4. 林の中
入るときには面倒な手順が盛りだくさんなプフランゼガーデンだが、出る時はあっという間だった。
ミスタズはゼリーの防護服から開放されてホッと息をつく。テウフェルは全身を包んでいたゼリーが毛にまだついている気がしてフルフルと体を振った。
プフランゼガーデンの中で出会ったラディーオの話によると、プフランゼガーデンの裏手に回ると誰も手入れをしていない鬱蒼とした林があるらしい。その林に沿って歩くと細い獣道があり、そこを進んでいくと小さな小屋があるそうだ。
ミスタズはプフランゼガーデンのガラスのように透明な門を背に、太陽を見上げた。
太陽の輝きは真昼のもので、夕暮れまでには十分時間がある。太陽は丸いボールを半分に切ったような形で、いつもの同じ場所に浮かんでいた。
「さあ、テウフェル、行こう」
ミスタズがそう言って歩き出すと、テウフェルはワフと空気が抜けるように鳴く。
プフランゼガーデンは広大な土地を有している。この辺り一帯の食糧事情はプフランゼガーデンにかかっているのだから当然ではあるが、外周を通って裏へ回るのは結構な距離があった。
ミスタズが咥えていたキャンディの棒を口から引っ張りだした。まん丸のキャンディはとっくに無くなっている。
「……半分は、歩いたと思う?」
裏側まで歩くのが面倒になってきたミスタズがつぶやいて、隣を歩くテウフェルを見下ろしたがテウフェルはスッと顔を反らす。その相棒の反応にミスタズは肩をストンと落とした。
ミスタズは小さく息をついてから、斜めがけのポシェットを前へ持ってきた。柔らかい指がポシェットの中を漁る。
「この体だと歩幅が小さいのが難点だ」
ポシェットの中からミスタズが取り出したのは小さな半透明のケースだった。その中にはいくつかの指輪が転がっている。
テウフェルがたしなめるようにワフと軽く吠えてミスタズの腰辺りを鼻先で押した。しかし、ミスタズはそれに肩をすくめただけでケースの蓋を開ける。
指輪はどれも小さな石がはまっており、現在ミスタズの右中指につけられている灰色の石がついたリングと形は全て一緒だ。違うのははまっている石の色だけ。
ミスタズは少し悩んだあと濁った湖のような深い緑の石がついた指輪をつまみ上げる。
「帰るときには元に戻すさ」
責めるようなテウフェルの視線に言い訳をして、ミスタズは右中指にある灰色の石がついた指輪を抜いた。その入れ替わりに深緑の石がついた指輪をすかさず差し込んだ。
テウフェルがフンと鼻を鳴らしているうちに、ミスタズの姿はすっかり変わっていた。
性別を感じさせない幼い体躯だったミスタズは、テウフェルがぐっと顔をあげなければ目を合わせられないほど背の高い青年型になっている。
湖のような深い緑の髪は短く、その下にある瞳は新緑の柔らかい緑色をしていた。先ほどまで着ていた糊のきいたシャツもギンガムチェックの短パンも、現在の姿に合わせて薄い長袖のシャツと細身の長ズボンに変化している。
灰色の指輪をケースに片付けたミスタズは肩にかかっていたサイズの合わないポンチョを脱ぎ、肩にかかっていたポシェットの肩紐を伸ばした。ポシェットの中から煙草ケースを取り出し、火をつけずに一本咥える。
煙草ケースとたたんだポンチョをポシェットに押し込んだミスタズは、スラリと長い足で同じ道を歩き始める。テウフェルがその後ろに付いていく。
「うん、この方が断然速い。そう思うだろう、テウフェル」
ミスタズが姿を変えたことにテウフェルは不満があるのか、スンと鼻を鳴らしてミスタズの前へ出た。
ミスタズがいくつも所有している指輪はロレ――役目――が与えられているフレンだ。指輪ひとつひとつに、付けるものを見合った姿に変化させるというロレが与えられていて、ミスタズは指輪を付け替えるだけで指輪に合わせた姿になることが出来る。
灰色の石がついたリングは、幼く性別不詳の探偵ミスタズに。
深緑の石がついたリングは、背が高くスマートな青年ミスタズに。
長い足をテキパキと動かすミスタズは先程よりも遥かに早く、先程と同じ距離以上を歩ききった。
プフランゼガーデンの真裏まで到達したミスタズは鬱蒼と広がる木々が立ち並ぶ林を見上げる。木々たちは背の高いミスタズの頭よりも上で青々とした葉を揺らしていた。さわさわと風に合わせて枝葉が囁いている。
ミスタズはしばらく林に沿って歩き、一本の獣道を見つけた。人ひとりがようやく通れそうな隙間で、ミスタズは迷いもせずそちらに踏み入っていく。細く背の高い葉が彼を阻むように垂れているが、ミスタズはそれを優しく左右に払いながら前へ前へと分け入った。
ミスタズの木々に紛れ込むような深い緑の髪が汗ばんできた頃、ふと前を進んでいたテウフェルがワフ、と軽く吠えた。
ミスタズがその先に目を向けると、小さな小屋がひっそりと建っていた。小さな子供部屋ひとつにそのまま屋根をつけたようなそこには小さな扉と小さな窓がついている。
「ラディが言っていたのはここかな」
小屋の屋根は低く、ミスタズの頭と屋根の縁が並んでいた。
ミスタズは腰をかがめ、胸の高さほどしかない扉を骨ばった手でリズム良く数度叩く。
「こんにちは。私はミスタズ。中には誰がいるのかな」
中からはゴソゴソと音がしているが、ミスタズに応える声はないし扉も固く閉まったままだ。テウフェルがぐいと首を伸ばして窓を覗き込もうとすると、中のカーテンがシャッと閉められてしまった。
ミスタズとテウフェルが顔を見合わせる。
「困ったな。少しお話がしたいんだ」
扉の前に完全にしゃがみこんだミスタズが再度声をかける。
テウフェルが窓を諦めてミスタズの横に伏せた。スンスンと鼻を動かしているが、それだけでテウフェルは特に何をするわけでもない。
「町で有名な人型のぬいぐるみを探しているんだ。一度おしゃべりをしてみたいんだよ。――そして、いろんな人形から話を聞いてここに辿り着いたってわけさ。俺はおしゃべりがしたいだけで、そこにいる誰かさんを傷つけるために来たんじゃない」
ミスタズの少し低く響く声が扉の内側に染みこむ。しかし、やはり反応はない。
困ったようにミスタズが咥えた煙草を人差し指と中指で挟んで口から出す。火をつけていないそれを揺らしながらもう一度扉へ口を開いた。
「いつかぬいぐるみの話を聞かせてくれるなら――」
町外れのミスタズ探偵事務所へ、と言おうとしてミスタズは自身が探偵の格好をしていないことに気付いた。
煙草ではなく、キャンディを咥えた陶器のようになめらかな幼い姿が探偵の役目だ。現在の姿は探偵用でない。
ミスタズの凡ミスにテウフェルが、ほら見たことかと鼻を鳴らす。
「……気づいていたなら声を掛ける前に教えて欲しかったな」と小さく小さく呟いたミスタズは眉間にシワを寄せ、湿気った煙草をポケットに押しこんで立ち上がった。痺れかかった血液のない人形の足には、何が滞っているのか。ミスタズ自身も分からない。
「また出会った時によろしく」
仕方なしにそう声をかけたミスタズが扉から背を向けると、ギィと背中の扉が開いた。テウフェルと同時に振り返る。
そこから顔を出したのは、ミスタズの探偵として使う姿よりもさらに幼く小さな人型の人形だった。
「……ほんとうに、なにもしない? わたしのこどもと、おしゃべりするだけ?」
拙い口調の人形に、ミスタズはにっこりと微笑んだ。
「約束するよ。ぼくは君やあなたの子供とおしゃべりがしたいだけさ」
それに同意するように、テウフェルがワフと軽やかに鳴いた。
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