第17話 ACT5 北條3

 こうして北條は『鬼追師』の依頼を受け、彼女が言うところの留守番を引き受けた。

 最後に北條の背中を一押ししたのは、ボンテージ服や借金や安っぽいヒューマニズムではなく、姫緒という『退魔師』のチカラを信じた上での好奇心。

 如何なる人間が、『あやかし』によってどんな不幸に陥っているのかを覗き見たいという、不謹慎極まりない、人の業だった。


 人ヲ呪ワバ穴フタツ。


 仕事自体は納得して受けた物だ。多少、腑に落ちなくもないが、どうこう言うつもりはない。北條の凹みの原因は他にあった。

 あの場に居合わせた女子職員。まこと姦(かしま)しい彼女たちによって、北條達の会話する姿は、その後、瞬く間に会社中にばらまかれ、その日の夕方までに広まった噂は……。


曰く、


北條が、振られた女に人を使って悪戯電話をかけようとしている。


北條が、ストーカーしていた女子高生を逆恨みし殺そうとしている。


北條が、交際していた女子高生に振られて逆上し、殺すため殺し屋を雇った。


北條が、女子高生を孕まして、殺し屋を雇うため駅の伝言板にXYZと書き込んだ。


北條が……。


北條……。


 同僚、長瀬の情報リークによって事の次第を知った北條は、(長瀬は、北條がキャッチセールスで質(たち)の悪い幸運のペンダントを売りつけられ、金が払えず、昔手込めにした気質でない女に相談したら、悪質な金貸しを紹介されて自己破産しそうになっているという説を信じており、他に流れている『デマ』を何とかした方が良いという提言だった。)業務終了のチャイムと共に逃げ出すように退社せざるおえなかった。

 それも、これも……。


「鬼ィ追師ィー!!!」


 指示された電車とバスを乗り継ぎながら人生最大の後悔の念を抱き、北條は爽やかな初夏の街を、憂鬱に歩いていた。

 会社でのとても拭えそうにない汚名の言い訳を、それでも考えながら。



 バスから降りた頃にはすっかり日は暮れていた。

 ダラダラと歩いて5分くらいの道のりを進むと、煉瓦色七階建てのマンションの前に着いた。

 塀の入り口には、左右に低い花木の植え込みと門扉があり、向かって右側の植え込みには、『ジャンヌ・ボウ』と明朝体の金文字で書かれた碑銘が、二灯のライトでアップされている。

 黄色い煉瓦敷きの遊歩道を進んで、入り口の自動ドアから建物の内に進む。

入ってすぐ右手側に受付と書かれたガラスの小窓があり、その奥に建物のエントランスホールへ続く自動ドアが控えてた。

 自動ドアの右脇には、腰の高さほどの円錐形をしたコンソールがあり、その上の壁に、マンションの略図と部屋の番号を一致させたプラスチック製の看板がかかっている。

 そちらのコンソールを操作し、内部の人間に承認をもらって中の自動ドアのロックを解除して貰うという、スタンダードなセキュリティの様だった。

 受付の小窓から見える小部屋の中で、初老の老人が何やら身支度をしているのが見えた。

 北條は、マンションの受付に管理人が詰めているのは夕方までで、夜になるとセキュリティシステムのみの警備になると教えられていたのを思いだし、この老人は管理人で、帰り支度をしているのだろうと推し量る。

 老人は緑色の作業服をロッカーの中に仕舞い、中からブレザーを取りだし羽織ると、壁に掛けてあるショルダーバックに手を掛けた。

 非常に取っつきにくい渋面の、北條がはげしく苦手とする雰囲気の老人だったので、声をかけるのは躊躇われたが、このマンションにはそれなりの幾ばくかの規則があるはずで、その『管理人』が自分の目の前に存在している以上、無視して通りすぎるわけにもいかず、小窓を開けて中をのぞき込み声をかける。


「すみません。七○七号室の柳岡さんにお会いしたいのですが」

 極めて事務的な感情を押し殺した声、北條にしてみればよかれとしたことだったが、この紳士には、いささか何事かの不信を抱かせたようだった。ジロリと北條を一瞥すると一呼吸置いて口を開く。


「姫緒興信所の方?」


「はい、そうです」


 依頼人本人以外には『興信所』と名乗ること、それも姫緒との打ち合わせどおりだった。

 だっのだが。この管理人にまで段取りがついている事は少し予想外だった。

 大体、段取ってあるのなら、何もこんな、子供が泣き出しそうな目つきで睨まなくても良さそうな物だと、愛想笑いを浮かべながら心の中で毒づいた。

 老人はゆっくりと、管理人室の中を移動し、小部屋の扉から北條のいる玄関へと出てきた。


「聞いてはいるが。話が違う。悪いが直接了解を取ってくれ。ここではそう言う規則だ」


 管理人はそう言って、コンソールを指さした。


「部屋番号を打ち込んでエンターキーだ。それでインターホンが繋がる」


 自分の出てきた管理人室の扉と受付の小窓にシャッターを降ろし、そう説明すると、「それじゃ。私は終業なので」といってそそくさと外へ出ていってしまった。


「なんだ、ありゃあ」


 今ひとつ理解に苦しむ管理人の態度に、北條はしばし、あっけに取られていた。

 気を取り直してコンソールに進む。略図に目を走らせると、七○七号室は最上階、南側の角部屋であることが判った。教えられたとおりコンソールで部屋番号を打ち込み、エンターを押す。

 内にこもったチャイムの音がして、程なくインターホンから……。


「はい。どちら様でしょうか?」


 驚いたことに女性の声がした。

 そう言えば北條は、姫緒から依頼主の柳岡という名字しか教えられていなかった。そしてその依頼主が、男であるという先入観を持っていたことに気づいた。

 それは、自分がかつて、姫緒の依頼主であったと言う既成事実からの固定概念であり、なにより、あやかしが、ある種の『呪詛』によって発現するという凡例を、身を持って体験したため、今度の依頼主も必ずや嫌われ者の間抜けな男性であると。無意識に心の深い場所で信じていたのだった。

 (その事を再確認してしまうと、北條はなんだか自分が情けなくなり、キリキリと胸が痛んだ)


「柳岡さんのお宅でしょうか、姫緒、霊査所から派遣されました北條です」


「えっ?あっ」


 意外な反応だった。まるで戸惑っている様なニュアンスが感じられる。

 一瞬の間。北條に小さな不安が走った。


「すいません。今開けますので。中央のエレベーターからおいで下さい。最上階の……」


「一番角ですよね」


 続く返事が色好いものであったことで、取り敢えず訝しげな反応の事は気にしないことにして、素直にロックの解除された自動ドアに進みホールに進み行った。

 中央にはの二機のエレベーターがあり、その間の壁には金属製のマンションの案内板が貼り付けられ、確認すると、医療センターや床屋、二十四時間営業のコンビニエンスストア。外部の者も利用できる会員制の温水プールやフィトネスクラブまでが有ることが判る。


「まるで小さな街だな……」


 北條は自分の住むアパートに毛が生えた程度の賃貸マンションを思い出し、一人嘆いた。

 エレベーターに乗り込む。

 七階は最上階だった。

 階についてエレベーターを降りると、北條は廊下を右に進み、角の部屋を目指す。極々シンプルな鉄製の入り口の前に立ち、ドアに貼り付けられた金色のプレートを確認した。『七○七 YANAOKA』と横書きしてある。

 プレートの下には名刺大のプラスチックプレートが貼り付けてあり、赤い文字で『なゆの甘味屋さん』とあった。間違いなさそうだ。インターホンのボタンを押す。


「はい!お待ちしてました。今開けますから」


 下のインターホンの時とはうって変わった、歯切れのいい返事が返って来て、程なくドアが開けられると、家の主が顔を出す。

 愛想のいい笑顔が非常に印象的な娘が、無邪気な眼差しを上目づかい気味にして北條を見た。長い髪を頭の後ろでざっくりと三つ編みにして、緑のゴムバンドで止めている。


「はじめまして。姫緒霊査所から派遣されました北條です。柳岡さん……、ですね?」


 相手が意外なほど若くて好印象だったため、真面目な調査員の声質を意識し、気取った調子で北條が挨拶する。


 頬をほんのり桜色に染めながら、綾子が軽く会釈した。


「こ、コンバンワ。初めまして。綾子です」


 妙に初々しく嫌みのない表情に北條の顔がでれでれに緩んだ。

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