第131話 誓い

 


「ねぇ、七条歩……戻ったみたい」

「そう……ですか。やはりここで……彼は立ちふさがるのか」



 そう言ってD-7はD-reportと名のついたデータを削除する。ここにあったのは七条歩と自分たちについてのデータ。彼の覚醒にためには、これが必要だったが今となってはどうでもいい。


 思い出す。彼と対峙した時のことを。その記憶は確実に彼の心を蝕んでいた。


「怖いの? D-7」

「えぇ……怖いですよ。クオリアネットワークとして完全に覚醒した彼はこの世のものとは思えませんでした」

「貴方がそこまでいうほどなの?」

「詩織は対峙したことがないから分からないともいますが、あれは人知を超えている。いや、いつか人が辿り着く究極の一つ。意識の統合に、能力の覚醒。あれを手にすることができれば、我々の理想は果たせる……」

「そうね……だからこそ、彼は私が殺すわ」

「えぇ……」



 D-7は椅子に体重の全てを預けて、あの日を想起する。あの後、彼がどうして今の状況に至ったのかを。



 § § §



「はぁ……はぁ……はぁ……月子さん……」


 血まみれの状態で彼は自身の持ちうる隠れ家へとたどり着いた。ワシントンの郊外にひっそりと立っている小さな家。そこで彼は胸から下げていたペンダントを開く。


 そこには幼い少年と大人の女性が写っていた。


 そう、それは幼いD-7と彼の世話係であった月子のものである。


 彼の心には未だに月子が眠っている。彼女は死んだ。目の前で射殺されて死んでいった。その事実はずっと彼の心に突き刺さり続けている。



「……俺は……いや、私は月子さんのためにも……」



 ヒューヒューと喉を鳴らしながら、彼は隣の寝室で寝ている女性に声をかける。



「詩織……目覚めてくれ」



 そういったのと同時に、ベッドから衣擦れの音がする。そして、ペタペタと足音を鳴らしてやってきたのは現在、倉内楓と呼ばれる少女の肉体を持った詩織であった。


「その貴方は、誰?」

「……そうか。意識の定着は完全ではないのか……君は倉内楓。僕はD-7とでも呼んでくれ。それでちょっと治療を手伝って欲しい……少々辛くてね」

「……大変! 血がこんなにも!! どうしよう!? どうしたらいい!!」

「大丈夫……そこにある薬を……錠剤をくれれば……」

「わかった!!」



 そういって目覚めたばかりの彼女はD-7に小瓶を渡す。


「……ありがとう」


 そういって彼は小瓶の中にある錠剤を一粒だけ飲み込む。すると、体の外傷はみるみるうちに治っていく。まるで魔法のような光景に、楓は興奮する。



「すごい、すごい! どうして!? なんで?」

「細胞の活性化ですよ。単純なことだ……でも、おそらく……いやなんでもありません。さて、楓。準備をしましょう」

「準備? なんの?」

「世界を変える準備ですよ」



 そして、それからD-7と倉内楓はずっと一緒にいた。楓はD-7に都合のいい情報を刷り込まれていた。この世界は危機に迫っており、七条歩がその原因なのだと。彼を殺さなければ、世界に未来はないのだと。そう……教え込まれ、戦闘技術を叩き込まれ彼らは来日した。



 楓はICHの東京本校に入学し、その実力を瞬く間に表した。



「見てみて! すごくない!? 私、校内で代表になったよ!!」

「おかえり……楓」



 にこりと微笑みかけるD-7はパタンと本を閉じて、まるで我が子のように彼女を褒め称える。



「すごいな楓は。すごいよ。私は君が誇らしい。なぁ、みんなもそう思うだろ?」

「すごいじゃーん、楓っち!」

「そうですね、私もすごいと思います」



 七聖剣セブンスグラディウスの面々も彼らと共に生活を送っていた。すでにこの家は彼らの拠点であり、家庭でもあった。


 そして、七聖剣セブンスグラディウスもまた、人工的な存在である。全ては一ノ瀬詩織のスワンプマンを完全とするためのバックアップ。最期には死んでもらう運命にあるが、全員はその運命を知りはしない。


 仮初めの箱庭。そこで倉内楓は育った。彼女もまた、D-7の計画の駒に過ぎないとも知らずに……。



 § § §



「「月子さん、なにしてるの?」

「ちょっとデータの整理。やること多くて嫌になるわぁ」

「今日は話す時間ないの?」

「うーん、いまからならちょっと時間あるけど」

「やった!! じゃあ、また面白い話きかせてよ!」

「えぇ~、学生時代の馬鹿な話しかないわよ?」

「いいよ、月子さんの話はなんでもおもしろいから!!」



 彼は夢を見ていた。それは月子と過ごした日々だった。最近はこの夢を見ることが多くなってきたと同時に、目が覚めるとどうしよもない徒労感に襲われる。



「はぁ……はぁ……月子さん、貴方はどこにいるんだ……」



 目が覚めたD-7はぽつりとそう呟く。


 彼の目的はただ一つ。月子の命をもう一度生み出すことだった。あの時の記憶を引き継いだ彼女を。クリエイターの殲滅はそのついでに過ぎない。いやというよりも、彼女を蘇らせるにはそうするしかないのだ。



 彼女の記憶と肉体は完全に滅んでいる。詩織の時のように脳内構造のバックアップはない。そのために必要なのがクオリアネットワークと、そのほかのクリエイターのクオリアである。



 クオリアネットワーク内にかすかに存在しているはずの彼女の意識を集めて統合し、世界中のクリエイターの命を持ってそれを復元する。



 それこそが彼の唯一の願いだった。



 失ってから気がついた感情。いや、失ったからこそ彼の中で彼女の存在はさらに大きなものとなっていた。もう一度だけ会いたい。そして、お礼を言ってまた一緒に笑い合いたい。それだけが彼の願いだった。




「……詩織はうまくいっているんだ。あとは意識さえ集まればきっと……」



 ベッドから起きた彼はデバイスを使って、スワンプマンとなった詩織のデータを眺めていた。彼女は弱体化したD-7に変わる戦闘要員としての役目ではなく、月子をもう一度生みだすための実験体であった。



 今回学んだのは、必ずしも本人の脳は必要ないと言うことだ。クオリアさえ中術できれば、記憶の再生は可能だしそれは永続的に続く。



 最近では倉内楓の意識がなくなり、偶に詩織が出てくることがある。その現象を目の当たりにして、彼は確信を得ていた。



 月子は必ず蘇生できると。そのためにどんな犠牲も厭わないのだと。



 理想アイディールと言う組織を立ち上げたが、それは彼にとっての理想の世界を実現するためのもの。自分以外の存在は全て月子のためであり、どうでもいい些細なものである。罪悪感はある。罪の意識は時間が立つたびに募り、特に楓の笑顔を見ているとさらに苦しくなる。



 だがもう止まることはできない。


 彼は改めて思う。七条総士もこんな気分だったのかと。



「博士……貴方の気持ち、今ならわかりますよ」


 ぼーっと虚空を見つめてそうぼやく。七条総士の理想は、D-7、一ノ瀬詩織、七条歩と言う3人を生み出した時点で達成された。その過程で彼はあらゆる非道に手を染めた。人体実験は当たり前、人を実験動物のように扱い、毎日死体の山が積み上がった。それでも止まることはできなかった。目的のためには、それが必要だったからだ。



 奇しくもD-7は同じ状況に陥っている。彼もまた人体実験を重ねて、クオリアの構造をさらに解き明かそうとしている。いつか100%同じ彼女を生み出すために。非道に手を染めようとも、進むしかなかった。




「七条歩……やはり貴方は立ち塞がるのですか」



 あれから彼のことを追跡したが、それなりに成長して今となっては並みのクリエイターでは太刀打ちできないほどになっていた。クオリアネットワークの核にして、詩織の忘れ形見。最終的に彼と対峙する運命だけは避けられない。



「……月子さん、俺は……」



 いつか笑いあえる日々が来ると信じて、彼は再び眠りについた。

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