第51話 ACT17 戦慄1

「さてと……」


 姫緒たちの消えた異界の空間を眺めていたレンレンが話を切り出す。


「それじゃあ、悪いんだけど、召還師は和子ちゃんを一足先にホテルに送っていってくれないかしら?」


「あんたはどうするんだ?」


「私は、姫緒の帰りを待たなくちゃいけないしィ」


「綾子さんは?」


「あんた、つくづく鈍い召還師ねぇ。いい?狙われてるのは綾ちゃんなのよん、次に攻撃を受けるとすれば綾ちゃんでしょ?あの顎蠱(がっこ)みたいのがまた来たら、あんた戦えるぅ?」


「う……、む、無理……」


「でしょ?だったら私が綾子を守るしかないじゃないの。で、私はここを動けない。それと、綾ちゃんのそばにいれば危険だと言うことは理解したわよねぇ?じゃ、どうしたらいいと思うぅ?」


「一緒にいたほうが良くないか?」


 いまいち腑に落ちないと言うように北條が食い下がる。


「かえって危険だってば。次は相手だって全力で来るわよん。綾子一人なら守れるけど、あんたと和子を守りきれる自信、私には無いわよん」


 レンレンのその言葉で、北條はやっと納得した。レンレンにとってみれば、自分も戦力ではなく、守るべき子羊の立場なのだ。


「校舎の後ろに私の車があるから」


 そう言ってレンレンが車の鍵を北條に渡す。


「……解った。そんじゃ、がんばってな」


 北條はそう言うと、和子に付き添い教室から出て行った。


「はい、はいっと」


 レンレンは、教室の中に自分と綾子の二人っきりになったことを確認すると、綾子に近づいていき、人なつっこい笑顔で口を開いた。


「ねぇ、綾ちゃん。あなた、自分の力で那由ちゃんを助けられるかも知れないとしたら?どうする?」


「えっ!」


 驚きの声を上げる綾子を尻目に、レンレンが部屋の中央に進み出る。


「ねぇ、綾ちゃん。あなたこんなにきれいな星空を見たことがある?」


 そう言ってレンレンが天井に出現した夜空を仰ぐと、つられて綾子も天井を見上げる。

 言われて初めて、綾子はそこに広がる星空が、今まで見たこともないほどたくさんの星影がこぼれる、美しい星月夜であることに気づいた。

 そこにある星達は、手を伸ばせば届きそうなほど、はっきりとした輝きで瞬いていた。

 思わず見とれていた自分に気づき、ハッとしてわれに返る。


「都会じゃ無理よねぇ」


こぼれ落ちて来る星を受け止めるかのような仕草をしながら、レンレンが独り言のように呟く。


「でもねぇ。私つい最近これと似たような星空を見たことがあるの」


「あの。それと私がお姉さんを助けられると言う話と、どう言う……」


 そんな、困惑気味の綾子を制するような視線を、レンレンが向ける。


「あのね、綾ちゃん。私がこの星空を見た場所は、北海道なの」


 思わず綾子が息を呑む。


「北海道」


「そう。つまり那由ちゃんの捜索中ってこと。あそこはほら、空気は澄んでるし、なにより、夜になると街灯も無くて真っ暗なところが多くてね。ほんと、場所によっては夜空はこんな感じになるのよ」


 レンレンが再び星空を仰ぐ。


「それでね。私、この星空を見て、少しばかりこの話の仕組みが見えてきたの」


「仕組みですか?」


「そう。ほら、あそこ」


 そう言って星空の天頂を指差す。そこには、沢山の淡く輝く星の帯が、たなびく雲のようにとどまっていた。


「あれが天の川。なかなかこれだけきれいには見えないものよん。それで、その中に一際輝き、十字形に並ぶ星宿が見えるかしら?あれが白鳥座よん」


 その星座を見つけるのには大した苦労はなかった。天球にかかる天の川のほぼ中央。大きく輝く星々を目で追えば、いやが上にも十字の軌跡を追うことになる。そんなハッキリとした星宿だった。


「まるで白鳥が天の川で羽を休めているようだわねん」


 レンレンが続ける。


「白鳥座にはいくつか神話があってね。そのひとつにこんなのがあるのよん。『最高神ゼウスがスパルタ王妃レダに恋をした。ある日、白鳥の姿になり彼女の前に現れて二人は結ばれた。白鳥が去った後、レダは二つの卵を産み落とし、これがふたご座のポッルクスとカストルになった』。今回の話を見立てさせるような、なんとも暗示的な話だわよね」


 そう言ってレンレンは静かに目を伏せた。


「その形から、南十字星になぞらえて、北十字星とも呼ばれている白鳥座は、その寒そうな名前とは裏腹に、実は夏の星座なのよん。つまり、この夜空の見える季節は夏!さらに、この星空が北海道のそれだとすると……」


「それって、ひょっとして……」


 まごつく綾子の質問に、レンレンはひとつ頷いた。


「そう!この幻影は那由子の見た空!那由子の『記憶』なのよ!私達は大きな間違いをしていたの!」


「間違い、ですか?」


「さっき、姫緒は言ってたでしょ『那由子さんの身体から彼女の精神を抜き取り、変わりに綾子さんの精神を置いたのは、ななつさまでしょう』って」


 綾子が頷く。


「違うのよん。那由ちゃんは何処にも行ってないの。そこに」


 レンレンがそう言って呆然とする綾子の胸を指差す。


「そこに居るのよん」


 レンレンの言葉に、綾子は我に返り、辺りをきょろきょろと見回した。

 その姿を、さも滑稽そうにレンレンが笑う。


「あなたよ、綾ちゃん。うううん。あなたの入っている那由ちゃんの器。その器はまだ那由ちゃんの器でもあるのよん」


「!」


 綾子が言葉も無くたたずむ。

 レンレンはそんな綾子に冷たい視線を浴びせ口を開いた。


「私も、姫緒も、まんまと欺かれたのよん、誰だって『幽霊』なんて見せられれば『魂の出し入れ』なんて事を考えたでしょうね。デモね、実際には違うの、那由ちゃんは自分の記憶の中に閉じ込められているよん」


「き、おく」


「そう。人の精神世界の内にはねぇ、サイコダイバーでも行け無いところがあるの。一般に潜在的共通意識と言われるところでね。概念的には、『すべての人間の意識は深いところでひとつに繋がっている』。日本語の意味がこれで正しいか、ちょっと不安だけど、まぁ、だいたいそんなものよん」


 レンレンは綾子に一杯まで歩み寄った。


「そこは星の数ほどの、あらゆる記憶の平行世界と考えられているの。空間と物質が混沌とした概念世界。時間すらその意味として存在する。つまり、迷ったら出てこれない。帰って来たとしても元の世界とは限らない、次元の坩堝。みたいな、ね。だから、ある場所はわかっているの、だけれど、危険すぎ!で近づけないの」


「その平行世界に、姉さんが!」


「頭のいい子は好きよん。綾ちゃん」


「ここに」


 綾子がレンレンに指差された胸の辺りを触れてみる。

 レンレンが両手を天井に向け振り広げた。


「那由ちゃんは『自分の記憶の内』に閉じ込められているよ!この星空は名由ちゃんの、四年前の夏の記憶!」


 レンレンは、そう言うと、ゆっくりその手を降ろしながら綾子に視線を向ける。


「それですべて繋がるわん。最初のサイコダイブの際に、綾ちゃんの意識は溶けようとしたんじゃない。もと居た場所に帰ろうとしたのよ!二人の共有しているとおりゃんせの歌と言う記憶によって、平行世界にいる那由ちゃんと現世の綾ちゃんの記憶が繋がり、那由ちゃんを探す綾ちゃんが、無意識にそこへ戻ろうとしたの!そこは多分、綾ちゃんがもと存在していた那由ちゃんの記憶世界!つまり!那由ちゃんは今!綾ちゃんの記憶の有った場所に閉じ込められているに違いないわ!」


 レンレンは、大仰にそう一気に捲くし立て、ゼイゼイと肩で息をする。

 彼女は自分が酷く興奮しているのを感じていた。ななつさまの仕組んだであろうカラクリが見え始めたことも確かにその要因ではあったが、それよりもレンレンの感情を高まらせていたのは、ななつさまが欲しがったという、『那由子の能力』が見え始めたという事だった。


「那由ちゃんの能力。私の考えが正しければ、それは、『記憶を実体化』させる力!」


 レンレンの瞳には最早、綾子の姿は映っていない。


「初めは、自分の記憶を実体化し、綾ちゃんや婆(ばばあ)を実体化した。多分、この先その能力が成長するとするならば、究極は共通意識への干渉。平行世界に入り込むことにより、あらゆる禁忌(タブー)は崩壊する。個と言う存在は消え去り、いかなる力も無力!場所も、時間すらも復元、支配する。まさに、無敵の『超』能力よん!」


(ほしい)レンレンは心からそう思った。

 ふと、忘れていた綾子の存在を思い出す。


「那由ちゃんのいる場所にあなたを送ってあげるわん」


「そんなことが出来るんですか?」


「とっても危険よん。とんでもない苦難が待っている事は間違いないわ。だから姫緒には教えなかったのよん。あの娘は『甘い』から。言えば絶対反対するもの。うん。でも、あえて、いいえ、一片の躊躇も無く、私はあなたをそこへ送るわん。何故だか解るぅ?」


 レンレンの問いに綾子は小さく首を振った。


「私は姫緒が大事なの」


 ふふふと意味ありげにレンレンが笑う。


「だあってぇ、いなくなったらつまらなくなっちゃうじゃない?」


 そう言うと綾子の両肩に手を置いた。


「まず、準備が必要よん」


「準備?」


「そう。記憶の世界に入り込んだときの、あなたの姿を自分でイメージしておかなきゃいけないの。そうしないと他の沢山のイメージに飲み込まれて、記憶の一部に取り込まれてしまうわ」


 レンレンの言葉に綾子がごくりと息を呑む。


「でも、私のイメージって」


 この姿が那由子からの借り物だと知った今、綾子には自分の姿をイメージすることは不可能ではないかと思われた。


「いいのよぉ、この姿で」


 綾子の気持ちを見透かしたように、レンレンはそう言うと、彼女の両肩をぽんぽんと叩く。


「蛙だって蛇だって、ゴキブリだって構わないのよん。あくまで『イメージ』なんだから。それとも、この姿はキライ?」


 再びポンポンと綾子の肩を叩く。綾子は何度も強く首を振った。


「そうね、そうよね」


 にやり、とレンレンが微笑む。


「じゃ、決まり!決まり!綾ちゃんはこの姿をずっとイメージして離さない様にするのよん?そうしているだけでいいわ。後は私が入り口まで連れてってあげるから。その後は、多分、貴方の『記憶』が那由ちゃんの居場所を覚えているはずよん。もっとも」


「な、なんですか?」


「もっとも、覚えていなかったら、その時はそれまでだけどね。私も助けには行けないわ」


 そう言うとレンレンは楽しそうに大声で笑った。


「どうする?」


「やります!いえ!行かせて下さい!」


「そう。それじゃあ。私の、目を、見て」


 そう言ってレンレンは右目のアイパッチを外す。狂気を孕む硝子の虹彩が、綾子の、綾子で在ろうとするすべてを


……破壊した……。

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