第14話 首人形

 ブレーメンの夜は、次第に深まっていく。市内中心部を流れるヴェーザー川の支流、レウム川の北。しばらく空き家だった丘陵地にひっそりと佇む家に、かつて家主であった男の生首人形がテーブルに置かれ、それを巡って三人の男が対峙している。

 現在の家主、人形師のダミアン・ネポムク・メルツェルは、まるで生きている人間を再現するがごとき腕の持ち主で、その技術を自ら賛美する。その黒い目の人形師から依頼を受け、彼の身辺の警護を頼まれたブレーメン警察のベテラン刑事、ベーレンドルフは、銃を構え、いつ何が起きても対応できるように別室で控えている。そしてその銃身の先には、元家主、宝石商のブルース・エルスハイマーの人形の制作をダミアンに依頼した金融業者ヴィルマー・リッツが商品を受け取りに来ている。その手にはエルスハイマーの墓から掘った頭部あたりにあった土の入った布袋が握られていた。


 さらに工房の外には不本意な任務を命じられた長身のカペルマン刑事がベーレンドルフ刑事の愛車、白いアドラーで隣の家の敷地内で待機しており、工房の前にはリッツの部下が主人の帰りを待っていた。


「私の作る人形は、世界一の品質であると自負しております。しかし、いかんせん、長持ちはしません。お客様にはご理解できないかもしれませんが、この人形の素材はどれも生ものみたいなものでして、簡単に言えば時が経てば朽ち果ててしまいます」

 黒い目の人形師は、芝居がかった口調で、まるで大勢の前で演説するかのようにふるまった。

「さらに、カラクリも精密でデリケートなもの。ご要望の難易度によっては、今宵、一回限りしか動作しないかもしれないということは、先刻お話した通りでございます」


 依頼主は、青年の言葉にうなずきながら墓の土が入った布袋をダミアンに手渡した。

「それは重々承知しております。どのみち、要件は人形そのものではないのだから、正直こんな不気味なものを屋敷に置いておくような趣味は……、おお、これは失礼。いや、実際、そのくらいよくできていて、旧知の仲だとはいえ、気持ちの良いものではないということです。それに、こんな物騒なものが中に入っているとなれば、なおさらのこと」


 ダミアンは布袋を無造作に受け取り、袋の紐を解いて中身を覗き込みながら言った。

「では、用事が済んだら、当初のお約束通り保管または廃棄ということで、よろしいですかね。まぁ、おそらくは廃棄になりますが」

「ええ。向こう10年、他の誰にも見せないという条件をお守りいただけるのであれば、倉庫の奥にしまおうが、燃やしてしまおうがかまいません」

 ダミアンはより一層芝居がかった口調で話しながらオーバーなしぐさで、受け取った土を人形に組み込む作業を始めた。


「なるほど、あと10年もすれば、あの忌々しい事件のことを覚えている人も少ないでしょう。さて、いよいよご依頼の品を披露するときがやってまいりました。私の仕事は完璧です。あなたのご期待に、十分こたえることができると自負しております。時間にして正味、10分くらいでしょうか。最初の5分は車で言うところの慣らし運転です。エンジンがしっかりとあったまり、潤滑油がしっかりと駆動部分にまわりましたら、滑らかに動作するでしょう。そのまま5分くらいは快調に動作しますが、それを過ぎると部品の劣化によって、精度がさがっていきます。摩擦熱を冷ましたり、油を差したりと、まぁ、それに近いことをしながら、5分はいけるでしょう。それから先は動作を保障しかねますので、どうか、時間を無駄になさいませんように、質問は簡潔に、聞き取れる内容かつ、イエス、ノーで答えられるようなものが望ましい。大事なことはメモを取ることを強くお勧めします。同じことは二度とできないと思ってください。以上が注意事項となりますが、何かご不明な点はございますか?」


 ダミアンは口よりもさらに滑らかな動きで、複雑な作業を同時にこなしていた。人形の後頭部のあたりに髪の毛に似せた小さなつまみがあり、それを引っ張るとふたが取れ、後頭部に5センチ四方くらいの穴が開いていた。ダミアンはそこに受け取った布袋から墓の土を取り出して丁寧に入れていった。土を入れ終わると、人形の顎に手を掛け、ゆっくりと口をあける。そこには人間のそれと同じ歯が並んでおり、その奥には舌のようなものが見えた。ダミアンは引き出しから瓶を取り出し、ふたを開け、毛先の平たいハケを中に入れ、十分に湿らせ、口の中に丁寧に塗りこんだ。

「それは油か何かですかな」

「ええ。ただし何の油であるかは秘伝中の秘伝と申し上げますか、あまり気持ちの良いものではないので、ご説明は控えさせて頂きます」


 リッツはひまし油か何かだと思ったのだが、ダミアンにそういわれると、いささかおぞましいものを想像し、一度目を大きく見開いて体を少しのけぞらし、匂いをかがないようにした。


 続いて両方の耳の穴の中から小さな栓を抜き、鼻の穴の奥からも栓を抜いた。

「さて、あとは喉の奥にしてある栓を抜けば、準備完了です。試運転は私がしますので、その間はどうか、黙って見ていてください。私が、どうぞというまでは、くれぐれも、そのようにお願いしますね」

「わかりました。始めてください」

 リッツは、大きく頷きながら姿勢を正した。ダミアンンは人形の首を自分の方に向き直らせて向かい合い、口を開けて、喉の栓を抜いた。人形の首の付け根から何本かのゴム製の管が床に伸びている。その先には蛇腹とペダルがあり、ダミアンはそれを踏んで人形に何かの液体を送り込んでいた。


「さぁ、目を開けて、こっちを見るんだ」

 ダミアンは両手を伸ばし、人形の顔を包み込むようにしながら、ゆっくりと親指を使って、人形の目を開けていった。

「慌てなくていい。まず僕の声が聞こえるかい。聞こえるなら、口を大きく開けてごらん」

 ダミアンは手をゆっくりと人形から離し、落ち着いた声で人形に向かって話しかけた。

「大丈夫。何も問題はないさ。君は完璧だ。すぐに何もかもうまくできるようになる。さぁ、僕の声が聞こえるかい?」


 その時リッツは目撃した。人形の横顔のシルエットが変化する様子を。人形はゆっくりと口を開けはじめた。それは生まれたての草食動物が、ままならぬ自分の身体を必至にコントロールして立ち上がろうとする姿に似ていたが、そこに感動はなく、はるかに悪魔的で、背信的な光景だった。


「よし。上出来だ。だんだんはっきりと聞こえてくるし、そして見えても来る。慌てなくていい。目の前に何か見えたら、今度は、なんでもいい。声を聞かせてくれないか」

 人形の口は二度、三度、ゆっくりと口を開いたり閉じたりしたのち、空気の漏れるような音が、かすかに聞こえてきた。

「そうだ。いいぞ。もう少しだ。怖がらなくていい。大きく口を開けて、喉の中の詰まったものを吐き出すようなイメージで」


「かっ……、ぐぅわ……、けっ……、くぉ……」

 その音は間違いなく、人形の口の中から聞こえてきた。ダミアンの黒い瞳は、満足そうに人形を見つめていた。

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