Chapter 1.赤竜姫の婿取り


「老けたんじゃないか、私の恋人よ。」


 悪戯な微笑をたたえながら、夫人は特大の爆弾を投げて寄越した。

 

 おれは最後に見たフランヴェルジェの泣き顔を思い出す。東方宣教軍クルセイドに出立した日だから、十二年前だ。

 凱旋したとき、彼女はすでにヴァレンタイン夫人だった。


 忘れていたわけではない。だが、十二年の間に、あまりにも多くのことがおれには起こった。彼女とは清い交際であったし、おれは自分が東方宣教軍クルセイドに赴くことを知っていたために、自らを深くさらけ出せずにいた。


 凱旋後に教皇庁からあてがわれた住まいが、偶然にもアーカムだったことから、彼女の所在は知ったが、今さらに会いに行くこともできずに今日まで過ごしてきた。清算されていなかった過去、というには、あまりにも突然過ぎる。


 とはいえ、いつまでも呆けている訳にはいかない。


「お戯れはおやめ下さい、夫人。あらぬ噂がたっても困ります。」


 今のおれは一介の商人に過ぎない。それに領主夫人の火遊びの相手として、元勇者というのはあまりにスキャンダラス過ぎる。

 実際、後ろで見ているホルンなどは、事情を飲み込めていないのか、呆然とした様子でやり取り眺めている。

 フランヴェルジェはそれを一瞥し、申し訳なさげに微笑を閉じ込めた。


「ああ、失礼したようだ。こんな可愛らしいお嬢さんがいたのだね。」


 何か勘違いしなかったか、今。ホルンはただの優秀な従業員であって、愛人ではない。

 やめろ、ホルンも思わせぶりに目を伏せて頬を赤らめるんじゃない。


 心の叫びが口にまで出かかったが、それを遮る声があった。


「奥様、フヒト殿のおっしゃる事はごもっともです。」


 箱馬車の扉を支える、ル・ゲーリックはため息がちにフランヴェルジェを諭す。


「爺よ。旧友との再会に、些細な冗談のひとつも言わせてくれないか。」


 コロコロと笑う様には、先ほどまでの妙齢の美女とは思えぬ愛らしさがある。

 というか爺?今までル兄弟の年齢に興味を持ったことなど無かったが、年上だったのか。純粋獣人の年齢は外見からは判別できないな…しかも山羊だぞ。


「とはいえ、時間が無いのも確か。お邪魔させてもらおうじゃないか。」


 ホルンが先立って、奥の個室へとフランヴェルジェを案内する。

 おれは店の表札黒板に、臨時休業と書き加えた。箱馬車は脇によけるかと思ったのだが、もう一人、中から小柄な少女が降りてくる。

 左右の手をル兄弟に預け、ぶら下がるように馬車から飛び降りたのは、初対面の少女。シャールがかしずき、恭しく紹介する。


「こちらはヴァレンタイン家のご長女、アルマ様でございます。」


 アルマ、と呼ばれた少女は、おれと目を合わせると、すばやくシャールの後ろに隠れてしまった。



 Chapter 1.赤竜姫の婿取り



「アルマをな、君の妻にしてもらいたいのだよ。」

「は?」


 開口一番、フランヴェルジェの発した言葉をおれは理解できずにいた。直截にすぎる。思わず領主夫人相手に「は?」とか声に出してしまったじゃないか。


「悪い話じゃないだろう。貴族位は持っていても領地を持たない名ばかり貴族の君が、次期アーカム領主の有力候補になるんだぞ。」


 霊腑レイフを持つ、というのがヒトと支配者を分かつ最大の根拠だ。魔力、寿命、身体の剛健さ、生物としての基本的な力強さが違う。

 特に寿命の差は個体の差のみならず、社会資本の継承に大きく影響を及ぼした。

 拝陽教では、貴族ノーブルは古の神々の力を残した存在であり、ヒトは地上に落とされた堕神が野の獣性と交合した結果、霊性を失ったのだと喧伝している。冷静に考えてみれば、眉唾なのだが。


 確かにおれは≪健康ヴァイタリティ≫の影響なのか、小さいながらも霊腑レイフを体内に宿している。

 十歳の時分に霊腑レイフが体内に確認されてから、一応貴族として認められ、他の勇者とは違う扱いで十六歳まで育てられた。しかし先祖伝来の領主貴族ではないのだから、実権は持っていない。そのおれが領主様か。なるほど悪い話じゃない。


 …な、わけねえだろ、怖すぎるよ、こんなの。


「夫人、その、あまりに突然過ぎますし、何よりアルマお嬢様はこのお話をご承知なのでしょうか…。」

「貴族の婚姻にそんなものは必要ない、というのは私が一番よく知っているつもりだが。」


 うへえ、藪蛇だ。

 フランヴェルジェが輿入れした際に、すでに現領主ベルク・ド・ヴァレンタインは二人の妻を持ち、老境の域に達していた。王権が形骸化して久しいこの時代に、領主たちは皆、互いに関係を作ろうと必死である。婚姻は貴族家のパワーゲームの一端を担う要素であり、彼女自身がその駒だったわけだ。


 隣の椅子にかけたアルマ嬢は、話を理解しているのだろうか。応接室の調度品に興味津々な様子で目を輝かせている。

 陶器のように清んだ肌、程よくウェーブした金髪、ぱっちりとした瞳、子どもの健康性をこれでもかと詰め込んだ可愛らしさが溢れている。

 うん、将来は美人になるのは間違いあるまい。


 しかし、この話はヤバい。どう考えてもヤバすぎる。

 まず、アルマ嬢の外見上の特徴がフランベルジェに全く一致しないし、年齢的にもズレている。訳アリ間違いなしだろう。

 しかもこんな投売りのように見合い話を持ってくるのがおかしい。常識的に考えて、おれの方を屋敷に呼びつけるのが自然ではないか。


「そうよな…確かにこの話、君からしたら胡散臭すぎるだろうよ。爺、私はフヒトと二人で話をしたい。アルマを連れて馬車で待っていたまえ。シャールは店の周囲を見張ってなさい。あと、失礼ながら、そこのお嬢さんも出てくれないかね。」


 フランヴェルジェは下知をくだす。人に聞かせられない話、ということか。側近にさえ。いよいよきな臭い話になりそうだ。

 茶菓子を持ってきたホルンは、心配そうにこちらを見ている。おれはゆるく頭を振って、大丈夫だとアピールする。


「ホルン君、上を使うから、ここの片づけをしていてくれ。もし誰か来ても店には入れないように。」


 そういう話なら、応接室では心もとない。本来なら人を入れることはないが、ここは防諜がしっかりした執務室を使うべきだろう。


「夫人、どうぞ上階へお渡りください。ここよりは壁が厚くなっておりますから。」


 フランベルジェは頷くと、席を立った。



 ◇



 二階の執務室に入ると、おれは窓を閉め二重に窓絹カーテンを引いた。


「夫人、ご安心ください。この部屋は教皇庁でも使われる防諜処理が施されております。余人の目や耳は入らぬでしょう。」


 フランヴェルジェはふう、と息をつくと肩の羽織物をほどく。

 薄暗い部屋の中、小麦色の肌理きめは細かく、しっとりと光を帯びている。肩口から鎖骨にかけてのラインが艶めかしい。


「堅苦しいのはやめよう、フヒト。」


 先ほどまで張りつめていた緊張感が、じわりと解けていくのを感じる。これは、いつかの彼女だ。


「ああ、久しぶりだな、フラン。」


 かつての恋人にようやく再会した気がした。

 革張りの一人掛けソファーを彼女に勧めると、自分も対面の同じ椅子に腰かけた。脇の小机からシガレットケースを取り出す。


「今製作してる紙巻きのタバコだが。」

「そんなものより葉巻はあるかしら。」

「あるとも。」


 おれは試作品を仕舞うと、下段に転がしたヒュミドールから、葉巻を二本取り出した。吸い口を細目にカットし彼女に手渡す。

 フランベルジェは葉巻を受け取ると、唇に含み、先端部をなぞった。赤熱した指先が葉巻の先に火を灯す。火そのものを発生させるのではなく、指先に熱量を集める、微細な魔力コントロールだ。真似してみようかと思ったのだが、間違いなく失敗するので、素直に室内灯を種火にした。


 濃密な紫煙が部屋にこもる。


「いい味ね。」

「ありがとう。」


 じわりと煙を吐き出すと、彼女は事情を語り始めた。


「三日前、長男が亡くなったわ。突然死よ。」


 三日前の朝、侍女がヴァレンタイン家の長男、次期領主と目されていたルーク様の寝所を訪れると彼は死んでいたのだという。死因ははっきりと徴候を確認されており、急性の魔素中毒だった。


 問題はここからだ。


「ルーク様は第一夫人のご子息だった。先妻のお二人が、ここ二年で続けてお亡くなりになってしまったから、今屋敷を取り仕切ってるのは私なのだけれど、発見した侍女が怯えてしまって口も聞けない状態だったから、私自身でご遺体を検分したの。」


 フランベルジェは貴族学院時代に、体内の魔力操作を専門に研究していたはずだ。おれから現代医療のヒントも得ていたのだから、専門医も顔負けの医療知識を持っているだろう。


「遺体に外傷は無かった。皮膚の色が魔素中毒によくみられる変色を示していて、ベッドサイドに吸いかけの葉巻が残されていたわ。ただ…彼の体にはどこにも無かったのよ、霊腑レイフが。」


 衝撃的な発言だった。

 霊腑レイフの位置は個人差があり、多い者は複数箇所に持っている。臓器、というよりも、良性の腫瘍に近い性質のものだ。


「見落とし、いや、君が確認したというなら間違いはないだろう。だが、もしそれが事実なら…。」

「ヴァレンタイン家そのものが無くなる可能性すらあるわ。ただ事態はもっと面倒な方向へ動いてるのだけど。」


 つまり、領主家の跡取り息子は、貴族たる器ブルーブラッドではなかった。貴族家にとってはあるまじき、血統の正当性そのものを疑われる死活問題だ。

 遺体を見た侍女は、すでにル兄弟が拘束しているという。


 問題は、これを聞いたベルク翁の反応だった。


「聖都に留学に出している次男のオルゾフ様を帰国させて、次期当主とする、というところまではいいのだけれど、問題は私の処遇よ。あろうことか『見てしまったなら仕方ない、幽閉させてもらう』なんて言い出したのよ。」


 ベルク翁の対応は貴族としては正しいものだろう。しかし、やられた方はたまるまいな。


「だから、あの爺さん、こっちが拘束してやったわ。」

「は?」


 ヤバい、この事件からはヤバい匂いしかしない。

 今この女、なんて言った?領主様を拘束した、って言ったか?


「その、もうちょっと穏当に収める方法は無かったのか。君の実家の力を借りるとか。」

「ええ、最初はそのつもりだったわ。私に直接手を出すようなら、実家のサーブル家が黙っていない、と。そう伝えたところ、『君には不義密通の罪がある』とか言い出すのよ!」

「不義密通、誰とだ?」

「あなたとよ!」


 ええええええ、何その超展開。やめろよ、なんで巻き込むんだよ。


「そもそも魔素の急性中毒の原因が、あなたのところの葉巻の吸い過ぎなのよ。霊腑レイフを持っていないのなら、中毒死するのは当然なのだけど。それもあって、あなたを狙い撃ちにしようとしたんでしょうね。」

「完全に逆恨みじゃないか!」

「昔の恋人と共謀して、後継ぎを毒殺した、というシナリオで抹殺しようとしてきたから拘束したの。」


 当然だ。君は正しいぞ、フランベルジェ。しかしそうなると問題は…。


「聖都から帰ってくる次男よ。すでに密使が走った後だったみたいで、そちらを止めるのには失敗したわ。実家から応援を呼んで追っ手を放ったけれど、まだ拘束できてない。屋敷の実権は握っているものの、彼が帰郷してからのシナリオを描かないといけないの。」

「それで渦中に巻き込まれているおれを、いっそのこと中心人物に仕立て上げてしまおうと目論んでいるんだな。」


 一息に事情を話して、リラックスしたのか、フランベルジェは美味そうに葉巻を吸う。問題は山積みだ。


 まず第一にベルク翁の処遇。さすがにいきなり現領主を弑逆するのは不味いだろう。禅譲の決め手となる材料を探さなければなるまい。


 次に、帰ってくるという次男のオルゾフ様だ。彼が帰ってきてしまうまでに対応を決めておかないと、ベルク翁を拘束しているのが明るみに出てしまう。

 そうなればフランベルジェもおれも、領主家の跡取りを謀殺した上、領主自身を拘束した大罪人として裁かれるだろう。


 そして最後にアルマ嬢だ。おれとしては、あんな幼い少女と婚姻するつもりなど、さらさらないのだが、こればかりは事情が事情だから、仕方ないのだろうか。


「あと、気付いてたとは思うけど、アルマは私の娘じゃないわ。」


 やっぱりそうか。


「遺体を発見した侍女がアルマよ。」


 おいいいいい。


「一番の重要参考人じゃねえか!」

「だからああやって、目の届く範囲に置いてるんじゃないの。」

「しかし、それじゃ彼女は霊腑レイフを持ってないんだろう。おれと結婚しても、子孫に今回と同じことが起こる可能性が残るぞ。」


 そこまで聞いてフランベルジェがにやーっ、と嫌な笑いを浮かべた。


「あらフヒト、あんな小さい子と事を成すつもりだったの?そういえば雇ってる娘さんも幼い感じだったものね。」

「おれは常識的な懸念を口にしただけだ!」

「安心しなさい。」


 駄目だ、ここまでで安心できる材料なんて皆無だった。フランベルジェは、タバコの多幸感からか頬が緩んでいるように見える。


「何かいい方法があるのか?」

「ええ、もちろんよ。」


 問うたおれに、彼女は立ち上がり、身を寄せて椅子の上に跨ってきた。

 耳元に寄せられた唇が、火傷と錯覚するほどに熱い。

 囁きが、脳髄を甘く撫でた。



「全部終わったら、私と不義密通しましょう?」


 重ねられた唇は、おれが知らなかった彼女の味がした。

 紫煙の立ち込めるなか、主家簒奪の謀計が始まろうとしていた。

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