第37話 キールマンの整備工場
「ブルース・エルスハイマーの墓が荒らされたのは事実です。誰が何のためにそれをしたこともわかっていますが、いずれも公式には発表されていないことです」
ベーレンドルフ刑事は重い口を開いた。
「そのことをあなたのお父様が電話で話しているのを聴いたというのは、つまり、墓地の管理人と話をしたということですか?」
ニーナはそのときのことを詳しく話し始めた。
「ブレーメンにはいくつかの墓地があります。末期患者の世話をしていた父は、必然的にそうした施設とのつながりがありました。研究所をやめてから、父は時々そうした施設のおそらくは信頼できる人と"墓荒らし"について調べていたようなのです。いったい何の目的でそんなことをはじめたのか……、私怖くて」
「お父様が研究所を辞められた前後、何か変わったことはなかったですか? 誰かが家に訪ねてきたとか、電話があったとか」
ニーナは少し考えて答えた。
「そういえば、手紙が来ていましたわ。なんでも古い友人とか。名前は……覚えていませんが、消印は日本という国からでした」
ベーレンドルフ刑事はニーナの顔をじっと見つめたまま黙りこくってしまった。
「どうか、なさいましたか、刑事さん」
「いえ、なんでもありません。その手紙は今でもお父様はお持ちだと思いますか?」
「どうでしょう、それはわかりませんわ。父は、たとえば研究に関する手紙は、ファイリングをしていますが、その手紙がどういう内容であったかまでは、わかりません。珍しい国からの手紙で、受け取ったときには、懐かしさとか、或いは意外さとか、そういう感じに見えました。でも、その手紙を読んだ後は、少し様子が変だったのを憶えています」
「変というと、困っているとか、イラついているとか、悩んでいるとかでしょうか?」
ニーナはすぐに首を振って答えた。
「怯えている、恐れている、不安になっている。そんな様子に私には見えました」
墓荒し、ブルース・エルスハイマー、そして日本。それらの点は一つの方向に向かっている。黒い瞳の青年――ドイツ人医師の父が遠く離れた国、日本で出会った神職の家の娘との間に生まれた人形師――ダミアンである。
ベーレンドルフ刑事は、車を目的地――旧友、キールマンの整備工場へ向けて発進させた。そこから10分ほどの間、今後のことについて二人は話しをした。今日話したことは、誰にも言わないこと。ベーレンドルフ刑事にはその手紙の主に心当たりがあり、現在捜査している事件の解決のためにも、その手紙の差出人を確認したいこと。その上で。ベーレンドルフが知っていることをニーナに話すこと。そして父の奇行――墓荒らしの調査を行い、もし、何か犯罪に関わるようなことがあれば、できる限り未然にそれを防ぐこと等。そして改めてベーレンドルフ掲示はニーナの聡明さに感心させられた。
ブレーメンの市街地から北へ向かいレイム川とぶつかったところを西に向かったヴェーザー川との合流する中間地点にキールマンの整備工場はある。ガソリンやオイルの油の臭いと、黒鉛、そしてエンジンの音。工場の中には整備のためにエンジンがむき出しになった自動車や、タイヤをはずした自動車が並んでいる。工場の敷地はそれほど広いとはいえないまでも、三台の車を同時に整備できるだけのスペースと5台は置ける屋根つきの駐車スペースがある。その中に見覚えのある赤い色の車体があった。
「どうやらすっかり整備は終わっているようですね」
「助かりましたわ。送っていただいてありがとうございます」
「いえ、ついでですよ」
エンジンを止め、ベーレンドルフは車を折り、反対側に回ってニーナが車を降りるのに手を貸した。
「おやおや、これは、これは。朝から珍しいお客さんが着たもんだ。こりゃあ、雨でも降るかな」
ニーナの手を取るベーレンドルフの背後からしゃがれ声で酔っ払い調子の男の声がする。
「おはようございます。キールマンさん、お約束どおり、車を受け取りにまいりました」
背の高さはニーナとほとんど変わらない。やや腰を低くして、蟹股で歩く姿は、童話の中に登場するドワーフを連想させる。右手にスパナを持ち、深く被った工員棒のつばを上に持ち上げ、軽くニーナに挨拶するその男は、不適な笑みを浮かべながらベーレンドルフをいぶかしげに眺めている。
「こんな朝っぱらから見たい顔じゃなかったんだがな。お前さんの客人を乗せてきてやったんだ。もっと愛想よく挨拶できないと、客がみんな逃げちまうぜ、キールマン」
ベーレンドルフはもっとひどい言葉を言ってやろうかと考えたが、ニーナの手前、そういうわけにもいかなかった。
「ふん、お前さんこそ、犯罪者を追っかけているところを他の警官に犯人と間違われちまいそうな面しやがって、よく言うわ」
流石にベーレンドルフはカチンと着たが、隣でニーナが大声を出して笑い出したものだから、ついにその機会を失ってしまった。その様子をキールマンが楽しげに眺めている。ベーレンドルフがわざとらしく咳払いをしてしまったことで、ニーナの笑い声は更に大きくなると、さすがにキールマンもかわいそうになり助け船を出した。
「そりゃあ、こっちも不機嫌になるさ。最近の連中と言ったら機械に対する扱いがまるでなっちゃいない。お前さんみたいにやたらと詳しすぎる客も面倒だがな」
ニーナが後に続く。
「本当にお二人には助けて頂いて……、もしあのときベーレンドルフ刑事さんが通りかからなかったら、私、途方に暮れてしまうところでしたわ」
「まぁ、この街じゃ、機械に関してこの男にかなうのは、親父さんくらいのものか」
「フンッ! オヤジは車をいじらねぇよ」
キールマンは帽子をかぶり直す。それはキールマンのくせであり、また、父親譲りのものであることを知っている者は少ない。
「こいつの親父は昔から名の知れた船大工さ。最近はブレーマーハーフェンにある大きな工場で棟梁をやっている。親父さんは息子に後を継がせたかったみたいだが……」
「よせや、昔の話だ。これからは自動車の時代よ。あんな馬鹿でかい船を作って何が面白いのか俺にはちっともわからん」
「まぁ、そんなわけで、町一番の整備士としては、どうだい、ワーゲンの調子は?」
ベーレンドルフがピカピカに磨かれたオペルの赤いワーゲンを指差す。
「バランスがいい。あの4気筒のエンジンはきちんと整備すればいくらでも走る。馬力もスピードも街中を走るのにはちょうどいい。まさに医師用の自動車だ」
それからしばらく自動車好きの二人の会話が続いたが、ニーナにはまるで分らなかった。ただ、自分の車のエンジンのシリンダーの一つに問題があり、今回はそれを調整してくれたということは分かった。
「よし、それじゃあ、俺はこの辺で。それからお父様のことは、無理に調べたりしないように。もし可能なら、手紙の差出人だけでもわかれば、それで十分ですから」
ベーレンドルフはニーナをキールマンに任せてその場を後にした。
「まったく。まさかこういう展開になるとはなぁ」
ベーレンドルフはキールマンの整備工場で電話を借り、ブレーメン署で待機しているアーノルド刑事に連絡を取った。今のところカペルマンからの連絡はないようだったので、これからダミアンに会いに行くことと、ニーナの父、エルヴィン・ディートリヒについて調べるように指示をし、カペルマンから連絡があったら、名前に聴き覚えがないかどうか、確認するようにも指示をした。
「嫌な予感しかしないぜ」
ベーレンドルフ刑事はダミアンの工房に向けて車を走らせた。
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