Community ~新興住宅地の住人~
二木瀬瑠
第1話 『ドール』
少子化って、いったいどこの話なの? と言いたくなるほど、私が住むこの街には、子供たちが溢れています。
溢れているのは、子供に限らず、あらゆる世代の人々と、そして、樹海のように広がり、続く、真新しい家、家、家…。
ほんの十数年前から本格化した造成工事は、それまで何もなかった土地に、定規で引いたような枡目状の道路を走らせ、適度な広さに仕切られた区画は、売り出された端から完売し、次々とお洒落で個性的なお家が建てられて行き、数か月後には美しい街並みが出現します。
そこには、転入して来た人々の希望に満ちた新たな生活が始まり、そんな新鮮なときめきもすぐに雑多な日常に埋もれ、その横で淡々と宅地造成は進み、まるで巨大な生命体のように、街は日々増殖して行く、ここは『新興住宅地』。
私の名前は、松武こうめ。この新興住宅地に住む、専業主婦です。私もこの街にマイホームを建て、転入した一人。
我が家は、子供のいない夫婦だけの世帯ですが、新婚世帯、子育てを終え再び夫婦二人になった世帯、単身世帯、親子での2世帯住宅、定年後の終の棲家としての高齢世帯など様々、中でも一番多いのが、夫婦と子供の子育て世帯です。
このコミュニティーでは、幼稚園や小・中学校が、この十年でいくつも新設されました。町内の小さな公園には、午前中は乳幼児を連れた若いママさんたちが集い、午後にはメンバーの顔触れが、授業を終えた小学生たちに変わります。
そして、公園で遊ぶ子供たちには、年齢に関わらず、必ずと言っていいほど保護者らしき人たちが付き添う姿を見かけます。
私が子供の頃には成長の一環として、小学生にもなれば、親の監視から外れるのが普通でしたが、やはりこうしたご時世、何があるか分かりませんし、何かあってからでは取り返しがつきませんから、転ばぬ先の杖として、保護者の同伴は不可欠なのでしょう。
ただ、すべての親御さんが子供に付き添っているわけではなく、必ずご自身が付き添う方もいらっしゃれば、ママ友どうし交代でされている場合もあり、中にはちゃっかりよその親御さんに丸投げという方もいらっしゃるようで。
そして、丸投げタイプの親御さんのお子さんに限って、あまりお行儀がよくなかったりするなど、しばしばトラブルが発生することもあるようです。
ある日、いつものように庭でお花の手入れをしていると、愛犬のお散歩の途中、私に気付き、手を振る百合原さんの姿が。私は作業の手を、彼女はお散歩の足を止め、ごく自然に世間話が始まります。
ご近所でも事情通で知られる彼女の情報には、興味深い内容のものも多く、特にその日聞いたお話は、私にとってちょっと衝撃的なものでした。
いつも午後になると公園で遊んでいる男子小学生の中に、『木村兄弟』と呼ばれている、ご近所ではちょっと有名な兄弟がおります。小学三年生の兄と小学一年生の弟の二人は、最近の子には珍しいくらい腕白で、それゆえ、しばしば問題を起こしていました。
二人には、私もちょっとだけ面識がありました。
その日、ご近所の奥さま方と、自宅の庭先で世間話をしていたときのこと。木村兄弟と数人のお友達が、ワイワイと賑やかにやってきて、何を思ったか、我が家の真ん前の道路で、ボール遊びを始めたのです。
当然、この危険な行為に対し、大人として、彼らに注意をしたのですが…
「君たち、危ないよ? 車が来るから、道路で遊んじゃ、駄目でしょう?」
「大丈夫だよ。この辺りの人は、みんな人が良いから、車のほうが避けてくれるし」
臆することもなくそう答えたのは、木村兄弟のお兄ちゃんでした。
思いもしなかった返答に、そこにいた大人全員が絶句しました。が、そんな屁理屈に怯んでいる場合ではありません。
「でもね、車の運転手は、どこか遠くの人かも知れないし、よそ見をしていて、君たちに気付かないことだって、あるかも知れないでしょう?」
「平気だよ。そんな運転手、キックしてやるんだ~!」
完全にこちらをナメている態度に、私たち大人の顔から笑みが消えました。
さすがに、大人に注意されたことで、木村兄弟以外の子たちは、『ちょっとヤバいかも?』という表情で、ボールを抱え道路の端に寄っていましたが、木村兄はお友達からボールを取り上げると、その場でボールを蹴り始めたのです。
これには、私たちも呆れるを通り越して、ちょっとイラっとしました。
「やめなさい! 道路でボール遊びをしてはいけないって、学校で言われなかった?」
「ボールで遊びたいなら、公園へ行ったらどうかしら?」
すると、木村兄は、明らかに不満な顔で、こう答えました。
「だってさ、公園ではボール遊びは禁止だって、大人の人たちが言ってたもん。ボールで遊んで良い公園は遠いから、子供だけでは行けないし、だったら道路で遊ぶしかないじゃないか」
確かに木村兄の言うとおり、小さな公園ではボール遊びは禁止されており、許可されている大きな公園は、徒歩では行けない距離にあります。
「ボールで遊びたい気持ちはわかるけど、道路だって、ボール遊びは禁止なのよ。危ないから、今日はボール遊びは諦めて、他の遊びにしたら?」
「ちぇ~っ! つまんねぇ~の! みんな、行こうぜ!!」
まるで吐き捨てるようにそう言うと、木村兄弟御一行様は、その場を立ち去りました。
とりあえず、彼らが危険な遊びをやめてくれたと思い、一応ホッとしたのですが、私たちの考えは甘かった…
木村軍団は、場所を変え、私たちの目の届かない道路まで移動し、その後、思う存分ボール遊びに興じていたことは、後から人づてに聞いて知ったのでした。
後日、私は彼らの通う小学校へ実名で電話を掛け、対応して下さった担当の先生に、事の次第を詳細にお話しました。
お子さんがいらっしゃる場合、余所のお子さんのことを言うと、自分の子供は棚に上げてと言われそうで、学校などに通報するのを躊躇される方も多く、こうした場合、子供のいない私のような立場のほうが、言い易かったりするのです。
逆に、私のような人間が口を出すと、親御さんの中には、『子供のいない人に、親の気持ちは分からない』とおっしゃる方も、稀にいらっしゃいます。確かに、子供のいない私には、知りようもないことかも知れません。
ただ、私自身、生まれたときから今の私だった訳ではなく、人並みに子供だった時代もありました。当時は意識すらしていませんでしたが、本当に多くの大人たちに守られていたことを、大人になった今だから理解することも多くあります。
子供たちが騒々しかろうが、多少の迷惑を掛けられようが、嫌味なおばちゃんと思われようが、元気に楽しく遊んでいる分には、全然OK。でも、事故に遭ったり、怪我をしたり、まして最悪の事態だけは、絶対にNG。
親の立場にはなりえませんが、今の自分の立場で、幼少時受けた恩恵を少しでもお返し出来ればと思うのです。余計なお世話かも知れませんけれど、ね。
そんな経緯があった木村兄弟でしたが、その後も彼らの武勇伝はあちこちからちらほらと聞こえていましたが、百合原さんから聞いたその後の展開は、ちょっと心に痛みを感じるものでした。
当初、木村兄弟に対して嫌悪感を露わにしたのは、小さなお子さんの母親たちでした。
元々夢中になると周りが見えなくなるタイプなのか、そもそも、周囲に気遣いをするような性格ではないのか、公園内を走り回って、誰彼かまわずぶつかることが茶飯事。
相手が就学前の小さなお子さんだと、まだ足取りも不安定で、体格差があるだけに危険この上なく、すでに何人かの幼児が転ばされる被害に遭っていました。
保護者の方々からは、幾度となく本人に注意をしていたのですが、とうとうぶつかって転倒した小さな女の子が、顔を擦り剥く怪我をしてしまったのです。
更に、女の子を助けようとした妊娠中のお友達のママにまでぶつかって転倒させ、そのはずみでベンチで腹部を強打し、救急車が出動するという騒ぎになりました。
幸い、妊婦さんは大事に至らず、その数カ月後、無事に元気な赤ちゃんを出産したのですが、さすがに、こればかりは笑って許せるようなことではありません。
もう一方の顔に怪我をさせられた女の子のご両親に至っては、怒り心頭。女の子ですから、もし顔に傷跡が残りでもしたら、損害賠償ものです。
当然、木村兄弟の両親に対して、強く抗議しましたが、さすがはこの親にしてこの子あり、一応の謝罪はするものの、今後の管理、指導に関して、親の責任を問うと、
「そう言われても、私も昼間仕事してるから、ずっと見てるのは無理なんですよね~」
「無理って…親御さんがしっかり監督してくれないと、また同じような事が起きるかも知れないじゃないですか?」
「もうその時は、遠慮なく怒って貰っていいですから~」
これでは、他人様に自分の子供の躾を丸投げしているとしか思えない内容です。
やってから怒るのではなく、最初からやらないように躾けるのが親の責任でしょうに、それが分かっていないのか、それとも、またやることを前提にしている口ぶりから、はなから躾をする気もない確信犯なのか?
女の子のご両親も、さすがに苛立ちを覚え始めたとき、更に信じられない言葉が彼女の口から飛び出したのです。
「それに、一緒に遊んでいたお友達の親は、近くにいなかったんですか?」
「さあ? いたかも知れませんけど、それが何か?」
「私、仕事してるもんですから、その場にいなかったんですよね。誰か親が一緒にいたなら、監視責任はその人にあるんじゃないですか?」
思わず、絶句する女の子のご両親。この人は一体何を謝罪しているのか、それ以前に謝る気持ちがあるのかすらも疑問に感じてしまいます。
そもそも怪我をさせた側の保護者であれば、一報を聞き付け、取るものもとりあえず駆け付けたならいざ知らず、タイムラグがあるのですから、当時の状況くらいは把握しておくものだと思います。
まして今回の件に関しては、ただぶつかったとか転んだというアクシデントではなく、もし女の子の顔に傷が残れば『一生の問題』、お腹のあかちゃんやお母さんの身体に万が一のことがあれば『生命に関わる問題』です。
事の重大さを認識し、本当に謝罪する気持ちがあり、今後の人間関係を含めて円滑、穏便に事を収めたいと思うのであれば、少なくとも迷惑を掛けた相手に、自分の口から言うべき内容ではありませんし、監視責任が誰にあろうと、我が子が怪我をさせた事実は変わりません。
女の子のご両親は、もうそれ以上、木村家に文句を言うのを止めたそうです。怒りは消えませんが、この親に関しては、言っても無駄な相手なのだと思われたようです。
すぐにこの出来事は、一緒に遊んでいたお友達の保護者たちの耳にも入りました。彼らにしてみたら、たまったものではありません。
実は事件が起こった当日、一緒に遊んでいたお友達の親御さんたちは、知らせを受けてすぐ、女の子のお宅と妊婦さんのお宅に、各家庭の保護者が子供同伴で、中には夜ご主人が早めに帰宅し一家全員で、それぞれお詫びに伺っていました。
ただ、木村家だけは、先方から抗議に訪れるまで、一切のアプローチがなかったのだとか。
幸い、一緒に遊んでいた他の子たちは、以前から何度も注意されていたこともあり、ちゃんと気を付けながら遊ぶ様子を多くの人たちが見ており、主に乱暴な行動をしていたのは木村兄弟たちということも周知の事実で、むしろ『巻き込まれた側』という認識で謝罪を受け入れたようなのです。
しかし、問題は木村ママの言動です。それまでは『我が子のお友達』ということもあり、多くの部分で目を瞑ることもしていましたが、それが引き金となり、我慢していたママたちの怒りが噴出し始めました。
元々、基本的な躾がされていない兄弟ですから、お友達のお家に遊びに行っても、勝手に冷蔵庫を開けて、飲み物や食べ物を漁るなどは当たり前。
やったらやりっぱなし、散らかしても後片付けはしない、ゲームやおもちゃなども、勝手に持ち出して返さないことも。
夕食の時間になり、そろそろ帰って欲しいと思ってもなかなか帰らず、匂いを嗅ぎつけて「お腹空いたー!」と言っては、兄弟で食べて行くこともしょっちゅう。
無理やり追い出して、もし何かあったらと思うとそれも躊躇われ、一応、夕食を食べさせた事を兄弟の母親にメールしても、『了解です』とメールで返事が来るだけで、御礼の言葉は一切なし。
それどころか、夕食が終わった午後8時過ぎになって自宅まで送って行っても、まだ両親とも自宅に帰っていないこともしばしばとか。
その際は、お兄ちゃんが自分で自宅の鍵を開け、親が帰るまで待つという感じだったようですが、後に判明したのが、兄弟は平日の殆ど毎日、お友達の誰かのお家で夕食をご馳走になっていたらしいのです。
逆に、木村兄弟のお家へは、仲の良いお友達でさえ誰一人遊びに行ったことはなく、自宅のカギは持たされていましたが、帰宅が遅いと分かっているのに、子供たちのおやつや食事は用意されていませんでした。
普通に考えれば、まだ小学生の子に、学校で給食を食べた後、おやつも食べずに夕食まで過ごさせるなんて、あまりにも酷です。お友達のお家で、夕食の良い匂いがしてきたら我慢出来なくもなるでしょう。
問題は親のほうです。それぞれのご家庭でいろんな事情があることですから、働くことが悪いとは言えません。お子さんの年齢にもよりますが、保護者が不在の間、他人様の厚意に便乗して、子供たちの対策を取らずに放置するのはNGでしょう。
実際、子供たちが誰かのお家で夕食にあり付けなかった日は、夜遅く親が戻って来るまで、何も食べずに待っていたのですから、これはもう『ネグレクト』と言われても仕方がないレベルです。
子供絡みの躾やトラブルに関しては、基本的に親の責任であって、子供に罪はありません。とはいっても、親にとって一番危惧するのは、故意であれ、不可抗力であれ、自分の子供が加害者『側』になってしまうことです。
事実、今回のことで、直接の加害者ではないにしても、謝罪をしているわけですし、被害者側の理解があったので、穏便に済ませることが出来ましたが、もし今後また何かあったとして、必ずしも同様の結果になるとは限りません。
親として、自分の子供を守るためにはどうしたら良いのか? 結果、親御さんたちは、自分の子に木村兄弟と遊ぶ事を禁じました。
とはいえ、厚かましい木村兄弟の事ですから、勝手に遊びに来てしまいます。今日は用事があるから、と言っても、
「だったら、出掛けるまでの時間、遊ぶ~」
と言って、無理やり上がり込み、出掛けるので帰って欲しいと言っても、今度は、
「じゃあ帰って来るまで、留守番してる~」
と、帰宅を拒否するありさま。敵もなかなか手強いのです。
一旦兄弟が上がり込んでしまうと、子供も一緒に遊びたい気持ちが勝ってしまい、追い返すことも困難になってしまいます。
そこで、親たちは苦肉の策として、習い事を増やしたり、兄弟が遊びに来てしまう前に、子供を車で連れ出すなど、物理的に遊ぶ時間や環境を作らない対策を取るようになりました。
木村兄弟には気の毒ですが、そこまでお友達の親から嫌われてしまえば、どうしようもありません。
子供の頃、私にも似たような出来事がありました。木村兄と同じ、小学三年生の頃のことでした。
当時、小学校低学年の女の子たちの間では、お人形遊びが流行していました。大抵の女の子が必ずと言って良いほど持っていたのが『リカちゃん人形』。言わずと知れた、日本が誇るレジェンド・ドールです。
でも、私は持っていませんでした。買ってもらえなかったのです。
お友達と遊ぶ約束をすると、必ずみんな自分のリカちゃんを持って行くのですが、私はいつも、誰かのお人形を借りていました。
中には、何体もリカちゃんを持っている子もいましたので、私にもリカちゃんで遊べるチャンスはありましたが、でもそれは『借り物』でしかなく、子供ながらに、とても肩身の狭い思いをしていました。
勿論、何度も何度も、母に買って欲しいと懇願していたのですが、余ってる人形を借りて遊べばいい、というばかり。じゃあ、貸してくれなかったら? と言えば、私だけお人形なしで遊べばいいと言い、それでは一緒に遊んでもらえないと言うと、だったらそんな子たちと遊ぶのをやめればいいと言い…
余程芯が強いか、偏屈な子供でもない限り、その選択肢はどれも、あまりにも理不尽です。
実家の生活が困窮していたのなら、子供なりに納得もしますし、致し方ないと諦めますが、我が家はどちらかといえば比較的余裕がある家でした。
なぜ母はそんなふうかといいますと、『物』は共有して使うという考えを持っていて、自宅ではいつも私たち姉弟に一つの物を与えて、『三人で、仲間で使いなさい』というのが、口癖でした。
姉弟、お友達、みんなで仲良く一緒に『物』を使うこと自体は、別段悪くないことだと思います。
でも、共有物というのは、往々にして責任感が乏しくなることが多く、事実、弟妹は使った物を片付けず、散らかった状態を見た母が怒り、姉である私が片付けさせられる事が常でした。
母の中では『上の子が下の子の面倒を看るのが当然』というルールがあり、私が使ったものではなくても、年長者であることを理由に片付けさせるのです。弟妹の悪戯を、私がちゃんと面倒を看ていなかったから、という理不尽な理由で叱られることもありました。
結局、弟妹にとっては、面倒なことはスルー出来、何かやっても姉の私に責任を押し付け、自分たちは無罪放免という、都合の良い構図が出来ただけでした。
『皆で仲良く、共有して物を使う教育方針』と言うと、何だかそれらしく聞こえますが、それはただ単に、母の超ドケチな性格から来ていました。
母にとっては『共有=節約』であり、3人の子供に、一人1つずつ、計3つも買い与えるなど、勿体なくてあり得ないだけなのです。
大抵のお宅でも、学校の教材で兄姉のお下がりを使うことは普通にありましたが、それは進級や卒業などで使わなくなった物であって、リコーダーや絵具セット、書道道具など、使用が被るものでさえ、あわよくば共有させようとするドケチぶりでした。
さすがにこれには、先生のほうが苦言を呈した程です。
そして、何より問題なのは、他人と共有する(させる)ことを快く思わない家庭もあるということ。
自身の方針で、自分の子供たちにそうさせるのは自由ですが、子供がお友達のお家などで物を勝手に使ってしまい、それを不快に思った親から嫌われてしまうケースもあるのです。
大きくなるに従って、状況を判断して使い分けることが出来るようになりますが、幼いうちは『家』と『外』の区別が付きませんから、子供なりに社会生活を送る上で、ある程度、所有物と共有物の線引きを認識させることも必要なのだと思います。
リカちゃん人形に関しては、妹と共有でも全然構わないから、どうしても自分のものが欲しくて、子供ながらにあれこれ考え、お友達からもお知恵を拝借し、『もし、次のテストで100点を取ったら、御褒美に買って欲しい』とお願いしたところ、母は二つ返事で快諾しました。
私にとっては千載一遇のチャンスです。
元々、私は頭も要領も良い方ではなく、ちょちょいとやって何とかなるタイプではありませんでしたから、ほんの僅かなミスも犯さないように、同じところを何度も何度も復習し、頑張って頑張って頑張って、執念で100点を取りました。後であれこれ文句を付けられないように、何教科も。
もうこれで、自分だけ肩身の狭い思いをしなくて済む、そう思えば、勉強することの楽しかったこと、楽しかったこと。
でも、約束はあっさりと破られました。
母曰く、
「物を買ってもらうために勉強するっていう根性が、曲がってる。子供なら勉強するのが当たり前とちがうの? 子供のくせに、考えることがあさましいわ、あんたは」
だそうです。
勉強にしろ、お手伝いにしろ、こちらがお願いした際には、快諾するような口ぶりでその気にさせておいて、達成した後はあっさりと約束を反故にする。
不履行で自分が責められることを避けるためには、意味のわからない逆切れもする、それが母の常套手段でした。
しかも、約束違反を正当化するために、平気で子供(私)の人格否定をもしますし、こちらがしつこく食い下がれば、黙らせるために手が出るような人でしたから、そういう場合の諦めは早かったです。
逆に、私が約束を守らなければ、鬼のように激怒されましたから、子供の頃、自分は絶対に約束を守らなければいけないけれど、相手が守らないのはOKなのだと思い込んでいました。
ですから、約束を破ったお友達に『ごめんね~』なんて謝られると、『何て良い人なんだろう』とさえ感じたものです。
やがて、それがおかしいと分かるようになっても、三つ子の魂百までで、今でも相手の不履行は許容出来ても、自分が完遂出来ないのが、もの凄く許せません。自分でも、損な性格だと思います。
そんなこんなで、幼い頃の私は、マイ・リカちゃんを買ってもらうことはありませんでした。なので、お友達のお家でお人形遊びをする際は、いつも誰かのお人形を借りることになりました。
でも、そんな私に対して、あまり好からぬ感情をもって見ていた人達がいました。
ある日、いつものように借りたお人形で遊んでいたときのこと、お友達のママに訊かれました。
「ねえ、こうめちゃんは、どうしていつも自分のお人形を持って来ないの? お人形、持ってないの?」
一瞬、自身の表情が引き攣ったのを感じました。お人形を持っていないというのは、自分の中で、一番触れられたくない部分でした。
自分だけが持っていないことが劣等感であり、他人から可哀想と思われているのではないかという惨めさ、それを否定するために、それが誰のものとかは、なるべく考えないようにしていました。
でも、事実は事実として、正直に持っていないことを言うと、彼女は『そうなの』とだけ言い、部屋を出て行きました。ただ、ストレートに突き付けられたことで、自分の中では思った以上のダメージがあったのも確かでした。
その日は、それだけの出来事でしたが、それからしばらく経ったある日、いつものメンバーで一緒に宿題をしようと、美咲ちゃんのお家に集まったときのことでした。
「ねえ、見て。これ、買ってもらったの!」
それは、48色の色鉛筆でした。
「わぁ~、すご~い!」
「綺麗~!」
当時、それだけの色が揃ったものはまだ珍しく、お値段も結構なものだったと思います。美咲ちゃんは絵を描くのが好きで、テストで頑張って良い点を取ったので、御褒美に買ってもらったのだと言いました。
私としては、実際に御褒美で買ってもらえたことのほうが衝撃的でしたが、それはさておき、私の12色の色鉛筆など問題外、他のお友達の24色でさえも桁違いなその色鉛筆セットは、当時の私たちには聞いたこともない名前の色が、グラデーションに並べられ、見た目にもとても綺麗で斬新に感じました。
「良かったら、使ってみて。面白い名前の色もあるんだよ」
そこにいた誰もが、その豊富な色彩にときめきを感じ、使ってみたい好奇心に駆られました。
タイムリーにも、その日の宿題は、心に残った出来事を短い文章にして、小さな挿絵を付けるという絵日記のようなのものでした。子供ですし、仲の良いお友達ですから、私を含めた全員が、
「ちょっと貸してね」
「この色もいい?」
と言っては彼女の色鉛筆を借り、生まれて初めて出逢ったであろう色を、自分の絵に付けていました。
ただ、その様子を不快な目で見ていた人が…美咲ちゃんのママです。私が何度目かに、色鉛筆を借りようとしたとき、不意に彼女が口を開きました。
「あのね、こうめちゃん、この色鉛筆は、美咲が頑張った御褒美に買ってあげたものなのね。だから、勝手に使うの、やめてもらえるかな?」
その言葉に、一番驚いたのは美咲ちゃんだったと思います。
自分が皆に勧めたのに、母親がそんなふうに言ったのが余程気まずかったのか、プリプリと怒りながらその場で母親を部屋から追い出し、私たち、とりわけ名指しされた私に謝っていました。
当の私はというと、無理矢理奪い取ったり、独り占めしたわけでもなく、ちゃんと持ち主の了解を得て借りていましたから、なぜ彼女のママが突然そんなことを言ったのかは分かりませんが、自分が名指しされたのもたまたまだろう位に思い、あまり深くは考えていませんでした。
が、事件が起こったのは、その次に美咲ちゃんのお家に遊びに行った時のことでした。
その日も、みんなで一緒に宿題をしようということになり、いつものように彼女の部屋に上がって、宿題のドリルを広げかけた時でした。
すぐさま、部屋へ入って来た美咲ちゃんママが言いました。
「ごめんね、こうめちゃん。今から出掛けないといけないの。悪いけど、今日は帰ってもらえるかな?」
勿論、そういう事情なら仕方ありません。すぐに広げかけていた荷物を片付け、急いで美咲ちゃん宅を後にしました。
ふと、何か最近、こういうシチュエーションが多いな、と感じました。
何日か前に、別のお友達のお家に遊びに行った時も、玄関に入ってすぐだったり、遊び始めてしばらくしてだったり、それぞれのお家の用事で帰ったことが何度かありました。
まあ、そういう偶然が重なることもあるのかな、とその時もあまり深く気にしなかったのですが、帰る途中、何気なくちらっと覗いたバッグの荷物が足りない気がして、念のため中を確認すると、宿題のドリルを入れ忘れたことに気付きました。
明日提出のドリルですから、何とかしなくては。まだお家を出てからそれほど時間も経っていないので、今すぐ戻ればお出掛けする前に間に合うかもと、急いで引き返すと、案の定、まだお家の中から人の声が聞こえてきました。
~良かった、間に合った! ~
私はホッとして、中に向かって声を掛けようとしたのですが、不意に聞こえてしまった話し声に、思わず出掛かった言葉を飲み込みました。
「どうしてあんな嘘を付いたの? こうめちゃんに悪いじゃない?」
「だって、ママ、あの子嫌いなのよ。いつもひとのお人形を借りて遊んでるって、他のお友達のママたちも言ってたし、この前だって、美咲の色鉛筆は勝手に使うし、図々しいんだもの」
「お人形は、持ってないんだから、仕方ないじゃない? 色鉛筆だって、私が使ってって言ったんだよ?」
「いつも遊ぶものなんだから、持ってないなら、買ってもらえばいいじゃない? 頑張ってお手伝いするとか、お勉強するとか」
「それでも、こうめちゃんのママが駄目だって、言ってたよ?」
「どうだか? あそこのお家だったら、リカちゃんの一つや二つ、買えないわけないでしょ。あ、本当は持ってるのに、自分のを使うのが嫌で、持ってないふりしてるのかも?」
「どうしてそんなことするの? 理由が分かんない」
「自分のリカちゃんが、汚れるのが嫌なのよ、きっと」
正直、小学三年生の私にとって、この内容はかなりきつかったです。頭も体もフリーズした状態で立ち尽くしていると、たまたま通りかかった御近所のおばさんが、声を掛けてきました。
「美咲ちゃんのお友達?」
「え? あ、はい、あの…」
「ああ、呼んでも聞こえなかったのかな? ちょっと待ってね」
即座に彼女はインターホンを押し、玄関から出て来た美咲ちゃんママに、
「お友達が来てるわよ。呼んでも聞こえなかったみたいだから。それじゃね」
そう言って、私たちににっこりほほ笑むと、そのまま立ち去りました。
彼女には、まったく悪気はなかったと思います。事情を知らない善意の第三者ですから。誰も彼女を責めることなど出来ないし、彼女自身、責められる筋合いもありません。でも、状況は最悪です。
そこに残された私と美咲ちゃんママ、そして状況を察して玄関から出てきた美咲ちゃん、さらにその後ろにちらりと見えたのは、帰ったはずの他のお友達の姿。慌てて隠れたのが分かりました。
このところの連続した偶然の出来事と、たった今聞いてしまった会話、そしてこの状況から、瞬時に私はお友達のママたちの故意によって、仲間外れにされていたのだと悟りました。
その場にいた全員の間に、何とも気不味い空気が張り詰めましたが、誰よりも動揺した様子で独り言のように
「何…? 何で…? いつからそこに…」
と呟いている美咲ちゃんママの言葉を遮るように、美咲ちゃんが言いました。
「どうしたの…?」
「あ、ごめん、私、ドリルを忘れてしまって、取りに来たの」
「あ、…あ、そう! すぐに持ってくるわね!」
そう言って、すぐさま私のドリルを取りに行ってくれた美咲ちゃん。
必死で平静を保とうとしながらも動揺が隠せず、何か言おうとしても言葉にならない様子の美咲ちゃんママ。
息を潜めて気配を隠すお友達。美咲ちゃんが戻るまでの時間が、酷く長く感じられました。
ドリルを受け取り、御礼を言って帰ろうとした私に、必死で言葉を放った美咲ちゃんママが上がって行くように言いましたが、私は目を合わさず、小さくお辞儀をして、そのまま自宅に戻りました。
帰る道すがら、色々なことが頭の中を巡っていました。
~ 何でこんなことになったんだろう?
~ やっぱり、リカちゃん持ってなかったからだろうな。
~ お人形、貸して貰うのは、嫌な思いをさせていたのかな?
~ リカちゃん持ってない私なんか、一緒に遊ばない方が良かったんだ。
~ みんな、言えなかったんだね、きっと。
~ 何で今まで気が付かなかったんだろう、私…
お友達から直接言われたのなら、まだ救いようがあります。お友達同士の喧嘩なら立場は対等ですが、親から嫌われていたとなれば訳が違うくらいは理解出来る年齢です。
涙は出ませんでした。彼女たちが隠れていたのが、みんなグルだったのか、それとも私への配慮だったかは分かりません。
ただ、この事態を引き起こした原因は『自分のせい』という自己嫌悪に襲われ、明日学校で顔を合わせたら、どんな顔をして、何を話せば良いのだろうと思うと、更に複雑な感情に苛まれたのは事実でした。
ところが、その夜、いきなり美咲ちゃんママが我が家を訪れたのです。誰かが来たのは分かりましたが、母に呼ばれるまで彼女だとは思いもしておらず、昼間の出来事があったばかりで、正直、頭の中は大混乱していました。
母には、今日の出来事は報告していません。なぜなら母にそのことを話せば、追い打ちを掛けるように酷い言葉で私を責め、怒りに任せて叱りつけられるのが分かっていましたので、敢えて自分に不利な状況を作り出し波風立てるよりも、知らぬが仏で、スルーするに越したことがないことを、経験で熟知していたからです。
でももし美咲ちゃんママが、わざわざ自宅にまで文句を言いに来たとしたら、事情は違ってきます。事後報告になったことで、自分が恥をかかされたと怒り、何十倍にもなって母から叱られることは明白。
ならば、最初から正直に報告したほうがダメージは少なく済んだ訳で、今からでも今日の出来事を全てを白状して謝ることが、今私に出来る最善策…
瞬時にそうした計算が脳裏を駆け巡り、私が口を開こうとするより一瞬早く、遮るように美咲ちゃんママが口を開き、そこから先は予想もしない展開になって行きました。
「こうめちゃん、今日はせっかく遊びに来てくれたのに、用事があって帰ってもらうことになってしまって、本当にごめんなさいね~」
「あ、いえ、私の方こそ何も知らないで、いつも借り…」
「ねぇ~! もう、約束してるって分かってたら、用事は明日にしたのに、ねぇ~!」
「え…? あの…」
何か話がかみ合っていません。すると、私の母が言いました。
「美咲ちゃんのお母さん、悪かったって、わざわざ謝りに来てくれたのよ」
「あの…でも、私、嫌わ…」
「もぉ~本当にねぇ~! バタバタと帰らせる格好になっちゃって、もうこうめちゃんに悪くって~」
「まぁそんな、お気遣い頂いて。ご丁寧にお土産まで、すみませんねえ~」
「行った先で、こんなのしかなくて。ほんのお詫びの気持ちですから~」
「あの…お人ぎょ…」
「ねぇ~! こうめちゃん、よかったら食べてね~」
私が何か言おうとしても、ことごとく美咲ちゃんママに遮られ、特に『借りる』『嫌われる』『人形』などのキーワードに対しては、たたみ掛けるように言葉を被せてくるのです。
母親同士は『申し訳ない』『ご丁寧にこちらこそ』と終始し、最後まで仲良しお友達の母親どうしというスタンスで、にこやかに話していました。
そして、帰り際、美咲ちゃんママは、念を押すように、
「今日はせっかく来てくれたのに、本当にごめんね。いつも美咲と仲良くしてくれて、本当にありがとう。是非またうちに来て、美咲と遊んでやって頂戴ね、こうめちゃん」
そう言って、にこやかにフレンドリーに満面の笑顔を振りまき、何度も私と母に会釈しながら、自宅に戻って行きました。
その時は、何が何だかよく分からない状態でしたが、確信していたのは、昼間、私を嫌っていた彼女に『用事がある』と嘘を付かれて強制的に追い出されたという事実を、急用が出来たために一緒に遊べなくなりやむなく帰った、という設定に摩り替えられたということ。
ご丁寧に、お土産のお菓子という証拠付き。
なぜ彼女がそんな嘘を付くのか意味が分かりませんでしたが、母に本当のことを話すのは止めました。真意は分からないけど、事実を告白したところで余計な波風を立てるだけですし、その状況設定のほうが間違いなく私にとっても好都合でしたから。
大人になった今なら、それら一連の出来事の意味も理解出来ます。
美咲ちゃんママが私を嫌っていて、嘘を付いて追い出したのは間違いない事実。彼女にとって、唯一の誤算だったのは、ドリルを忘れて取りに戻った私が、会話の内容を聞いてしまうというイレギュラーな事態が起こったこと。
普通、小学三年生の子供の身にそんなことが起きたら泣いてしまうでしょう。泣きながらありのままを親に訴えるかも知れませんし、たとえ言わなかったとしても、子供の様子がおかしいことに親が気付き、様々なアプローチから何があったのかを探るでしょう。そして、それを知った親の気持ちは…
そうなって一番困るのは、その状況を作り出した張本人である美咲ちゃんママです。そこで、彼女は自分の保身のために、行動に移します。
まず、本当に『出掛けた』という既成事実を作るため、わざわざお菓子だけを買いに行ったのだと思います。
あの時点で、まだ自宅に数人お友達が残っていましたので、辻褄合わせに帰らせたでしょう。これで、あたかも時間差で私が先に帰り、他の子は出掛ける寸前まで残っていたという状況の出来あがり。
会話の内容は、外にいた私が聞こえたのですから、他の子にも聞こえていたはずです。何人かの他のママたちも共謀していたのですから、知っていた子もいたでしょうし、美咲ちゃんのように知らなかった子もいたかも知れません。
わざわざ私の自宅まで来たのは、私の親がどこまで把握しているのかを確認するためだと思います。あくまで『急な用事で帰らせてしまったことへの謝罪』というふうを装い、もし全てを知り怒っていたとしても、それは誤解や私の聞き間違いだと釈明すれば良いのです。
自分が直接その現場に居合わせていないだけに、悪びれた様子もなくお土産を持って来て、終始にこやかに話す人に対して、最初は怒りで感情的になっていても、少し冷静になって考えると、もしかするとこちらの誤解だったのかも、と思い始めるのが普通の人の心理だと思います。
ましてや、大人と子供で言い分が食い違った場合、経験値とボキャブラリーの多さでは、圧倒的に大人のほうが有利ですから。
彼女にとって何よりの幸運は、相手が私の母だったということです。実際、母は美咲ちゃんママが言った事に何の疑問も持っていませんでしたし、子供の様子から何かを感じ取ることもありませんでした。
ただ、真実がすり替えられたところで、昼間の出来事がなかったことになるわけではなく、それ以降、私はお友達のお家に遊びに行かなくなりました。
多分、事件の顛末はすぐに他のママたちに伝わったことでしょう。全てのママが加担していた訳ではなく、知っていてもそれに加担しなかったママもいたと思いますし、知らなかったママもいたかも知れません。
事件があってからしばらくの間、私は頻繁にお友達のお家に遊びに来るよう誘われました。後ろめたさや保身、同情、逆に正義感からなど、それぞれの立場で様々な思惑があってのことと思います。
ただ、小学三年生になれば、自分の置かれた状況も理解しますし、空気も読めますし、何より子供心にもプライドがあります。
これが幼稚園くらいなら、喜んで遊びに行き、何もなかったかのように関係が修復出来たかも知れませんが、もうそこまで幼くはありません。
学校では、普通に遊んだりお喋りしたり、それまでと変わらず普通に過ごしていましたが、放課後に誘われても『ちょっと用事があるから』と、なるべく角が立たないように断りました。
今この歳になれば、あのときのママたちの気持ちも分かります。
彼女たちにしてみれば、自分が遣り繰りしている中から子供に買い与えた物を、子供同士がお互い了解した上であっても、私のように借りることが常態化しているような子に対しては、違和感を覚えると思うのです。
~ いつも使うものなのに、なぜこの子の親は子供に買い与えないのか?
~ 親は、この状態を知らないのか、知っていて放置しているのか?
~ 買ってあげる余裕がないのか、ただ単に図々しいだけなのか?
金銭的なことは勿論ですが、たかがお人形、たかが色鉛筆であっても、それが子供が頑張った御褒美に買い与えた物だったりすれば、尚更穏やかではなくなり、一度気になりだすと自分の中で悶々としてしまうものです。
子供のすることですから、自分一人ならグッと胸の内に留めたでしょうが、他の人も同じように感じていたことを知り、お互いに共感したことで閾値が低くなり、そのストレス解消に、最初に誰かが、ひそかに私を仲間外れにするという行動に出たのを知り、我も我もと後に続いたのだと思います。
私の場合は、思わぬ偶然からそれを知ることとなり、お友達と遊ばなくなりましたが、仮に、知らないままでいたとしても、徐々にママたちの行動がエスカレートしたりして、最終的には同じ状況になっていたと思います。
そう、丁度、木村兄弟のように。
その後、木村兄弟はといいますと、それまで仲の良かったお友達とは全く遊ぶことがなくなり、何人か新しいお友達のお家へ行ったりしていたようですが、それも徐々になくなり、やがて、兄弟二人だけで公園で遊ぶ姿が見られるようになりました。
しかも、夜8時を過ぎても、薄暗い夜間照明の中で、夢中で遊具で遊んでいるのです。
さすがに、これにはご近所の方々も放ってはおけません。たとえ保護者が許可していたとしてもまだ幼い子供たちのこと、ましてこういうご時世ですから、事故、事件、何があるか分かりませんし、何かあってからでは取り返しが付きません。
警察やら民生委員やらまで出てきて、再三、兄弟の親に話をしたそうですが、二言目には仕事が忙しいことを言い訳にし、挙句には、
「上はもう三年生ですし、もし何かあっても、すべて自己責任だと思っていますから。それに、夜でもわりと公園に人がいるみたいだから、そんなに心配することないんじゃないですか?」
と、話し合いになりません。
夜公園に人がいるのは、心配したご近所の方々が、あくまで善意で時間が許す限り、わざわざ夜遅い公園に出向いては兄弟の様子を見てくれていたもので、そのことを本当に分かっていないのか、それとも計算ずくなのか、皆さん、散々気持ちを逆撫でされ、もう我慢も限界と思い始めていた頃、不意に兄弟の姿は公園から消えました。
当初、何も分からず、もしや案じていたことが現実になってしまったのでは、と、町内に不安な空気が広がっていたのですが、どうやら木村夫婦は離婚し、母親が子供たちを連れて実家に帰ったらしいという情報が、信頼筋(百合原さん)から入りました。
その後、兄弟がどうしているかの詳細は不明ですが、母親の実家なら祖父母が居ることでしょうし、今までよりは良い環境で暮らせていることを祈るばかりです。
今でも、リカちゃん人形を見ると、あの頃のことを思い出し、ちょっと切ない気持になります。
結局、私はマイ・ドールを持つことはありませんでしたが、我が家にリカちゃんがやって来たのは、それから2年後のことでした。私同様に、どうしてもリカちゃんが欲しかった妹(当時小学二年生)が、根性で勝ち得たのでした。
ただ、その手段は私とは違い、泣いて、叫んで、暴れて、というかなり子供じみた(子供ですが)もの。
母はガンとして自分の財布を開くことはなく、妹がいうことを聞かないことで、姉の私まで母の苛立ちのとばっちりを受けましたが、自分の主張は絶対に曲げない性格が母親そっくりな妹、そのあまりの激しさにとうとう母のほうが根負けし、最終的に祖父母に買うことを許可する、という形で決着が付きました。
さすがはドケチな母のこと、買うことは譲歩しても、決してお金は出さないところは鉄壁です。
妹がリカちゃんを買ってもらう際、祖父母から私にも買ってあげると言われましたが、断りました。
もう2年、あの事件が起こるより早ければ、喜んで買ってもらったところですが、私はすでに五年生になっていて、その頃には遊び方も違っていましたし、あれ以来一緒にお人形遊びをするお友達もいませんでしたから。
正直、同世代の女の子たちが何歳くらいまでお人形遊びをしていたのかも知りません。
そうして随分長い間、お人形は小さい女の子が遊ぶものという概念でしたが、ドールハウスという趣味があることを知ったのは、大人になってからでした。
子供の頃の遊びの延長のようなものかな、と思ったのですが、なかなかどうして、大人の女性の間でかなりハイグレードな趣味として定着しているそうで、ハウスそのものがメインのもの、ハウスの住人がメインのものなど、色々なパターンがあります。
住人には、動物だったり人形だったり、何でもありですから、そこにリカちゃんを参加させていらっしゃる方もいらっしゃり、手芸やDIYが得意な方は、衣装から家具まで、すべて手作りという上級者も。
以前、知り合いの方に拝見させて頂いたことがあり、これがまた本当に素敵なのです。
私も手芸が好きなので、是非やられてみてはと勧められましたが、何か心の中にブレーキが掛ってしまい、駄目なのです。
もし始めたら、きっとたくさんのお洋服を作るだろうな、とか、家具やファブリックにも拘るだろうな、とか、色々と想像を巡らせてみたりもしますけれど。
事件のもう一つのきっかけとなった48色の色鉛筆。
今でも絵を描くのが好きで、自己流ですが、気が向くといろんなものを描いていて、使い勝手が手軽な色鉛筆、愛用しています。
また、絵を描くことが苦手な人でも塗る事を楽しめるように『大人の塗り絵』というのも流行っているそうです。
色鉛筆というと、子供の頃にムラムラな薄~いタッチでざっくりと塗っていたイメージが強いですが、侮ることなかれ。塗り方によっては、メルヘンチックや、ポップ、写実的、もっと深い重厚なタッチ等々、これが本当に色鉛筆なのか!? と驚くほどバリエーション豊富な画材なのです。
今手元にあるのは、セットで12色、50色、120色、更にバラで購入した色も多くあり、いろんなメーカーの物を使用しています。こちらは特にトラウマのようなものはなく、今でも楽しみながら描くことが出来ています。
あの時、凄く感動しながら借りたのがどの色だったのか、今はもう思い出せませんが、ふとした瞬間に、あの『ときめき』にも似た感覚が蘇ることがあり、また絵を描きたくなるのです。
大人になった今、自分の意思で、欲しい物や必要な物を買うことが出来ます。
夫も、子供の頃、欲しくてもなかなか買ってもらえなかった経験があり、そういった物を目にするとノスタルジックに浸り、必要ないのに衝動買いしたりします。しかも、子供の夢の『大人買い』。
夫曰く、子供の頃の買ってもらえなかった悔しさ、満たされなかった想いを、大人になった自分が子供だった自分に思う存分買ってやることで、満足するのだとか。
そんなふうにネガティブな記憶を払拭する方法もありなのだと知りました。
私にとって、切ない想い出となっているリカちゃん。大人になった今、買おうと思えばいつでも手に入れられるお人形。でも、私自身、欲しいとは思いません。
手に入れたところで、今更悔しさが晴れるものでもなく、ネガティブな記憶も払拭されないでしょう。夫と私の違いがあるのだとすれば、夫の心にあるのが『不満』なのに対し、私の心に残るのは『傷』だからなのかも知れません。
でも、あの出来事がその『傷』まで全てを含めて私の記憶であるなら、やはり彼女は手の届かない存在のままであり続けるのが、私にっとって最も良い距離感だと思えるのです。
幼い少女だった頃の、永遠のレジェンド・ドールとして。
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