第33話 ACT10 集解1

 ぱたぱとよく跳ね回る足音で、北條は目を覚ました。


 見慣れぬ天井。

 薄手の掛け布団をかけてはいるが、服はワイシャツとスラックスだし、寝ている場所はベットではなくてソファーだった。

 なにかあったような気がする。

 切り裂かれた壁紙……が見える。


 ……。とても。


 穴だらけの壁……も見えた。


 ……。恐ろしい……。


慌てて上半身を飛び起こす!


 ………………思い出した……。


 思い出した!


 あやかしの襲撃。

 そして……。


「いててててて……」


 激しい痛みを額に覚えてうずくまる。

 思わず額を押さえるが、血が出ている様子も瘤が出来ている様子も無い。

 ぎりぎり痛みに耐えられるほどの鈍痛がする。

 この痛みはなんだったか。

 何か、まだ忘れているようなことがあると確信はするものの、思考が集中できない。

 ぱたぱたと跳び回っていた足音がこちらに近づいて来る気がした。

 小さな影が入り口に現れ、一瞬、北條が身を硬くする。


「あれあれ、北條さん!目が覚めたのデスね」


 なつかしい声。

 亜麻色のショートカット。小さめのサファリルックに身を固めた娘。

 娘はすばやく北條の脇に立ち、顔色を伺うように覗き込む。

 娘の顔を見た北條の脳裏に昨日の惨劇が蘇る。そして、混乱した。なぜなら、なぜなら其処にいる娘は……。

 覗き込む娘の、左側の口端をつまんで引っ張る。

 ぷよぷよとしたほっぺたがみょーんと伸びた。

 無抵抗の娘を見て取ると、北條は反対側のほっぺたも同じように摘み、伸ばしてみる。

 つき立ての餅のように見事な伸びっぷり。


「学級文庫(がっくぅうんこ)」


 唐突に、娘がお約束をかます。


「こ、この乗りのよさは!」


 両のほっぺを引っ張っていた、北條の手に思わず力が加わる。


「ひででででで……」


 娘が北條の両手を振り切って叫んだ。


「何するんデスかぁ!北條さん!」


 つねられた両頬をすりすりとさすりながら、娘は北條を恨めしそうに睨んだ。

 間違いないその娘は……。


「風小!」


「はい。そうデスよ」


 あっけらかんと風小が答える。


「そうデスよって。おまえ、なんでここに」


 まだ信じられないと言った間の抜けた表情で、北條が風小にたずねる。


「姫さまに言われて、レンレンさんと一緒に北海道に行っていましたのデスよ。そうしましたらば、変な波長が綾子さんの回りに漂っているのを影が感じ取りましたので、飛行機の予約係りと乗客の頭の中を、レンレンさんが引っ掻き回して、席空けさせて急いで帰ってき来ましたのデスよぉ」


 風小が楽しくてしょうがなかったという口ぶりで答える。

 もともと要領を得ない風小の会話に、聞いたことも無い単語が混じり、もはや、北條にはチンプンカンプンだった。ただひたすら顔を曇らせる。


「だぁー、かぁーらあー!」


 じれったそうに其処まで言って、風小は何かを思い出したらしく、一転、悲しそうな顔をしてうつむいた。


「でもぉ……うに丼……。食べそびれちゃいましたデスぅ……」


「何を言っているんだお前は」


「だぁー、かぁー、らあー!」


「いや。そうじゃなくて。ほんとに風小なのか?」


「当たり前じゃないデスかあ!」


 にこやかに。清々しいまでに晴れやかに、風小が答える。

 いままで味わったことのない心地よさと感情が北條にこみ上げる。


「ふ……」


 鼻水を垂らしながら、北條の表情がくしゃくしゃと崩れていく。


「ふうこおぉぉぉぉぉぉ!」


 感極まった雄叫びとともに、北條が風小抱きついた。


「!」


 仰天する風小。


「何しやがりますデスかぁああああ!」


 瞳孔をまん丸に膨らませ、溶けた鋼のように顔を真っ赤に茹であげたかと思うと、右手を大きく振り上げ、一寸の躊躇い無く北條の頬を打ち据えた。

 ゴキンと言う鈍い音を立てて、北條の首が有らぬ方向に折れ曲がり、ぐるりと白目を剥いたかと思うと。

 そのまま……。

 意識を失った。




 次に北條が意識を取り戻したとき。

 目の前には、純白のチャイナドレスの胸元をはち切らさんばかりの、あっぱれな女性の胸が待機していた。

 慌てて起きあがったその拍子に、鼻先に有ったその豊満な肉の塊に息も出来なくなるほどに顔が沈み込む。

 暫く必死でもがいていると、塊の方からゆっくりと顔を離れて行ってくれた。


「へたくそぉ」


 白いチャイナ服のその女性が、北條にのし掛かっていた巨大な胸を庇うようにして起しながらケラケラと笑った。


「だれだ、おめぇ」


 朦朧としながら北條が尋ねる。


「大丈夫ですか?北條さん」


 綾子の声がした。声の方へ首を巡らし、綾子の表情を見て少したじろぐ。

 彼女の表情は、まさに、通夜に出て故人を哀れむかのような、悲壮と慈悲に満ちたモノだったのだ。


「な、何かあったのか?」


 北條は、自分の身が非常に心配になって行くのを感じた。


「あんたは風小に本気で殴られたのよん」


 チャイナ服の娘は、まるで己の肢体を見せ付けるように、妖艶な物腰で立ち上がりながら言った。


「風小はあやかし。怪物よ。腕の一振りは岩をも砕くのよぉん」


 娘はそう言って、重そうな胸を抱え込むように腕を組むと、不適な笑みで北條を見下ろす。


「だれだ。おまえは」


 再び北條が尋ねる。


「北條さん」


 風小の声!顔を巡らす。そして又ぎょっとする。怒ってはいるようだったが、明らかに悲壮感が漂う複雑な表情。なぜか安堵の面もち。


「北條さん。レンレンさんを怒らせたら不味いデスよ。この方の本職は、殺し屋さんなのですからね。怒らせたら多分私には止められませんデスよ。せっかく拾った命ですからね、大事にした方がいいと私は思いますデスよ」


 過剰なまでにしんみりと、言い聞かせるように風小が語る。

 何かが起こっている最中か。または起こって終わったか。

 勘の悪い北條でもこの場に漂う普通でない空気を感じた。

 お通夜な綾子。きょぬうな殺し屋。ゾンビな風小……。

 風小?


「風小!」


 思い出した。戦いに敗れ、床に転がる風小の亡骸。


「なんで、おまえ……」


「何でって?」


 まったく理解できないと言うように、風小が首をかしげて聞き返す。


「胸を、貫かれて……」


 そう言って、北條は綾子に視線を向けて同意を求めた。綾子は、北條と視線が合うと小さく頷き口を開く。


「それが。違うらしいんです」

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