第19話 ACT6 コルベット・サマー2

「ところで、綾子の方はどうなったのん?」


 レンレンが気分を変えるように話題を移す。


「人一倍猜疑心の塊みたいなくせに小心者の男をひとり丸め込んだわ。喚ビの荒石持たせて綾子につかせたから、大丈夫だとは思うけど。十分ほど前にそいつと分かれて、今、車で新潟へ向かいなおしてる最中よ」


「召ビの荒石ぃ?……」


「……」


 姫緒からの返事が無い。レンレンが口を開く。


「ねぇ、あれってぇ、ある程度訓練を積んだ人じゃないと、石の威力が強すぎて寿命が縮むんじゃなかったっけ?」


「そうよ」


 あっさりと姫緒。


「あの北條とか言うお得意さん、一般人よねん?」


「何か問題でも?」


「あんたほんとにえげつないわねぇん!」


 心から愉快そうにレンレンが笑う。姫緒は「失礼な」と言って続けた。


「歌に関して何か情報は?」


「うーん。そっちの方は無いわねぇ。稚内の宗谷岬ってところで宗谷岬の歌が一日中流れてるとか。でも四年前、那由子は稚内に行ってないからこれは論外だし。あと何年か前まで、ここ富良野の駅前で『きたのなんとか』とか言う歌が一日中流れてたらしいけど」


「キタノナントカ?」


「富良野が舞台の古いドラマの主題曲だって。私はテレビ見ないから知らないけど」


 そう言ってレンレンは辺りをぐるり見渡すと、少しの間まわりに耳を傾けてみた。


「今は流れてないケド、両方とも『とおりゃんせ』とは似てもにつかない曲だって話よん」


 キタノナントカについては姫緒も、ドラマも曲も知りはしなかったが、目的の曲と似ても似つかないとすれば気にする必要はなさそうだった。

 駅前に流れなくなった理由も番組終了後の自然消滅ぐらいの事で、気にすることでは無いだろう。


「これからアンタ達はどうするの?」


 姫緒がそう言うと、レンレンは手に持っていた、『北海道完全無欠ガイド』を助手席のシートに放り投げ、姿勢を正した。


「これから、富良野で那由子が泊まった麓郷にあるライダーハウスに向かうつもり、あまり期待は出来ないんだけど、そこはハマりんが居るらしいから那由子を知ってる人がいるかもって情報もあるし」


「誰?何が居るって?」


「ハマりんよん。北海道に遊びに来て居心地が良いんでライダーハウスや、木賃宿、キャンプ場に『ハマって』住み込んじゃった人達の事らしいわよん。長い人になるとアルバイトしながら一つ所に何年も住んでるらしいから、何か知ってる人が居るかも知れないって、昨日合った徒歩ダーが教えてくれたのよん」


「何?誰に教わったって?」


「徒歩ダーよ。北海道を歩いて旅してる人。ほら、オートバイに乗ってる人をライダーって言うでしょ。自転車で旅する人がチャリダーで、バスや電車で旅する人がジェアラー(JRラー)」


 とたん、レンレンのヘッドホンから悲鳴にも似た、けたたましい車のブレーキ音が聞こえた。


「どうしたのよ!」


 何事かとレンレンが声を荒げる。


「ごめん」


 心底疲れたというような姫緒の声がした。


「あんたの話、ちょっと目眩がして」


 その声からはかなりのダメージが伺えた。


「北海道って、日本だったわよね」


「いいところよん」


 腕組みをしながら、しみじみとした口調でレンレンが答えた。


「問題が無いようだったらそのまま那由子の足取りを追って」


「リョウカイよん」


 レンレンが応えると電話が切られた。


 彼女はヘッドホンを外し、ルームミラーをのぞき込みながら軽く手櫛で髪を整える。

 ふと、脇を見ると、風小がふたの開いたラベンダー色のラムネの瓶を差し出して立っている。


「ラベンダーラムネ……です」


「あら、律儀ねあんた」


 レンレンはそう言って風小からラムネを受け取り、瓶を水平にしてごくごくと喉を鳴らして飲んだ。

 後味の良いレモネード風味のサイダーに、ほんのりラベンダーの香りが香る。なかなかオツな味だ。


「痛かったです……」


 先ほどのソフトクリームの一件を言っているらしかった。よほど痛かったのか、まだ目に涙をためている。


「ふふふふ……」


 意味ありげに笑うレンレン。

 助手席のガイドブックを、空いてる片手で拾い上げると、聖書をひもとき罪人を諭す聖人のようなとつとつとした口調で語り始める。


「汝、迷える子羊、風小よ。よくお聞き。これからの野望に比べたら、ソフトクリームの十や二十で大騒ぎしている場合じゃない……のよん!」


「ソフトクリーム二十個ぉ!?いっ、いっぺんには無理デスぅ!」


『そこじゃないだろ』と言う突っ込みを入れたくなるような価値観で風小はおののき、レンレンの徐々に湧きだつオーラにたじろぐ。


「そうよ!この完璧ガイドブックによりサーチした、すぺっしゃるで、ゴージャスな、この世のハライソへの誘い、うれしはずかしタライ回し倒れよ!」


 立ち上がり、まるで、周りに取り巻くたくさんの連中にも聞かせるように拳を振り上げ、レンレンが力説する。


 風小を先頭に、聴衆からは「おーっ」と言う感嘆の叫びが上がり、中には拍手をする者もいた。

 しかし、勿論、誰一人としてその内容を理解している者はいなかった。


 つまり……。

 ただただ乗りの良い観衆達であった。


「まずは今夜、富良野『居酒屋くまげら』の鹿鍋!」


「なべぇ?!」


 確かに土地柄上、日が沈めば肌寒さの漂う陽気ではあったが、今は初夏、夏に手が届こうとしているのである。

 風小がありえないと言うような声を出すのも致し方なかった。

 ところが、周りの観衆からは、「そう来たか……」「なかなか……」「しかし、しかし……」「さもありなん」と、レンレンの提案を肯定する喚声が飛び交った。


「案ずるな、風小!野趣溢るるくまげらの鍋は年中無休!しかも店が揃えたる日本酒は、酒好きの店主が杜氏と練りに練ったオリジナルのレシピで酒蔵に仕込ませた、通をも唸らす本格日本酒!十数種類!一種類一合ずつ飲んでも一升を軽く越す!その味は全て未知数なり!」


 レンレンはそう言うとクーッと唸り、口の下のヨダレを拭く真似をして見せた。

 風小の瞳がきらきらと輝き出す。


「そして、そして、明日の昼。佐呂間、『レストラン船長の家』で、とれとれのぷりぷりもちもち、あっまーいジュウしーィなホタテとカニの食い放題!」


「あ……、あの、あの、レンレンさん……。もちろんカニはぁ……」


 そう言った風小の、言葉も、目も、突き出した両腕も、見事にふらふらと宙を泳いでいる。


「もちろんタラバ!しかも焼きガニ!」


「あ……、あああああ」


 言葉にならない。

 しかし、観衆からはブーイングが混じり出す。あまりに定番だというのが大半の意見だった。


「あわてるな、貧乏性ども!果報は寝て待て、仕上げをご覧じろてんだ!聞いてチビルなよ!メインは羅臼!『定食丸丸食堂』のウニ丼よん!」


 おおーっ!と言う喚声とともに割れんばかりの拍手が怒濤のようにわき上がる。


「わかってる!あんたわかってるよぉ」「俺はこの日をまっていたんだぁ」「あんたが日本を導いてくれー!」etc……。


 えらい騒ぎである。レンレンに握手を求めて駆け寄って蹴り飛ばされる輩もいた。

 煽りを食らいもみくちゃにされる風小。


「こ、この北海道フリークどもをここまで熱狂させる、その、ウニ丼とわぁ!?」


 もはや暴徒一歩手前の観衆の中にあって風小が驚愕の声を上げた。

 レンレンはガイドブックのページを捲ると、そこに書いてある文章を指で追いながら、まるで魔法の詠誦をするかの如くしゃべり出した。


「まずは深めのどんぶりに艶々アッつ熱のご飯を八分目。その上に注文を受けてからさばいた、朝捕れのバフンウニをご飯が隠れる程度に敷き詰める。ウニの粒が揃わないのは「活き作り」のご愛敬」


「なんだ、ぜんぜん大したこと無いじゃないですか」


 風小が不満げに言うと、周りから「シーッ」と言う、静かにしろと言いたげなリアクションが一斉に上がった。


「まずは、と言ったでしょ、まずは、と、黙って最後までお聞き、風小」


 そう言ってレンレンが構え直す。


「……そのとろとろのほっくほくになったウニの上に、さらにあっつ熱のご飯をかぶせることにより、挟まれたウニは表面にまんべんなく余熱を受け半生状態に!さらに!……」


「ま……、まさか……」


「そう!その、まさかよん!その上に、これでもか!とてんこ盛りされるのは、これぞ本命特選粒ぞろいの最高級バフンウニ!どんぶりに蓋をする事30秒。テーブルに出されたどんぶりの蓋を取れば、程良く熱のとおったウニの、濃縮された旨味の香りがあなたを直撃!」


「あえぇぇぇぇ。」


「添えられた練りわさびを小皿に取り、しょうゆで割って作ったわさび醤油を回し掛けると、あちあちのご飯に醤油が蒸され、たちまち香ばしい香りが立ち上がるぅ」


「がっでむ!」


「後はひたすら、喰う、喰う、喰う、まくり食いィ!生、半生、半蒸しとバラエティにとんだ味覚が一気にクチの中へ!これぞウニ丼!その名に偽りなし!どうよ!風小!」


 その場にへたへたとしゃがみ込み、頬を上気させて切なげにため息をつく風小。


 観衆より一斉に上がる喚声。


 答えることはせず、ただ不敵な笑いを浮かべるレンレン。


「ぐずぐずしている暇はないのよん!それもこれもお仕事が終わればの話。終わらなければ全てはお預け!」


「いやぁーっ!おあずけはいやぁーっ!」


 普段は緑色の瞳を赤に変色させ、風小が叫ぶ。

 レンレンはストンと助手席側に廻って腰を降ろし、ガイドブックを尻に敷く。

 躊躇うことなく、風小が運転席に滑り込む。


「運転の仕方は道すがら教えたわね」


 レンレンの問いに風小が「はい」と元気良く答える。


「よし!ならば……、このままいけー!風小!!どこまでも!」


「らじゃー!」


 レンレンの声に答えるように、コルベットのタイヤが白煙をあげて、車体を左右に振りながら発進する!


「レンレンさぁん。ひとつ聞いていいですかぁ」


「あによん」


 予想だにしなかったコルベットの加速と挙動に、シートからずれ落ちた身体をもとにもどしながら、レンレンが答える。


「信号のぉ、赤の点滅のときはどうすれば良いんでしたっけ?」


 風切り音に声を消されないように、風小が叫ぶ様に尋ねた。


「馬鹿ねぇん」


 レンレンはそう言うと姫緒の真似をしてフンっと鼻を鳴らして続けた。


「そんなもんは、『かまわず進め!』よん!」※嘘です


「らじゃー!」


 力強いモンスターの咆哮が風を引き裂いた。




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