第43話 ACT14 ねじまき屋
解体の決まった教室の中は、置き去りにされた掲示物が所々に散在し、埃にまみれ、まだ昼だと言うのに仄暗く、生ぬるい静寂が漂っていた。
長い間締め切られていた事で、気分が悪くなるほどのカビの臭気にも包まれており、開け放たれた窓から、時折吹いてくる乾いた風が、辛うじて呼吸できるほどの空気を運んでくるといった有様だった。
が……。
教壇には晴れやかな笑顔の由美が立っていた。
目の前にある机の上には、紫色の風呂敷に包まれた荷物と、同じ色の布袋に収められた長物がどっかりと座を占めている。その正面には、身体に合わない小さな席に、まるで補習を受ける生徒のように座る姫緒がおり、傍らには風小が寄り添うように立ち尽くしている。
姫緒の表情は、はなはだ迷惑そうであったが、それは決して由美の訪問を歓迎していないわけでも、もちろん、由美そのものを苦手にしているわけでもなかった。
問題は由美の後ろの黒板にあった。
黒板には、花や、キリン、犬や猫などのイラストが、色とりどりのチョークによって爛漫に書き込まれ、中央に空白部分をつくり、そこには大きな太い白文字で、『ねじまき屋臨時出張店』と書き込まれ、文字は赤い縁取りがされていた。
もちろん、風小が姫緒を呼びに行き、帰ってくるのを待つ間に製作された由美の力作である。
姫緒は自分の仕事を中断されるのを嫌い、由美を待たせることに躊躇しなかったことを、今は深く後悔していた。
「さて、この度は当『ねじまき屋』をご用命いただきまして真にありがとうございます」
由美はそう言うと深々と頭を下げる。
「死神に戦いを挑もうなどと言う、無謀極まりない鬼追師様に、当店店主、厳選の逸品をご提供させていただきに参りました」
キリリと、涼やかな笑顔でそう言い、包みの結び目を手際よく解くと、紫の風呂敷が桔梗の花が開くように四方に広がり、包まれていた品が現れる。
「対あやかしの汎用兵器としては究竟(くっきょう)の品。『紅の篭手』でございます。今回、特別に左右一対フルセットにてのご提供と相成ります」
紅の篭手といわれたその品は、その名前から想像するには非常に異様な形をしていた。と言うのもその形は、肘近くまでを覆う大きさの、日本式の篭手と言うよりは西洋のガントレットに近い形で、指と手首の部分が蛇腹構造になっており、何よりその色は無垢の鋼のそれだった。由美は訝しげな姫緒の表情を見て取ると、右手用の篭手を手に取り、胸の高さに掲げて見せた。
「この篭手の、秘められし力は、『闘気』を『霊気』に換える力。付けたる者の闘う意思の強さを、霊力へと変換し篭手が纏います。纏いし力はあやかしに対しての攻撃力とも、防御力とも使うことが可能。篭手の纏いし霊力が強くなればなるほどに、その色は溶けたる鋼の、灼熱の赤へと変わります。その姿こそ、この品の名の所以(ゆえん)」
由美はそう口上すると、穏やかな笑顔で姫緒の様子を伺ったが、何事も申し立てられる様子が無いことを確認して、ひとつ頷き「それでは次へと参りましょう」と言って篭手の替わりに長物を包む袋を手に取った。
篭手の包まれていた風呂敷と同じ、紫のグラデーションのかかった布袋の、口を結んでいる紐を一引きで分け離す。中から現れたのは刀の柄と鞘の一部。
「あっ!」
その鮮やかな紅色の鞘をみてとると、風小は小さく声を上げ、信じられないものを見る目で凝視した。
袋から引き出される一振りの刀。
鞘は紅色、鯉口と鐺には細かな細工が施され、栗型には黒い下げ緒が下がっている。
「この一振りこそは、過去最強の鬼追師にして神祖と謳われしお方、『酔姫』が所有していたと言われし道中刀。その名を妖刀『あやめ丸』!」
酔姫の所有物だったと言う言葉に、ピクリ、と姫緒が反応する。
平安の時代。鬼追師の一族を従え、世を支配しようとし、陰陽師達との壮絶な戦いの末、抹殺されたと言われる鬼追師の姫の中の姫。酔姫。鬼追師の栄光であり、破滅へと導いた張本人。
その姫の能力は強大、そして、酔姫が所有した数々の退魔用具はその伝承の凄まじさから、幻の、或いは虚偽の物とされていた。
ふと、姫緒は風小の様子を伺う。彼女が小さく息を呑むのが見えた。
「風小の様子から察するに、まがい物ではなさそうですね」
「当然です!」
由美が、まるで教師が生徒をたしなめるように、ビシリと姫緒を指差しながら声を荒げた。
「私は嘘と貧乏人は大嫌いです!」
そう言って、あやめ丸を子供でも抱くようにして抱きかかえる。
「その刀身に魔を降ろし、妖幻を討つとされていますが、その詳細はまったく不明です。されど、酔姫の流れを汲む鬼追師様なれば、必ずや刀の力は、今回の戦いに期待通りのよい結果を導き出す事でございましょう」
由美が微笑みながら姫緒を伺い、続ける。
「ご紹介いたしましたるは、ねじまき屋店主秘蔵、いずれ劣らぬ稀有な品々。お気に召しましたらば納めください」
そう言い終わると、彼女は深々と頭を下げた。
「貰います」
姫緒が椅子から立ち上がりながら呟いた。
「もちろん両方ともいただきます」
姫緒は、あらためてハッキリした口調でそう言うと、そのまま去ろうと踵を返す。
それを見て取った風小は、教壇に駆け寄り、机の上の篭手と刀に手を伸ばそうとした、その時……。
「ねえ、姫緒」
由美が姫緒を呼び止める。その声に何かを感じ取り、風小の手も止まった。
「姫緒。悪いんだけど、主人、いえ、ねじまき屋から、今回は物凄くヤバイからアンタのお代は現金で貰って来いって言われてんだけど」
風小の手が完全に引っ込められ、恨めしそうに由美をみつめる。
「ごめんねぇ、風小」
由美は小さく手を合わせながら風小に微笑む。
「由美さん」
姫緒に呼ばれて、由美は視線を彼女の後姿に移す。
「ねじまき屋に伝言をお願いします」
「はい?」
「『借りは返していただいた。誠意は充分伝わった』……と」
そう言って去ろうとする姫緒に、由美は極上の笑顔でお辞儀をした。
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