第137話 私=世界
「え、な……なに、これ?」
偶然、これは偶然だった。私は報告書を書き上げている最中に共有しているストレージに何かのデータの残骸があることに気がついた。いつもならどうせゴミだろうと思ってすぐに削除している。
だというのに、今日に限ってなぜかそれを見てみようと思った。何気ないことだった。本当になんとなく、という言葉しか思いつかない。
「えっと、復元は……」
システム周りに強い私は、まぁこれはクオリアの発現のおかげもあるのだが、すぐにそのデータの修復を試みる。
なるほど普通ならこれを復元するのは不可能だし、本来は残骸として残るわけでもない。ただ複雑すぎる暗号などのせいで、完全には削除できなかったようだ。
「なら……こうやって」
その暗号を逆手にとって、データを元の状態に戻す。私の思惑はうまくいったようで、すぐにデータは復元する。
「……Tファイル?」
そこにはTと書かれたファイルがあった。なんだろうと思ってクリックすると、そこには予想だにしないものがあった。
「何よ、何よこれ……」
スクロールする手が止まらない。
そこにおおよそ、私が教えられていたものとは別の計画が書いてあった。
クリエイターがだけの世界なんて、そこにはなかった。むしろ、ほぼ全てのクリエイターを排除するとも書いてある。しかし、それは過程に過ぎない。さらに進めていくと、私のことも書いてある。
「バックアップ?」
一ノ瀬詩織:バックアップデータ ver1.5
倉内楓:インストール
1.5ということは何度か更新された後だろうか。でも、倉内楓:インストールとはなんのことだろう。そもそも、倉内楓とは誰だ。うちの組織にそんな人間が存在していた記憶はない。
「なに、どういうことなのこれ……?」
怖くて震えが止まらない。今、見てはならないものを見ている。その確信は間違いようがない。
そして、最後の方にいくとある記述に目が向く。
クオリアネットワーク:Tsukiko installs her data
「つきこ……?」
つきこが彼女のデータを導入する。
つきことは誰、データとはなんだろう。
でもわかったことが一つある。それは間違いなく彼の計画の全貌は、クリエイターを救うことではない。殺し尽くすことである。
それを確信すると、思わず興奮で声が漏れてしまう。
「そうか、そうか、そうか、そうかッ!! D-7の計画はクリエイターの世界を作ることじゃないッ! あいつは……」
「詩織、あなたがこの計画の真相に辿り着くことは予想していましたよ」
後ろにいるのはD-7だった。完全に気配がなかった。私は
「D-7……」
「いやでも、私は誰かにこの計画を理解して欲しかったのかもしれない。君がその理解者になることは……なさそうだね。残念だよ」
何か目的を果たすために多大な犠牲を払うのはいいことなのだろうか。しかし、客観的な事実など求めても意味はない。結局、私たちは主観的にしか物事を判断できないのだから。だからこそ、思う。それは許容してはいけない。
「さぁ、詩織……君には消えてもらいます」
「……いえ、消えるのはあなたよ」
覚悟を決める。クオリアを発動し、私の思考はさらに明瞭にあるもこの男のそこまでは見通せない。
そして、そこから先の意識はない。きっと一ノ瀬詩織はそこで死んでしまったのだろう。
§ § §
夢を見た。いやずっと、夢の中にいた。彷徨っていた。何もない暗い世界で、いや明るい世界で? 黒い世界? 白い世界?
ともかく知覚不能の世界で私は佇んでいた。
その感覚だけはあった。
そして、何秒、何分、何時間、何日、何年経ったか分からないほどに時間が経過した頃、急に五感が復活する。
「うわあ……何これ」
目の前に広がる風景は、見渡す限りの花畑だった。風も微かに感じられ、花の匂いが私の鼻腔をくすぐる。
「? 誰かいるの?」
視線の先に、足のようなものが見えた気がした。寝ているのだろうか。そのまま先に進むと、はっきりと誰かいるのか認識できた。
「女の子?」
それは少女と女性の間くらいの子だった。見た目だけ見れば、中高生だろうか。歩くんと同じ年かもしれない。真っ赤な薔薇のようなワンピーズを着ており、とても可愛いと思ったが様子がおかしいことに気づく。
「……寝てるの?」
そう思って脈拍と瞳孔を確認する。すると、その少女は脈も止まっているし、瞳孔も完全に開いている。この状態まで確認すれば、死んでいると判断できる。でも、私にはそう判断できなかった。だって彼女は、呼吸をしていたのだ。
「すぅ……すぅ……」
心地よい寝息だ。
頰も薄ピンクに染まっているし、血液は問題なく巡っているようだ。
でも脈はないし、瞳孔も開きっぱなし。
死んでいるのに、生きている。
生と死が同時に介在している矛盾。
彼女は何者だろう。もしかしたら人の形をした何か?
でも、そんなことはどうでもよかった。会話はできないにしても、誰かがいるだけ安心だった。
「おーい、生きてます〜? おーい」
呼びかけながら頰をペシペシと叩いてみる。
「う? うううぅぅぅん……」
「生きてる……よね?」
嫌がるようにして、逆に寝返りを打つ。長いサラサラの黒髪がそれに合わせて、乱雑に広がる。
「……うん、私も寝よう」
妙なことに眠気が襲ってきた。今までは眠いと云う感覚すらなかった。ただ漠然とそこに存在していて、ただ在ると云う状態だった。
でも、今は人間らしい感覚を取り戻した。きっと安心したのだろう。
私はそのまま睡魔に身を任せた。
「ん? 朝?」
ふと目を覚ますと、心地よい光が広がっていることに気がついた。この世界には太陽がないのに、在るかのような光が存在している。
朝日、夕日、そして真っ暗になる。
ここに在るのは、光と花々と私たち二人だけ。それでも幾分かマシだった。
「おーい、まだ寝てるの? 牛になっちゃうよー」
再びペシペシと頰を叩く今度はちょっと強めだ。そうしていると、彼女の手が私の顔面に飛んでくる。
「……ふぎゃ!」
変な声出た……。咄嗟のことだったので避けることはできなかった。でも本当は避けることも……。
「あ……CVAとVAって使えるのかな」
そんなことを今更思い出して、使おうと試みるも……。
「ありゃ……VAはだめか」
VAの発動は感じない。ならば、
「
そう云うと、私の手には薄手のグローブはなくただワイヤーだけがひょろっと出てくる。
「うーん、これだけ?」
どうやら力は弱まっているらしい。
「……あやとりしようかな」
それからしばらく、私はあやとりをしてみた。でもすぐに飽きて再び花畑に寝そべる。
「あああああああああああ!!! 暇だああああああああああああああああああああああああああああああ!!! うわあああああああああああああああああああああああああああ!!!」
意味もなく叫んでみる。衝動的なものだったが、思いの外気持ちがいい。
そして、私の隣で寝ている少女がうごめくのを感じた。
「ううううう、うるさい……」
むくっと起き上がると、ぼーっとしている様子で私の顔を見ている。
「あ、ごめん……それよりも目が覚めたんだ」
「うん? ここはどこ?」
「さぁ、どこだろうね。私が聞きたいよぉ」
「え、拉致監禁?」
「その方がマシだったかも。見てごらん」
そう言って彼女に周囲を見るように促す。
「なにここ? ファンタジー世界?」
「限界まで行ったけど、なんかずっとループしてみたいで永遠にここにたどり着くよ。やって見る?」
「いや……やめとくわ」
「それより、あなた名前は? 私は一ノ瀬詩織って言うんだけど……」
彼女は少しだけ思案してその名前を答える。
「倉内楓……確かそうだった気がする」
「よろしく、楓」
私は出会った。倉内楓という少女に。
きっとこの邂逅は偶然じゃなくて、必然でもなくて、運命だったのだろう。
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