3. 食料庫
ミスタズは目覚ましもなく、きっかり普段通りの時間に目を覚ました。
ぱっちりと開いた瞳は華やかな花びらを閉じ込めたような桃色で、そこにはクリーム色の天井が映っていた。
「おい、ミスタズ、起きたのか。プフランゼガーデンに行くんじゃなかったのか」
花びらと天井の間に、突然割り込んだのは静観な顔立ちをした人型の人形だった。
彼の言葉にミスタズは枕に頭を沈めたまま頷く。きっかり同じ時間に目を覚ましても、ミスタズはきっちりと動く様子はない。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
彼はミスタズのベッドサイドに膝をついた。枕元にある枯れ木のようなリングスタンドからひとつ、灰色の石がひとつついた指輪を手に取る。
「ミスタズ、仕事だ」
彼は布団からはみ出ていたミスタズの柔らかく細い指をなぞると、ミスタズは目を閉じる。そんなミスタズの右手の中指に、彼は指輪をはめた。
ミスタズはコートハンガーにかかっていたフードポンチョを羽織った。
口には大きな棒付きキャンディを咥え、少し酸っぱいそれを口内でゴロゴロと転がす。
「さあ、テウフェル、行こう」
大きなソファの近くで伏せていた犬の人形が尻尾を振って立ち上がった。
ミスタズは扉を開ける前に、しゃがみ込む。夕焼けのように鮮やかな紫の瞳には、ごきげんな様子のテウフェルが映っていた。テウフェルがそんなミスタズの陶器のような頬を舐めると、ミスタズは茶色の髪まで舐められないよう片目を閉じたまま髪を耳にかける。
テウフェルが鼻先をミスタズの頬に押し付けながら、ワフ、と控えめに鳴いた。
それを合図に立ち上がったミスタズは棒付きキャンディを一旦口内から取り出し、それを斜めに傾けた。首もそれに合わせて傾ける。
「プフランゼガーデン、ね。面倒がないといいんだけれど」
テウフェルがワフ、と軽く鳴いた。
それを聞いて振り返ったのは人型のような体に、立派なウサギの頭が乗っかっている人形だった。彼の熟した甘いトマトのように真っ赤な瞳にはテウフェルとその隣にたつミスタズが映っている。
「こんにちは。ボクはミスタズ。貴方もプフランゼガーデンに用事かな」
ミスタズたちが立っているのは、昨日訪れたものの閉館していたプフランゼガーデンだった。
「こんにちは。僕は甘くて苦イ、おレンジのオ花が欲しイんだ。アア、そウだ、ここに新しく店を開くから、是非来てオくれ」
鼻をひくひくと動かしながらしゃべった彼はポケットからミスタズの手のひらに収まる程度の紙を取り出した。
受け取ったミスタズがそこに書かれた地図を見、裏返す。そこには“うさぎ食堂”という店名らしき文字と、彼の名前が書かれていた。
「トヴィラさんはよくこの辺りには来るのかな」
「そウだよ。太陽がアと二つ昇った時に店をおープンするのさ。今は準備で大忙しなのに、オレンジのオ花が足りなくて困っているんだよ」
トヴィラは眉間――なのか額なのかは難しいところ――に手を当てて、少し大げさにも見えるため息をつく。
「それは大変だね。――それより、この辺りによく来るなら、小さなぬいぐるみを見たことはない?」
「小さなぬイぐるみ? ええと、それはどんな子?」
「とてもすばしっこくて、姿をちゃんと見た人はいないんだ。大きさはこのくらいで、元気が有り余ってるいたずらっこ」
ミスタズが両手で抱きかかえられそうなサイズを手で表すと、トヴィラは少し考えるように首を傾げた。絶えず鼻をひくひくと動かしている。
「君はその子のオ友達?」
「ううん。僕は町外れの探偵さ。そのぬいぐるみに困っている人たちからなんとかして欲しいって依頼が来たんだ」
「なんとかって?」
「うーん、まだ分からない。まず、実際に会ってどんなぬいぐるみかを知りたいんだ。何かが何かを壊すなんて、悲しいことだからね」
ミスタズが肩をすくめると、トヴィラは少しの間黙った。そして、彼のほっそりとした骨ばった指が目の前のプフランゼガーデンを指した。
「僕は知らなイけれど、知ってイるかもしれなイ子を知ってるよ。たぶん、先にここに入ってるはずだから、一緒にオイでよ」
トヴィラの提案にミスタズは僅かに顔を歪めたが、テウフェルは後押しするように一声鳴いてミスタズの腰をぐいぐいと鼻先で押した。
「ここは面倒だから苦手なんだ」
ミスタズは幾分かげっそりした様子で、幾重にも並んだ扉の最後の一枚をくぐり抜けた。
ミスタズが着ていた服は透明のゼリーのように柔らかいものですっぽりと覆われている。テウフェルは全身すっぽりと覆われ、尻尾はだらんと下がりきっていた。
プフランゼガーデンではこの辺りで必要になる食料全てを育てている。もし外から何か病気を持ち込んで植物たちが枯れてしまうことがあれば、それはこの辺りの食料が尽きることと同義だ。
ミスタズたち人型だけに関わらず、獣型だとうと魚型だろうと人形は様々な花を原料にしたものを食べて生きている。柔らかい花、硬い花。小さな花に大きな花。苦い花に甘い花。様々な種類がプフランゼガーデンではいつでも咲き誇っている。
「アまり来たことがなイんだね」
トヴィラはほこりや細菌の持ち込みを遮断するゼリーの防護服の中で笑う。ミスタズは顔はゼリーの外に出ていたが、トヴィラは顔が短い毛に覆われているためテウフェルの状態とほぼ変わらない。
「うん。入る時にかかる手間が鬱陶しい」
朝一で来たプフランゼガーデンだったが、今は気の早いものならそろそろお昼の準備をし始めるくらいの時間になっていた。
「確かにこの時間は勿体無イ」
トヴィラがミスタズに同意して頷くと、のんびり歩き出す。
たくさんの植物を割るようにして描かれている道を歩くと、作業員がミスタズたちと同じようなゼリーに包まれた状態で働いている。大きなカートに種類ごとに花が摘まれていた。
「知っているかもしれないものはキミの友達?」
複雑に入り組む道もトヴィラは地図を確認することなく歩いて行く。
「おーナーみたイなものかな。彼女が場所をかしてくれて、僕がそこで店を開くんだ」
「なるほど。その彼女はぬいぐるみの被害に合ったことが?」
「僕は知らなイけれど、たぶん合ってなイよ。ただ、彼女はとても情報通だから知ってるかもしれなイと思ってね」
店の場所も教えてもらっているのだしトヴィラがいう彼女とやらには後で会いに行けばよかった、とミスタズが少し後悔しているうちにトヴィラが前を指差した。
「ほら、アそこにイるのがラディーオ。彼女が情報通のおーナーだよ」
トヴィラが「ラディ」と彼女の愛称を呼んで手を振ると、背中を向けていた彼女がパッと振り返った。ラディーオの夜のように深い藍色の髪が揺れ、太陽のように輝く橙色の瞳がトヴィラを映して微笑む。
「遅いと思ったら……。そちらはトヴィラのお友達かしら」
「ちょウど門の前で会ったんだよ。オ友達じゃないけれど君に会わせたくって」
ラディーオは甘い花の蜜のようにとろける声をミスタズとテウフェルに向けた。
ミスタズが会釈すると、テウフェルも真似するように頭を下げる。
「わたしはミスタズ。町外れの探偵さ。こっちはテウフェル」
「あのクリーム色のお家にはどなたがいるのかと思っていたら、あなたみたいな素敵な方だったなんて」
「知ってるんだね」
「ええ。可愛らしい色のお家だから気になっていたの。よろしくね、ミスタズくんとテウフェルくん。私はラディーオ、ラディでいいわ」
「ラディ、こちらこそよろしく。何か困ったことがあれば、いつでも事務所へどうぞ」
テウフェルもミスタズに同意するように軽く鳴く。
「そんな素敵な探偵さんがこんなところでどうしたのかしら」
ラディーオの橙色の瞳が好奇心にキラリと輝いた。
トヴィラに情報通だと言われるのはこの好奇心があるからかもしれない、とミスタズは一人納得する。
「居住区で大騒ぎをしているぬいぐるみをアナタが知っているかもしれないってトヴィラさんが教えてくれたんだ。ぬいぐるみのことが知りたいんだけれど何か知ってるかな」
「君に何か情報が入ってなイ?」
ラディーオはゼリーの上からテウフェルを撫でてからミスタズを覗き込んだ。ミスタズの夕焼けの瞳に彼女が浮かぶ。
「私、ぬいぐるみだからってなんでもかんでも壊そうとするのは嫌なの」
「そう。君はそう思ってるんだね」
ミスタズが瞬きをすると、綺麗に孤を描いているまつ毛が揺れた。陶器のようになめらかな頬が上がり、笑みを浮かべる。
「おれもそう思うよ」
ミスタズの静かな笑みを信じて、ラディーオはひとつ頷いた。
「――ガーデンの裏手に回ってみて。そこが彼らの秘密基地」
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