第12話 若い人形師とベテラン刑事

「究極のオートマタ……、これがその一部というわけですか」

 決してそれは生首そのものという『造り』ではなかった。遠目ではともかく、よくよく見ればそれはよくできた人形であり、生首の作り物であることはすぐにわかる。しかし、たとえば絵画が写真よりも見る人間により現実感を伝えることがあるように、この人形には本物よりも、本物らしさがあった。


「刑事さんは仕事柄、死んだ人間……、つまり死体を見ることが多いと思います。ですが、死体は物であって、人ではない。ここにかつて晒してあった生首は、生首という物であって、はたしてブルース・エルスハイマー氏であったかどうか。偽物が本物よりも本物らしいということがある。いえ、むしろそれが真理だという考え方も、広い世界にはあったりするんですよ。刑事さん」

 ダミアンの言うことはわかる。実際、生きていた頃のことを知っている人間が死んだとき、そのギャップを感じることは多い。だからこそ、人は魂という物を信じ、魂の宿らない器だけの死体は、無個性と言ってもいいだろう。しかし――とベーレンドルフ刑事は思った。


「恨みや恐怖に怯えた人の遺体というのは、それはそれで十分に個性的といえます。こういう言い方は遺族には申し訳ないが、無理やり命を奪われた人間の顔というのは、酷いものです」

「なるほど、そういう見方ができるのは、刑事さんか、神職の方、医者、そして葬儀屋ですかね。エルスハイマー氏がどのような死を迎えたのか。そこに関して僕はほとんど知識をもっていないのですよ。刑事さん」


 ベテラン刑事はダミアンの言葉に何か引っかかるものを感じた。

「人形の首を製作するのに生前のエルスハイマーの写真をどうやって手に入れたのです。依頼主からですか?」

「えぇ、まぁ、いろいろと……」

 若い人形師は、わざともったいぶった言い方をした。それは明らかにベテラン刑事の『探り』に対するけん制であった。

「ご自分でもいろいろとお調べになったんでしょう。たとえばオスターホルツァーあたりに行かれたとか?」

 あえて露骨な疑惑を投げかけて、そのリアクションを観ようとしたベーレンドルフ刑事であったが、その試みは失敗に終わった。ドアの外から車のエンジンの音が聞こえてくる。どうやら依頼主が現れたらしい。

「そのあたりについては、おいおい明らかになりますよ。刑事さん」


 ベーレンドルフ刑事は、底の知れない若い人形師、ダミアンの黒い瞳の中に、はっきりと闇を観た。


「では私は別室で控えた方がよろしいですか?」

「そうですね。では隣室の書斎にご案内します。もし気になるものがありましたら、ご自由に手に取ってご覧ください。依頼主には折を見てご紹介しようと思いますが、時と場合によっては……」

 ダミアンの黒い瞳が語りかけてくる。ベーレンドルフはその問いかけに対して静かに答えた。

「臨機応変に対応できるよう、準備はしておきます。もっとも、そんなことに、ならないに越したことはないのでしょうがね」

 ベーレンドルフは上着のボタンをはずして、左脇の下に携帯しているピストルをダミアンに見せた。ダミアンは微笑を浮かべながら書斎に案内をした。

「お客様にはこちら側に背を向けるような形でご案内しますが、くれぐれも気づかれないようにお願いしますよ。刑事さん」

 ダミアンは扉を半開きにして、顔だけを覗かせてそう言い終えると、客を迎え入れる準備を始めた。


「ちぃっ!」

 ベーレンドルフはダミアンに気づかれないように舌打ちをしたあと、無遠慮に書斎の中を見回した。

「ほーう。すごいものだな。これは」

 ダミアンの豊富な知識は、なるほど経験だけではなく、膨大な量の書物によって構築されたものだということが一目でわかるほどの本の量がそこにはあった。部屋の入り口から正面の窓以外の壁は全面本棚になっており、窓の前のデスクにも読みかけの本が何冊も積み重ねてあった。

「机の上の本だけでも俺が一生かかっても読み切れないだけあるな」


 ベーレンドルフは開きっぱなしの本を手に取って読んでみようとしたが、それはドイツ語ではなく英語で書かれている本であることに気付くと、それをもとに戻して、ドイツ語で書かれた本を探し始めた。

「医学書、哲学書、神学に学術論文、まるで手に負えんなぁ、これは……」

 ベーレンドルフは本以外のもの探し始めたが、机の上にあるいくつかのメモやノートはどれも外国語で書いてあり、まるで分らなかった。中にはおそらく人形の設計図らしきものもあったが、それが人形のどの部分であるかも、ベーレンドルフにはさっぱり見当がつかなかった。

「何がご自由にだ。嫌味なやつだ」


 諦めかけたその時、本の山の隙間から写真立てを見つけた。

「ほう。これがダミアンの家族……、こっちで撮影したものだな」

 そこには父ダニエルと母ミサに抱かれた幼いダミアンが映っていた。それはごく普通の家族の肖像写真であり、まじめで人当たりのよさそうな父親と、東洋の神秘的な女性、その神秘性を瞳に宿した幼い少年が仲睦まじく映っているだけで、それ以上の情報は何も得られなかった。それが失踪した両親と自称、究極の人形師の写真でもあることと結びつけるような手掛かりは、この書斎にはおそらくないのだろうという結論に至ったベテラン刑事は、これから起こりうる事態に備えて、自らの気配を消すことに集中した。


 玄関に人の気配、そしてノックをする音。依頼人がやってきた。




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