4.「おしるこ」
次の金曜日、彼女は購買横の自動販売機の前にいた。笑顔で埋められた顔に、先週見た暗さや寂しさの類は一ミリも感じられなかった。
話しかけようとして、止まる。まるで大きな壁が僕の前に立ちはだかり、それ以上前に進ませようとしていないかのようだった。その壁は、彼女の教室の前にたたずむそれと同じものだった。
彼女の隣には、数人の女子生徒がいた。くだらない冗談を飛ばしながら、どれにするか相談している。あたしホットチョコレートかな。あんた相変わらず甘いの好きだねえ。そんな声が聞こえてくる。
「しょこらが毎週どこかに一人で行ってると思ったらジュース買いに行っていたわけね。早く言ってくれれば良かったのに」
「うーん、たまには一人の時間が欲しいのですよー。でもやっぱり、皆と一緒の方がいいねーっ」
しょこら。ニックネームだろうか。缶コーヒーを飲んでいた彼女には似ても似つかない名前だった。大きな笑い声がこちらまで響く。言葉は冗談と取られ、すぐに乾燥した冷たい空気の中に溶けていった。
すぐ隣にいた女子生徒の追及を軽々とかわして見せた彼女に、先週の面影はなかった。右手にはホットチョコレートの缶が握られていた。
彼女は自分の逃げ場を、自ら失くしたのだった。
不意に周りにいた友人の一人がこちらの存在に気づく。あいつ、さっきから見ているけど、何だろ。その言葉に彼女が振り向いた。真っ黒な瞳と長いまつげが友人には分からない程度の動揺を見せる。
彼女は一瞬だけ、あの寂しそうな笑顔を見せた。何かを諦めたような感情が辺りに滲み出ていた。すぐに友達の方へと向き直る。
髪の束がその反動で浮き上がり、また重力で背中へと落ちていく。そのスピードはやけにゆっくりで、僕との完全な終わりを示しているようにすら思えた。彼女の声が、遠くに聞こえる。
「ああ、あの人? 偶々この自動販売機の前で毎週遭遇してた……何だろ、他人以上、知り合い未満、かな」
女子生徒たちが去っていった後、僕は彼女がいた青い自動販売機の前に立った。購買は商品が売り切れたのか人の気配がなくなっていた。
握っていた右手のこぶしを開き、百円玉一枚と十円玉三枚を見つめる。それは自分の手汗で少し湿り、しかし驚くほどに冷たく思えた。
コイン投入口に一枚ずつ入れていくと、中で硬貨同士がぶつかる音がいつも以上に大きく聞こえた。彼女のコインを体内に入れてきたそいつは、僕の百三十円も何も知りませんと言った風に飲み込む。
僕に後十センチの勇気があったら。……あったら、どうしたんだ。彼女を助けられるようなカウンセラー的能力があるわけじゃない。ただそばにいてあげられるような存在でもない。一体何ができる?
僕はただ、他の組の教室というテレビのブラウン管から彼女を見ていただけだった。画面から出てきたってその存在は憧れでしかなく、手を出せない真黒な缶でしかなかった。
せめて、と彼女がいつも買っているブラックコーヒーのボタンに触れる。ひやりとした感触が伝わってくる。
その瞬間、小さく風が僕と自動販売機の間をすり抜けた。まるでブラックコーヒーの缶自体が、僕を否定しているようだった。おつり返却のレバーをおろし、そのまま返って来た百三十円を赤い自販機のコイン投入口に乱暴に突っ込む。いつも通り、おしるこの缶を買った。
プルタブを上げると、情けない音と共に彼女が顔をしかめた香りが鼻を刺激した。一気にどろどろとした液体を喉に流し込む。
結局、僕は甘党君で、甘々君のままだった。
小豆特有の甘ったるさだけが、僕をなぐさめた。
自動販売機 桜枝 巧 @ouetakumi
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