第2話 『トゥシューズ』

 私の名前は、松武こうめ。この新興住宅地に住む、専業主婦です。


 私が住むこの街には、様々な年代の方々が住んでいらっしゃいますが、その中でも比較的多くを占めるのが子育て世代の方々です。


 世間では少子化が問題になっているというのに、ここに限ってはまるで外国のお話かと思えるほど、就学年齢、更には就学前年齢の子供たちの多いこと。





 元々は荒野のような何もない場所だったこの地に、大規模な造成工事が始まり、新興住宅地としてどんどんとその規模を広げて行きました。


 国が推し進める経済対策の一環で、住宅の購入に関して、親からの贈与税免除額の拡大や所得税控除など、その他にも様々な特典が設けられており、マイホームを建てて転入していらっしゃるご家族には、若い新婚世帯や子育て世帯も少なくありません。





 平日の朝8時過ぎから午後3時過ぎまでの住宅街の中は、耳を澄ますと小鳥たちの囀りが聞こえ、郊外の森のような静けさに包まれています。それが、下校時刻の3時半を過ぎると一転し、公園で遊ぶ子供たちが発する声やら音やらが共鳴するように響き渡り、それまで街を覆っていた静寂をかき消します。


 実際に音量を計測したことはありませんが、そのギャップはかなりのもので、身体や心が弱っている人なら、ちょっとしたダメージを受けそうなレベルの時もあるくらいですから。


 もし、騒音に我慢の限界と思ったら、とにかく家中の窓という窓を閉めてしまうことです。最近の住宅は気密性が高く出来ていますので、開口部を閉めてしまえばそれほど気にならないくらいのレベルにはなますから、これまで特に文句を言った、言われたなどの騒音トラブルというものを耳にしたことはありません。





 新興住宅地に住む住民の基本的なスタンスの一つが『猫を追うより皿を引け』。あまりにも度が過ぎていて、被害者多数というような場合は別ですが、敢えて人間関係に波風立てるより、自分で対処出来る範囲であれば、さっさと対処してしまったほうが手っ取り早いというもの。


 一度関係が拗れてしまうと、なかなか修復するのは難儀です。万が一居辛くなるような状況になってしまっても、おいそれとは引っ越しに踏み切れないのがマイホームですから。


 よく『古き良き』と表現される下町の密な人間関係とはまた違う、濃厚で複雑な人間関係が、新興住宅地にもあるのです。





 子供の人口が多いことで、街には必然的に子供関連のサービスやビジネスが充実しています。造成が始まる以前は、地区内に一つずつだった幼稚園、小・中学校は、わずか数年の間にいくつも増設され、最近では少なくなったといわれる小児科や産婦人科が何軒も開業し、外科や歯科、眼科、耳鼻咽喉科なども小児部門を併設している医院が殆ど。


 また、当初は一つか二つくらいしかなかった学習塾も、今や大手から個人まで、数え切れないほど乱立し、どこの塾でも時間になると、子供を送迎する親の車で、辺りが渋滞するほどの混雑ぶりです。


 そして、学習塾以外の習い事の種類も多岐にわたり、特に人気のあるチームやお教室は、キャンセル待ちだったり、入学テストを設けていたりするところもあるそう。


 子供全体の数が多いといいましても、一世帯当たりの子供の数は1~2人が殆どで、必然的に子供に掛ける教育費、いわゆる『エンジェル係数』は高く、大抵のお宅では、お子さんに習い事をさせていらっしゃるのです。


 出来ればなるべく良い環境で習わせたい、という親心からでしょう、キャンセル待ちや試験もいとわないどころか、むしろステータスでもあるようです。





 習い事に付き物なのが、試合や発表会。普段の努力の集大成の場ですから、親も子も力が入るのは当然です。が…


 サッカーや野球など、通常の練習への付き添いやお世話、試合の応援から送り迎え、コーチへの付け届け…特に強豪チームになればなるほど、レギュラーに選ばれるのも大変ですが、選ばれてもまた大変。レギュラーとそれ以外とでは、親も子も比較にならないほど責任がぐんと重く圧し掛かります。


 ピアノやバイオリンなども、下手くそな間はまだ良いのですが、上達すればするほど、またまた大変。先生のランクを上げればそれなりにお月謝もアップしますし、楽器も上級者用のものにランクアップしたくなります。


 発表会になれば、お衣装代やら、お友達やお知り合いへのお声掛けやら、先生への御礼やら、その後の慰労会やら何やら、これまた大変。


 更に更に、バレエやダンスになると、どんな役を貰えるかによって、こちらはもっと大変。スポーツのレギュラー争いでも言えることですが、実力が拮抗する場合のポジション争いは、子供同士よりもむしろ親のほうがライバル心が強くなってしまうことも。


 それが原因で最悪の関係になってしまう、なんていうケースも珍しくはありませんので、『大変』を通り越して『危険』の領域に到達してしまいます。


 もし我が家にも子供がいたなら、そうしたトラブルに巻き込まれる可能性は否定できません。





 午後、静寂から喧騒の時間帯に入り、夕食の支度までの時間、ちょっと一息つこうと思っていると、インターホンが鳴り、モニターにはにこやかにほほ笑む萩澤さん母娘の姿がありました。



「先日は、杏の発表会に来て頂いて、ありがとうございました」


「おばちゃん、どうもありがとうございました」


「わざわざご丁寧に。杏ちゃん、とっても可愛くて、素敵だったわよ。本当に上手だったから、感動しちゃったわ」


「本当!? ありがとう!」



 そう言うと、杏ちゃんは嬉しそうに微笑みながら、ママにお友達のお家へ遊びに行くことを伝え、もう一度私に向かって小さくお辞儀をして、走り去って行きました。とても躾の行き届いた良い子だと、いつも感心します。


 先日、お向かいに住む萩澤さんの小学五年生の娘、杏ちゃんのピアノの発表会があったばかりでした。奥さんと私の年齢が近く、普段から親しくさせて頂いており、杏ちゃんも幼稚園の頃から懐いてくれていることもあって、お声を掛けて下さったので、発表会を拝見して参りました。



「発表会の時は、お花ありがとう。これ、気持ちだけだけど」


「わ~っ、これってあの有名パティシエのお店のじゃない! どうもありがとう! お茶入れるから、よかったら一緒に頂きましょうよ…って、頂き物なのに、ねぇ~」


「うん、頂く~って、こっちも上がり込むつもりだったし~」



 私がお茶を入れている間、萩澤さんはお菓子のセッティングをして下さり、夕食の準備までの時間を、お喋りしながら過ごしました。





 お菓子は、先日の発表会に持って行った花束の御礼です。招待された側のマナーとして、大抵何かお祝いのお品を持参するのが暗黙のルールになっており、会場の受付横に演奏者の名前が書かれたスペースが設けられていて、受付の方に演奏者の名前を告げると、そこに並べられます。


 当然、たくさん花束やプレゼントが並んだほうが良いわけですから、発表会を見にに伺う側もその辺りのことを認識しておく必要があるのです。杏ちゃんのブースにも、お身内やお友達からでしょうか、沢山のお花や贈り物が並べられていました。


 そして言うまでもなく、そのお返しもきちんとしなければなりません。今頂いた、手に入れるのが大変で有名な某パティシエのお菓子も、彼女のお気遣いなのです。



「ありがとうね。あんな立派なお花を頂いて。こんなお菓子くらいじゃ、釣り合いが取れないわよね」


「とんでもない! エビで鯛を釣ったかも、私」


「またまた~」


「杏ちゃんは小さい頃からずっと近くで見てきた子だから、私の中ではもう身内みたいな気持ちだし、発表会を見れて、私も嬉しかったし」


「そんな風に言ってもらえると、すごく嬉しい」


「それに、今回でピアノを辞めるかも知れないって言ってたでしょ?」


「うん。あの子、来年は中学受験だから、そっちの方に本腰を入れないと、失敗してからでは遅いもの」


「杏ちゃんは、そのこと納得してるの?」


「それも、これから」


「そっか。大変だよね、親も子も」


「まぁね~。親も子も、出来が良かったら苦労しなくて済むんだけどねぇ~」



 彼女が我が家へ来て、こんな風にお喋りをすることはあまり多くはありません。就学年齢のお子さんがいるご家庭のお母さんは何かと多忙ですから、こうしてわざわざ喋りに来るときは、大抵何らかのストレスが溜まっている場合が多いのです。


 あえて子供のいない私に打ち明けるのは、同じお子さんがいる方には話し辛いからなのでしょう。ママ友だと同じような悩みを共有出来ても、同時にライバルでもありますから。そんな時、基本私が聞き役に徹して、少しでも気持ちが軽くなればそれで良いと思っています。





 同様に、時々私も愚痴を聞いて貰うことがあります。その際、大切なポイントは3つ。話し手と聞き手が、1.お互いの立場や状況を理解していて、2.その内容に共感出来、3.当事者としての利害関係がないこと。


 私と萩澤さんの場合、年齢が近く、家族や親族などの構成が似ていて、好みや趣味などの共通点も多く、お付き合いも長いのでお互いのことをよく知る関係。


 そして、お互いに怒りや嫌悪を感じるポイントがとても近く、似たような経験が多々あるので、相手の愚痴や悩みに共感出来、経験がないことでも信頼関係があることから同調しやすいのです。


 また、専業主婦の私とお仕事をしている彼女とでは、普段接する時間が少なく、共通の友人や仕事上の人間関係での接点もほとんどなく、自宅の立地場所も境界線を接するお隣ではなく、道路を隔てたお向かいなので、あまり気を遣うこともなく、そういう部分でもほぼ利害関係がありません。





 お子さん絡みの悩みなど、子供のいない私に分かるのか、と思われるかもしれませんが、私も生まれた時から今の私だったわけではなく、当たり前ですが子供だった時期もあるのです。


 自身が子供の頃に体験し、感じたこと、大人になった今だから理解できること、自分自身が母親でも娘でもない第三者的な立場だからこそ、冷静に見られることもあると思います。





 私が子供の頃にも、子供に習い事をさせていたお宅は多かったです。珠算や書道などの実用的なものが人気でしたが、絵画やピアノ等の芸術系を習っている子も多くいました。


 ただ、大人が習わせたいものと、子供が習いたいものとではギャップがありまして、中でも女の子たちが憧れた習い事の一つが『バレエ』でした。当時の少女漫画には、プリマが主人公になっているものも多く、その影響も多々あったと思います。





 ストーリーの多くは『少女版スポ根系』とでもいいますか、明るくひた向きな主人公に対し、実力では拮抗する性格の悪いライバルが、バレエも恋も、裏から表から意地悪の限りを尽くし(トゥシューズに画びょうを入れる的な)でも最終的には主人公がプリマ(主役)の座も意中の恋人もゲットして、ライバルとも打ち解けあうといった感じのもの。


 誰もが主人公のような人間にあこがれつつ、ライバルのような人間にはなりたくないと思いながらも、自分の中のヒールの部分が、ライバルの心理にも共感するから葛藤するところでもあり。


 何より魅了されるのは、見た目の美しさ。舞台衣装の艶やかさは言うに及ばず、レッスンでのチュチュやレオタードですら可憐な感じで、何より憧れるのはトゥシューズ。見た目の素敵さだけでなく、あれを履いて踊れるようになるには、うんと上達した人だけという特別感が、より一層の魅力を感じさせるのでしょう。


 ただ、見た目の繊細さ、可憐さとは裏腹に、実際のレッスンは結構ハードなもので、何より柔軟な身体は必須なだけに、最初は痛い思いをすることもあるのですが、何だかんだ言いながらも、女の子たちの間ではバレエは人気でした。





 私の場合、近くに住んでいた従姉妹たち(正確には、親同士が従兄弟の『又従姉妹』に当たる関係です)が習っていたことや、祖母の強い希望によって、小学一年生からバレエを習い始めました。





 祖母は明治末期の生まれで、大正末期から昭和初期に掛けてハイカラな青春時代を過ごした『モガ(モダンガール)』といわれる世代。祖父も同世代(モボ=モダンボーイ)で、二人とも西洋的なものが大好きで、戦争が始まる前は、よく夫婦で観劇(バレエ含む)に行っていたそうです。


 ハイカラな祖母は、自分もバレエを踊れるようになりたいと考え、習おうと思ったそうですが、当時はまだ大人の女性に向けたお教室はなく、何より明治生まれの日本人女性ですからポテンシャル的にも無理があり、そこで娘が生まれたら、絶対にバレエを習わせようと決めていたそうなのです。


 残念ながら、祖父母には子供は父一人だけで女の子には恵まれず、一度は諦めた夢でしたが、初孫の私が待望の女の子だったので溺愛し、必然的な流れで、念願だったバレエを習うことになりました。


 勿論、レッスン代や送り迎え、その他のお世話に至るまで、全て祖母がしてくれたものでした。





 私が通っていたバレエ教室には、又従姉妹の紗久良ちゃんと澄美玲ちゃんがいて、二人は共に私より三学年上の従姉妹同士。親友であり、ライバルでもあり、いつも姉妹のように仲が良く、何より私にとっては憧れのお姉さまたち。


 まだ小学一年生だった私には何もかもが新鮮で、先生もお教室のみんなも、とても可憐で美しく見え、自分もそんな風になりたい、という気持ちで一杯になり、一気にバレエに魅了されました。





 そのように熱心な祖母に対して、母はといいますと、子ども達の習い事に関して全くの無関心と言っても過言ではなく、やらせたいのであれば、特に反対もしない代わりに、自分は一切お金も出さないし、お世話もしないというスタンス。


 まあ、そのおかげで、私は子供の頃にとても恵まれた環境で、スポンサーである祖父母に色々な習い事をさせて貰うことが出来たのも事実です。





 ただ、その一方、習い事の種類によっては、レッスン料以外にも、別途かなりのお金が掛かることがあります。たとえばバレエの場合、発表会で役を頂いたりすると、お衣装など全て個人負担で用意しなければなりません。


 通常、そうした舞台衣装は専門のお店でオーダーするか、相当腕に自信がある方の場合には自作されたり、そうした方に個別にお願いして作って頂くという方もいらっしゃいます。


 勿論、我が家の場合、その費用は全て祖父母の潤沢な資金から出ていたのですが、一円でもお金が絡んだ途端、普段は全く無関心なのにも関わらず、真っ先に首を突っ込んで来るのが、母です。





 母の場合、まず祖母から衣装の費用代としてお金を預かるのですが、舞台衣装専門店や腕自慢の方のお宅ではなく、紗久良ちゃんか澄美玲ちゃんのお家に電話をし、彼女たちのママに、以前発表会に出たときの衣装がないか、あればそれを貸してもらえないか、と交渉を始めるのです。


 実は、ふたりのママは『嫁』と『小姑』の関係で、お互いの娘同士が同級生ということもあり、表面上はとても仲良くしていましたが、水面下では相当なライバル意識がありました。


 そこへ、三学年下の『私』という存在は、ある意味この二組の母娘の勝敗のバロメーターとでも申しましょうか、私(厳密には私の母)が頼りにした、選んだ、希望した、ほうが勝者(?)というような、意味不明な価値基準が暗黙の了解になっておりまして…





 実は私、子供の頃から、ほとんどお洋服を買ってもらったことがありませんでした。第一子長女なのに、です。祖父母にとって待望の女の子だったわけですし、普通なら母親を含めて『着せ替え人形状態』になっても不思議ではありません。


 でも、子どもには凡そあずかり知らない大人の世界の中で、私には、主にお二方からふんだんな御下がりが贈られていました。しかも、御下がりとはいっても、そのほとんどが上質で高価なものばかり。


 祖父母にしてみれば、思う存分買い与えたいのに思うように行かず、ものすごく残念で歯痒い気持ちだったのですが、超ドケチで守銭奴な母にとっては願ってもない状況でした。





 舞台衣装にしてもしかり。発表会の役柄の場合、年齢や体格的なもので大体の役が決まります。それほど生徒の数も多くないお教室でしたから、必然的に私が頂く役は、数年前に紗久良ちゃんか澄美玲ちゃんのどちらかがやっている確率が高かったのです。


 そして何より、二人の伯母たちの関係性から、私が貰う配役が自分の娘がやったものかどうか、非常に気になるところだったようです。その部分に関しては不可抗力だと思うのですが、それでもライバル心が疼くというのでしょうか、該当したほうはちょっとした優越感があったようでした。


 ですから、お願いされれば決して嫌と言う筈もなく、むしろ勝ち誇ったように喜び勇んでお譲り下さる訳です。まんまと母の作戦に乗せられているのを知ってか知らずかは別に。もうこうなると、ちょっと違う意味で、リアル版、バレリーナ(のママ)・ライバル物語です。





 当然、私は衣装を譲って頂いた御礼を言わされるわけですが、正直言ってこればかりは心底不本意でした。本心を言うと、自分だけの新しい衣装を作って欲しかった。


 決して『お古だから嫌』ということではないのです。まだ使えるものを再度利用することは、恥ずかしいことではないし、いろんな意味でとても良いことだと分かっています。


 でも、バレエに限らず、どんな発表会でも表彰式でもパーティーでも同様に、私は一度も新品の衣装を買ってもらったことがなく、非日常のまさに『晴れの舞台』の衣装なのですから、一度くらいは自分の為だけに誂えてくれた新品の衣装を着てみたいと、子供心にも、女子心にも思っていました。





 そう思っていたもう一つの理由は、三歳年下の妹、ゆりの存在でした。姉妹の場合、姉のお古を妹が着るというケースが多いと思いますが、我が家の場合、私が頂いたお古は従姉たちが着たものを三学年下の私が着ているものですから、いくら品質が良いとはいえ、私が着終える頃には、それなりに劣化も消耗もします。


 何より、彼女たちとゆりでは六年の歳月が経過していますから、流行という部分でも無理がありましたので、必然的に、妹のゆりが新品(とはいえ、安価なものですが)を買ってもらい、姉の私は従姉のお古を着ることが多かったのです。


 ところが、母には、私が常に新品で妹がお古を着ているという思い込みがあり、口癖のように、



「いつもあんたばかり新品なんだから、たまにはゆりに買ってやらないと可哀想でしょ」



と言うのです。


 なぜそんな事実と違うことを言うのか、ずっとそれが不思議だったのですが、のちに伯母(母の実姉)から聞いた話で、母自身、幼い頃にいつも姉の御下がりを着せられていたことに強い不満を抱いていたそうで、幼い私に自分の姉を、ゆりに自分の姿を投影してたのだろうと言っていました。


 なので、意識的か無意識か、はたまた病的な妄想かは知りませんが、そんな状況になっており、そもそも事実と違うにも関わらず濡れ衣を着せられているようで、ずっと理不尽な思いだけが燻っていたのです。





 ですが、そんな私の気持ちなど全く意に介すことなどなく、母は、



「よかったねぇ~。あんた(私)感謝しなきゃ、こんな良い衣装を貰えて。それも、紗久良(澄美玲)ちゃんが着たものを着せて貰えるなんて、こんな名誉なことはないんだから! 紗久良(澄美玲)ちゃんは、本番で誰よりも上手に踊ったんだから、あんたも上手に踊れるように、爪の垢でも煎じて飲ませて貰ったら? お義姉さん、本当にありがとうございました~。ほら、あんたももう一度ちゃんと御礼言いなさい!」



 という具合のことを、本人達の目の前でごくごく自然に言うのです。伯母たちに嫁・小姑の因縁があればこそ、言われたほうとしては悪い気はしないでしょう。


 自分に利得がある相手に対し、気分良く煽て思い通りに誘導することにかけて、母は天才的と言えました。そして、私は決して本心からではない御礼を、何度も何度も、丁寧に頭を下げて延べさせられるのでした。


 ちなみに、当初、お衣装を作る費用として祖母から預かったお金ですが、たとえ一円も使わなくても、祖母に戻されることはなく、そのまま『使途不明金』として行方を眩ませるのが、毎回のお約束でした。





 そんなこんなで歳月は流れ、私は小学五年生になっていました。





 元々、それほど才能や素質があるわけでもなく、特に運動神経が良いということもなく、どちらかといえば他人の二倍努力して、やっと他人の二分の一といったどんくさい実力の持ち主。


 それでも、ようやく10歳を過ぎたことに加え、好きだからずっと頑張って続けて来て、少しずつ上達した成果もあって、先生からトゥシューズを履いてレッスンする許可を頂き、益々バレエが好きになっていました。


 丁度その頃、ゆりがお友達も始めるからという理由で、同じお教室でバレエのレッスンに通うことになったのです。





 ところが、このゆりというヤツは、姉の私が言うのも何ですが、とにかく落ち着きがありません。おまけにやたらとお調子者で、すぐにふざけるという悪い癖がありました。


 本人はウケ狙いのつもりでも、いわゆる『KY状態』で、しかも周囲が引いていることに本人は全然気が付かない。見ているこっちのほうがいたたまれなくなり注意しても、全く聞く耳を持ちません。


 しかも、その場がウケてもシラケても、なぜかその後の行動がエスカレートするという、非常に厄介な性格の持ち主(特に、身内にとっては)なのです。ですから、このお話を聞いたときから、なんとなく嫌な予感はしていました。





 初めてのレッスンの日、まずは柔軟体操で身体をほぐすところからですが、子供のわりには身体が固いゆり、悲鳴とも雄叫びともつかない奇声を発しておりました。そして次に基本の動作。上級者も初心者も、皆が優雅な動きでレッスンは続きます。


 やがて、踵を付けたまま膝を割り、ゆっくりしゃがむようなスタイルの動作『プリエ』に入ったとき、事件は起こりました。より深く膝を曲げる『グラン・プリエ』が、一見ガニマタのように見えたのでしょう、それが余程可笑しかったのか、突然ゆりはゴリラの真似をして、教室の中を走り回りだしたのです。





 すぐさま、教室の後ろで見学していた祖母が止めに入ろうとしたのですが、ゆりは捕まるまいと、逃げる、逃げる、逃げる…


 妹ですから、私も知らん振りをしているわけにも行かず、必死で追いかけて何とか捕まえ、ひとまず教室から外へ連れ出したものの、自分の意に反することをされたゆりは、それはそれはヒステリックな甲高い大声で、泣き叫ぶ、泣き叫ぶ。


 もう、顔から火が出るくらい、恥ずかしかったです。





 ゆりが起こした騒動のせいで、その日のレッスンは通常の半分くらいしかこなせず、祖母は先生や他の生徒さん、そして付き添いの保護者の方々に、申し訳なさそうに深々と謝罪し、まあでもそのあたりは、先生も保護者の皆さんも寛容で、



「レッスン一日目ですし、まだ小さなお子さんですから」 



ということで、笑って流して下さり、とりあえずその日は収まりました。


 ですが、ゆりはその後もレッスンでそうした奇行を度々繰り返し、とうとう先生から、



「あまり、ご本人も乗り気ではないようですから…」



と、暗にやめることを勧められ、祖母としてもこれ以上、先生や他の皆さんにご迷惑をお掛けするわけには行かないと決断し、ゆりにバレエ教室をやめさせることにしました。





 正直、『これでもう恥ずかしい思いをしなくて済む』と思った私。今後はゆりのことなど気にせずに、以前のようにレッスンが出来る、と喜んだのもつかの間、ゆりと一緒に、私もバレエをやめさせられる羽目になったのです。


 先生からは、せっかくポワントでのレッスンが出来るようになったのだから、私にはもう少し続けては、とおっしゃって下さいました。私自身、本当に好きで続けて来たことですし、祖母も是非そうさせたいようでしたが、母はゆりがクビ(実際は)になったことで、もうこれ以上あの教室に通わせるのは恥ずかしいと言い、私も強制的にやめさせられてしまいました。





 私としては、とんだとばっちりを受けた形になったわけで、とても納得出来ない気持ちでしたが、確かにあれだけ恥ずかしい思いをした教室で、しれっと続けて行けるだけの鈍感力があるかといえば、正直それも微妙です。


 また、紗久良ちゃんや澄美玲ちゃんがそうだったように、中学受験組みの子は、受験準備のために小学校高学年になると自主的にやめる傾向があり、受験しない子の多くも、中学でのクラブ活動などが忙しくなってやめるケースが大半、ずっと続ける子のほうが少数派でした。


 そう考えれば、プロのバレリーナを目指しているわけでもない私も、やめるには丁度良い時期だったのかも知れないと、無理矢理ではありましたが自分自身に言い聞かせました。勿論、踏ん切りがつくまでは、たくさん泣きましたけれど。





 そして、今になって思うことは、紗久良ちゃんや澄美玲ちゃんがやめた年齢と同時期に、母が私にバレエをやめさせたのは、それ以上続ければ発表会での衣装を自前で用意しなければならないという計算があったからではないかと思えてしまいます。逆に彼女たち以外にその当てがあったなら、強制的にやめさせたりはしなかったかも知れません。


 よく考えてみれば、おかしな話です。お金を出しているのは祖母で、それは私のお稽古の為の費用、なのにそれを一円たりとも支払わずに済ませ、当初のお金はまるまる着服。本来の目的でその費用が使われるとなると、お稽古自体をやめさせてまでも支出をストップする。


 元々他人(祖母)のお金であり、一貫して自分は一円も払っていないのに、極力お金を出させまいとするのは、その時点で着服出来なくても、やがて父に入るであろう祖父母亡き後の遺産が減ることを、阻止しようとでも思っていたのかと勘繰りたくなるくらい、お金に対する執着心は異常でした。





 そうまでして出費を嫌うのに、発表会や表彰式などで私が受賞・称賛されると、そのときばかり『母親』という立場で表舞台に出て来ます。お金も時間も労力も使わないけれど、名誉や称賛は自分のものにしたいという、まさに美味しいとこ取り。


 でも、普段誰がお世話をしているのかを、人様はちゃんと見ているものですから、自分が浮いているのを気づいているのかいないのか、有頂天になっている母に対して、子供の私から見ても世間はクールでした。





 とまあ、ここまでなら、子供の頃の習い事のでの、ちょっと切ない想い出、というお話しですが、これだけでは終わらず、その後私は、さらなる悲劇に見舞われることになるのです。





 バレエをしていた人にとって、トゥシューズを履けることは、大きな勲章のようなものです。まだこのシューズでレッスンを始めたばかりで、ポワントでポーズを取るのがやっとというレベル。それでもバレエシューズのときとは全然違う鏡に映る自分の姿は、何物にも代えがたい喜びでした。


 やめた後も、まだ真新しいシューズを自分の部屋の壁に飾って、時々こっそり履いてはポーズをとったり、簡単なステップを踏んでみたり、何でもサクサク出来る子ではなかった分だけ、私にとっては何よりの宝物であり、プライドでした。





 ところが、ある日、学校から帰ると、私の目に飛び込んできたのは、足に包帯をぐるぐる巻きにされ、リビングのソファーに踏ん反り返るゆりと、帰って来た私の顔を見るなり、怒り心頭といった表情で、開口一番、私を怒鳴りつける母。



「あんたがあんなものをずっと置いとくから!!! もう、本当に腹が立つ!!! 大体、あんたのせいでこうなったんだから、ゆりの面倒は看なさいよ!!!」



 いきなり罵声を浴びせられ、初めは意味が分からなかったのですが、ヒステリックに叫びまくる母の言葉を繋ぎ合わせ、ようやく状況を整理して分かったことは、私の部屋に掛けてあったトウシューズをゆりが勝手に履き、踊って(ゴリラ踊り?)いたところ足を捻挫してしまい、病院で手当てを受けたということらしいのです。


 捻挫自体は大したことはなかったのですが、念のため一週間ほどの通院と安静が必要ということでした。母が怒っていたのは、ゆりが怪我をしたこともですが、それよりもむしろ、ただでさえ手の掛かる(主に性格的な部分で)ゆりをお世話をしなければいけないからでした。





 そもそも、こんなことになったのは、祖母がバレエなんか習わせたからだ、とか、もうよく分からない八つ当たり三昧。


 この発言には、これまでの経緯もあることから、さすがに普段温和な祖母もキレまして、珍しく言い返しました。



「じゃあ、こちらも言わせて貰いますけど、そもそもゆりちゃんがそんな子になったのは、母親として、どういう躾や教育をしてきたのかっていうことになるでしょう?」



 すると、母も言い返します。



「ゆりはまだ小さいんだから、仕方ないでしょ!」


「それは違うでしょう? こうめちゃんにも、ゆりちゃんと同い年だったときがあるけれど、そんなことはなかったし、ゆりちゃんと同い年の子たちが、皆そうかっていったら違うでしょ?」


「でもそれは、いつも面倒看てるおばあちゃんの責任じゃないの!? 全部私だけが悪いって言いたいの!?」


「そうやって誰かに責任転嫁しても、親の責任というものもあるでしょ? それに一番可哀想なのは、きちんと躾をされていない子供なのよ?」


「もういいです!! どうせ全部私が悪いんでしょ!?」



 そう言うと、それ以上は聞く耳持たないといった態度で、乱暴にドアを閉めて母は部屋を出て行きました。部屋に残された私と祖母は、目を合わせて思わず苦笑い。





 とにかく私の母という人は、何か問題が起こった際、自分の責任にされるのが許せない、認めたくないという性格で、逆に栄誉なことに関しては、最前列で拍手喝さいを浴びたいタイプ。嫌なことや煩わしいことは全て他人任せなので、余計に性質が悪いのです。


 その上、お金に対する執着が異常に強く、言い方は悪いですが、自分にとって利害関係のある人に対しては、詐欺師になれば大成するのではないかと思えるほどの巧みさを持っているのですが、好き嫌いが激しいためか、あまり人間関係を上手に構築出来ない人なのです。





 世の中にはいわゆる『変な人』という類の人は、自分の生活圏内にも多くいらっしゃると思うのですが、私の場合、たまたまそうした人が自分の母親だったというだけのこと。


 子供の頃は、まだ相対的に社会を見る力がないものですから、今考えれば相当理不尽な思いをさせられても、所詮そんなものだと思っていたのも事実です。





 いきなりの八つ当たり、でもよくあることと、ひとまず自分の部屋にランドセルを置きに戻ったのですが、ふといつもと様子が違うのを感じました。そして、その違和感の正体はすぐに分かりました。


 いつもそこにあるはずのトウシューズがないのです。ゆりが履いていたのですから、壁に掛っていないのは仕方ないとしても、部屋のどこにも見当たりません。


 こうしたことは過去に何度も経験していましたから、胸の中の嫌な予感はどんどん大きくなって行く一方。そして嫌なことに、こうした予感は大抵は的中するものです。





 半ば諦めと絶望に支配されながら、それでも万に一つの望みに賭けて、そうじゃないことを願いつつ、まだ怒り心頭の母に確認せずにはいられませんでした。



「ねえ、私のトゥシューズは…?」



 その問いに返ってきた言葉は、



「あんなもの捨ててやったわ!」



 その日はゴミの回収日。この地区の回収時間は、丁度小学生が下校する時間帯が多く、慌てて玄関の外へ出たのですが、残念ながら回収車は行ってしまった後で、もうゴミはありませんでした。


 思わずその場にへたり込んでしまった私、無言でポリバケツを片付けに来た母、何か言おうとしても、言葉が出ませんでした。





 せめて、子供心に『泣くまい』と思ったのですが、どうしても涙が止まりませんでした…





~ピンポーン~





 平日の夕方、突然のインターホンの呼び出し主は、杏ちゃんでした。予期しなかった彼女の訪問、少し泣いていたような顔から、大体の状況の察しが付きました。


 とりあえず彼女を室内に招き入れ、ジュースを出して言いました。



「ママは、ここに居ることを知ってるの?」



 うつむいたまま顔を横に振る彼女に、続けました。



「じゃあ、一応連絡だけさせてね」


「…おばちゃん!」


「大丈夫だよ、速攻で引渡したりしないから。それにね、18歳だか何歳だか未満のお子様は、保護者の了解なしに連れていると『未成年者略取』とかいう罪になっちゃうから、犯罪者になると相談にものれなくなるでしょ~?」



 その言葉に、杏ちゃんは少し表情を緩めて小さく頷き、私が母親に連絡をする間、受話器から漏れ聞こえる些細な音から、母親の様子を伺おうとしているのか、全神経を集中させている様子で、ちょっとずつちょっとずつジュースを口に運んでいました。





 私は萩澤さんの携帯に電話し、とりあえず杏ちゃんを預かっているので心配しないように、そして、しばらくここに居る了解を得、もう少し落ち着いたらまた連絡をすると伝えました。


 実は先日、萩澤さんと我が家でお喋りをした際、最近杏ちゃんが大人びた言動や軽い反論をすることが多くなり、そろそろ彼女も難しい年頃に差し掛かることから、いつかは大きく衝突することもあるだろう、と話していたところでした。


 何より私が、娘の受験する学校のOGであることから、いろいろと話を聞かせて欲しいとのこと。すでに四半世紀以上の歳月が経過していると言っても、それでも少しでも参考になればとおっしゃって、娘の受験に真剣に取り組もうという姿勢が、強く伝わって来たのです。


 今日も、ピアノをやめるように伝えたところ口論になり、自宅を飛び出したので慌てたそうですが、行った先が我が家であったことに、ホッと胸を撫で下ろしたとおっしゃいました。そして、娘をよろしくお願いします、と。





 杏ちゃんも、私(我が家)なんかではなく、もっと他に相談したり愚痴を聞いてくれるような、仲の良いお友達はたくさんいたでしょう。


 でも、敢えて我が家へ来たということは、母親と親しく、自分のことも幼い頃から知っている『共通の知人』である私に取り持って欲しいという気持ちがあったのかな、と感じました。





 初めは何から話して良いのか分からないという様子でしたが、整理しながら言葉を選ぶようにして、少しずつ自分の気持ちを話し始めました。


 受験の準備のために、ピアノをやめるように言われたこと。勉強も頑張るから続けたいとお願いしたけれど、駄目だと言われたこと。だったら受験なんかしないと言ったことで母親を激怒させ、自宅を飛び出したこと、など。


 どんなに自分がピアノが好きで、これまで一生懸命頑張って来たのかや、やめたくない気持ちを切々と語る幼い少女に、ふと昔の自分を重ねました。


 ただ、私は彼女のように親の命令に抵抗も出来ず、自分の意思を貫くことも、主張することすらもしなかった後悔が、今更のように自分の中に蘇ります。



「じゃあね、一つ質問するけれど、杏ちゃんはピアノが弾きたいの? ピアノ教室に通い続けたいの? ピアニストになりたいの?」



 すると、少し考えてこう答えました。



「ピアニスト…になるとかは思っていなくて、ピアノ教室にも通いたいけど、ピアノが弾きたい、かな…? うん、杏、ピアノを弾くのが好き」


「だったら、お勉強の合間に気分転換で弾くんじゃ駄目なのかな?」


「え? でも、ママが…」


「それくらいならOKしてくれるんじゃないかしら? ピアノをやめるのはお教室のことで、一切弾いちゃいけないということじゃないと思うけど?」


「もしママがそれも駄目って言ったら、おばちゃんも一緒にお願いしてくれますか?」


「勿論だよ」



 ようやく彼女の顔から、いつもの屈託のない笑顔が覗きました」



「それにね、杏ちゃんが受験する学校、おばちゃんの母校なのね」


「そうなんですか」


「あそこはね、音楽室だけじゃなくて、各教室に一つずつくらいの数のピアノがあってね、休み時間なら、弾き放題だし」


「すごっ! どうして?」



 私が卒業し、杏ちゃんが受験する学校は、女子大付属の幼稚園から小・中・高・大学までを有する私立女学園。昔から女子教育に特化した教育方針をモットーに、中でも伝統ある家政学部や教育学部が充実しておりました。


 保育、幼児教育など、ピアノを必須科目とする学科もあり、新品・中古問わず、OGや在校生からの寄付も多いものですから、各教室にピアノがあるくらいの数は不思議ではありません。


 もちろん、寄贈されるのはピアノだけではありませんから、広大な学園の敷地内にある校舎や倉庫には、一般的な備品から、普通に生活するには一生目にすることがないようなものまで、多彩なラインナップが犇めいておりました。





 また、勉学にスポーツに、何かと強いパイプを持つ学校も多く、実力さえ満たしていれば、優先して受け入れてもらえる推薦入学制度など、何かとメリットも大。私の母校は、体育系の学部や、美術、音楽など芸術系学部こそありませんが、実際、中等部、高等部それぞれ、何人かのクラスメートが、そうした大学や、それらの付属高校へ進学しています。


 一度入学すれば、余程のことがない限り大学までエスカレーター方式ですから、他校への進学を希望しなければ、以降、受験準備に煩わされることもなく、卒業までゆとりを持って色々なことに取り組めるという校風。


 杏ちゃんのようにピアノやダンスなどが好きな子たちで『○○同好会』なんていうものを作りたいと申請すれば、優先して必要な楽器や必要なスペースなどを提供してもらえたり、顧問の先生を付けてもらえることもありますし、活動内容やクオリティーによっては、活動費も出して頂けるケースもあるのです。


 但し、元々それ相応の入学金やら授業料を支払うわけですから、損得や元が取れるかなどは、また別の問題になるかと思いますが。



「今受験せずにピアノを続けても、三年後には高校受験が来るし、また三年後に大学受験が来るでしょ。一年だけピアノをお休みして、合格して、入学して、また本格的にピアノ始めるのも悪くないと思うし、他にもっと好きな何かと出会ったら、それを頑張ってみるのも良いと思うよ」



 真剣な表情で私の話に聞き入っていた杏ちゃん。小学五年生とはいっても、大人が考える以上に子供はしっかりしていて、いろんなことを理解しています。


 どうせ分からないのではなく、理解出来るように話していなかったり、上手く気持ちが伝わっていないだけということが、少なからずあるのですから。





 私自身にも経験がありますが、好きな事を禁止される不満、受験というよく分からないことへの不安、将来に関わる部分なのに、きちんとした説明もなく、納得出来ないものに支配されている苛立ち。きっと杏ちゃんもそんなふうに感じていたのでしょう。


 そこにOGであり、自身やお友達の親以外の大人というワンクッション置いた立場の私だから、冷静に話を聞けたのでしょうし、同時にそれを理解出来るだけの能力を、彼女が備えていたということなのだと思います。


 疑問に思ったことや、興味を惹かれたことにいくつか質問し、自分が考えていた『受験』という表面的な事柄以上に、現実には充実した部分があり、そうしたことを大人たち、とりわけ親はじっくり考えてくれていたのだという事を感じたのか、徐々に明るい表情を取り戻して行きました。





 小一時間が過ぎた頃、彼女は吹っ切れたように、軽く深呼吸をして言いました。



「杏、頑張ってみる。おばちゃん、ありがとう」


「良かった。杏ちゃんが納得出来るのが、一番大事なことだからね」


「ママに、もう大丈夫って電話して下さい」



 数分後、迎えに来た萩澤さんは、娘の変わりように驚いていましたが、帰宅後杏ちゃんから事の次第を聞いたらしく、お陰で娘が前向きに受験に取り組もうと決意したことに、もの凄く感謝されました。





 一年後には、嬉しそうに合格通知を見せに母娘で我が家にご報告に来て下さり、翌春の入学式の朝には一番で真新しい制服姿を、卒業式には卒業証書、成人式の晴れ着姿、大学を卒業し、社会人になり、花嫁さんになってこの街を巣立ってゆくのですが、それはまた少し先のお話。





 どっちが良いとか、何が正しいとかは、ずっと後にならないと分からないことが多いですから、萩澤さん親子の選択の結果も、ずっと先に出るのだと思います。


 そして、他人がどう評価しようと、本人が『良かった』と思えるかどうかが、何より重要。杏ちゃんが私のような苦い記憶を胸に刻まずに済んだことだは、胸を張って良かったと思えるのです。


 時々不意を突いたように、母・娘のどちらかが、我が家にやってきて愚痴をぶちまけたことも数回ありましたが、私の中ではこのときの印象が強かったのか、成長して姿形は大人になっても、ずっと10歳のままの杏ちゃんが居続けています。





 そして、その歳月をずっと見続けられたことは、私にとっても幸せな時間でした。





 子ども時代はどうしても親や兄弟姉妹との関係が濃密で、私の場合、母や弟妹の性格などから理不尽な思いをたくさんしてきたと思います。


 ただ、人間とは上手くしたもので、小さい頃からそういう状況にいますと、理不尽な事象に対して免疫をもつようになったり、上手な対処法や回避手段を身につけたりするようになります。





 子供の頃に、母は『社会に出たら(自立したら)荒波に揉まれて、いかに子ども時代が守られていたのか、家族の有り難味、特に親の有り難味というものが、よーく分かるようになる』と、口癖のように申しておりました。


…が、未だにその言葉を、額面どおりに実感として感じ入ることは、ほとんどない私。実家を出て一人暮らしを始めて痛感したのは、いかに自分が家族=特に母や妹に振り回されていたのか、ということ。


 実家にいた頃は、あたかも私自身が問題児のような言われようでしたが、実家を出てからの生活は自分のことだけをすればよく、結婚した今は夫と猫二匹の面倒も見ていますが、それらも実家の時の比ではなく、母の巻き起こす厄介ごとや八つ当たりに煩わされずに済むということは、物理的にも精神的にも、こんなにも楽だったのだと知りました。





 そんな母に対しても、感謝する部分はあります。やはり世間に出れば、それなりに他人様から酷い仕打ちを受けることもありますが、そうした状況でも、ほとんどダメージを受けない(耐えられる)強さを身に付けられたのは、あの環境があったからこそです。


 世界中が敵、なんていう例えがありますが、私の場合、最も味方でいるべきはずの人が最大の敵だったわけですから、もはやそうなったところで、焼け石に水、目くそ鼻くそ、五十歩百歩。





 どんなにネガティブな経験であっても、時にそれが自分の財産にもなるものだということを、この街で起こる様々な出来事、多くのシチュエーションで役立てている私。


 いったい何があったのかは、また別のお話…

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