第30話 ACT9 彷徨変異3

 風化寸前の骨組みを晒す、造りかけの住宅。

 その、むき出しのままになっているコンクリートで打たれた土台に、姫緒と和子は腰をかけ、しばらくの間、重苦しい沈黙のまま缶コーヒーを飲んでいた。

 何かを思うように、ぼんやりとした雰囲気で時々コーヒーを口にする姫緒と、それを横目でチラチラと牽制しながら、間が持てなそうに、せわしなく口に運ぶ和子の姿は、それがもし男女の並ぶ姿なら、初デートでリードがうまく出来ずにドギマギする男の子と、すっかり退屈してしまった女の子の姿のように気まずい風景だった。


「そろそろ」


 姫緒の声に和子がハッとする。


「そろそろ話して貰っていいかしら?」


「はいっ!」


 和子は返事をしたが、それは反射的なもので、姫緒の言葉の意味を理解していたわけではなかった。

 第一、何を語れと言うのだろう?


「まず。この家のこと」


 和子の気持ちを見透かしたように姫緒がそう言って続けた。


「この造りかけの家は、那由子、いいえ、柳岡さんの家でいいのね」


「は、はい。あ……、いいえ……」


 要領を得ない和子の返事に姫緒が顔をしかめる。


「いえ、あの、那由子の家族が住んでいたのは12、3年ほど前です」


 和子が言い訳するようにおどおどと答えた。


「12、3年前?」


 訝しげに姫緒が再び問いかける。慎重な面持ちで和子がうなずいた。


「那由子のお母さんが亡くなって。お父さんが行方不明になってから……」


「ちょ、ちょっと待って!」


 唐突過ぎる和子の話に姫緒が戸惑う。


「亡くなったって、母親が死んだってこと?父親が行方不明?」


「は、はい」


「10年以上前に?」


 姫緒が尋ね返すと、意外だと言うような顔をして和子が頷く。


「ご存知無かったのですか?」


「知ってるとかじゃなくて。だって私はここに両親がいるからって昨日綾子さんに聞いて」


 姫緒がそう言うと、和子の顔色が少しだけ青ざめた。


「その話は、私から何かを探るためについた嘘ではなかったのですか?」


 和子はそう言うと、缶コーヒーを一口含んで気を落ち着かせる仕草をした。


「どういう意味?」


「だって……」


 和子は何か躊躇うようにうつむいてしまった。


「あなた、さっきも綾子の名前を出した途端にうろたえ出したわよね。なにか……。綾子の事で、何かあったの?」


「あの……」


 おずおずと和子が顔を上げながら尋ねる。


「あの、姫緒さんに那由子を探すように頼んだのは、ほんとうに綾ちゃんですか?」


 姫緒は、胸のポケットから、おもむろに一枚の写真を取り出して和子の前に差し出した。それは、綾子から預かった、那由子が旅先の北海道で撮った集合写真だった。


「ねぇ、これは誰?」


 姫緒が写真に写ったショートカットの娘、那由子を指差して尋ねた。


「那由子です。はい、那由子です」


「ほんとに?間違いない?」


 姫緒が尋ね返すと和子は力強く頷いた。


「この町を出て行ってから10年くらい会ってませんが、間違いありません。生まれたときからの幼馴染ですから、間違えるはずがありません」


「結構。ところで和子さん、この娘さんがなぜ那由子さんだとすぐ解かったの?」


「どういうことですか?」


「どういうって。つまり、どうして綾子と那由子を間違えずに見分けられるのかと聞いているのよ。何か微妙な違いとかあるの?」


「おっしゃっている意味がよく解かりませんが?」


「だって、那由子と綾子は双子じゃない。あなたは付き合いが長いから微妙な違いが判るんでしょうけど。普通はなかなか判断できないわ。さっきあなたが言ったでしょ、『本当に綾子なのか』って。じつは私もそれが気がかりになって来たの。だから教えてほしいのよ、どうやって見分けるのか」


 普通はいかに双子と言えど、長く見ているうちには肉体的な、形態か、もしくはそこまではっきりとはしなくても、雰囲気と言えるような何か微かな違いが現れてくるはずだった。

 だが、この写真の那由子と自分の会っている綾子に関して言うならば、姫緒にはその違いを(髪の長さの差はあったが)感じることは出来なかった。それを姫緒は自分が彼女達に関わった時間が短いためと考えていた。しかし今は、何か得体の知れない違和感となって彼女に襲いかかっていた。


「いいえ」


 和子が首を振りながら答えた。


「那由子と綾ちゃんは双子じゃありません」


「何ですって?」


「双子じゃありません。那由子は私と同い年で、綾ちゃんは7つ年下です」


 姫緒の思考の歯車が鈍い音を立てる。和子が嘘を言う理由は、状況からして今のところ……。いや、多分これからもまったく無い。だがしかし、そうだとするならば、今姫緒の前で明かされている『事実』はいったい。

 『魂は嘘をつかない。よって双子は存在する。』サイコダイブによって裏づけされたはずの大前提が崩れていく。

 話を整理したかったが、その余裕さえないほどに姫緒の心は動揺していた。


「ちょっとまって。と、言うことはさっきからあなたが訝しがってる『本物の綾子』と言う話は?」


 二人が歳の離れた姉妹と言うならば、何故偽者とか本物とかと言う話が出てくるのか?なにより、姫緒の話を素直に理解しようとしないのか?

 何か噛み合っていない状況がある。それは姫緒の理解の足りなさなのか、それとも何者かの故意的な嘘なのか?


「姫緒さん」


 和子が意を決したような強い口調で声をかけた。


「最初から。あの事件の最初から順番に話していいでしょうか?」


 事件。


 それが噛み合わない歯車の、欠けたパーツだと、和子は感じたようだった。


「那由子達の事をお話しするには、私のことも理解してもらわなければいけないと思うんです。だから、あの時起こった事からお話ししたいんです」


 和子が静かにそう言って姫緒を見つめると、姫緒は小さく頷いた。


「お願いします。和子さん。色々聞きたいことがあるのだけれど、そのお話の後にしましょう」


 姫緒がそう答えると、和子は「はい」と言って前に向き直り、遠い目をする。


「私と那由子が中学校の二年生の時。夏休みのある日。二人で『ななつさま』をやろうと言うことになったんです」


「ななつさま?」


 聞きなれない言葉に姫緒が聞き返す。


「あ、はい。よくコックリさんとかありますよね。五十音表と10円玉で霊を呼出して……」


「ああ。交霊術まがいの占いね」


 それならば姫緒もよく知っていた。


 コックリさんというのは1970年から1980年のオカルトブームに流行した霊との交信という形をとった占いの一種だった。

 西洋のテーブルターニング、ウィジャ盤などと呼ばれる占い法に端を発するとされているが詳しくはよくわかっていない。

 よく知られるやり方としては、紙に書いた五十音表やアルファベット表の上に媒体となるコインなどを置き、占いの質問者自らを含む何人か、或いは個人でコインの上に指を置く。その後、霊への問いかけという形を取って質問し、霊から答えを貰うと言うもので、霊はコインに憑依し、文字表の文字や数字の上を移動して、答えとなる言葉を質問者に教えると言ったものだった。

 媒体となったコインはかなりの高確率で文字の上を移動するが、もちろんその多くは自己暗示や集団的なトランスによるものが多く、交霊術というにはあまりにお粗末な『遊び』だった。

 一般にコックリさん、コックリさまなどと呼ばれるが、エンジェルさん、キューピットさま等と地方と時代によって呼び名が変わるなど、ローカルルールも細かい区域で発生して、まったく違う占いのように全国に散らばっていた。

 だから、姫緒にとって『ななつさま』と言う呼び名は初めてのものだったが、それは珍しいことではなかった。


「とおりゃんせ、とおりゃんせ……」


 突然、和子が歌い出す。

 ギクリと姫緒の身体が硬直した。


「あなた、その歌……」


 言葉を搾り出すように尋ねた姫緒に、和子が微笑みながら話し始めた。


「『とおりゃんせ』って知ってますよね?」


 姫緒は頷く。


「この『とおりゃんせ』の遊びで七つの子は最後捕まって鬼になるじゃないですか。あの子は鬼になって天神様のおそばに行くんだそうです。天神様にお使えするために鬼になった七つの子、あれが『ななつさま』なんです」


 人の無知なる思い込みによって捻じ曲げられた伝承。根拠の無い信仰によって名前をつけられた怪異。しかし、それがここでは真実。


「繋がりそうね」


 姫緒はそう言ってにやりと笑う。


「夏休みのある日。とっても蒸し暑い日の出来事でした」


 和子が静かに語り出した。

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