第18話 ACT6 コルベット・サマー1

抜けるような青い空……。


 そんな気恥ずかしくなるような表現以外しっくりとこない位に、はまりにはまった青天。

 もう、昼過ぎだというのに、透明感のある冷たい空気が、凛と張りつめる。

 ロータリーというには、こぢんまりとした駅前広場。

 ラベンダーの香りに包まれる街、北海道富良野のJR駅前は土産物屋に群らがる客たちと、これからの旅の旅程を模索するライダー達の群れで、かなりの賑わいを見せていた。

 いや……。

 賑わいの原因はもう一つあった。 駅前広場のど真ん中。

 女神の腰つきを彷彿とさせる美しい流線美と、精悍なエイの面構えをもつロードスター。

 コルベット・スティングレー。 シボレーV8、5.7リッター。

 そのボディカラーは灼熱の赤。

 ライダー達が遠巻きに見守る中、厳ついハーレー乗りの一団が、口笛と歓喜の雄叫びを上げる。


「騒ぐな、騒ぐな!童貞ども!」


 右目にかけたアイパッチの、銀の装飾をキラキラと輝かせながらコルベットの運転席に立ち上がり、称賛と避難の野次に対し右手の中指を立て礼をつくす者こそ誰あろう、ネモ・レンレンその人だった。

レンレンの右足はコンソールを踏みつけ、白いチャイナドレスの腰まで伸びたスリットから、艶めかしい太腿を惜しげもなく下着ぎりぎりの最終防衛ラインまで覗かせている。


「童貞どもぉー!」


 まるでサイズの合ってない大きなガーゴイルのサングラスをかけた風小が、遠巻きのライダーに赤字で『風』と書かれた黄色の小旗を持つ両手を振ると、答えるような「おおー!」という喚声が遠巻きに起こる。

 風小は、半袖半ズボンのサファリルックに、帽子までもそれっぽくコーディネートしていた。

 風小が助手席から身を乗り出してアピールする様はまるで、仕留めた巨大なコルベットモンスターを誇らしげに自慢するモンスターハンターのようだ。

 サファリルックのジャケットは小さめなのか、肉感的な胸の部分がはち切れそうで、ズボンはお尻と太股に張り付いて、パツパツ仕様になっていた。


「レンレンさんっ!ここソフトクリーム売ってますデスよ!ソフトクリームですよ。うわぁ!夕張メロンとラベンダー味デスよぉ!」


「あんた、さっきラベンダーファームで、トウモロコシとラベンダーアイス食べたばかりじゃない」


 あきれ顔で風小を見下ろしながら、レンレンが言った。


「あれは、トウモロコシとアイス。こっちは、ソフトクリームデスョ!」


 上目遣いに、風小が非難する。興奮のあまり、論点が判っていないらしい。


「よしっ!風小!行って来い!」


 レンレンが、ハタハタと『特選ソフトクリーム』のノボリの立つ土産物屋を、ビシっと指さした。


「ああ……。でも、でもぉ……」


 躊躇。意外な風小の反応。


「ラベンダー味と夕張メロン味。どっちにしたらいいんでしょう」


「おまいは馬鹿か?」


 レンレンがそう言うと、アイパッチの下で白い歯は三日月を作った。


「そんなときは両方買うのよん!それが観光地の掟よん!」


「あえぇぇぇぇーっっ!」


 驚愕の声をあげて、風小がレンレンを見上げた。


「そ、そんなうれしい掟があったのデスか!」


 言うが早いか、小旗を投げ出し、助手席のシートから一気に跳ね上がると、車の外へ飛び出して一直線に土産物屋目がけて駆けだした。


「いゃーっ!特濃ぷれみあむ仕様もあるデスぅーっっ!」


 風小が悶絶する。


「さてと……」


 風小を見送ったレンレンはストンとシートに滑り込み、運転中に尻の下に敷いていた情報雑誌『北海道完全無欠ガイド・古今無双版』を取り出し、ページをめくる。

 雑誌の角はチェック箇所の目印として、ドック・イヤーが山のようについており、本の厚みを四、五倍にしていた。

 ふむふむと視線を走らせニタニタと笑う、そんなことをしばし繰返していたとき、突然、フルオーケストラにアレンジされた『とうりゃんせ』のメロディーが流れ出す。

 鳴っているのは……。

 車のコンソールに取り付けられたレンレンの携帯電話だった。

 脇のフックに掛けてある、インカムのレシーバーを耳にかける。着信者は『姫緒』を表示していた。


「はーい。こちらUssエンタープライズ、ウーラ中尉よん」


 返事がない。


「……。嘘よ。乗りの悪さにびっくりだわよん」


 すっかり冷めた声でレンレンが言った。


「びっくりはこっちよ。あんた、待ち受け音楽に『とうりゃんせ』を使うなんてどういうつもり?」


 そう言った姫緒の声から、僅かながら狼狽の色を感じ取ったレンレンは、堪えきれず哄笑した。


「洒落よん、洒落。ちなみに着信音も『とうりゃんせ』。探すの大変だったのよー。北海道着いてからネットカフェでねぇ……」


「ネットカフェ?」


 姫緒に聞き返され、ハッと我に返る。

 調子に乗りすぎた。


「コルベットが来るまでの間よぉ……。」


「コルベット?」


 泥沼の状態にずぶずふと落ち込んでいく。

 全ては姫緒に秘密裏に進めていたことだった。


「登別の熊牧場は楽しかった?レンレン?」


「そうそう!風小にアイヌ服着せて子熊と並んで写真取ったのよん。これが傑作でさぁ……、あ……ん」


 まんまと乗せられた。黙っているには思い出が楽しすぎる。


「今どこなの」


「富良野の駅前」


 慎重な口調でレンレンが答えた。

 姫緒の沈黙が怖い。


「まあいいわ」


 富良野と聞いて、計画に遅れのないことを確認した為か、ふた呼吸ほどして姫緒が口を開いた。


「やることさえやってくれれば、文句言う気はないわ」


「も、もっちろンよぉん」


 愛想よくレンレンが答える。


「で、どうだったの?何か判った?」


「えーとねぇ。まず、有明のカーフェリー事務所に行ってみたんだけどね。当時、那由子の乗った有明発釧路行きの船は、ブルーゼファーっていうんだけれど、これ、一年前に廃業しちゃってんのよん」


「廃業?」


「そう。ライダー達に人気の航路だったらしいんだけどねぇ、なんやかやあって観光旅船を廃業。今は商業車のトラックやら貨物やらを運搬する輸送船になってるらしいわ。観光やってる頃の書類もね、倉庫に眠ってて……」


「そんな事はどうでもいいわ。それ、ちゃんと調べたんでしょうね」


 だらだら続きそうなレンレンの話をきつい口調で姫緒が遮る。


「調べたわよぉ。担当者じゃ埒(らち)開かなかったんで、責任者出させてさ、ごちゃごちゃ言うから頭ん中引っかき回してやったら、泣いて謝って、必死になって捜してくれたわん」


 ケラケラと笑いながらレンレンが言った。


「それで?」


 姫緒の反応が以外に冷たい。

 レンレンはコホンと咳をして取り繕うと、話の続きを始めた。


「乗ってたわよん。四年前の8月20日、『柳岡那由子』は確かに、24:00発の有明発釧路行きのブルーゼファーの乗船名簿に登録されてたわん」


 そこまで言ってレンレンは、ちらりと土産物屋の方を見る。

 そこには、白、ラベンダー、オレンジと色とりどりのソフトクリームを、胸に押しつけるようにして片手で抱き、取り巻いている男共と握手をしたり写真を撮ったりしながら、アイスクリームを代わる代わるおいしそうに舐め回している風小がいた。


「風小!ガキども相手にしてないで何か飲み物買ってきて!」


 風小は「わかりました。」と言うように深々と頭を下げると、抱きかかえていた数個のソフトクリームを次々に口の中に放り込むように一飲みにしていく。


 あまりに不条理なその光景に、まわりのライダー達から驚愕の歓声が上がり続けた。


 そうして、最後の一つを放り込もうとしたその時、突然、風小の動きが止まり、持っていたソフトクリームを地面に落としたかと思うと、頭を抱えてもがき出す。


「き、キーンって……、キーンって……」


 徐々に身体が崩れていき、ついにはうずくまり、そのまま地面をころころと転げ回りだした。


「キーンって……、あたま……キーンって……いたい……いたい……」


 冷たいものを食べ過ぎて血管を詰まらせたらしい。


 絶望的な顔で半べそになり、落ちたアイスクリームの周りをころころと転がりまわっている。


 風小が使い物にならなくなった事をレンレンは悟った。


「なんなの?」


 レンレンからの応答が無くなり姫緒が催促する。


「なんでもないわん。馬鹿なあやかしが頼まれもしないのに、痛い漫才してんのよん」


 彼女がそう言うと、察しがついたのか、姫緒が小さなため息を付くのが聞こえた。


「えっと……。どこまで話したっけ?」


 レンレンが話を戻す。


「那由子が北海道に降りたのは間違いないの?」


 姫緒が念を押すように尋ねた。


「はーい。それは間違いないみたいよん。船ってさ、長旅だし、でかいし、回りは海でしょ。一人で乗って途中で海に落ちちゃったり、何らかの原因……、病気とか、船底に転落するとか、ね。船から降りれない状態になってるとヤバイから、下船するときにチケットの半券回収して下船した人のチェックするみたいなのよん」


「で、那由子は下船したことが確認されていた、と言う事ね」


「はい、そのとおり。しかも、那由ちゃん……」


「那由ちゃん?」


 また始まった、というように姫緒が聞き返す。


「そう、那由ちゃん。お茶目なことに船の中で当時お財布落としててねん。結局出てきたんだけど。その時お財布の中の運転免許証で本人確認して、引き渡しを受けてるのよ。その記録も残ってたわん。だから、乗船していたのも那由ちゃんという事で間違いないみたい。フェリーについては室蘭に着いてからも『同じようにして』調べたら、8月28日、室蘭発大洗行きのフェリーに乗って大洗で下船してマース」


「やはり、自宅前で失踪したと言う事らしいわね。北海道での足取りの方はどうなの?」


 フェリーの調査事項は、あくまで見落としの無いようにと言った程度の確認に過ぎない。

 北海道での調査による、新たな手がかりの発見こそが、レンレン達を現地に送り込んだ真の目的で有ることは言うまでもないことだった。

 レンレンは那由子の残したアルバムの写真と日記を頼りに、那由子の足取りを探り、『歌』の存在と那由子、或いは、あやかしの情報を集める手筈になっていた。


「ちゃんと見つけたわよん、小樽で。写真と日記から泊まった宿を割り出して確認したら、木賃宿のおばあちゃんが那由子の事覚えてたわん」


 あっさりとレンレン。


「すごいじゃない。でも良くご老人が四年も前のことを覚えていたわね」


「薄気味悪かったんだって」


 悪戯っぽい口調でレンレンが答えた。


「薄気味悪い?」


「そう。そこの宿ね、足の悪いおばあさんが一人でやってるのよん。だから食事も作れなくてね。部屋だけ貸して、食事やお風呂は外でって方式で……。素泊まりって奴ねん。8月26日にそれでいいから泊まらせてくれって来たらしいのよん。もともと那由子はキャンプ場とかライダーハウスとかの安い宿に泊まり歩いてたみたいなの」


「ライダーハウス?」


「ああ……、もともとは北海道に来るライダー達を個人が善意や趣味の範囲で泊めていた所らしいんだけど、五○○円くらいの相場で雑魚寝で素泊まり出来るのよん。昔、旅館だったとことか、食堂の小上がりとか、大きな家の使わなくなった離れとか。最近はプレハブで専用に建ててるとこも有るらしいけど。屋根と床しかなくて布団も無いから、寝袋持ち込みってところがほとんどらしいけどねぇ」


 レンレンはそう言うと『私も昨日知ったんだけどね』と言って笑った。


「それで?何が薄気味悪かったって?」


 姫緒が話を急す。


「そうそう、えーとねん、遅い時間に食事から帰ってきてね。ずっと部屋に居たようだったんだって。その日は夜半頃に雨が降って急に冷え込んでね、震えてちゃ可哀想だからって毛布をもってって上げようと思って、部屋の前に行ったら話し声がするんだってさ。一人って聞いてたのにって思ったんだけど、男でも連れ込んでるのかしらんと思って覗いてみたら……」


「どうしたの?」


「説教してたんだって」


「へ?」


「壁に向かって説教したんだって。っていうかそう見えたんだって。初めは酔ってるのかと思ったらしくて、からまれるのも嫌だから毛布持って戻ったらしいんだけど、気になって時々見に行ったらね、明け方近くまでずっと説教してたって。それで気になってたらしいんだけどね。ほら、名前も珍しいじゃない、那由子って。この宿、宿帳だけはしっかりあってさ、26日の記録見てもらったら那由子の名前が有ってね。ああ、この子なら、ってわーけよん」


「何故、説教だって思ったって?」


「ちょっとまって。書いといたのよん」


 レンレンはそう言うと車のダッシュボードから小さな黒表紙のメモ帳を取り出して、ぱらぱらと目的のぺーじを開いた。


「那由子の言ってた言葉がね」


 そう言って手帳に書かれた言葉を読み上げる。


「『あなた一体何のつもりなの』とか『いくらなんでも酷すぎる』とか『わかってるの!』とかなどなど。全部読み上げる?」


 どうやら宿の女将は興味津々で覗いていたようだった。


「良い趣味を持ったおばあさんで助かったわ。ほかにあるならもう少し読んでみてくれる」


「オーケー。『ゆるす』とか『ゆるさない』とか『いつまでそうしてるつもり』とか『お父さんやお母さんのようにはいかない』……」


「お父さんやお母さんのようにはいかない?」


 姫緒はそう繰り返すと黙りこくってしまった。


「どうしたのよ?」


 しばらく待っても返事のない姫緒にレンレンが問いかける。


「ひとつ、謎の糸口が見えたのかなと思って」


「謎だらけじゃん」


 げんなりしたようにレンレン。


「じつはね、新しい謎が発生していたのよ」


「何?新しい?今度は何?」


 レンレンが姫緒の言葉に顔をしかめて言った。


「昨日、新潟に近くになったんで綾子の実家に連絡をとろうと、教えてもらった番号に電話をかけたんだけど。繋がらないのよ」


「お出かけ中なんじゃないの?」


「お出かけ中に『現在使われておりません』なんて留守番メッセージ使うとしたら、綾子のご両親を尊敬するよ。わたしは」


「えっ?つながらないって、ひょっとして」


「そう。使われてないのよ。こっちも『廃線』よ」


 双方しばし沈黙。

 先に口を開いたのはレンレンだった。


「番号間違いじゃないの?」


「折り返し綾子に確認したら間違いないって言うし、念のため番号案内にも確認したわ。そしたらこっちは登録されてないって」


「それってどういう」


「五年前に」


 レンレンに答えると言うよりも、自分に言い聞かせるように姫緒が呟く。


「五年前に、綾子の関知しないところで何かが起こっていた可能性がある」


「もしくは」


 そう言ったレンレンは、続く言葉を躊躇った。


「そうね。綾子が知らないふりをしていると言うこともあり得るわね」


 姫緒が後を繋ぐ。

 だがもし万が一、綾子が何かを隠しているとして、何のために?と姫緒は思った。

 こんな簡単にばれる事を?

 多分、レンレンも同じ考えだろう。


「行ってみるしかないって事らしいわね」


 意を決するように姫緒が言う。


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