第48話 包囲網

「どうです? うまくできたでしょう?」

 ダミアンは金髪の髪をかきあげながら、黒い瞳でにっこりとほほ笑んだ。

「お前ってやつは……」

 ベーレンドルフはダミアンにつかみかからんばかりに迫ったが、ギリギリのところで踏みとどまった。実際、ダミアンの取った行動は、最善手であったこと、車は最小限の傷で済んだこと、そして何より半日助手席に座っただけで、自動車の運転を覚えたダミアンのセンスに感服をしたのであった。

「カペルマンよりはましな運転だった。それだけは褒めてやるが、今度勝手な真似をしたら、俺はしらんからな」


 二度とするなと言えないベーレンドルフであった。どうせ言っても、ダミアンは聞く耳を持たないだろう。そう思わせてしまう黒い瞳の青年を疎ましく思いながらも、彼が今、こうしてここにいるということの意味を考えさせられた。

 もしもダミアンが人の指示に素直に従うような真面目な青年であったのならば、恐らく生き残ることはできなかったのだろう。彼の境遇、生い立ち、両親のこと、特異な技術、思想、見識……刑事という仕事をしている以上、自分も特異な人生を歩んでいるとはいえ、ダミアンに比べればたいしたことはないのだろう。

 敬意にも似た思いを抱きながら、それでもそれを受け入れることができない感情の存在。それは人として超えてはならない一線を越えてしまうような危うさと、神をも恐れず、悪魔ですら手なずけってしまいそうな異端の業のようなものを、あの黒い瞳に見出してしまうからかもしれなかった。


「僕は、僕は……」

 ジールマンはすっかり怯えていた。もし自分一人でのこのことあの別荘の中に入っていたらどうなっていたのか。それを想像する余裕ができたということでもあるが、人は一度恐怖に襲われると、簡単には立ち直れないものである。少なからず命のやりとりをした経験があるベーレンドルフやカペルマン刑事には、それが理解できた。そして若き人形師もまた、その恐怖をよく知る人物であるようだった。


「あなたは実に運がいい。その運を使い果たさないようにするためには、僕らの言うとおりにしてもらう必要があります。わかりますか? 新聞記者さん」

 女装したジールマンの震える右手を包み込むように握り、ダミアンは語りかけた。

「ぼ、僕は、大丈夫、僕はこんな恰好をしていますが、ブレーメン新聞記者の記者をしているコンラート・ジールマンといます。お二人はブレーメン警察の方ですね。あなたとは初めてお会いすると思いますが、ちがいますか……ダミアンさん」

 ダミアンはジールマンをゆっくりと引き起こし、やさしく語りかけた。

「ダミアン・ネポムク・メルツェルと申します。町のはずれで人形作っております。今回はその人形のメンテナンスに伺いました。ジールマンさん」

 最初、ダミアンはあえて、ジールマンの名前ではなく、彼の職業を口にした。それによって彼は自分が新聞記者であることを思い出させ、危うく忙殺されそうになったコンラート・ジールマンではなく、新聞記者としての職業魂、こんな特ダネは二度とないことだという、いわば度し難い功名心に火をつけることで、彼の平静を保たせたのである。


「悪魔め……」

 ベーレンドルフは誰にも聞こえない声でつぶやき、ここから事態をどう収拾するのかを考えていた。

「フリッツ・ブランデンブルクは頭のいい男だ。この状況で単独で強行突破をしてくるような馬鹿な真似はしないだろう。追い詰められた奴が考えそうなことはだいたい想像がつくが、それが一番厄介だ」

 ベーレンドルフはカペルマンに合図を送り、合流するように指示を出した。

「あなたが人質にならなくてよかったですよ。その場合、あなたは高い確率で命を落としたでしょう。そうですよね、刑事さん」

 さっきジールマンを鼓舞したかと思えば、すぐに血の気が引くようなことを言ってのける。ダミアンは死地に置いても、やはりダミアンである。

「そういうことだ。奴はお前さんに致命傷にはならない傷を負わせ、身動きができない状況で散々引き回した挙句、逃げ切れたと思った瞬間に殺すつもりだったのだろう。もちろん、逃げられないと思った瞬間にもおそらくお前さんは殺される」

 ジールマンは青い顔で信じられないという表情をしたが、すぐに合点が行ったようだ。

「僕は、間違っていました。あの人は、ブランデンブルグさんは、本気だったんだ。まさか人形にそこまで固執するとは思わなかったが、彼にとっては、あれは人形なんかじゃない。アメリア夫人そのもの……だから、彼は僕を許せなかった。アメリア夫人を人形として扱った僕を……」

「殺したいほど、憎んでいたということですよ」


 ダミアンのその言葉に背筋に寒い物を感じていたところにカペルマンが背中を丸め、別荘からの射線軸に入らないよう、身を屈めながらやってきた。

「お前が一番的になりやすい。ここで援護をしてくれ。きっと奴は人質を盾にして脱出を図るだろう」

 カペルマンは意外そうな顔をした。

「人質って、中に誰かいるんですか。ブランデンブルクの他には……」

 カペルマンはそこまで言って何かに気付いたらしく、首を縦に何度か振って理解を示した。


「フリッツ・ブランデンブルク、私はブレーメン警察のカペルマンだ。聞こえているか。話しがしたい。今、君が置かれている状況は非常に不利だ。複数の警官に囲まれて無事にここから逃げることはできない。だが、冷静になってくれ。君の犯した罪は罪として、君の築いてきた地位や名誉をすべて失うようなものではないはずだ。君はまだ誰も傷つけてはいない。このままおとなしく投降してくれれば、ここで起きたことは、我々の中だけで処理ができる。しかしけが人が出ればそういうわけにはいかない。まして銃はまずい。手荒な真似はしない。窓からでもドアからでもいい。銃を捨てて、両手を上げて出てくるんだ」

 カペルマンはゆっくりと、はっきり聞こえるように声を上げた。これ見よがしに時々車の影から姿を出しては、引っ込め、相手の注意を引き付けようとしたが、どうにも手ごたえがない。

「アメリア夫人の身を案ずるのならば、こちらの提案に乗る以外に手はない。おとなしく――」


 銃声が響く


 やはりアメリア夫人のことを取り出すと、相手は平静ではいられないらしい。最初、銃声は2発連続であったことからライフルではなく自動拳銃であり、その場合8発ないし9発の連射が可能で、全て打ち終わったあと、予備のマガジンがなければ弾丸を込めなおさなければならない。可能なことであれば、弾切れのタイミングで突入したいところだが、そうこちらの注文通りには動いてくれないだろうことは予想ができた。


 ブランデンブルクは用心深い男である。


「彼が持っている銃はそれと同じ、ルガーP08じゃないかと思うのですが、どうですかね。カペルマン刑事」

 ダミアンの問いにカペルマンは驚きの表情を隠せなかった。

「ダミアンさん、よく御存じで。確かにその可能性は高いでしょうな」

 カペルマン刑事は右手に持った銃の銃口を空に向ける形で見せた。

「銃声は確か出会いがしらに3発、僕が車で突っ込んだときに1発か2発……」

 ダミアンが首をかしげる。さすがのダミアンも初めて車を運転してそのときに起きたことをすべて把握しているわけではなかったようだ。

「2発です。そして今1発。合計6発撃っていますから、残りは2発。もし先に1発装填してあったとして3発です」

「つまり3人がかりで突入すれば、1人1人を1発で仕留めなければ、彼の負けということになるわけですね」

 カペルマンは苦笑いをするしかなかった。普通の警官でもそのような発想は出てこないだろう。ダミアンの冷静さは常軌を逸している。


「相手が予備マガジンを持っているかどうかで言えば、可能性は低いでしょう。であれば、もっと撃っていたと思います。しかし、他に何も武器がないと考えるのは危険でしょう。銃は中長距離の武器です。決死の覚悟をしているのであれば、刃物や鈍器のような凶器を手元に置いていても不思議はないでしょう」

 ダミアンは満足そうな笑みを浮かべながら二度うなずき、ジールマンに話しかけた。

「頼もしい人たちじゃないですか。彼らを信じて、言うとおりにしたほうが生存確率はあがりますよ。新聞記者さん」

 ジールマンは目の前にいる青年が怖くてたまらなかった。


 車と林の死角を利用して別荘の真横に迫ったベーレンドルフから合図があった。

「もう一度警告する。フリッツ・ブランデンブルク。アメリア夫人のオートマタは今すぐメンテナンスが必要だ。今ここに、それを作った技師が来ている。彼の話しでは、そのオートマタに使ったパーツは、このままでは腐ってしまうそうだ。そのアメリア夫人のオートマタを壊したくなかったら、今すぐ出てくるんだ。さもないと手遅れになるぞ!」


 最初はゆっくりとした口調で。そして最後は相手を挑発するような威圧的な口調でカペルマンは"誘拐犯"をけしかけた。

 一瞬の間の後、別荘のドアがゆっくりと開く――そこに立っていたのは、アメリア夫人のオートマタだった。

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