第28話 ACT9 彷徨変異1

 鉛色の空が広がっていた。


 袖無しロングの黒いポロを身に纏った姫緒が、目の前の敷地を眺め、閉口頓首と言った表情でたたずんでいる。

 その敷地の両隣に、離れて建ち並ぶ家の表札は、『山口』と『杉山』となっており、交番に行って確認し、コピーしてもらった住宅図のとおりである。

 近くに車を止め、道すがら住民に確認しつつ、慎重に歩いて探し出した場所なのだ。間違いであるわけがない。

 本来、その二件の家の間には、綾子の両親の住む実家があるはずだった。少なくとも姫緒は綾子にそう教えられてここに来た。

 だが、姫緒がここに来るまでの間、道を尋た人達は口をそろえてこう言った。


「そこにはずいぶん前から家は無いよ」


 はたして、それは正しかった。

 目の前には、姫緒の膝ほどもある雑草に覆われた空き地が広がっている。

 密集というほどは無い住宅の並びだったが、それでも際立って見えるほどポッカリと、その空き地は存在していた。緑わきたつ空地の中ほどに、見るからに曰く因縁ありげな、崩れかかった家の骨組みが放置されていて、それは新築の棟上寸前までの骨組みのまま、長い年月の間放置されたものらしく、建材が文字どおり白骨のように変色していた。


「さて、どうしたものかしらね……」


 姫緒は、空き地の或る一点を見つめながら苦々しくそう呟いた。

 朽ち果てた建物の、多分出来上がっていれば水廻りになっていたであろう場所。そこに、普通の人間には決して見えないもの。姫緒だからこそ見えるものが見えていた。

 極端に顎の小さな、俗に言われる鳥貌の老婆。

 小袖の地味な和服に前掛けをして、髪は白髪だが短髪できちんと整えられていた。

 だが、明らかにこの世のものでは無い。

 特殊な感覚でしか視覚することの出来ないもの。一般に言われる霊というものとも違う。

 霊と呼ばれるものは普通、気配を感じることはあっても、姿を見ることは出来ない。たまに何かのきっかけで写真に写ることはあるが、それは稀な話しだし、その原理は鬼追師の歴史をもってしても解明されていなかった。

 霊のなかには、その気配に語りかければ返事をするものおり、その受け答えによって相手の風貌や成り立ちを霊媒師が想像する。いわば、能力者の経験に基づいた推理によって霊は形づけられ、この世に公開されることとなる。

 極端な例を挙げれば、同じ痴話げんかによって殺された人物の霊媒をするにあたっても、恋愛趣味の能力者が語ればそうなるし、ミステリー好きの能力者が語ればそのようになると言うことだ。

 本来大切なのは、いかに平常心を持って、不平等なく霊の語りかけを聞き、分析するかと言うことなのだが。


「最近のは『語り』では無くて『騙り』なのよ」


 ふと、姫緒は自分の母親が漏らしていたそんな言葉を思い出していた。

 そういった意味で、この老婆は姫緒の知っている霊とは違う。

 『幽霊』……。見たことは無かったし、信じてもいなかったが、もしこの老婆を説明するのなら、そういうことになるのだろうかと姫緒は思った。

 だとすれば自分は、非常に貴重な経験をしていることになるのだが、同時に面倒でもあった。

 『幽霊は人に憑く』柳田國男のそんな言葉を思い出す。

 なるほど、そのとおりだとすれば、関わってくれとばかりに、怪しげにたたずむその幽霊には、問えば必ずや何らかのヒントが得られるものだろう。

 だがそれは、とにもかくにも『次』があることを意味している。

 風小もレンレンもここにいない以上、その『次』は自分が調べるしかないのだ。

 非常に面倒だ。それでなくてもこの事件については、もはや充分過ぎるほど手を焼いている。

 もともと、思い違いと行き違いの、取るに足らない結末かも知れない案件だ。パスしてしまうことも、選択のひとつとしては充分考えねばならぬことだなどと、勝手なことを考える。

 だが。

 ここまでかけた段取りが、すべて水の泡となることはどうにも腹立たしかった。

 考えあぐむ。その末に姫緒が口を開いた。


「いいわ。聞いてあげる。話しなさい」


 姫緒が老婆に向かって声をかけた。


「さっさと話しなさい。そうでないと帰るわよ」


 老婆に躊躇うような素振りがあったわけではないが、なにせ本物の幽霊と話すのは初めてだった。どう接すればいいのか判らぬ事が、微妙な苛立ちとなって姫緒の態度に出ていた。老婆は静かに微笑んでいる。

 ややあって、老婆はひとつ深々とお辞儀をし、微笑んだまま自分の足元を指差した。何かを伝えようとしているのか?


「しゃべれないの?」


 姫緒が尋ねると、老婆は小さく頷く。それは何らかの呪縛による様なものではなく、しゃべると言う媒体を持たないと言うことらしいと姫緒は解釈した。

 出来損ないの霊体のために、他の霊のように、精神に割って入ることも出来ないようだ。老婆は相変わらず静かに微笑み、足元を指差している。

 姫緒が、感覚を老婆の足元に集中してみると、微かに……、非常に微かに周りの場との違和感を感じる。その違和感が、老婆の霊体としての波長を、その敷地に繋ぎ止めていた。


「そこに居るのは、あなたの本意では無いと言う事なの?」


 姫緒が尋ねると、老人が静かに頷く。


「いいわ。私なら出来ると思う」


 姫緒はそう言うと、フンと鼻を鳴らして続けた。


「それじゃ、教えて頂戴。あなたの知っていること。役に立ったら何とかしてあげる」


 老婆は再びお辞儀をすると、今度は自分の左側に向き直り、そこに建つ家をゆっくりと指差した。杉山という表札のかかった家。玄関先には人の背ほどの高さに伸びた、まだ蕾の固い、数本の向日葵が植えてある。

 幸せな門構えのありふれた家。

 姫緒は再び鼻を鳴らすと、まっすぐその家に向かい、古い形式のインターホンのボタンを押した。


「はい、どちらさまでしょう?」


 まるで待ち構えていたように、インターホン越しに女性の声が返って来た。

 姫緒がちらりと老婆の方に目を向ける。静かに微笑む老婆。


「興信所の者です。那由子さんのことでお尋ねしたいことが……」


「那由子の?!」


 インターホン越しの驚いたような声に、姫緒はかなりの手応えを感じながら、再び語りかける。


「はい。少しお話を聞かせていただけないでしょうか?」


「ちょっと、まっててください。今、行きます!」


 そういって女性の声が途絶える。

 ややあって、玄関の扉が開き、中から20代前半くらいの女性が飛び出してきた。

 事務服のような白いブラウスと紺のスカート姿。肩までの髪は前髪がやや乱れ、かなり慌ててやってきたのがわかる。


「こんにちは。杉山……さんですね。『横田興信所』の所長をしています、横田と申します」


 そういって姫緒は、胸のポケットから出した赤いステンレス製の名刺入れから、名刺を一枚取り出し女性に渡した。


「杉山、和子(わこ)です」


 和子は、おっとりとした顔を、緊張の面持ちで多少こわばらせ、前髪の乱れを直しながら姫緒から名刺を受け取る。

 名刺には『横田興信所・所長・横田弘子』と印刷され、住所と電話番号が書かれている。もちろん、名刺に書かれた文面はすべてでたらめだった。

 霊査所と名乗ったのでは何かと胡散臭がられるため、姫緒達は聞き込みなどの、人との接触を要する際には、でたらめな経歴の載った名刺を小道具に使い、興信所として活動していた。

 本当のことを言えば胡散臭がられ、嘘を言えば世の中が受け入れてくれる。

 姫緒はそれについて世の矛盾を儚むと言うことでは無く、むしろ悪戯を楽しむ子供のような気持ちで楽しく思っていた。


「那由子が私に何か用なのですか?」


 和子が名刺から顔を上げつつ姫緒に尋ねた。


「いいえ」


 姫緒は、静かに目を伏せながら答える。


「那由子さんは5年前に失踪してしまいました。私は、那由子さんを探すように頼まれた探偵です」


 そう姫緒が言うと、和子は、えっ、と小さく叫び、「那由子が……。失踪……」と、独り言のように呟いて、チラリと隣の空き地に視線を向ける。

 姫緒は、何かが、つながり出していると感じた。


「那由子さんのお友達でよろしいのですね」


 姫緒が問いかけると、和子はハッとしたように視線を戻す。


「ええ、幼馴染です」


「お隣の敷地には……」


 手応えは、益々にしっかりしたものとなっていた。


「お隣の空き地には、那由子さん。いえ、柳岡さんの一家がお住まいだったのですよね」


「ええ……」


 そう答えて、和子が怪訝そうな顔をした。


「知らずにここに来たのですか?」


 和子の表情に不信の影が浮かぶ。


「お隣から、柳岡さんが居なくなられたのはいつ頃ですか?」


 聞き出せるうちに聞いたほうが得策と踏んだ姫緒は、和子の質問に答えず、矢継ぎ早に質問をつないだ。

 が、一歩遅かった感があり、和子は姫緒を見据えて口を閉ざしてしまった。


「ちッ……」


 姫緒は心の中で舌打ちしていた。


「あの……。横田さん……。那由子を探しているのは誰なんですか?」


 なるほど、幼馴染の女性が行方不明になり、その行き先をどこの誰ともわからない人物が探していたとしたら……。那由子にとってそれがよいことなのか、不利なことなのかを心配するのは当然のことだった。

 姫緒は、和子の不信の理由が、捜索者の素性にあることを知って、少し安心していた。

 姫緒が心配していたのは、隣の空き地で何らかの怪異が起こっていた場合。

 そして、和子がその怪異の体験者で、世間体と自我の保護のために一切を公表したがらないという、定番の展開が起こった場合だった。

 その展開の場合、先に進むことが非常に困難。或いは不可能になるのが今までの経験上必至だったのだ。

 本物の探偵であればここは守秘義務と言うことになり、雇い主の素性は絶対に明かせないところだろうが、姫緒の場合は偽者。騙りである。そして、その捜査の心情は臨機応変。

 那由子の幼馴染ならば、綾子のことも当然、知っていることだろう。那由子を探しているのが彼女だということがわかれば、情報も貰いやすい事になるに違いない。と、そう思った。


「まさか……。那由子のお父さんが……」


 姫緒が会話をほんの一瞬途切らせた時、和子が重ねて尋ねて来た。

 和子の口から出た『まさか』という言葉に、姫緒は、個人的に興味をもった。

 父親が那由子を探さなくてはいけない状況になる何らかの『まさか』な理由。非常に『まさか』な事ではあるが、そう考えることの出来る一抹の理由。それを和子に想像させる『まさか』な要因がある。ということか?

 非常に興味のある話だが、今の姫緒にとっては、那由子の父親のことなど、構ってはいられなかった。


「いいえ、違います」


 和子が非常に有用な情報源であることを感じ取った姫緒は、はやる気持ちを抑え、努めて冷静な口調で答えた。

 こちらに、綾子と言う手駒がある以上、とりあえず今焦る必要は無い。万が一、非協力的な態度に出られたとして


も、やり様はあったが、出来れば穏便に協力してもらう方が好ましいのは、依頼者の綾子の今後のためにも言うまでも無いことだ。


「和子さん、これは職業上、本来お伝えできないことなのですが。私の一存ということで喋らせて頂きます」


 姫緒はそう言うと和子に微笑みかける。


「那由子さんを探しているのは、妹の綾子さんです」


 姫緒がそう言った途端の、和子の反応は姫緒がまったく予想しないものであった。

 彼女の顔が、不信を通り越して、拒絶と恐怖の色で強張った。


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