第26話 ACT8 最後の希望4
「き……、いやあぁー!!」
事態を理解した綾子が絶叫し、みるみる蝋燭のような白い顔色になりその場に崩れ落ちた。
北條は、一言も発する事が出来ないまま、その場に腰を抜かしてへたり込んでしまっていた。
風小は、即座に反撃に出ようと身体をひねろうとしたが、あやかしは、貫いた刃をそのまま左の肩口まで振り上げる。
風小の身体が刃で貫かれたまま胸から肩まで切り裂かれ、ばっくりと口を開ける。そこまでやると、手負いのあやかしは、身体を引きずりながら風小から一旦離れた。
「オフザケがすぎますデスよ……」
風小の額の紅玉石が再び輝きを取り戻し、額の髪をさわさわと巻き上げ出す。辛そうに風水銃をあやかしに向けようとしたが、切り裂かれた左肩はもう、銃を支える力が無かった。風水銃は……いや、風小の左腕は、だらりと下を向いたまま彼女の意志を受け付けない。
「解ッ解ッ解ッ解ェ」
事態を見て取ったあやかしは、勝ち誇ったように叫ぶと渾身の一撃を風小に食らわす。
避けきれない。あやかしの攻撃をあっさりと右の太ももに受ける。ざくっと言う鈍い音とパキンという骨を砕かれる音がして、風小の右足は切断された。バランスを保てなくなり顔面から床に倒れる。
「ぎいぃぃ!」
風小が悔しそうな声を上げ、身体を動かそうとするが、傷口からどくどくと流れ出す真っ赤な液体の中でぬらぬらと這いずる事しか適わない。
あやかしはそんな風小にゆっくりと近づいていくと、腕組みした姿勢で見下すように微笑んだ。
「!!……ちっくしょうぅ……」
風小が歯ぎしりする。
あやかしは、風小の背に馬乗りになり、おもむろにのど笛に食らいついた。
「ガアァァァ!」
あやかしの叫びかと思い間違うほどの、禍々しい風小の絶叫が響き渡る。首もとから、不気味なバキバキと言う
音が聞こえてくる。
「ふうこお!」
北條が腰を抜かしたまま絶叫した。
何をすべきか、何が出来るのか。北條には思い浮かばない。じりじりとにじりながら、後ろへ下がるのが精一杯だった。
そのとき。
「ホウジョウサん、にげテ……」
確かに聞こえる。風小の声。
「にげテ……」
いったい彼女は何を言っているのか?
「おまもりしないと・・・・・・姫さまに・・・・・・シカラレるから・・・・・・」
「うおお!うおおお-!」
自分の叫び声にはじかれて、北條は立ち上がっていた。
手に持った麺棒には今まで込められたことの無いほどの力が加わっていた。
いつ、どうやって、どんな早さでそこへ行ったのか。
北條が気づいた時、彼は風小に食らいつくあやかしの背後にしっかりとした足取りで立っていた。
イツ、ドウヤッテ、ドンナハヤサデソコヘイッタノカ……。
彼は全く解らなかったが、成すべき事は解っていた。
棒を大きく振りかぶると、あやかしの後頭部めがけ、チカライッパイ振り下ろした。
ほんの一瞬、堅い感触を感じ、手応えが棒から伝わり手がしびれる。
ぐしゃりと言う音とともに、麺棒があやかしの頭蓋骨を粉砕し、頭中に食い込んだ。
それでもなお、北條は渾身のチカラをバットに込め続けると、貪るように風小に食らいついていたあやかしの動きが、止まった。
(終わり?これで?)
ぼんやりと北條はそんな事を考えていた。
(おわれ、たのむ……)
少しずつ、少しずつ、自分の取った行動への意識が覚醒して行き、恐怖が心に戻ってくるのが解る。
と、あやかしが北條に背を向けたまま、右腕で麺棒を振り払うしぐさをした。
ぱきっと言う乾いた音がして、ほんのちょっと、北條の腕に手ごたえが加わったかと思った直後。麺棒はあやかしの刃によって、中央から横真っ二つに切断されていた。
「ひぇっ!」
北條が声を上げる。
足が強張ってしまい、そのまま半分になった麺棒を構えて立ち尽くす。
その間にあやかしは、とん!と床を蹴り、風小を超えて前に跳ぶと、北條の方へ振り向いた。粉砕されぐしゃぐしゃに潰れた顔を北條に向けて、恨めしそうに睨みつけている。
北條の一撃の破壊力は、思った以上に強力だったようで、あやかしの頭頂部は完全に潰され、割れた頭からは脳漿のようなものがだらだらと流れ出していた。左の眼球がこぼれ出しそうなほど飛び出している。部屋の中にはあやかしの、腐った膿のような匂いが充満し始めた。
ずたずたに引き裂かれた風小を中央に挟むようにして北條とあやかしが対峙する。
「うう……」
向かい合う双方の口から、同時にうめき声が上がった。
風小はピクリとも動かない。
あやかしが動いた。
襲いかかろうと床を蹴る。
北條が小さく叫び声をあげ、目を見開くと同時に、あやかしは足をもつれさせ、前のめりに倒れ込み、床に脳漿をぶちまけた。
あやかしにもさすがにダメージはあるようだった。が、すぐに立ち上がると、のろのろと北條に向かって刃を突きつける格好で近づいて行く。ゆっくりとした足取り。だがそれは決して弱々しい足取りではない。むしろチカラを溜めながら、そのまま近づければその場で、もし万が一、少しでも逃げようとするならば、今、即刻一撃を食ら
わす。そんな威圧。自信というより確信。
絶対に殺される。北條にそれ以外の考えは浮かばなかった。
「た……」
北條の唇が見る見る真っ青になり、ぶるぶると震え出す。
「た、たす、たすけてくれぇ……」
叫び出したいが叫びにならない。
独り言のような、陰にこもった弱々しいつぶやき。一歩、また一歩とあやかしは距離を縮める。
「たすけてくれー!」
腹の裂けるような金切り声。北條自身が驚くような奇跡に近い叫び声。その声は、あやかしさえも一瞬たじろがせた。
そのとき……。
リーン
召ビの荒石が再び共鳴し出した。
光の波動があやかしを襲い、体勢を整える間もなく部屋の壁に叩き付ける。
リーン
床に転がるあやかしの残骸や、そして風小の身体まで……。
光の無い目を見開いたままの風小の身体が、糸の切れた操り人形のように部屋の隅に飛ばされ、仰向けになりって、だらりと転がった。
光の波紋は、今、北條の目の前にある脅威のすべてを弾き飛ばした。
間を置かず。
バチン、と言う、一際大きな放電音が2、3度したかと思うと、部屋が真っ白になるほどの光で満たされる。
フラッシュバック。
光の晴れた部屋の中に浮かび上がる巨大な影は……。
「お、お前は……」
自分の目の前に現れた異形のモノに北條は目を見張った。
ぬめぬめと、浅黒い水飴状の身体は2メートルほど伸び上がり、蛇が鎌首を持ち上げたようだった。鎌首の脇一面に、十数個の、縦長の瞳孔をした金色の目が一斉に開いて、ぶよぶよと泳ぎ出し、頭頂に集まり出す。
丁度、胸の位置あたりから、女性の腕ほどの太さの触手が二本、獲物を求めるように空をのたうった。
「言霊のあやかし……」
間違いない、間違えるわけが無い。偶発的な呪詛により、北條の携帯電話を憑代として発生し、彼の命を狙い、風小によって葬られたはずのあやかし。
あの時、憑代として使われていた携帯電話は、風小によって粉々に破壊された。
とすれば……。
「あなたの日頃の行いが、人々の呪詛を誘い、その結果、必然と言ってもよい呪いを完成させたのです。あなたが
自分の本質を改め無い限り、またあやかしが現れることは充分考えられるのです」
北條は姫緒のそんな言葉を思い出していた。
「北條さん……、あなた悪い人ですか?」
風小の言葉を思い出す。
「また、育ってやがったのか……」
北條の脳裏に、絶望の文字が浮かぶ。
「カオオオおおおおぉぉぉん!」
風の巻く音のような叫びを上げて、言霊のあやかしは身体をぶるぶると震わせると、吹き飛ばされた猿のあやかしに向き直り、その触手を振るう。
「亜ガアァァァ!」
猿のあやかしは、威嚇するように一声吼えてよろよろと立ち上がり、向かってくる触手に刃を振るい、これをあっさりと切断する。しかし、切断された言霊の触手は根元から再び伸び出し、なおもあやかしを絡め捕ろうというように執拗に襲いかかった。
「ま、まさか……」
北條が呟く。
「まさか、お前、助けてくれようとしているのか?」
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