第31話 ACT9 彷徨変異4

「ななつさまはねぇ」


 意思の強そうな濃い眉をひくんと上げて那由子が和子に言った。


「ななつさまは大丈夫なんだよ。だって『てんじんさま』って言う神様に仕えてるんだから。神様の使いが呪ったり取り憑いたりするわけ無いんだよ」


 そうは言われても、『てんじんさま』がどんな神様なのか、和子は知らなかったし、多分、那由子もそうだろうと彼女は思った。

 中学校、二階の和子と那由子の教室。

 全開にされた窓から、そよそよと風が入って来てはいたが、部屋の中にわだかまり、身体にまとわりつく湿度の不快さには無意味な程度のものだった。


「解かってるけど……」


 どうにも気が進まないと言った様子で身体を揺らし、花柄のワンピースをひらひらとさせながら和子がぐずぐずと言いごもる。

 和子は、普段からゆったりした物腰で、はっきりしない娘であったが、輪をかけたその態度に那由子は苛立ちを覚えていた。

 苛立ちの原因はまだあった。

 校庭から聞こえる子供達のはしゃぐ声。

 夏の暑さを呼び込むような蝉の騒音。

 そしてもうひとつ。


「おねぇちゃん。高鬼しよう」


 そう言って那由子によりすがる小さな娘。くりくりとした瞳が広い額の下で輝いている。

 ウルフカットの髪の毛は、ちょっとクセっ毛ぎみで、ひょんひょんと跳ねる娘の身体とともにふわふわと小さく踊った。その姿はまるで、天使を模した人形のよう。

 今着ている野暮ったい赤のスカートと、ありきたりのTシャツでなければ、ではあるが。


「高鬼はしないよ」


 那由子は、自分の小さな妹。綾子に強い口調で言った。


「綾子が『ななつさま』を見たいって言うからつれて来たんだからね。終わるまで静かに座って見てなさい」


 その言葉は半分嘘だった。




 数日前。那由子と和子は、夏休みの宿題で配られた問題集を、那由子の自宅の居間を占拠して一緒にやっていた。その際に、クラスの誰と誰が付き合っているやらの恋愛談議に花が咲いたのだった。

 そして那由子は、意中の男子生徒にガールフレンドが出来たことを、和子の口から知らされる事となってしまった。

 那由子の心はもはや問題集どころではなかった。

 意中の男子生徒の心が知りたい!

 勉強会は、那由子の、男子生徒への思いの告白会へと変わり、和子は聞き役になっていた。

 そして、思いついてしまった。『ななつさま』を。

 那由子の提案したななつさまをやって男の子の気持ちを聞こうという話に、その場での勢いと、心からの那由子への同情から、和子は進んで協力を買って出てしまった。

 一番問題になったのはななつさまを行う場所だった。

 まがりなりにも『霊』を呼出す交霊会である。家族の目の届くところでと言うわけには行くまいと思われた。

 だが、那由子も和子も自分の部屋を持っていなかったのだ。

 勉強会というのであれば、今日のように家族から居間の独占権をもらえるだろうが、『ななつさま』では叱られるのが落ちである。

 自分の部屋を持っている友達を巻き込む手があったが、なにせ意中の相手に関してあれこれ聞こうと言うのだ。

 よほど信用できる相手で無ければ、学校中の噂になることも考えられる。

 それも、本当は両思いだという噂なら大歓迎だが、ななつさまに駄目出しされた、では不幸すぎる話だ。

 あれこれと考えるうちに、どちらからとも無く学校の教室ではどうかと言う話が出た。

 かって知ったる場所であるし、なにより、夏休み中で誰もいないため、使い放題な筈であった。

 それからはトントン拍子に話が進んだ。やはり怖いから明るいうちに。ウサギ小屋の飼育当番が帰る昼過ぎで、プールの開放が無い日ならばと言うことで……。

 今日の日が選ばれたのだった。

 ただ、当日イレギュラーが2つ発生した。

 ひとつは学校に行こうと家を出ようとしたときに、退屈していた妹の綾子に見つかってしまったことだ。

 一緒に学校に行きたいと駄々をこねる綾子。

 そして、そこで那由子は過ちを犯してしまった。綾子を怖がらせ、ついてくるのを諦めさせようと『ななつさま』の話をしてしまったのだ。


「そういうのやったらいけないんだよー」


 そう言って母親に言いつけに行こうとする綾子。

 慌てた那由子は、おとなしく見ているなら付いて来てもいいし、ななつさまが終われば一緒に遊んでやると取り繕ってしまったのだった。

 イレギュラーのもうひとつは、経過した数日間のうちに、協力者であるはずの和子がすっかり怖気づいてしまっていたと言うことだった。




「だからぁ、大丈夫なんだよぉ」


 そう言うと那由子は持ってきた手提げカバンからB4版ほどの紙を取り出し、教室の机の上に広げた。

 その紙面には上段中央に鳥居のマークが書かれており、その下には鳥居の位置を中央にして、『はい・いいえ』の文字。そしてさらにその下段には、『あ』から始まる50音と、1から0の数字が書かれていた。


「さっ、やろう!」


 多少語尾を荒げる那由子の態度に、和子にも彼女が苛立っているのが判った。これはもはや強制だと感じる。

 協力者として計画を手伝った手前、むげにしてしまうことは理不尽だとは思っていた。

 和子は、仕方無く、机の脇に立つ那由子の横に並んで立った。


「おねぇちゃあん」


 離れたところで、椅子に座る綾子が愚図る。


「すぐ終わるから大人しく見てなさい」


 少々強い口調で那由子がそう言うと、綾子はしぶしぶと従った。


「じゃあ、始めるよ」


 那由子は、そう言ってジーパンのポケットから10円玉を取り出し、鳥居の記号の上に置くと、コインの端に人差し指を軽く乗せた。オドオドと、和子が空いている側の端に同じように人差し指を乗せる。


「歌を歌って呼ぶんだよ。歌い終わったらこう言うんだよ、『あなたはななつさまですか?』ってね。ななつさまかどうかの確認をするんだよ。ななつさまは神様の使いだから、ななつさまの名前は他の霊は騙れないんだよ。『いいえ』の方に動いたら『私たちはななつさまと遊ぶ約束をしたからお帰りください』って言って10円玉が鳥居の方へ動いたら終わり。『はい』の方に動いたらななつさまだから質問を始めればいいんだよ。簡単でしょ?」


 顔を覗き込むようにして確認してくる那由子に、和子は愛想笑いを返した。


「じゃ、始めるからね。いち、に、さんで始めるからね」


 そう言って那由子は一、二と首を上下に揺らしながら間をとると、歌い始めた。



とおりゃんせ、とおりゃんせ

ここはどこのほそみちじゃ



 和子も一緒に歌い始める。



てじんさまのほそみちじゃ

どおぞとおしてくだしゃんせ



 二人が歌うのを、椅子に座り、身体を揺らしながら聞いていた綾子が、楽しそうに歌に加わわり出した。



ごようのないものとうしゃせぬ

このこのななつのおいわいにおふだをおさめにまいります



 歌を歌うと言った行為そのものが、和子の緊張を、那由子の苛立ちを緩和して行く。

 そしてさらに、歌に綾子の声が加わったことで、場に漂う雰囲気がだんだんと軽くなっていく事を、全員が感じていた。



いきはよいよいかえりはこわい

こわいながらも

とおりゃんせ



 歌の終わりの頃には、教室の中は、各々のいままでの苛立ちや戸惑い、夏の鬱陶しさまでがすっかり消えてしまったかのような和やかな雰囲気に満たされた。



とおりゃんせ



 歌が終わる。


 いい?と言うように那由子が和子に目配せすると、和子が軽く頷いた。


「あなたはななつさまですか?」


 那由子がそう言って10円玉に意識を集中させる。

 反応が無い。


「あなたはななつさまですか?」


 再び問うが反応は無かった。


「来てないんじゃないの?」


 ふう、と息を吐いて和子が言った。


「おかしいなぁ」


 那由子がそう言うと、二人はほぼ同時に10円玉から手を離そうと力を抜いた。その瞬間。すーっと紙の上を10円玉が移動した。


「きゃあ!」


 二人は驚きの声を上げ、コインの上の指先に力を込め直す。

 那由子と和子、どちらかが押すでもなければ引くでもない態勢。二人はまるで追いすがるようにコインの動きについて行く。


「すごい!」


 那由子が歓声を上げた。


「でも、これ、ななつさまなの?」


 二人の見守る中、コインの動きは『はい』の位置で止まった。


「ななつさまだよ!」


那由子が再び歓声を上げる。和子は言葉もないと言った表情で、ただコインを見つめていた。


「じゃあ、はじめよっか?」


 そう言って那由子がコホンと息を整える。


「お聞きします。ななつさま教えてください」


 そういった後、那由子は和子の方をみて、にやりとズルい笑みを浮かべた。


「和子の好きな男の子は誰ですか?」


「え?、ええーっ!」


 和子が、心底驚きの声を上げる。


「な、なによ!それ!違うわよ!ぜんぜん違う、そんな話、違うじゃない!」


 明らかに動揺していた。そんな和子を見て、にやにやしながら那由子が口を開く。


「だって、和子の事も聞いてお相こにしておかないと、和子が私の好きな人のことみんなにバラシチャウカモ知れないじゃない?」


「言わないよ。絶対言わないから、そんなこと聞くのはやめて!」


「駄目だよ。大丈夫だってば。和子が言わなければ私も言わないんだよ。ねっ。お相こ、お相こ。あ、指を放しちゃ駄目だよ、途中で放すとななつさまが怒るんだよ」


「怒る?怒ってどうなるの?」


 二人の険悪なやり取りに心細くなった綾子が、いつの間にか彼女達のそばに寄り添って、不安げに尋ねていた。


 ふふふと笑って那由子が答える。


「呪われちゃうかもね」


 和子と綾子が絶望的な顔をしたまま固まった。

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