第54話 ACT17 戦慄4

 踵を返してみる。それが意味のある事なのか、多少訝しがりながら。

 意味はあった。

 姫緒の目の前には、夕闇迫る学校の校庭が広がっている。

 赤いスカートの女の子が校門に向かってかけていくのが確認出来た。

 姫緒がゆっくりと歩き出すと、音の無かったこの世界に、何処からとも無くあの歌が、聞こえてきた。


とおりゃんせとおりゃんせ


ここはどこのほそみちじゃ


てんじんさまのほそみちじゃ


どうぞとおしてくだしゃんセ


ごようのないものトオシャセヌ


「?」


 歌の調子が狂いだす。

 いや違う、狂ってはいない。歌が曲に変化して行っている。

 曲は非常に正確に、単調に、流れている。

 しかし、しかし、これは、この『音』は、これではまるで……。


こノコノナ♪♪ノオイワイにオフダヲオサメニマイリマす


♪♪♪♪♪ヨイカエリハコワイ


コワ♪♪♪♪♪トオリャンセ♪♪♪♪♪セ


 正門をくぐり大通りに出た、ハズだった。

 実際の世界での位置関係はそうなっていた。

 しかし、今は『大通り』は無かった。目の前には、横断歩道が先に伸びて見えている。

 横断歩道を挟んで、姫緒の反対側、見上げた先には歩行者用の赤と青の信号機があった。

 暗闇の中に横断歩道と信号機が浮き出ている。

 そんな風景に、点滅している青信号。

 電子音が音楽を奏でて鳴っている。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


 曲目は。


「とおりゃんせ」


 姫緒が呟いた。


「これが、那由子の聞いた『あの歌』の正体」


「あの時にもこの曲がずっと鳴っていたんだよ」


 突然、信号機の下の暗がりから人影が現れた。


「こんにちは。鬼追師さん」


 そう言ってにっこりと微笑む。その顔は。

 その顔は、姫緒の良く知っている綾子のものだった。

 だが、その髪型はショートカットで、肌の色は日焼けで浅黒く、ピンクやブルーの映えるライダージャケットに、厳ついオフロードブーツと言う出で立ち。

 つまり、あの写真の中の那由子そのものだった。


「こんにちは、那由子さん」


 とおりゃんせの電子音。止む様子も無い。


「おかあさんはこの曲を聴くたびに、綾子の幻を見て罪の意識に慄いていたよ。うううん、幻なんかじゃない。お父さんは、自分には見えなかったから、幻にしたがったけど。私とお母さんには本当に見えてたんだよ。でも、そんな話をすると、お父さんは凄く怒ったんだ。打ったりもしたよ。とっても怖かったよ。お母さんは綾子が成仏出来無いのは自分のせいだって。自分が悪いんだって。だから現れるんだって。おかあさんは全然悪くないよ。悪いのは私だよ」


 鬱陶しく点滅し続ける青信号。とおりゃんせの電子音楽がそれに拍車をかける。


「昔は何処の信号機にもこの曲が流れてたんだよ」


「知ってるわ」


 姫緒はそう言って信号機に向かい、振り払うような手振りをした。

 信号機からとおりゃんせの音楽が消える。


「だから、お母さんは外に出られなくなったんだよ。この曲を聴くと綾子が現れるから」


「あなたはどうだったの?」


 姫緒が尋ねる。


「私は平気。だって悪いのは私だから。ななつさまをやろうと言い出したのも私。一人で逃げたのも私、無理やり信号を渡ったのも私。だから我慢したよ。綾子の姿を見るのはとても辛かった、凄く辛かった。でも、我慢したよ。だって悪いのは私だもん。お母さんは悪くないよ。だから、私は綾子が現れるたびにお願いしたんだよ。もう現れないでって。私の前には現れてもいいから、お母さんは関係ないからって。悪くないからって」


そう言って那由子が自虐的な笑みを浮かべる。


「ごめん、私はうそつき。『辛い』んじゃない、『怖かった』。逃げたかったんだよ」


 それはそうだろう。どんな理由があったとしても、事情を知らない那由子にしてみれば、これは、ただの怪異な現象だ。母親を思う気持ちを支えにして耐えていたのだろうが、よくぞ耐え忍んだものだと姫緒は感心した。


「鬼追師さん、質問するね?このメロディ付きの信号機。盲人用の誘導装置つきのこの信号機は、今はほとんど音楽を奏でるタイプのものが無くなって、鳥の声になっちゃったんだけど。どうしてだか知ってる?」


 那由子の問いに姫緒は小さく頷いた。


「うるさいから」


「正解!うるさいから!なんだよ」


 那由子が笑う


「深夜は睡眠の妨害にならないようにって音楽を止めていたんだよ。だけど実際には夜中に仕事をして、朝帰ってくると言う人もいるよね?そんな人が、とおりゃんせを聞きながら床に入って、とうりゃんせで起こされるんだよ。ふふふ。堪んないよね、うるさいデスヨネ。盲人なんか構っていられないデスヨネ?」


 那由子はそう言いながら、何度もうんうんとわざとらしく頷いた。


「なるほど。それが、あなたが故郷を離れた理由なのね」


 姫緒が言うと那由子は「そうだよ」と言って続けた。


「雑誌か何かで読んだんだよ。夜に仕事を持つ人の多い都市では、信号機から『とおりゃんせ』が消えていってるって。面白可笑しく。『びっくりニュース』のように書かれた他愛も無い記事だったけど、私には天からの福音だったんだよ!」


 那由子がそう言って続ける。


「お母さんが死んで、お父さんが失踪した時に、私は街を出る事にしたんだよ。だって、もう、あの街は私にとってただの嫌な街だったから。そして、探したんだよ。とおりゃんせの無い街。それでもやっぱ、当時は街を歩けば多少この曲を聴くことがあったんだよ。それで、インターネットを使った商売を考えたんだよ。奇を衒うとかじゃなくて、私にとっては必要に迫られての事だったんだよ。でも、これが意外なほど受けた!大当たり!だから少し無理をして、外に出なくても生活できるようなマンションを契約したんだよ」


「ひとつ、聞いていい?」


「何かな?」


「其処まで慎重に物事を進めていたのなら、何故、北海道に行ったの?」


「ああ……。それはね」


 姫緒の質問に、那由子は初めて普通の女の子らしい笑みを浮かべた。


「夢……」


「夢?」


「うん。オートバイで北海道を走るの夢だったんだよ。オートバイ、好きだったんだよ。いいよね、なんか、『自由!』って感じ、するよね」


 那由子はそう言うと黙りこくってしまった。姫緒は静かに、那由子の会話の続きを待った。

 その間、姫緒は考えていた。『それ』は本当に那由子の夢だったのだろうかと。それすらもあやかしの作為だったのでは無いのかと言う、嫌な可能性。


「もう、大丈夫だと思ったんだよ」


 唐突に那由子が話し出した。


「大丈夫だと思った。だって、もう、まわりにとうりゃんせの信号機は無くなってた!無かったんだよ!だから免許を取って、バイクを買った。暫くは用心してたよ。でも、もう無かったの!だから大丈夫だと思いマシタ!その筈だったんだよ!」


「だから、北海道に行ってみた?」


「そうだよ!駄目?おかしい?全部我慢しなくちゃいけないの?悪いのは私だよ!でも、だからって全部やっちゃ駄目ってことは無いでしょ?ずっと我慢してたんだよ、色んな事、我慢したよ!だからいいじゃない!たまには自分にご褒美上げても。がんばったんだもん。一生懸命がんばったんだから、行ってみたかったんだよ。『自由』欲しかったんだよ」


「そこで、まだとおりゃんせを奏でる信号機と遭ってしまった。そしてまた、綾子が現れたのね」


「鬼追師さん」


「何かしら」


「勘違いしているといけないからはっきり言っておくね。私は自ら望んで此処に来たんだよ。そして、望んでここに居るんだよ。だから、この件から手を引いてくださいマセンカ?」


 沈黙。


「ねえ鬼追師さん。ほら、そこ、それが本当の綾子」


 そう言って那由子が指差した姫緒の足下に、何処からとも無く生首がごろごろと転がって来て、眼球のつぶれた眼差しを彼女に向けて止まった。

 その千切れた首は、崩れて血に塗れてはいたが、姫緒を此処まで導いた、あの少女。

 綾子のものだった。


「そこに転がっているのが本当の綾子だよ。綾子の最後の記憶。あの時、綾子は私の足下に転がってたよ」


 那由子がそう言うと、首は、再びごろごろと転がり、闇の中へと、まるで、無くした自分の身体を捜しに行くかのように、消えていった。


「あんた達の知っている綾子は、綾子の死んだ後の記憶だよ。遠い。遠い場所の。この世にあってはならない天涯の記憶なんだよ」


 那由子がしばしの間沈黙する。そして。


「鬼追師サン。コノ件カラ手ヲ引イテクダサイ」


 感情の無い口調で、那由子が姫緒に語りかけた。


「あんた達には関係の無いことだよ?それに、綾子はあやかしだよ。あやかしに義理立てする必要、無いじゃない?」


「生憎と、この商売は信用第一なの。依頼主は絶対。それに……」


 ニヤリと狡い笑いを浮かべる姫緒。


「綾子と約束しちゃったのよ、最後まで付き合うって」

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