第27話 ACT8 最後の希望5

 北條の言葉に答えるように、言霊のあやかしは再び咆哮した。

 身体をぶるりと震わせると、二本の触手の生え際から、数十本の細い鞭のような触手が湧き出して、次々に伸びていき、猿のあやかしを襲い出す。

 最初の数本を軽く切断して払いのけた猿のあやかしも、無限方向からの、矢継ぎ早の触手の攻撃に、ついにその手足を絡めとられる。

 猿のあやかしは、腕を拘束する触手を噛み千切ろうとするが、まるで歯が立たず、なおもしつこく引き千切ろうとするうちに歯が根元から折れ、血で赤黒く染まった歯茎を剥き出しにしてもなお、歯茎だけとなった顎でぐしゃぐしゃと、触手を噛み千切ろうと無駄な攻撃を繰り返す。

 触手に赤黒くどろどろとしたあやかしの血が塗りつけられ、その血は床にしたたり落ちていく。

 その時。

 バキッ、と言う鈍く大きな音がしたかと思うと、猿のあやかしの身体は、雑巾が絞られるように、触手によって締め上げられた。

 触手に喰らいついていたあやかしの口が喘ぎ、大きく開くと、声にならない叫びを上げる。

 口の中で血糊が糸を引き、吐血する。

 次の瞬間、猿のあやかしの全身から大量の血が噴き出し、滝のように床に滴った。




ぶちぶちぶバキバキばき……。



 ついに猿のあやかしの全身から、硬さを持った場所が消滅する。

 そして、絶命。

 しかし、あやかしの身体は尚も締め付けられ、触手の力によって八つに引き裂かれた。頭、両腕、胸、腹、腰、両足。引きちぎられた各々の部位が言霊のあやかしの触手から滑り落ち、ぼたぼたと床に転がる。

 あまりに不気味なあやかし同士の戦いに、声も無く立ち尽くしていた北條の口の中に、酸っぱいものがこみ上げて来た。


「ウウ……」


 両手で口を強く塞ぎ、吐瀉寸前でようやっと堪えると、目の前にたたずむ言霊のあやかしを見上げた。

 あやかしは、鎌首を、ユラユラと揺らしながら北條の方へ向けていた。

 あやかしの身体を泳ぐ目玉が、一斉に彼の方を見つめる。たくさんの触手は静かにゆっくりと宙を漂っていた。


 攻撃の意思は……、微塵も感じられない。


「ほんとうに、たすけてくれたのか?」


 あやかしに問いかける。ただ静かに佇(たたず)むあやかし。


「なんで……」


 ふと、北條は自分の手に握られている召ビの荒石を見つめた。

 これのせいか?

 確かにあやかしの出現前、召ビの荒石は発現していた。

 詳しい効力は知らないが、風小をここに召還したアイテムである。このあやかしを召還したとしても不思議では無い。


「あ!」


 そして思い出した。


「風小!」


 北條が部屋を見回す。

 言霊のあやかしが背にする壁。猿たちの残骸の吹き溜まりの中に、風小は仰向けのまま目を見開き転がっていた。

 肩から裂かれた左腕は、かろうじて身体に付いていたが、切断された右足は離れたところに転がっている。言霊のあやかしが襲ってくるかも知れないという恐怖は払いきれなかったが、それでも北條は風小のそばに駆け寄っていた。

 その様子を、言霊のあやかしが、身じろぎすることなく複数の視線で静かに追いかける。


「ふうこぉ」


 あやかしと風小自身の血や体液の中を転げ回り、どろどろになった彼女を、かまわず抱き起こす。

 風小の視線は焦点をまったく失い、空(くう)を見ている。左腕が、風水銃の重みに耐え切れず、だらりと垂れ下がった。

 北條は風小の身体を静かに床に下ろすと、風水銃のベルトを一本ずつはずし始めた。


「重いか?……。いま……、はずしてやるからな……」


 返事は無い。


「ふうこぉ……。お前馬鹿だよ……。最後になって逃げろって言うなら、何で最初から逃げろって言わないんだよ」


 なかなか外れない3本の固定されたベルトを淡々と外していく。


「俺たちがいなけりゃ、もっと違う戦い方もあっただろうよ……。いいとこ見せようとするからこんな事に……」


 北條の脳裏に、あやかしの刃に貫かれる寸前の、誇らしげにVサインを掲げる風小の姿が蘇る。


「こんなことに……」


 最後のベルトを外し終えると、風水銃がゴトリと重い音をたてて床に転がった。

 沈黙が流れる。

 誰かがすすり泣いているのが聞こえる。

 驚いたことに自分が泣いている。

 何かを失う悲しみ……。

 失ったことを知ってしまった後悔。

 嗚咽がとまらない。初めての悲しみに、抵抗できない。見開いたままの風小の目を閉じてやる。


「ふう、こぉ」



チリ……。



 微かな異音。

 北條がその音に気づいた次の瞬間。風小の身体から黒い陽炎が立ち上った。

 やがて、その黒い陽炎は、ごうごうと言う音を立てて炎のように舞い上がる。


「ああ!」


 慌てた北條が自分の身も省みず、風小の身体に手をかざし炎を払いのけようとする。

 熱さは無い。それどころか手応えさえ感じられない。

 確かに炎はそこにある。風小を焼き尽くすかのように渦巻いている。

 実際、風小の身体は黒い炎によって、燃やし尽くされるかのように少しずつ消滅を始めていた。だが、北條には触れることすら出来ない。


「おい!よせ!やめろ!」


 必死に払いのけようと手を振り続ける。


「やめろ!やめてくれぇえ!」


 そうしているうちに炎は、伸びる影のように床を這い出し、あちこちに転がるあやかしの残骸に燃え移り出した。次々に消滅し出すあやかしの残骸。


「やめてくれ!頼むから、もうやめてくれ!……燃やすな……、風小を燃やすな!」


 北條の絶望をあざ笑うかのように、取り巻く黒い炎はその勢いを増していく。


「もういやだ……。もう……」


 空を切る北條の手では何も出来ない。


「かおおおおおぉぉぉぉん」 


 絶望が塗り固まった、悪夢のようなありさまの中で、言霊のあやかしが咆哮を上げた。

 はっ、として北條が後ろを振り向く。あやかしの顔が北條の顔から数センチの空間にユラユラと浮かんでいた。

 猫目の瞳孔が一斉に膨れ上がり、一本の太い触手が高々と掲げられる。

 目交ぜし間。あやかしの触手が槍のように、北條の額を貫いた!


「ヴぅが嗚呼アアああアアア!!」


 悪夢の中に、北條の絶叫が響き渡った。

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