第16話 ACT5 北條2
ACT5 北條
そこには、北條には見覚えのあるメタリックブルーのマツダRX‐7。
間違いなく。『鬼追師』の所有物。
やがて車のエンジンが停止し、運転席のドアが開くと、ピンヒールの黒いメタリックブーツに膝の上まで包まれた、スラリとした足が地に降り立つ。
ロングドレスのような袖無しの黒いポロに身を包んで、サングラスをかけた姫緒が、開いたドアの影から現われ、乱れた長い黒髪を後ろに流す仕草をした。
北條の近くで外を見ていた客の席から『ほう』と言うため息が幾つか上がる。
姫緒は一時の間、店の外見を眺めていたようだったが、車のドアを閉めるとサングラスをはずし、ツカツカと店の入り口に歩き出した。
北條が身構える暇もなく、入り口のチャイムが店内に鳴り響き、姫緒が入って来る。
ゆっくりと首を巡らし、そちらに向き直った北條はギョっとした。
姫緒と共に入って来た三人連れの、いかにもな事務服に身を包んだ女性客は、自分の会社の同僚達だった。
女性たちは、明らかに姫緒の異様な存在感に圧倒され、陰口でも言い合うようにひそひそと、彼女を詮索仕合っているのが判る。
店内客たちの注目と、北條の身内の関心事を一身に受けた鬼追師の女は、それらを全く意に介す様子無く、北條の座る窓際の席へと真っ直ぐに歩んで来た。
一瞬、店内に人の言葉が途絶え、静かなBGMだけが空気のように漂う。
「お久しぶりです北條さん。お会いできてうれしいですわ」
そう言うと、姫緒は満面の笑みを浮かべて、彼の向かい席に座った。
「鬼追いしィー、てめぇ……」
北條の頭の中で、『画策』の文字が音を立ててがらがらと崩れる。
店内には人の声が戻り、最悪の偶然で姫緒と共に入ってきた同僚たちは、好奇の目を北條に注いだまま、露骨にも、北條と姫緒の様子が伺えるよう、はす向かいの席に陣取り、対面四人がけの机にも関わらず、片側の長いすに三人すし詰め状態で座り、下衆な笑顔を振りまいていた。
北條が思わず頭を抱える。
程なく、店員の娘がおずおずと水を運んできてテーブルに置いた。
「アイスコーヒーとミックスサンドを頂戴」
店員が口を開くより早く、姫緒が言った。
「アイスコーヒーは加糖されていない完全ストレートのものを。ガムシロップもミルクも付けなくて結構。テーブルの上がごちゃごちゃするのは好きじゃないの。それから、ミックスサンドは三角に飾り切りする必要は無いわ。等分に切っただけで持ってきて頂戴」
「えっ……、えっ、えっ?」
娘は明らかに戸惑っている。
「お願いできるかしら?それともこの店のレシピはすでにそうなってる?」
姫緒のお願いには『店が拒否する』という項目が無かった。
「どっ……、努力させます!」
娘は大きな声で人のよい返事をすると、足早に店の奥に消える。
「ノリオ~!」(この人、こわいよー!)
店の奥から、哀れな娘の、マスター(多分)を頼る悲鳴が聞こえた。
「早速ですが、北條さん」
テーブルの上に突っ伏して頭を抱えたままピクリともしない北條に、我、関せずな様子で姫緒が話し始めた。
「実は、あなたにお願いがあるのです」
「何の冗談だ?」
北條はそう言うと、頭を抱えたままの姿勢から、ゆっくりと視線だけを姫緒に向けた。
「俺に出来て、アンタに出来ないことが、この世の中に在るって言うのかよ?」
「残念ながら」
まったく余裕がないと言った口調で、大まじめに姫緒が応える。
「ちょっと待て」
北條が、伏せていた上半身をガバと跳ね上げた。
「本当に、俺に頼み事があって呼び出したっていうのかよ?」
「そのように申し上げています」
「アンタの仕事を俺に手伝わせたい、という意味で間違いないのか?」
「そう言ったつもりですが」
「俺に取り憑いてる『あやかし』は?」
「何の事でしょう?」
しれっと姫緒が答える。
北條の顔が見る見る、怒りで真っ赤になって行く。
「鬼追師っ!」
あまりに大きな声に、出した本人が驚く。
注がれる回りの視線、視線、視線……。
中でも、同僚の女性社員たちの視線が、一際ギラギラと注がれるのを感じた。
「てめぇは人に物を頼むとき、相手の都合も考えず、脅しまがいの嫌がらせ電話で呼び出して、お願いしますの一言と、その小馬鹿にした態度で済まそうって言うのか?」
北條は、怒りに歯ぎしりしながらも、体裁を繕おうと賢明に、チカラを込めた小声で姫緒に詰め寄った。
「失礼ながら北條さん。事態は急を要しているのです。人一人の命がかかっていると言えば、理解していただけますか?」
姫緒はそう言うと、逆に北條に詰め寄る。
北條自身に非は無いはずなのに、『命』という言葉に気劣ってしまう……。
彼は、彼女の仕事を身を持って知っていた。それゆえ、その言葉に偽りや嘘は無いであろう事も重々理解できた。何せ、彼女は本物の『退魔師』であり、相手にするのも、人知を超えた生態をもつ、己の命も落としかねない危険極まりない人外の化物たちなのだ。
「だからって……」
北條が口ごもる。
「だからって、何で俺なんだ?俺はただの一般人だ。そりゃあ、一度は化け物退治に関わり合いになったが」
と、言うより、当事者だったのだが。
「可能性の問題ですよ、北條さん」
姫緒がそこまで言った時、アイスコーヒーとサンドイッチが同時に運ばれてきて、テーブルの上に置かれた。
「お待たせしました!」
得意満面な表情で、店員の娘が言った。
完全ストレートのアイスコーヒーには、純度の高いかち割り氷。長方形に等分された飾り気の無いサンドイッチは、大きめの皿に盛りつけられ、兎の形をしたリンゴが2匹添えられている。
「ありがとう。大変、お見事ですわ」
姫緒はそう言って目を細め、軽くおじぎをした。そうして、娘が嬉しそうに奥に引っ込むのを見計らい、話を戻す。
「可能性です。あやかしの存在を知っている人であれば、今、私の置かれている立場を理解して貰うのに時間をかけずに済みます。また、私のチカラを知っていれば、この相談が分の悪いものではない事も、理解していただけるものと信じます」
「化け物退治の手伝いが、分のいい仕事とは思えないが?」
「お願いしたいのは、留守番です」
「留守番?」
「はい。今回手がけている事件の調査のため、どうしても私は依頼主の傍を離れなければなりません。幸いにも、状況的に見て、今すぐに危険な状態になるということは無いのですが。万が一ということもあります」
北條は、姫緒の話を聞きながら、ゆっくりとコーヒーを口に運び、思考を巡らせていたが、何か……違和感を感じた。いつも彼女について回ってる風小の姿が無いことに気づく。
「風小にやらせりゃいいじゃないか」
風小の存在を気にしている自分を勘ぐられまいと、あたかも話の流れの上でそうなったかのように、呼び水を向ける。
「風小は別の調査のため、昨日から北海道に行っています。それはそれで、大切な調査のため、呼び戻すのは躊躇われます」
北條は、姫緒のその返事を聞いて、自分がなんだか急につまらない気持ちになった事に気づき、少し驚いていた。
ふと、外した視線を元に戻すと、姫緒の真っ直ぐな視線に捕まりギクリとする。
「だ、だけどよぅ。いくら万が一と言ったってあやかしが出現する事はありえるわけだろ。さっきも言ったが、俺は何の力もないただの人だ。現に、半年ほど前にはアンタにゃ助けて貰ってる。留守番の意味がないだろ?」
姫緒がフッと微笑む。
「形式上だけです。北條さん。言うなれば、依頼主を不安にさせないためのお座なり事ですよ。それでも不安極まり無く思っている被害者の心のケアとしては、是非必要な措置なのです。それでも、そうですね」
姫緒が顎に手をあて、考える仕草をしてみせる。
「確かに『あやかし』の出現はゼロとは言い切れません。ですからこれをお貸しします」
姫緒はそう言うと、ポロの小さな胸ポケットからペンダントらしき物を取り出し、テーブルの上にチャラリと垂らした。中央に姫緒のペンダントと北條の携帯が並ぶ。
「なんだ?属性石(キャラクタル)か?」
そう言って北條がペンダントを手にとって眺める。長めの鎖の先についたペンダントトップには、純金で編まれた繭型の駕籠がついており、その中に赤と蒼の、水晶のような透明感を持つゴツゴツした小さな石が収められていて、振ってみるとカラカラと移動した。
「喚ビの荒石と言います」
ペンダントトップ越しに北條を見つめながら、姫緒が言った。
「非常に強い霊力を帯びて共鳴しあう名も無き石を、全く加工せずに、純度の高い金の駕籠の中に閉じこめてあるとても珍しい物です」
北條にしてみれば鬼追師の持ち物など、どれも『非常』に珍しい物ばかりである。その姫緒をして、珍しいと言わしめるこの『喚ビの荒石』とは如何なる物なのか?少しばかり興味をもった彼は、黙って話の続きを待った。
「石の共鳴が空間をねじ曲げ、駕籠の中に極めて微細な空間の裂け目を形成しています。この裂け目が召還の印の役目を果たし。と、言ったところで何のことかさっぱりでしょう?」
姫緒がにこにこしながら小首を傾げて尋ねた。
「う、あ、ああ……」
姫緒の突然の無防備な笑みに、北條はどぎまぎしながら曖昧な返事を返す。
「簡単に言うと、強く念じることによって式神を召還できます。つまり、風小の召還アイテムです」
「風小を召還?」
「はい。元来、遠くにいる式神を少ない気のチカラで召還するアイテムなのですが、北條さんには生憎、式神がいらっしゃいません。この荒石に、私が風小の印を結んでおきます、後は北條さんが強く念じれば、時空を越えて風小を召還する事が出来ます」
話を聞いて北條は、自分の時の、あやかし退治の事を思い返していた。
紅い扇となって縦横無尽に飛び回り、あちこちの空間から突如出現する『風小』。
(人間じゃねぇんだよなぁ……)
そんなことを考えて、ぼんやりしてしまう。
「北條さん?」
姫緒の声に、北條がハッとして我に返る。
「風小の実力は北條さんもご存じのとおりです。あやかしを倒すことは不可能でも、アナタを保護、逃避させることはお約束しましょう。もちろん、召還した風小は北條さんの思いのまま。手となり足となり、きっと満足していただける仕事をこなすこと請け合いです」
「オモイノママ……」
何故か、その言葉の反芻に心地よい北條だった。
「いかがでしょう。北條さん。たった一晩、今晩から明日の朝までの十数時間を留守番してくだされば良いのです。もちろんそれなりの報酬はさせていただきます。それに加えて」
姫緒がすっと身を乗り出す。つられて北條もテーブルの方へ身をかがめた。
「もしも万が一、あやかしが出現した場合、迷惑料として、北條さんに残っている借金を、全て帳消しにさせていただきます」
クラリ……。と心が揺れる。
安っぽい人道主義、オモイノママな風小、借金。
「もし、俺が断わったら……」
「可能性です。北條さん。この話がそのまま、他の可能性のある方に回るだけです」
『可能性のある方とは、つまり、『あやかし事に関わった事のある人物』。
姫緒の言葉で、北條の脳裏には、でっぷりと脂ぎった河童ハゲの熟年男性がボンテージ姿の風小を鞭と蝋燭で責め立てる情景が浮かぶ。
「アァ……。(ビシィ!)いたい!アつイィ……。堪忍してくださませデスよ……。かんにんして……、もう……、やめ……て……、(ビシィ!)ヒぎぃ……!」
鞭で裂かれ、血が滲む身体を白い蝋燭まみれにしながら、ひぃひぃと息絶え絶えに身悶える、哀れな風小の痴態の妄想が、かき消すほどに広がっていく。
「わかった、わかったから」
何が判ったのか自分でも納得できないまま、北條は声に出して答えていた。
「引き受けていただける?」
確認するように姫緒が言うと、北條が少し考えたような仕草をする。
「だがよ。その。ペンダントを依頼主に渡せば済む事じゃねぇのか?」
「それは出来ません。鬼追師としてのプライドがあります」
姫緒は、すました顔でそう答えると、意味ありげに微笑んで、テーブルから立ち上がった。
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