第144話 最終決戦:七条歩 VS 一ノ瀬詩織 6
私は本物になりたかった。
でも厳密に云う本物とはなんだろうか。歩くんを憎む気持ちと大切に思う気持ち。その二つが矛盾して内在している心境。それは彼とこうして出会ってから増すばかり。戦いが進むにつれて、私の自我が崩壊していくのを感じる。
知っていた。本当の意味で彼と会うのは初めてだと。記憶にはある。彼と過ごした日々が、私の脳内には刻み込まれている。でもそれは記憶にすぎない。ただの記憶。感覚はなかった。会ったという感覚、いや経験、なんと言って言いか分からないが、ともかく私は自分が本当の意味での一ノ瀬詩織ではないと感じていた。
本物と偽物。その二つを厳密に分けるものはなんだろうか。
スワンプマンとして、記憶を引き継ぎ、身体を倉内楓のものに乗り換え、この世界に再び生まれた。
スワンプマンは生まれるべきではない。それは、本物ではなく偽物に過ぎないから。本物に限りなく近い偽物。
でも、私だって生まれたくて生まれたわけではない。生きたくて生きているわけではない。どうして私は、一ノ瀬詩織は存在しているのだろうか。そんなことを思うたびに私は自分が本物ではないのだと痛感させられる。
本当の詩織なら、本物の詩織なら、彼女はどうするのだろうか。
こうして血塗れになりながら、死力を尽くしながら戦う私たち。
どうして戦わないといけないのだろう。もうD-7に操作され、植え付けられた思考は崩壊している。記憶も完全なものに戻りつつある。憎しみが完全に消え去り、彼に対する愛という感情を持っている私へと変質するのを感じる。
どうして、どうしてこんなにも大切に思う人と殺しあう必要があるのか。神など信じない。神なんていない。私は純然たる無神論者だ。でも、今は神を恨まずにはいられない。こんな状況に私を追いやるなんて、酷すぎる、辛すぎる。生きるのが辛い。でも、死ぬのも辛い。
私は、私であることを生きている意味を証明したい。でもそれと同じ以上に一ノ瀬詩織として生きることの意味を消し去りたい。
相反する心に私は発狂しそうだった。
いやきっともう、発狂などという領域は超えている。
行方のない心はどこまでも彷徨う。
でも、彼と戦うことだけが今、生を感じられる瞬間だった。
彼は私を殺そうと、あの頃の思い出を超えて、死を超えて、愛を超えて、憎しみを超えて、全てを超えて、私に向き合っている。
その不屈の意志に感嘆する。ただただ感嘆する。
あの頃のよく弱音を吐いて、涙を流し、鼻水を垂らし、目を真っ赤にしていた彼はもういない。
ここにいるのはあらゆるモノを乗り越えてきた七条歩だ。
そんな彼と心から通じ合って殺し合えることだけが生きがいだった。彼と殺し合うためだけに生まれたなんて思いたくはない。でも私はそこに生きることの意味を見出していた。
絶望的な状況でも心が動き、体が動くのは彼が目の前にいるからだ。
結局のところ、本物、偽物なんて他者が決めることであり、自分が決めることだ。その曖昧な定義に私は踊らされ続けている。
本物になりたい。でも、私は……一ノ瀬詩織は本物になったら、どうしたいのだろうか?
その先の未来が見えない。でも、歩くんを殺すことで私は一ノ瀬詩織という存在に区切りをつけられる。いや、付けないといけない。
彼女と彼は切っても切れない絆で結ばれている。私はこれから彼を見るたびに自分が偽物で、本物の詩織なら……と考えてしまう。そんな人生は嫌だ。常に本物だけ求め続けるのは嫌だ。
たとえ偽物でもいい。私は、私を認めたい。偽物でいい。本物でもいい。認めたい。どちらの自分でも、なんだろうか、どうであろうと、自分を自己という存在を自分の意思で認めたい。
その欲求だけが私を突き動かしていた。
「あ……え……う……」
胸から突き出る刃を見て、私は死を覚悟した。彼の重みがここに全て集約している。そんな覚悟を感じた一撃だった。六花の全てを解放し、私の今持ちうる全てを解放しても、彼は超えてきた。そして、今こうして私に死をもたらす。
駄目押しと言わんばかりに私の身体は凍りついていく。それにつれて徐々に意識も希薄なものになっていく。
あぁ……終わりなのか。長かったように感じる。ずっと、何年、何十年、何百年、何千年、何万年とこの想いに苦しめられて気がする。寝ても覚めても偽物を演じる自分が終わる。終焉を迎えられる。
彼を殺して自己を獲得したいという想いはあったが、私はここで死を迎えるのも悪くないと思った。
やっと解放されるのだと、そう思った矢先に私は目の前に誰かが歩いてくるのを感じた。
もう視界には何も見えない。でも、誰かがやってくるのは感じた。
「……詩織、それでいいの?」
「あなたは、私?」
「そう。一ノ瀬詩織、あなたと同じ存在よ」
見えないというのにはっきりと見えた。彼女は本物の、クオリアの世界に存在する本物の彼女であると。
「それでいいって……?」
「ここで終わるの?」
「私は偽物の私は……もう消えたい……消えたいの……どうして、どうしてこんなことに……」
「それも選択の一つね。でも貴方はまだやり残していることがあるんじゃない?」
「やり残したこと?」
「私は貴女で、貴女は私……だからこそ分かるの。閉ざしている貴女の心が……」
「あぁ……そうね。そうだったのね」
悟る。私は自分の言ったことに得心した。そうか、この心残りはそういうことだったのか。自分に指摘するまで気がつかないとは、やはり人間は自分の心ですら理解できないのだなと、苦笑いが出てしまう。
「あはは、バッカみたい。こんな簡単なことが心残りだなんて」
「……詩織、まだ戦えるわよね?」
「……いや私は、もう……」
戦う意志は、生きる意志はまだある。でも身体が追いつかない。そして、それを分かっているように彼女は答える。
「……とっておき、使ってあげる。最初で最後の、とっておきよ」
「私はまだ戦えるの?」
「……人ではなくなるわ。完全に。貴女はクオリアの根幹の根幹。最奥に至ることになる」
「意志は……この心は残るの?」
「残るわ。それだけは約束する」
「……なら外側がどうなってもどうでもいい。私は、いやこの心を持っているだけで十分よ」
「そう、ならいってらっしゃい……」
微笑みながら去っていく彼女の後ろ姿を見て、あぁやっぱ本物には敵わないなぁと思う。でも、それでもいいのだと思った。
さぁ、決着をつけに行こう。彼と最高の舞台で、最高の終焉を奏でよう。
§ § §
意識が完全に覚醒すると、私は異形になったのだと理解した。先ほどまで何かを彼に向けて発してた気もしたが、よく覚えていない。
両腕を見て、脚を見て、背中から生えているそれを見て、思わず微笑む。
天使……か。こんな私は堕天使でさえ
「ははははは、うふふ。はは……ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。あはははははは!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
両手を広げて、翼を広げて高らかに笑う。
もうそこに狂気は潜んでいない。そうだ笑おう。純粋に笑おうじゃないか。そして、最高の舞台で最高の終焉を齎そう。その終焉が、私になるのか、彼になるのか。もうこの戦いはどちらかが明確な死を遂げるまで続く。ならば、その最期の死の瞬間まで踊り続けよう。笑い続けよう。
それが今の私に、偽物の私にできる最大の賛歌だ。
「歩くん、最大の、この世界で最大の賛歌を貴女に贈るわ。誰よりも愛おしい貴方に」
そして私は翼を広げて空に舞った。
高らかに笑い、高らかに飛び、舞う。
いいじゃないか。最高の、最高の人生で、最高の最期だ。
まさに終焉にふさわしい。
「さぁ、歩くん……私と最高の舞台で踊りましょう?」
もう私に……迷いはなかった。
愛も罪も夢も闇も狂気も、すべてを貴方に今捧げる……。
受け取って誰よりも愛おしい、
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