第50話 ACT16 反撃3

「ごめんね綾ちゃん。待たせたね。さあ、那由子を助けてあげよう!」


 和子はそう言うとポケットから硬貨を取り出し、半紙の上において、人差し指を添えた。


「ありがとう。わこおねぇちゃん」


 硬貨に綾子の指が添えられる。


「始めましょう」


 姫緒の言葉に綾子と和子が頷いて。

 歌いだした。


とおりゃんせ、とおりゃんせ


ここはどこのほそみちじゃ


 黄昏にはまだ遠い、それでもけだるい初夏の午後。次第に、輪唱し始めた蛙たちの声が校庭に漂い出す。

 二人は歌っていた。


てんじんさまのほそみちじゃ


 『あの日』のことを思い出しながら。

 『あの日』の。あの懐かしくも悲しい、最後の記憶。

 そして、すべての始まりの日。


どおぞとおしてくだしゃんせ……


「だめだよ」


 !……。


 突然。何処からか甲高い女の子の声がした。場の空気が凍りつく。


「だめだよ」

「ごようがなければとおれないよ」

「ごようはなあに?」


 くすくすと言う笑い声。

 辺りを見渡すが、誰もその声の主を見つけることが出来ない。


「ごようはなあに?」

「くすくすくすくす……」

「だめだよ」

「クスクスクス……」


 一人なのか。それとも何人か居るのか。

 掛け合うように女の子(達?)の声はだんだん増えていくようにも感じられる。


「だめだよ」

「ごようのないものとおしゃせぬ」


「用ならあるわ!」


 まわりが呆然とする中、姫緒の声が響いた。


「那由子に逢わせて」


 『声』が黙り込む。


「そこに居るんでしょう?そこにいる那由子にあわせなさいと言っているのよ!」


 一瞬置いて、声が、歌いだした。


「とおりゃんせとおりゃんせ」

「とおりゃんせとおりゃんせ」

「とおりゃんせとおりゃんせ」


 ただならぬ気配が机の上の硬貨に集中していく。


「綾子さん!和子さん!机から離れて!」


 姫緒の叫びに二人は応えようとせず、その場に立ち尽くす。


「風小!」


 叫ぶが早いか、姫緒は和子の身体を抱え、机のそばを飛び退いた。

 応えるように、風小は綾子を抱え去る。

 集中した気配はどんどんと大きくなって行き、突然、轟音と供に机の下の床を破り、古く厳つい木造の階段が迫り上がって来た。

 階段は、大きな音で軋みながらそのまま迫り上がり、天井にぶつかって止まると、一瞬、教室が大きく震える。

 天井に、石を投げ込まれた水面のような波紋が起こり、それが晴れた時、今まで天井だったその場所は、満点の星空に変わっていて、階段はその中に消え入るように続いている。


「来いってことかしらねぇん」


 あきれたようにレンレンが言った。


「来て欲しく無いようには見えないわね」


 姫緒が応える。


「罠ねぇ」


「かも知れないわね」


「でも行くんでしょお?」


「もちろん」


 姫緒が微笑む。


「じゃ、私はここでリタイアぁ」


 レンレンが右手を肩の高さに挙手しながら言うと、一歩退いた。


「……何を企んでるの?」


 姫緒が胡散臭そうな眼差しをレンレンに向ける。

 そんな姫緒に、レンレンはフフンと鼻を鳴らして応えた。


「死神を倒した最初の退魔師の称号は、姫さまにお譲り致しますわん。と言うことよん。そのかわり……」


 レンレンの眼差しが冷たく変わった。


「必ず帰ってきなさいよん。あんたの最後の敵は私。ネモ・レンレンよん」


「覚えておくわ」


「姫緒さん」


 和子が割り込む。


「姫緒さん、お気をつけて」


「あんた、不安とやらからは開放されたのぉ?また新しい悪夢の入り口に立ってるだけかもよん」


 レンレンが意地悪そうに口を挟む。


「ええ。ひょっとしたらそうかもしれません。だから、姫緒さん、必ず帰って来てください。私、まだまだ助けて、ほしい」


 和子はそう言って深々と頭を下げた。

 姫緒は無言で小さく会釈し和子に答えると、綾子に向き直る。


「綾子さんのご期待に応えられる様、最善を尽くします」


「いいえ、姫緒さん」


 綾子が小さく首を振った。


「姫緒さんがいかなる結果を出そうとも、それが最善であると。私、信じます」


「ありがとう」


 姫緒は綾子の言葉に応えるように頷く。


「北條さん」


 突如出現した階段に怖気づいていた北條が、姫緒に呼ばれて自分を取り戻す。


「北條さん、お世話様でした。」


「あ、いや、何。なかなか、楽しかった、よ。そこそこ、な」


 北條はそう言ってチラリと姫緒の傍らの風小を見た。風小は北條の視線に気づくとニコニコと笑顔をつくり口を開く。


「北條さん、お食事の約束、楽しみにしてますデスよ」


 風小は、姫緒が踵を返して階段に向かうのを見ると、小走りにそれについて行った。


「あっ、オイ」


 北條は、そんな二人の後姿に声をかけたが、続ける言葉を見つけられず口を噤(つぐ)む。


「そうだ。北條さん」


 姫緒が、階段に一歩足をかけたまま立ち止まり、振り向いた。


「何だ?」


 北條が訝しげに応える。


「この件が終わったら、風小と食事に行くのですね?」


「えっ?あ、ああ」


(風小め、余計なことを)


 顔を赤らめ生返事を返す。


「もちろん、私も誘ってもらえるのでしょう?」


「へ?」


 一瞬面食らった北條だったが、みるみる表情を輝かせて言った。


「おう!あたりまえだ!いや」


 そう言って両手を広げて続ける。


「全員だ!此処にいる全員で行こう!、酒だっておごってやるぞ!そうだ!全部俺がおごってやる!ボーナス前借りしてでもおごってやる!だから……」


 北條の無精髭だらけのやつれた顔がやさしく笑った。


「だから。ぜってぇ帰って来いよ!姫緒!」


「風小と一緒に、でしょ?」


 姫緒はやさしく微笑み、ゆっくりと階段を上り始める。

 風小は、階段手前で、残る者達の方を振り向き、「それでは、みなさま、行って参りますデスよ」と挨拶すると、一度ちょこんとお辞儀をし、向き直って姫緒を追いかけた。


 徐々に階段を昇って行く姫緒と風小は、そのまま、満天の星空の中に吸い込まれるようにして、消えていった。

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