2. 聞き込み

 テウフェルが、ワフ、と軽く吠えた。

 その声に引っ張られるように少女とリスが振り返った。テウフェルの隣にはミスタズが立っている。

「こんにちは。ぼくはミスタズ。この辺りで話題になっているぬいぐるみを知らない?」

 少女の肩に乗ったリスは、かじっていた硬い花びらから口を離した。両手でそれをしっかりと握りしめながら小首を傾げる。

「あの迷惑極まりないぬいぐるみの話かい」

 リスの言葉にミスタズが頷く。

「アナタは随分怒っているみたいだね」

「そりゃそうさ! 僕は貯めていた花の実をぶちまけられてカンカンさ。ニニシアだって花壇のお花を潰されてわんわん泣いてたんだ。僕は許せない!」

 小さな足で地団駄を踏んだリスは、苛立ちを抑えるように花の実をカリカリと再びかじり始めた。

 そのリスの小さな憤慨に苦笑した少女はミスタズに軽く頭を下げ、テウフェルの前にしゃがみ込む。彼女はテウフェルの長い毛をワシャワシャとかき混ぜると、テウフェルは嬉しそうに鼻をフンフンと鳴らした。

「私はニニシア。君は?」

「こいつはテウフェル。君のお友達みたいにしゃべることは出来ない人形だよ」

 意思のある人形には、コミュニケーションを取る際の鳴き声がある。人型がしゃべる人語が一番ポピュラーな鳴き声だが、テウフェルのように犬語など動物型特有の鳴き声を発するものも多い。

「そう……。君はしゃべれないのね。ススリはおしゃべりが上手なのよ」

 ミスタズの言葉に対し、ニニシアは何故かテウフェルを向いてしゃべっている。そのテウフェルは鼻先を彼女の頬に押し付けてしっぽを振りまくっていた。

 花の実を半分ほどかじって中身を取り出したリスのススリは殻を捨て、ミスタズを見上げた。

「悪いね。ニニシアはあまり人型と話すのが得意じゃないのさ。話ならおしゃべりな僕がしてあげるよ。――そうそう、いきなりぬいぐるみのことを聞いてきてさ、一体全体キミはなんなんだい」

「僕はミスタズ。町外れの探偵さ。ぬいぐるみをどうにかして欲しいって依頼を受けているんだけれど、そのぬいぐるみを知らないんだ。まずは詳しい話を調べたくってね」

「そうなのか。早く解決しちゃって欲しいものだね! ぬいぐるみってのは、そうだな、大きさはそっちのテウフェルの一回り小さいくらいの人型さ。ああ、だけど動きは人型なんてもんじゃないよ!」

 ススリは鼻をヒクヒクと動かした。人型であればしかめっ面にでもなっていそうな雰囲気にミスタズは微笑する。

「うーん、何か所有者のことや、ぬいぐるみが逃げる方向なんかは分からない?」

 ススリは大きな黒目を考えるように動かし、花の実を小さな口内に押し込んだ。片頬がぷっくりと膨れる。

「ガーデンの方向に毎回逃げていくよ。僕がみた限りだけれどさ」

「プフランゼガーデン?」

「そうさ。所有者は分からないんだけれど、そっちの方向へ走っていくのは何度か見たさ。な、ニニシア」

「うん。ススリが追いかけても追いつけなかったものね」

 ニニシアに確認をとったススリはミスタズを見上げた。

「僕らの話はこんなものさ。早く解決してくれると嬉しいな、探偵さん」

 ミスタズは人形ふたつにしっかりと礼をいい、ニニシアを気に入ったらしいテウフェルを無理やり引き剥がした。



 ワフ、と軽いテウフェルの鳴き声に、川岸にしゃがみこんでいた人型の人形の耳がピクリと後ろを向いた。尖った耳に引っ張られるように、顔も振り返る。

「あら、誰かと思ったら探偵くん。お散歩かしら」

「ううん、事件だよ。あなたは何をしているのかな」

 猫耳をピクピクと動かした彼女は、ふわふわに広がったスカートを叩きながら立ち上がった。

「事件。面白そうね」と彼女は笑い、猫のように軽やかにミスタズがいる土手まで走ってくる。走る度にスカートの下から覗く、耳と同じ灰色のしっぽが揺れていた。

「どんな事件? お手伝いすることはあるかしら」

「この先にある居住区でいたずらがすぎる人型のぬいぐるみがひとつ。かなり小さい上に最近まで見なかったらしいから、生まれたてかもしれない。すばしっこくて獣型でも捕まえられないみたいだね。見たことはある?」

「見たことはないけれど、聞いたことなら」

 彼女は大きな瞳をパチパチと瞬かせ、小さなミスタズを覗きこむ。

「どれだけ走り回っても、どれだけ誰かにぶつかっても、何も言わないそうよ。何か欠けているなら『言えない』のかもしれないけれど」

 ミスタズは大きな棒付きキャンディをころころと口の中で転がしながら、小首を傾げた。猫耳人形の黄色の瞳に自分が映っているのがよく見える。

「なるほど。それだとベフォルゲンに話を聞いたほうが早いかもしれないね。ありがとう」

「そうね、こういう時はブレチェンよりはベフォルゲンが原因のことが多いから」

 猫耳人形のくすくす笑いに対してミスタズは目を細め、見た目に合わない大人びた笑みを返した。



「ぬいぐるみ? そんなもの作っちゃいねえよ」

 ミスタズの前にいるのは“ベフォルゲン”、またの名を“悪魔”とする存在だった。人形でもモノでもなく――そもそも実体すらなく、今も半透明の状態でぷかぷかと浮いている。

「お前がぬいぐるみ以外を作れるとは知らなかったね」

「ご丁寧なガキだね。人形だってフレンだって俺の手にかかれば朝飯前さ」

 ミスタズたちのようにロレを与えられる側があれば、もちろんロレを与える側がある。

 そちら側なのが、ベフォルゲンとその対になる“ブレチェン”――もちろん別名は“天使”――のふたつの存在だ。

 役目を持っている人形やフレンが世界に溢れているのは、ブレチェンとベフォルゲンがせっせとロレをモノに与えているからだ。そうやって同じことをしているふたつの存在だが、出来ることは少し違う。

「だけど、あんたはぬいぐるみだって作れるでしょ」

「そりゃあレゲルに縛られたお利口な天使ちゃんとは違うからな」

 ふんと鼻を鳴らしたベフォルゲンは枯れ枝のような指をミスタズの前につきだした。

「そうだね、ブレチェンはぬいぐるみを作れない。君の言葉を借りると、レゲルに縛られているからね」

 ゴリ、とミスタズが小さくなった棒付きキャンディを噛み砕いた。

「ぬいぐるみひとつ。作ったのがアンタじゃないなら、誰だろうね」

「知らねえよ。俺は作っちゃいねえんだからな」

 ミスタズは目の前でぐるぐると回される枯れ枝を無視して、ベフォルゲンの歪な瞳をまっすぐに見返す。

「うん、分かったよ。じゃあ、そのぬいぐるみが壊されたってキミはどうだって構わないよね。すばしっこくて誰にも捕まえられない、とても良く出来たぬいぐるみなのに」

 ミスタズが「さあ、テウフェル、行こうか」と腰近くにあるテウフェルの頭をなでた。

 テウフェルはフンフンと鼻を鳴らして、ごきげんにしっぽを振っている。早く次へ行こうと誘っているようかのテウフェルの首元を搔いてやりながら、ミスタズが黙りこくったベフォルゲンに幼く柔らかい指をひらひらと振った。

「それじゃあね」

 茂みの扉をミスタズがまたいだ。

「――ぬいぐるみ、作ったやつを知ってるぜ」

 茂みをまたいだままミスタズが顔だけを振り返る。

「それって誰だか教えてくれるってこと?」

「言えば壊さねえか?」

「所有者を探しだして強引に破壊させることはやめるかもね」

 ベフォルゲンが歪な瞳をさらに歪めて、枯れ枝のような指を自身に向けた。

「――俺だよ、作ったのは俺。言ったんだから壊すんじゃねえ。あれはいい出来だ」

「ふうん。あれは何が欠けているのかな」

 ミスタズはベフォルゲンが言った後半を聞かなかったことにして、足を元の位置に戻した。一足先に茂みを飛び越えていたテウフェルも不服そうにひと鳴きしてから戻ってくる。

「……何って、あれはふたつの愛が成熟してなかった結末で、レゲルもロレも俺は弄っちゃいねえよ」

 ベフォルゲンは呼吸のようにレゲルを破り、嘘をつく。

 そんな事実を思い浮かべながら、ミスタズは先の言葉は嘘ではないと踏んでいた。ブレチェンもベフォルゲンもその手で作ったものを壊されることを嫌うのは共通だ。

「そう。随分無理してでも子供が欲しかったんだね。ぬいぐるみなんて高価だろうにさ」

「ふん、こちとらちゃんと正当なウェルトを頂いてんだよ」

 ミスタズがふっくらとした親指の腹を、唇に押し当てた。

「うーん、そのふたりからも話を聞きたいね。どこの誰かを教えてくれる?」

 ミスタズのように意思を持つ人形を作るには、ブレチェンやベフォルゲンがロレを与えるだけでは仕上がらない。意思を持たせるためには、ふたつ分の成熟した愛を一緒に与えなければならないのだ。

 愛が足りなければロレが定着せず、今回のように異常をきたしてぬいぐるみと呼ばれることになる。

「おいおい! 所有者に破壊許可なんて出させるつもりじゃあねえだろうな!」

 ぬいぐるみへの正式な対処法は、レゲルの再定義か破壊かのどちらかだ。今回はレゲルが欠けていないようなので、再定義をしても結果は変わらない。残された手段は壊して活動を停止させる方法だ。その破壊許可を出すのは、製作者か所有者のうちの誰かだ。

「俺だって壊したくない。可哀想だからね」とミスタズは肩をすくめ、しゃがみこんだ。テウフェルがべろべろとその顔を舐める。

「とりあえず話を聞くだけだよ。だから、教えてくれないかな」



『本日、閉館。御用の方はまた明日』

 ガラスのように透明で、鋼のように硬い大きな門にひっかかったプレートにはそんなことが書いてあった。

 ミスタズの渋い感情を表現するように、テウフェルがしっぽを下げて鼻を鳴らす。

「また明日」

 ミスタズは最後の文字を口に出して読み、門の上にある、ふわふわと浮かんでいる看板を見上げる。

 そこには“プフランゼガーデン”と大きく書かれていた。“食料庫”とも呼ばれるそこは、その名の通りありとあらゆる食料が生えている。町に並ぶ食料は全てここから出荷されており、ここ以外では食料は育たない。

「テウフェル、もう帰ろうか。ベフォルゲンも所有者を教えてくれなかったしね」

 ミスタズが背を向けた透明で硬い門に、夕日がキラキラと反射していた。

「――それじゃ、また明日」

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