第49話 湖畔のオートマタ
ブランデンブルクが着替えさせたのだろう。
アメリア夫人は余所行きのドレスに着替えさせられ、まるで夫婦が旅行にでも出かけるような様相で玄関口に立っていた。
「いい加減なことを言うな。アメリアは人形なんかじゃない。見ろ。この美しい肌を。どうしてこれが作り物だというのだ。このペテン師め!」
当然アメリア夫人のオートマタは自立できるはずがなかった。その機能があったとしても、それは今、稼働できる状態ではないのである。ブランデンブルクは左手にアメリア夫人の脇を抱きかかえ、右手の銃を自分のこめかみに宛てて立っている。彼は自分自身の命を盾にして、この窮地を乗り越えようとしていた。
「そのこめかみにあてた銃を捨てておとなしく投降するんだ。夫人のメンテナンスはこちらで責任を持って行う。事件が解決すれば、それこそ警察に置いておく必要はなくなる」
カペルマンは銃を構えながらゆっくりと車の影から姿を現し、説得にあたった。
「だからそんな必要はない。アメリアの面倒は僕がこれから一生かけてみていく。誰にも渡さないし、誰にも見せない。アメリアは僕だけのものだ」
狂人に何を言っても無駄だと、ジールマンは吐き捨てたが、金髪の人形師は考えが違うようだった。
「私はアメリア夫人のオートマタを製作したダミアン・ネポムク・メルツェルと申します。お見知りおきを。あなたのアメリア夫人への愛情、痛み入ります。しかし私にも愛情はあります。私が作った人形たちは、それぞれ魂を持っている。いわば私の子供のようなもの。私は人形に命を吹き込み、それを維持すべくありとあらゆる手を尽くしましょう。人には医者が必用です。身支度をするには美容師が必用です。きれいな服をデザインし、コーディネートするのはあなたの仕事ですよね。ブランデンブルクさん。そして人形の手入れには私のような人形師が必用なのです。お分かりですよね」
金髪の黒い瞳の青年は、姿を見せないままそこまで語るとゆっくりと立ち上がり、ブランデンブルクを凝視した。その目には計り知れない覚悟のようなものが宿っている。ベーレンドルフも見たことのないダミアンの迫力は、一瞬にしてその場を支配した。
「あなたは禁忌をいくつも犯している。それはとても危険なことなんですよ。ブランデンブルクさん」
身の危険を感じたのか、ブランデンブルクは持っていた拳銃をダミアンに向けた。
「どういうことだ。人形師!」
そのとき、不意にアメリア夫人の人形の首が後ろに大きくのけぞった。ブランデンブルクの差さえのバランスが崩れただけにも見えたが、それが"何かの兆候"であることに気付いたのは黒い瞳の人形師だけであった。
あまり関係のない者に見せたり触らせたりしない事
仕組みがどうなっているかと分解したりしない事
腕や足はできるだけ固定し動かないように保管する事
できる限り清潔に保つ事
話しかけない事
目を合わせない事
物音がしても聞こえないふりをする事
陽にあてない事
火や水を近づけない事
それはダミアンがアメリア夫人のオートマタをベーレンドルフに託した際に伝えた注意事項である。
「あなたはこれらの禁止事項のほとんどに抵触しているとお見受けします。違いますか?」
アメリア夫人のオートマタは、今こうして多くの人間の目に触れ、服を着替える際にブランデンブルクはオートマタの身体の隅々まで点検し、汚れを水で拭きとった。その際、窓を閉め切っていたのでランプを近づけた。彼は彼女と二人で過ごす時間、ずっと話しかけ、そうでないときは人形の目を閉じ、また話しかけるときは目を開けた。今は清潔に保たれているが、それまでは、警察署の物置のような場所に、血も拭き取らずに放置されていた。やっていないことと言えば、陽にあてることくらいであった。
「悪いことはいいません。あなた、その人形をそこに置いてこちらに来るべきです。あなた、今、とても危険な状態です」
かちゃ、かちゃ
人形の首が後ろから前にそして横に振れる。
「アメリア、どこか具合でも悪いのかい」
ベーレンドルフは危険を察し、銃を構えて飛び出した。
「早くその人形から離れろ、ブランデンブルク!」
ブランデンブルグは、ダミアンに向けた銃をすぐに自分のこめかみに宛て直し、ベーレンドルフをけん制する。穏便に済ませたい警察にとって、ここでブランデンブルクに死なれることは、事態をすべて明るみに出さざるを得ない。証拠品を警察から盗まれ、その容疑者が警察に追い込まれて自殺をしたとなっては、署長の首が飛ぶだけでは済まないだろう。その計算が、ブランデンブルクにはあったのである。
「どうして放っておいてくれないんだ。私はアメリアと静かに暮らしたいだけなのだ。さあ、行こう、アメリア。君の故郷へ」
ブランデンブルクにとっては動くはずのない人形が動いているのではなく、動くべきものが今まで動かなかったということになるのだろうか。この異様な事態をまるで理解してはいないようだった。
「それ以上、オートマタに話しかけてはいけません。ブランデンブルクさん。もしそんなことをすれば、あなた、一生アメリア夫人と会えなくなりますよ」
アメリア夫人のオートマタはいよいよ手足をバタバタと動かし始めた。
「やめてくれ、やめてくれ、なんだ、あの化け物は」
ジールマンはすっかり怯えきっていた。
「ジールマン! 貴様だけは許さない! アメリアを侮辱した貴様だけは!」
ブランデンブルクはジールマンの声がする方向に向けて引き金を引く。爆音とともに火花が散る。火薬のにおいが周辺に広がる。
かちゃ、かちゃ
アメリア夫人のオートマタの動きが一瞬止まる。
「さぁ、アメリア、僕と一緒に旅立とう」
ブランデンブルクは腕にかかっていたオートマタの重みが薄れたのを感じ、支えていた腕をそっと彼女の腰のあたりに滑らせた。
「自立しやがった」
ベーレンドルフの位置からはそれがはっきりと見て取れた。
「おい、ダミアン、どうなっている!」
ダミアンは首を横に振る。
「もう、手遅れです。悲劇は繰り返されます」
ブランデンブルクとアメリア夫人のオートマタは見つめ合い、抱き合い、そして熱い口づけをかわす。
その光景は激しく愛し合う恋人たちのそれと違いはなかった。だが、少しだけ違っていたことある。それは音である。
かちゃ、かちゃ、ぎぃ、ぎぃ
油を差していない機械のきしむような音や部品が破損してこぼれ落ちるような音が聞こえる。そして男性の身悶える声……やがてそれは悲鳴へと変わった。
「危険です。近寄らないほうが身のためですよ」
二人に駆け寄ろうとしたベーレンドルフをダミアンが制止する。
「おい、どうすれば……ダミアン」
ダミアンは一つため息をつき、目を伏せたまま答える。
「オートマタの頭と心臓をブランデンブルク氏を傷つけずに撃ち抜くことができますか。刑事さん」
ベーレンドルフは、2人が抱き合っているすぐ近くに近寄り銃を構えたが、引き金を引くことはできなかった。
二人の口づけは、ブランデンブルクの顔の鼻から下を真っ赤に染める形で続き、その動きは激しさを増して行った。アメリア夫人の両腕はブランデンブルクの脇と首を固める形でがっちりと締め付けて離れない。両足は彼の腰に絡みつき、激しく腰を上下左右に動いている。
夫人の後頭部から撃てば弾は貫通してブランデンブルクを傷つける。心臓も背中越しには撃てるが同じことである。
「畜生、化け物め!」
ベーレンドルフは夫人を後ろから思いっきり蹴り飛ばした。それが人形であっても女性を後ろから蹴り飛ばすなど、好んでやりたいとは思わないベーレンドルフではあったが、人ひとりの命がかかっているのである。
「手を貸せ、カペルマン!」
ベーレンドルフは倒れ込んだ二人の頭の位置に回り込み、カペルマンに抱き合った二人を抑え込むように指示した。
「これでも食らえ!」
ベーレンドルフは夫人の頭頂部を撃ち抜き、次に左の脇から続けて2発、発砲した。一瞬動きが止まったが、ブランデンブルクから離れて起き上がり、恐ろしい奇声を上げた。
パーン、パーン、パーン
ベーレンドルフとカペルマンの一斉射撃を浴び、オートマタは後方に吹き飛ぶような形で倒れ込み、腕を空に伸ばした後、ついに動きを止めた。
「ダミアン!」
ベーレンドルフが叫ぶ。
「これで二人目の犠牲者が出た。どうなってるんだ。貴様、何がしたい!」
それは理不尽で、横暴な言いようであったかもしれないが、正直な心の叫びであった。
「夫人の魂を汚したのは僕の責任です。何も言葉はありません」
ダミアンは深々と頭を下げた。それは彼の母の国での作法でありながら、ベーレンドルフのやり場のない怒りを受け止めるにふさわしく、彼に相応しくない潔さに、ベーレンドルフも戸惑うしかなかった。
「カペルマン、ブランデンブルクを車で病院に運ぶぞ」
ベーレンドルフは顔を血に染め、もがき苦しむブランデンブルクを抱きかかえた。
「あれはどうしますか?」
カペルマンは仰向けに横たわるアメリア夫人の破壊されたオートマタを指差した。
「ここまで破壊したんだ。もう、動くこともあるまい。そうだろう。ダミアン」
ダミアンはオートマタの傍らで何やらぶつぶつとつぶやいていた。
「ダミアン、行くぞ!」
ダミアンは胸で十字を切り、一行はその場を離れた。
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