第44話 ACT15 前宵戦1

 校舎の窓から廊下に差し込む月光が、つやつやと床材に反射し、まるで薄氷の張った小川のようだった。

流れる雲が、形を変えながら時折、月を隠し廊下に影を作ると、それはまるで巨大な生物が薄氷の下をのたうつようにも見える。

 夏の始まりを告げる、煩わしさを伴う風の吹く夜半に、涼気的なその様相は、酷く不均衡なものだった。

 長い時間、そんな情景を繰り返していた空間に、小枝を手折るような音が徐々に広がりだしたかと思うと、突然、闇の中に蠢くたくさんの気配が湧き上がった。

 やがて、気配の主達は、劣化した床材をペキパキと踏み砕き、狭い廊下を押し合い圧し合いしながらいずこかへ進軍を始める。

 獣のような唸り声と喚き声があたりに流れ出す。

 月光に浮かび上がるのは、巨大で魯鈍な目、目、目。

 あやかし、金猿の群れ!


「あなた達には、姫さまの結界を破ることは出来なかったみたいデスねぇ」


 突然、金猿達の進む先、闇の中から声がした。


「ここは、ワザと結界を弱めていたのデスよ。あなた達を誘い込むためにねぇ」


 その声に、金猿達は進行を停止し、闇に向かって威嚇し始める。

 金猿達の前に広がる黒い空間に、縦長の瞳孔、翡翠のように輝く両眼が見開かれた。やがてその瞳は、人影を伴い、蒼霧のような月光の中にスイと進み出る。

 闇色のボンテージ服に身を包むあやかし娘、風小の姿だった。


「我は鬼追いの欠片なり」


 風小が目の前に掲げた左腕の、風水銃の上盤が回転を始める。

 額にかかる前髪が、さわさわと沸き立ち、その下からは紅玉(キャラクタル)の輝きが現れた。

 風水銃の回転は一層速度を増し、火片を巻き立てる。


「お姉さまは、私が守ります!」


 あやかしを威圧するようにそう叫ぶと、次の瞬間、風小は金猿の群れへと向かって躍り込んだ。




 風小は姫緒の言葉を思い出す。


「いい?風小。今度の相手は強大にして、数の上でも圧倒的。未知の部分も多いわ。相手の出方がわからない以上、私は綾子の傍を離れるわけにはいかない。逆に言えば出方が解れば打って出れると言うこと。解るわね?」


 風小が黙って頷く。その表情には強い意志が感じられた。

 姫緒は、風小が自分の言葉を理解しただけではなく、言葉の意味をも理解していると感じた。


「そう。頼もしいわ、風小」


 いとおしげに風小の両頬を包み込むようにして引き寄せると、額に小さく何度もキスをする。


「どこから攻めてくるか、解らないのでは防ぎようが無い。だから、結界の一部をわざと弱めます」


 いとおしげだった姫緒の視線が冷たく強いそれに変わった。


「後は敵のやりたいように攻撃させます。そして、あなたは一人で、やつらが奥の手を出さざるをえなくなる時まで障壁となるのです」


「はい」




 姫の誇りと、姉への忠誠を込めて。

 怯む金猿の群れ目がけ、風小は風水銃を突き出した。


「百花繚乱!」


 彗星の様に光の尾を引きながら、召喚された火の波動が次々と群れに打ち込まれ、金猿の頭を、腕を、足を、腹を、食い千切るようにして吹き飛ばしていく!

 だが、進軍は止まらない!

 重なるようにして攻め進んでくる金猿の群れ!最前列が波動弾の盾となり、ボロボロになりながらも前へと出る。そして、その列の一団が完全に息絶えると、次の列が盾となる。その繰り返しにより、あやかしの一団はじりじりとではあるが、風小に迫ってくる。不動の姿勢を保っていた風小だったが、ついに耐えかね一歩を退いた。


「くっ……」


 悔しげに唇を噛む。

 と、『ヒィーン』と言う弱々しい音とともに、風水銃の回転が、止まった。


「ちっ!」


 風水銃は銃身に波動の力をため込み、敵に放つ。

 一度にため込める限界量があり、ため込んだ波動のエネルギーが切れれば、再びためなおさなければならない。

 つまり。


「燃料切れデスよ」


 無論、風小にしてみても、これだけの攻撃で撃退出来るほど、たやすい仕事だとは思ってはいなかった。風水銃による攻撃は、挨拶程度のものになるかも知れないという事も、ある程度は思い描いてはいた。

 だが、そのあまりの呆気なさ、手ごたえの無さに動揺は隠せなかった。

 風水銃の攻撃が止んだのを見てとると、金猿達はいきり立ち、大きな鎌のような爪をガチャガチャと鳴らして、風小を威嚇し始めた。


「かかって来るがいいデスよ!」


 風小の挑発に答えるように、四、五匹の金猿が一斉に飛びかかる。

 全部を一度には迎撃出来ない。そう判断した風小は、一番右端の金猿を蹴り飛ばし、自分の待避場所を確保する


 風小を狙って矢継ぎ早に突き出される大鎌のような金猿の爪を、彼女は、身体に到達する寸前に紙一重の差で掻い潜り、向かってくる金猿達の懐に潜り込むと、弧状の軌跡を描きながら、下段の蹴りを繰り出して薙ぎ払った。


「おっしゃあぁー!」


 掛け声と供に足場を固め、体勢を整える。そのまま次の攻撃に備えようとしたその時、金猿の一群が走り寄る。

 後方の金猿達が、前方の金猿を踏み台にして飛び上がり、風小に襲いかかった。


「懲りない奴らデスよ!」


 前回の戦いとほぼ同じ戦法に、嘲るように風小が叫ぶ。

 ただ、今回は、踏み台になった金猿が、タイミングよく弾みをつけて身体を伸ばしたため、襲いかかって来るもの達の勢いは上がっていたが、その程度の小細工で速度と威力を上げたところで、武器の鋭い爪を振り切ろうと構えた際に、間合いを見切るのは容易い事だったた。

 そう思っていた。

 だが、次の瞬間、金猿達は思いも寄らない行動に出た。

 飛び出した金猿達は身体を丸め、薄汚れた毛玉となると、そのまま、風小に体当たりして来たのだ。


「きゃあ!」


 考えも及ばなかった攻撃と、間合いを見切るタイミングを外され、風小は四方から飛んでくる、この『毛玉』のようになった金猿の直撃を、全て受けてしまっていた。

 致命的ではないが重いダメージ。たまらずその場で崩れ、片膝をつく。

 風小の動きが止まったのを見てとった金猿達は、凶器の爪を彼女に突き立てようとわらわらと飛びかかった。


「はぁ……」


 風小は息を吐き、固まった身体から力を抜き去ると、そのまま床を転がり、この攻撃を回避した。

 風小のいた場所に散りみだれ突き立てられた金猿の爪は、リノリウム貼りの床がまるでやわらかい豆腐ででも在るかのように、手応えを感じるようでもなくズブズブと沈み込む。

 身をかわした風小は、ただちに立ち上がると、金猿の一団に向き直り、臨戦態勢を整える。間髪いれずに再び金猿の攻撃が開始され、風小がこれに応えた。


「やってくれますデスね!」


 飛びかかってくる金猿達を、連続蹴りを繰り出し弾き飛ばす。

 金猿は弾き飛ばされるが、床や壁にぶつかる直前、丸めた身体から短い足を突き出し、これを蹴り、まるでゴム鞠が弾むように空間を飛び回りだした。


「あえぇぇぇぇぇ!」


 たまらず風小が後退する。

 すると今度は風小の足元に、丸まった金猿がゴロゴロと転り、不意をつかれた格好となって足を取られ、大きくバランスを崩した。


「おあっ!」


 倒れるのを耐えて身体が硬直する事を嫌った風小は、そのまま床を転がり、続く攻撃を回避する。

 立ち上がり、廊下の一番はずれまで一気に駆け抜けると、右手に上下の階に通ずる階段を見とがめた。

 階段に向き直り、一瞬の躊躇……。

 上階に逃れる事を考える。

 その方が、態勢を整えるにも、次の攻撃を繰り出すにも有利だ。しかし……。

 綾子や和子、姫緒達は下の階。

 一階の用務員室に控えているはずだった。

 金猿が、それを知っているとすれば、上階に逃れた風小を追うことはせず、障害の無くなった下階へなだれ込むだろう。

 いや、もしその事実を知らないとしても、二手に分かれる危険性は充分にあった。

 そうなってしまっては、障壁となれと言いわれた姫緒の命令に背くことになってしまう。

 ならば。

 絶対の障壁となるためには。

 その躊躇が隙を生んだ。

 いつの間にか間合いに入っていた、数匹の金猿達が繰り出した爪の一撃を避けようとして、振り向きざまに突き出した風小の足が階段を踏み外す。

  

「しまっ……!!」


 そのまま体勢を整えようとすれば次の一撃に貫かれるのは必至。

 風小は身体を縮め、急所を庇うようにして下階の踊り場へと転がり落ちた。

 身体のあちこちに痺れを伴う鈍痛を感じつつも、気力を振り絞り立ち上がり身構える。

 見上げると、そこには沢山の金猿たちが群がっており、爪を上下にガチャガチャと振って息巻いている。

 金猿達の振る爪の動きはまるで、確信した勝利にダンスをしているようだった。

 最早、此処より引くことは出来ない。

 風水銃の状態を確認する。

 風水銃の回転盤は、風車の羽のようなものだった。

 波動がその銃身に貯まれば勢いよく回りだす。だが、今の回転盤はカラカラと力無く揺れる程度しか動いていない。

 時間を稼いで風水銃の復活を待ち、活路を開くことも、この態勢では適わないと悟る。


「お前らを少しばかり見くびっていたようデスよ」


 衰えぬ闘気を湛え、風小の、翡翠の眼光が金猿を射貫くようにして見据える。風小のまわりに、刹那、風が騒ぎ立つ。


「さあ!これからが本当の戦いデス!いきますデスよ!」


「おう!」


 突然の相槌。

 飛び出そうとしていた風小の身体が前のめりに止まった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る