第42話 ACT13 徒話3
「はい、何でしょう?お姉さま!」
極めてうれしそうに風小が答えると、照れくさそうに綾子が口を開く。
「ええ……。あのね。私も風小さんの事を、妹らしく『風ちゃん』って呼んでみたいかな?なんて、思ったの」
「えっ??」
一瞬、風小が戸惑う表情を見せた。が、すぐに思い当たったように「ああ……」と言って続けた。
「私が、お願いしたんでしたね」
風小は、金猿との一戦を思い出していた。
金猿との戦いの際に、テンションが上がった自分が口走った事だった。
歓声をかけてくれた綾子に、成り行きの感情だけで答えた、深い考えの無いお愛嬌。
確かにその時にはそうだった。
だが、今は本心からそうしてもらいたいと思った。
「むしろ推奨させていただきますよ!」
風小は明るくそう答えると、握っていた手を離し、ぺこりと一つ頭を下げた。
「これからわたくし、妹のふうちゃんをよろしくお願いしますデスよ。お姉さま!」
新しい誕生日を祝い、二人は見つめ合い微笑んだ。
「ねぇ、風ちゃん」
「?」
「早速だけどひとつ聞きたいことがあるの」
綾子はそういいながら花壇のブロックに腰を掛けて、風小を傍らに誘うしぐさをした。
「なんですか?お姉さま!」
誘われた風小が綾子の横に腰掛けると、綾子は少し考えた風に話し出した。
「私が、初めて霊査所に伺ったとき……」
「あえぇぇぇぇぇぇ!」
風小が叫ぶ。
「あ、あの時は大変、大変失礼おっぱじめましたデスよ!許されぬこととは知りも存ぜず、お許し下さい、下されませデスよ!」
その場から立ち上がり、目を白黒させると、腕をブンブンと振り回しながら風小が力説した。
「違うのよ。風ちゃん」
風小のあまりに滑稽なその姿に、けらけらと笑いながら綾子が否定した。
「風ちゃんに屋敷に招き入れられるとき、私が『風小さんと言う気がした』と言ったから特別なコーヒーを出してくれたって言ってたでしょ?」
「?、あ、はい、そうですよ」
「あの『特別』は、風ちゃんがよっぽど機嫌が良くないと姫緒さんにすら出さないって、あとでレンレンさんに聞いた」
「いえ、出さないわけでは無くて、気が乗らないと良いものが作れないのデスよ。特別なお方にそんな中途半端なものはお出し出来ないといった次第デスよ」
「それよ!」
「はい?」
「どうして私が風ちゃんを風ちゃんと思ったことがそんなに嬉しかったの?」
「ああ……」
納得いったと言うように風小が頷き、コホンとひとつ咳払いをして続けた。
「百音と言う考え方があるのをご存知ですか?」
綾子が「いいえ」と言って首を横に振る。
「漢字というものが象形から作られたものであることはご存知ですね。たとえば、『手』と言う漢字は人間の手の形から図案化されていったとか」
「ええ、それ位なら」
「では、『て』と言う音はどこから来たのでしょう?」
「どういうこと?」
その声の調子からも、しぐさからも、綾子が非常に困惑しているのが判る。
「音ですよ。『て(te)』と言う音です。なぜ『手』を『て』と言う音で呼ぶことにしたのでしょう?」
「なにを言っているのか?」
「それが百音の考え方なのです」
風小は、ますます困惑していく様子の綾子にそういって続けた。
「犬や猫が微妙な鳴き声の違いでコミュニケーションするように、人間も遥かな昔はもっと単純な言語を使っていたのだと言う考え方です。最初は自分の居場所を相手に教えるためにひとつの音。次に相手を呼ぶために二つの音。そしてついには百の、モノの本質を表す音を作り出した。それが百音です」
そういって風小は「解りますか?」と綾子の顔を覗き込んだ。
「な、なんとなく……」
結構、というように風小が頷く。
「ちなみに先ほどの『て』と言う音には『便利なもの』と言う意味があるのデス。つまり、それが手の本質というわけデスよ。たしかに、たしかにそのとおりですねぇ。昔から人間さまにはちょっと洒落っ気があったようデスよ」
風小はそう言ってクククと笑う。
「音ひとつ?ひとつの音にそんなにしっかりした意味があるの?私はまた、『これ』とか『それ』くらい意味があるのかと」
「形容を短い記号にして表現したわけデスよ。ちょっと例えが違いますが、よく使う言葉の『ただいま』だって『只今帰りまして候』の略ですからねぇ」
「えっ!そうなの?私、無意識に使ってたけど」
「百音も無意識に使われていたのデスよ」
風小がそう言ってにやりとした。
「日本人の言葉の起源。それが百音です。45の母音とその他の二重母音により構成された日本人の言葉の起源。その音階の持つ全ての意味を表にしたもの。それが『百音図』デス。なにもこれは身体の部位に限ったことではないのです。先ほど話に出た『いぬ』と言う動物の種類にしてみても、『い(i)』は『確かに』と言う意味『ぬ(nu)』は『忠実なもの』と言う意味を持っていますから、『犬』は『確かに忠実なもの』と言う本質を持っている。いえ、古代の日本人は犬にそう言う認識を持っていたと言うことなのデスよ」
綾子は風小の説明にただ驚いていた。
「名前には本質が語られることもあると言うことデスよ。ここの所はご理解いただけましたデスか?」
綾子が自信なさげに小さく頷くのを見て風小が続ける。
「私の名前は姫さまが付けて下さいました。風小と言う名前は、その漢字から捉えれば、『小さな風を起こす者』と言った意味合いデスよ。もちろんその意味もあるにはあるのデスが、これを百音の意味に当てはめれば、『片割れ(ふう)・小さきもの(こ)』となり、姫さまの小さな片割れ。姫さまの欠片(かけら)と言う意味合いこそがつまり、私のものの本質と言うことになるのデスよ」
風小が目を伏せて続けた。
「姫さまはそうあってほしいと私におっしゃったのです。私は姫さまの一部になることを許されたのです」
「風ちゃんの名前は、風ちゃんの本質」
「私を私として成り立たせている意味デスよ、お姉さま。その名前をお姉さまは私らしいと言ってくださいました。とても嬉しかったデスよ」
「わたし、そんなこと少しも考えずに」
綾子にとっては、まったく深い意味などない成り行き上のおざなりだった。そんなに大層に感謝されてしまうと罪悪感すら沸いてくる。
「いいえ。だからこそ、という事なのデスよ」
「えっ?どういうこと?」
「知っていてお世辞を言ったわけではなく、私のどこかを心からそう感じてくれた。それがうれしいと思うことは、私の独りよがりかも知れませんが」
風小のクリクリとした緑の目に真直ぐにみつめられ、綾子の頬が薄赤く染まる。
事情は飲み込めたが、なんとも気恥ずかしかった。
「えっとぉ、そ、そういえば……」
慌てて話題をすり替えようとする。
「そういえば、姫緒さんの名前は便宜上のものだと言ってたわよね?」
「え、ええ。まぁ、そうデス」
答える風小の顔が心なしか暗くなったような気がした。
「それじゃ、姫緒という名前は姫緒さんが自分で付けたものなの?」
「……」
今度はハッキリと暗い顔をしながら、風小は小さく頷いた。いささか不信に感じながらも、綾子が続ける。
「じゃあ、百音の考えを知っている姫緒さんのことだから、何か深い意味があるのかしら?良かったら教えてくれない?」
そう言って、風小を見た綾子は驚いた。
風小は今にも泣き出しそうな顔をしながらうつむいている。
「ど、どうしたの?風ちゃん?私、何か、まずいことを……」
「いいえ、お姉さま!」
そう言うと風小は明るい表情で顔を上げた。
「むしろ、語らせてください。私の大好きな姫さまのこと、大好きなお姉さまに知ってもらいたいデスよ」
「風ちゃん?」
何か、ただならぬものを感じながらも、綾子は小さく頷き、彼女の話の続きを待った。
「姫さまの名前は『き(KI)・お(O)』と発音します。この、この発音の百音での意味は……」
何かを思うように風小が話を止めた。自分を奮い立たせるようにゆっくり一度、瞬く。
「百音の意味は、『確実な(き)・終焉(お)』それの指すところは、その言葉のとおり。『絶対の終わり』。『自己の終焉』。それが姫さまのお望み」
綾子が息を呑む。
「姫さまは心の中に闇をお持ちになっています。とても私には祓えないような深い深い闇の中で鬼を飼っていらっしゃいます」
静かな淡々とした口調ではあったが、しかし、語っている風小の顔は明るく振舞っていた。
「祓う事は出来ません。私は姫さまの欠片でしか無い小さな存在です。だから姫さまの『存在の意味』を否定は出来ないデス。だけど、だけど、ひょっとしたら。小さな欠片が小さな迷いを引き起こし、大きな奇跡の呼び水になれたら。それは姫さまにとっては不幸な事かも知れませんね。人を不幸にするならば私は悪いあやかしデスよ」
風小の笑顔に薄っすらと涙が浮かぶ。
「でも!でも!私は姫さまが大好きだから!」
「うん!風ちゃん間違ってない!」
そう言って、綾子が突然立ち上がる。
「絶対間違ってない!」
「はい!」
強い口調で返事をすると、風小はにじんだ涙を人差し指で拭った。
「明るく元気に行きたいと思います!」
「うん。私も応援するよ!」
自分に似ていると綾子は思った。
その人を愛するがゆえに、大切な人の望まぬことに明け暮れなければならない。
疎ましがられる姉に付きまとっていた自分。姫緒の創った闇を祓おうとする風小。
叶わぬと想いつつも。愛おしいがゆえに。
「おーい!」
突然、校庭の方から女性の声がした。ふたりは声のする方に首をめぐらす。
青空に浮かぶ夏雲のように白いTシャツにGパンと言う、身軽な服装の女性が左手に紫色の風呂敷包みを抱え、
大きく右手を振りながら歩いてくる。
「風小ぉー!久しぶりぃー!」
セミロングの茶髪を軽やかに揺らしながら、近づいてくる女性に呼ばれた風小の顔が、みるみる輝いていく。
「由美さん!」
由美さんと呼ばれた女性は、風小が自分に気づいたのを見て取ると、手を振るのを止め、左手に抱えていた風呂敷包みと長物の入った布袋を両手で頭上に掲げて叫んだ。
「持って来ましたよぉー!ねじまき屋厳選!あやかし撃殺の究極兵器ですよー!」
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