第9話 ACT2 綾子 4

 じつは、気持ちは早い時期に決まっていたのかも知れない。

 だが、決め手に欠けていた。

 ぐずぐずと時間が過ぎて、決心するまでに数ヶ月を要した。

 しかし、ある日ついに、綾子は『ねじまき屋』の伝言板に『姉の話』として、失踪した姉の事と自分のこれまでの事を書き込みし、最後に「助けていただきたいのです」と書き加えた。


 それが三日前のこと。


 それから毎朝サイトに通い、自分の書き込みに管理人からの返信が着くのを待った。

 他の訪問者からの同情のようなレスが三つと、特に関係のない、似たようなあやかし噺のレスの書き込みがぶら下がったが、暫く管理人からは何の返信も無かった。

 興味を持ってもらえなかったのかもしれないと少し落ち込みもしたが、最早、待つことには馴れている。

 とことん待つことにしようと腹を決めた。

 それしかないと言う現実もあったのだが……。


 やがて『ねじまき屋』のホームページの伝言板でのやりとりがあり、ぜひとも鬼追師本人に直接会いたいと、ねじまき屋に無理を承知して貰い、今ここにたずねてくるまでの話を、綾子が語りきったとき、姫緒が言った。


「インターネットのホームページにアップされているここへの連絡先。電話番号には仕掛けがあって、『あやかし事』と呼ばれる厄介事に関わった人間だけが、正しい連絡先を確認することが出来るようになっています」


 そう言って、姫緒が悪戯っぽく微笑む。

 綾子はそれで初めて、『ねじまき屋』によって行わされていた手順の真意を知った。

 姫緒は、そんな綾子を察して頷き、話し始めた。


「つまり、綾子さん。その点であなたは。たぶん、あなたのお姉さんも。あなたが危惧するとおり、この世の常ではない事件に巻き込まれている可能性が大きいでしょう。それにしても、なぜ」


 姫緒の問いかけに、綾子は小さく首を傾げた。


「なにか?」


「いえ。先ほども言ったように、ここの連絡先を確認できた事からも、あなたが超常のなにかに巻き込まれていることは、疑いのない事実なのですが。どの時点で、普通でないとお感じになったのでしょうか。今までのお話をお伺いした限り、超常のチカラが関わっているような事件とは感じられませんが? むしろ、まったく普通の失踪事件と感じるのが妥当のような気がします」


 姫緒はそう言って綾子を直視し直し、尋ねた。


「まだ、何かあるということですよね」


 姫緒の言葉に、綾子は小さく頷く。

 綾子が、今度はテーブルの上のノート、那由子の『日記』を手に取ると、ぱらぱらとめくって目的のページを開き、姫緒に差し出した。


「姉は四年前、北海道へ一週間ほどのソロツーリングに出かけました。この日記は、その間に通ったルートを記録したり、お小遣い帳として使ったりしたものらしく、箇条書き程度ですが、その日の出来事のようなものも書いたりしています。読んでみて下さい。8月26日からです」


 姫緒はノートを受け取り、視線を落とす。

 日記はしっかりとした大きめの字で、丁寧に綴られていた。



8月26日


湧別~富良野


朝食 ソーセージ


昼食 コロッケ オニギリ


夕食 ライダーハウスにてジンギスカン


ガソリン 995円(7.8リットル)


計4,715円



シンジラレナイ・・・。


あいつが来た。


あの歌だ!間違いない。


あの曲を聴いたせいだ!


忘れかけていたのに。


もう最悪だ!




8月27日


富良野~小樽


朝食 パン


昼食 ホットドック


夕食 居酒屋代4,000円


宿代(素泊まり)2,500円


銭湯 320円


ガソリン代1,345円(11.3リットル)


カナディアンワールド入園料2,000円


計11,726円



どういうつもりだろう。


判るわけないか。


何しろ、相手は人間じゃない・・・。



「人間じゃない」


 姫緒がつぶやき、日記から顔をあげて綾子を見た。

 綾子は一つ頷いただけで特に何も言わず、暗に、先を読むように勧めていたようだった。

 姫緒は、再び日記に目を落とす。



8月28日


小樽~室蘭


朝食 朝市の定食


昼食 イカすみラーメン


夕食 フェリー乗り場で焼き鳥。


ガソリン代1,451円(12.3リットル)


フェリー代 (ミーティングルーム)16,050円


計18,701円



とりあえず、帰ろう。


後はそれからだ。



 日記はそれで終わっていた。

 姫緒は、綾子にたずねた。


「人間でないモノと遭ったと書かれていますね」


「はい」


「それと『あの歌』。ここで書かれている『歌』について何か心当たりは?」


 姫緒の質問に、綾子は困惑気味な顔をして口を開いた。


「好きな歌手とかそういったことでしょうか?」


「いいえ。たぶん、その逆ですね。文の流れからいって、聞きたがらなかった。というより忌み嫌っていたくらいの」


 綾子が首を振る。


「いいえ。特に思い当たるものは」


 綾子は困惑の表情のまま続けた。


「初めは、ねじまき屋さんのホームページで『あやかし』の話を聞くまでは、『人間でない』という表現が、何かの比喩だと思っていました。でも、たくさんの不思議話を読むうちに……」


 綾子はそう言って、失踪当日の情景を思い出していた。

 マンションの駐車場に止めてある、那由子のオートバイ。


「ひょっとしたら……、言葉そのものの意味で、使っているのでは……、ない、かと……」


 汚れが目立ち、くたびれた、荷物が積みっぱなしになっている緑色のオフロードバイク。

 たった今、帰って来てここに止め、何か用を済ますためにバイクから離れた。

 (いったい何をしに?)

 ずきんっ、と頭に痛みが走る。


「どうかしたのデスか?」


 風小が、綾子の顔を覗き込んで気づかう。


「いいえ……。スミマセン。すぐに直りますから」


 言葉とは裏腹に、痛みは何かを拒否するかのように、鉛の重さに変わっていく。

 姫緒はそんな綾子の姿を見て身体が弱いというのは本当らしいと、妙な納得をし、風小に何やら目配せする。

 風小は小さくお辞儀をすると、そのまま部屋の奥へと下った。

 姫緒は、気分の悪さからなかなか抜け出せず苦戦している綾子の様子を見て、頃合いを見計らう事にした。

 間もなく風小が、氷水の入った水差しと、空のグラスをお盆に乗せて現われる。


「質の悪いサイトや本などに感化されて、疑心暗鬼になり、自意識過剰な思いこみで相談される方々が多くて、そういった意味もあって、直接お会いすることはご遠慮させていただいているのですが。今回は、どうやらそういったものでは無いようです」


 言いながら姫緒は、お盆から水差しとグラスを降ろし、風小に水を注がせると、綾子に勧めた。


「あ、ありがとうございます」


 綾子はグラスを受け取り、精一杯の笑みを返すと、ゆっくりと数回に分けて飲み干した。

 その姿は何ともいじましかったが、悲壮さは感じられない。

 無邪気さすら感じられるそのしぐさが、むしろかわいい。

 それは多分、彼女の内面、無垢に近い性格の為だと姫緒は思い、非常に好感を持った。

 ふと、風小を見ると、彼女も同じように感じているようすで、すまし気味の営業用の顔から、機嫌の良い笑みがこぼれそうになっているのを必至に堪えているのが判った。


 綾子の子供っぽい微笑みは、同性異性問わず、どんな人にでも好かれる、有る意味天性の……、非常に女性らしい武器かもしれない。


「気になる点があります」


 姫緒が言うと、ひと息つこうとしていた綾子は、驚いたように目を剥いた。

 綾子の反応を伺う様子もなく、考え深げに姫緒が続ける。


「この日記が、あまりに淡々としているのです」


「どういうことでしょうか?」


 綾子がたずねる。

 姫緒は、日記を前にし、上目づかいで綾子に視線を合わせた。


「淡々としすぎていると言った方が、良いかも知れません」


 そして確かめるように、ぺらぺらと日記のページをめくる。


「『人間でないモノ』これが文面のとおり、超常のもの。私達はそれを『あやかし事』と呼んでいますが。それであったとして、あまりに旅行中の行動が落ち着いているのです。那由子さんは、一人で北海道へ旅行に行ったとおっしゃってましたね」


「はい」


 綾子の返事を聞き、姫緒は椅子の肘掛けに頬杖をついて、日記を眺めるようにして語り出す。


「『ニンゲンデナイモノ』に遭った人間が、次の日にはカナディアンワールドへ?これは『入園料』と書かれていることからたぶん、テーマパークのようなものでしょう。朝市へ朝食を食べに出かけ、わざわざ名物のようなラーメンを食べてみたりとか。自分以外の人間と旅に出て、つき合わされたとかいうのならばいざ知らず、あまりにマイペースすぎるのです」


「そうデスねぇ、あやかしに遭った人間の反応にはほど遠いデスねぇ」


 風小が訝しげに口をはさむ。

 そのとおりなのだと言うように、姫緒が綾子に頷いてみせる。


「それは。どういう、事になるのでしょう?たしか先ほどは、『超常のなにかに巻き込まれていることは、疑いがない』と」


 話の展開に、綾子が焦っているのがわかる。


「そう。那由子さんの取った行動が。もしこれが『あやかし事』に見舞われている間だったと言うのなら」


「考えられることは一つデスよ」


 風小が言葉を重ねる。

 姫緒は綾子から目を離すことなく続けた。


「那由子さんには、この『ニンゲンデナイモノ』が怖くなかったということです」


「えっ?」


 一つの回答。新たな疑問。


「何故?」


 綾子が素直にたずね返す。


「それが」


 そう言って、姫緒は椅子に深くかけ直した。


「今回の事件の答えかもしれませんね」



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