第10話 人形師ダミアンの工房
お昼過ぎ、カペルマン刑事が昨日のうち電報を打った人形工房から1件だけ電話が入った。カペルマン刑事はその電話を受け、外出していたベーレンドルフ刑事と午後、近くのレストランで昼食を一緒に取ることにした。
「ハンブルグ警察から連絡が来ました。ハンブルグにある人形工房にダミアンが訪ねてきたことがあるそうです。その工房の責任者の話しによると、ダミアンは2か月ほど前に工房で手伝いをしていたそうです。壊れた人形の修復やメンテナンスをしていたそうですが、腕はものすごくいいそうです。その腕を買われて、あるオーダーを受けたそうです。なんでも飼っていた犬が亡くなり……」
「なに? 犬だと」
ベーレンドルフはベーコンを挟んだパンを食べながら話を聞いていた。
「ええ。その犬に似せた人形を二日で作ったそうなんですが、その犬というのが本当に死んだ犬そっくりに動くとかで、評判になったそうです」
ベーレンドルフは子供のころに犬に噛みつかれた経験があり、それ以来犬を毛嫌いするようになっていた。
「まさか、その犬、噛みついたりはしないんだろうな」
「それが、実際そういうことがあったそうで」
「なんだと?」
「留守中にその家に泥棒が入ったそうです。それでその泥棒、その犬の人形を珍しがって盗もうとしたようなのですが」
「噛まれたのか? その犬の人形に」
「指一本かみちぎられた仕返しに、その犬の人形をばらばらにしたそうです。その騒ぎを付近の住人に聞かれた警察に通報、あえなく逮捕されたという話です」
ベーレンドルフは冷めたコーヒーを一気に胃に流し込んだ。
「その話が本当だとして、ダミアンはこの一年の間に、工房を転々として、そういう評判を作っていったということなのか」
「今のところ、この一件だけですが、可能性はあるかもしれません」
ベーレンドルフはウエイターを呼び止め、コーヒーのお替りを注文した。
「それで、その人形はどうしたんだ?」
「あまりにも破損が酷く、また、その事件が起きる前にダミアンは工房を後にしていたそうです。それからこれは、もしかしたら今回の事件と関係することかもしれないんですが……」
カペルマン刑事は顔をこわばらせながら、メモを読み上げた。
「ダミアンは犬の人形を作るに際して、依頼主に死んだ犬をどこに埋めたかを聞いたそうです。それで、家の中に残っている犬の毛やえさを食べるのに使っていた器や糞尿をしていた場所を聞いたそうです」
なんでもっとそのことを早く言わなかったのか。そう言おうとしてカペルマン刑事が食事中の自分を気遣ってタイミングを計っていたのだと気づいた。
「お前、もう一杯飲むか。コーヒー」
二人は二杯目のコーヒーを飲み干した後、署に戻って仕事をこなし、7時過ぎに車でダミアンの元へ向かった。ベーレンドルフたちはダミアンの家の近所宅を訪れ、車を少しの間停めさせてもらうことにし、カペルマン刑事はそこで待機することになった。ダミアンの家までは15メートルほど。2日前に聞き込み調査をした際に、すでに依頼をしていた。車の位置から垣根越しにダミアンの玄関の様子が見て取れる張り込みにはちょうどいい場所である。
「もし何かあっても、扉を壊すなよ」
ベーレンドルフは一人ダミアンの家に向かった。ダミアンが商品を引き渡す時間は8時30分。まだ1時間近くある。ベーレンドルフは懐中時計をしまうと、修理したばかりのドアをノックした。
「ブレーメン警察のベーレンドルフです」
低く、ゆっくりとした口調に対して、高く、闊達な調子で返事が返ってきた。
「お待ちしておりました。鍵はかかっていませんよ。どうぞお入りください」
前に来たときにはなかった表札が扉には取り付けてあった。
『Puppeteer Damian Werkstatt(人形師ダミアンの工房)』
5ミリほどの厚さの小さな木片を組わせて文字の形にし、それを長方形の板に張り付けてあるようだった。
「失礼します。素敵な看板ですね。ダミアンさん」
部屋に入ると以前訪れたときと家具の配置が微妙に変わっていることに気付いた。
「とりあえず、看板がないとね。まだ、部屋も片付いてないありさまで申し訳ありませんが、どうぞこちらに」
ダミアンは部屋の一番奥の壁に寄せてある作業用のデスクの上に腰を掛け、ベーレンドルフ刑事を向かい入れた。その左手には一瞬、人の生首かと思ってしまうほど精巧に作られた人形の首が握られていた。
「人を使って申し訳ないのですが、玄関のカギをかけていただけますか。あいにくまだ手が離せないもので」
ダミアンの右手には筆が握られていた。その筆を使って人形の口元に何か液体状の物――絵具のようなものだろうとベーレンドルフは思ったが、どちらかといえば女性の化粧道具に見えた。
ベーレンドルフは言われたとおりに鍵を閉め、これでいいかというポーズをとった。
「ありがとうございます、もうすぐ仕上がりますので、そちらのテーブルにでもおかけください」
正面の壁には人形を細工するための様々な道具がきれいに整理されて置かれていた。前に来たときは、何か道具箱のようなものを目にしただけだったが、なるほど工房らしくなっていた。
「こちらは一人で住んでいるんですか? 他に職人さんが出入りしたりはしないんですか?」
ベーレンドルフは案内されたテーブル――前回、人形の首が飾ってあった木製のダイニングテーブルに備え付けられた椅子を引き出してそのまま座った。テーブルと少し距離を取り、ダミアンを正面に捉えた。
「やだなぁ。そんなに警戒しないでくださいよ。刑事さん。この前みたいに驚かせるつもりはないですから」
「なるほど、ということは、前回はそのつもりがあったということですか?」
ダミアンはいたずらっぽく笑いながらそのことは否定した。
「あれは事故みたいなものですよ。ワザとではありません。もちろん、予測していなかったといえば、嘘になりますけどね」
「あまり感心できませんな」
ベーレンドルフは常に低い声で、ゆっくりとダミアンに話しかけ、ダミアンはカペルマン刑事にも聞こえるような、透き通った声で、抑揚をつけ、楽しげに話した。
「だって、ほら、一枚の写真は1000の言葉よりも多くを語るっていうでしょう? 日本という国では、百聞は一見にしかずという言い方をします。1枚の写真と実物を見るのでは、はたしてどちらが、より、多くを知ることができるのでしょうね」
ベーレンドルフの質問に対して、ダミアンは素直に返さずに、会話を楽しもうとしているようだったが、その黒い瞳には、どんな些細なことも見逃さないという鋭い洞察力を備えていた。ベーレンドルフが必要以上に警戒するのは、肌でそれを感じているからであり、今やはっきりとそのことを自覚していた。
『このダミアンという青年は只者ではない』
「日本という国は、私はほとんど知らないのですが、どんなところです。日本人はどんな人たちですか?」
「なるほど。刑事さんにとっては、見ることも聞くことも同じくらいに大事だということですか。いいでしょう。まだ、時間もあることですし、少しそのあたりのことをお話ししましょう。いずれわかることですし」
ダミアンの手が止まった。
「僕の両親が今、どこで、何をしているのか。大使館を通じて問い合わせをしていることかと思いますが、おそらく何もわからないと思いますよ。つまり、わからないということが、わかる。そしてあなたは選択を迫られる。見たモノを信じるのか。聞いたモノを信じるのか……をね」
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