった口調でそう言うと、珠を口元に近づけ「ほぅ」と息を吹きかける。珠は再び高速の光の矢になるが、風小はその軌道を見切り、紅の篭手を振るい、襲いかかる珠の攻撃から姫緒を庇う!
「往生しやがれぇ、で、ございやがります。デスよ!」
振り下ろされる風小の右腕が珠を捕らえる!落雷のような轟音!篭手から発せられる紅の闘気!あやかしを破壊する未知のチカラが珠を砕いた!
「があぁぁぁぁぁぁ!」
しかし、風小の絶叫。
篭手が壊裂し、行き先を失った闘気が風小の手に逆流する!
五指の爪が裂け、血が噴出す。
「古き一族、血の盟約により今、摂理の理を解かれよ」
右腕の篭手は完全にその機能を失った。が、まだ左腕の篭手が残っている。詠唱の終了まであと少し。風小は痛みのショックでぶるぶると震えながらもその場に踏みこたえる。
勝利が見えたと思った。
だがそれは、風小にとって、あってはならないハズだった結果の待つ勝利の扉。
その先にあるのは、絶対の終焉(Ki・O)。
(奇跡は起きなかったなぁ)
ふと、自虐な感情が風小の胸に過ぎった。
だがしかし、その勝利が鬼追師の勝利と確信する姫緒の決断に、もちろん風小も異存は無かった。
「すごい!すごいよ!鬼追師さん!行くね!もう一個いくね!もういっこいくからね!あと、それから、なんこでもいくからね!あははは!アハハハハハハハハ!」
狂気を含んだ那由子の声が姫緒の呪文の詠唱とともに空間に木霊する。
「ひめさまぁ?」
風小は背中に姫緒の存在を感じつつ、次の攻撃に備えたまま静かに口を開いた。
「私は、いままで姫さまのお役に立てたのでしょうか?」
風小の問いに姫緒は、刹那、詠唱を止めた。
「あなたを愛しているわ……風小……」
そして、再び姫緒が詠唱を始めたその時、珠が那由子の掌上より「ほぅ」と放たれ、光の矢となって向かって来る。
迎え撃とうとした風小は、とっさにぼろぼろの右手に力を込めてしまった!
激痛!身体が固まる。
(出遅れた!)
焦り、苛立ち。矢の軌道を目に捉えながら、骨が軋むほど全身をしならせて、繰り出す左の拳を加速させる!
(重いデス)
苦にならなかったはずの篭手の重みが、はがゆく圧し掛かかってくる。
(わたしの身体はなんと腹立たしいほど動かないのデスか!)
情けなさに涙が溢れ出す。
(うごけ!うごくのデス!わたしのカラダ!姫さまの為に!いま、今、動かなければ、いつ動くのデスか!)
「うごいてぇー!!!!」
窮まった不甲斐ない気持ちが、叫びになって風小の口を吐いて出る。
ヒット!
風小の拳が矢の先端、珠の中心を捉らえた!バキバキと音を立てて裂けて行く紅の篭手。
「風小!」
姫緒の叫び!
「全て受ける必要はありません!少しでも篭手を維持するのです!威力を弱化させたらこちらに流しなさい!」
言われた風小は珠が割れ始めようとするのを見て、一瞬の躊躇後、篭手へと流れる闘気の波動を止めた。
珠は障壁を失い、風小の拳を素通りし、再び光の矢となって突き進んだ。
「白虎、青龍、玄武、朱雀。四神に守護されし封印を、謂われ問うことなく、」
意思在るように迫り来る光の矢。姫緒は詠唱を続けながらあやめ丸を下段に構えなおす。
紫電一閃!
振り上げる刃に珠が砕け、白い花火のように弾け散る。
が、砕けた珠の破片のいくつかは、姫緒の身体を貫いた。
「あぐぅ…っくぅぅぅぅぅ……」
思わず膝を折り、崩れる姫緒。飛びそうになった意識を辛うじてつなぎ止める。
ぞくぞくと湧き上がる快感に身体が震え、意識の集中が途絶して、思わず詠唱が止まる。
「姫さま!」
駆け寄ろうとする風小を制して姫緒がふらふらと立ち上がった。
「悪あがきのつもりだったけど。以外に有効なようね。それにしても……」
姫緒はそう言うと那由子を見つめてニヤリと笑った。
「この珠、『ニンゲンの魂』以外にも、結構色んなモノにぶつかるのね」
「すごい!すごいよ!鬼追師さん!」
那由子の掌に三度、象牙色の玉が現れる。
「鬼追師さんは、ななつさまに勝てるかな?ほんとに勝てるような気がして来たよ!」
そう言って、楽しげに珠を口元に近づけていく那由子。
「恩名において消滅させたまえ」
姫緒が詠唱を再開する!
……その時……。
奇妙な事が起こった。
那由子のその顔から、唐突に、不自然なほどまったく何の前振りも無く。
『笑み』が消えたのだ。
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