第132話 忘却の彼方
私は倉内楓はどうして生まれたのだろうかと、時折考えることがある。そもそも、私にはしっかりとした記憶がない。D-7はそれを記憶喪失だといったけれども、最近はどうにもそれが信じられない。だって私の意識の中には誰かが……いつもいる気がするのだから。
「楓、最近調子はどうなの?」
「うんっ!! 今度ね、全国大会に出ることになったよ!」
「そう、すごいわね楓は」
「でしょ、××」
夢の中でしか会えない存在。彼女はいつも私を褒めてくれる。名前はいつも起きたら忘れてしまうけど、彼女もまた私にとってかけがえのない存在となっているのは間違いなかった。
「ねぇ、楓はD-7のことどう思ってる?」
「いい人だよ? 身寄りのない私を引き取ってくれているんだし。それにいつも笑いかけてくれるしね」
「そう……それは良かったわね」
彼女は時折、彼のことを尋ねる。そのことに意味はないと思っていた。どうせ夢なのだし、私の都合のいいように設定されているだけだろう。
そう考えて、今日も朝を迎えた。
気持ちのいい朝だった。
§ § §
「ねぇD-7」
「なんですか、楓」
そういって彼はパタンと本を閉じる。現代で紙の本を読んでいる人は珍しい。それでも彼は紙の書籍を集め続け、読み続けている。彼が暇しているときは大体、本を読んでいることが多い。いや多いと言うより、ずっと読んでいるといった方が正しいのかもしれない。
「私って本当に記憶喪失なの?」
「……なんですか藪から棒に」
「最近ね、夢を見るの」
「夢……ですか?」
「うん。誰か知らない女性がいつも話しかけてくれるの」
「ほう……知らない女性ね」
彼の目はスッと細くなり、何かを思案しているようだった。でも今はそんなことは些細なことだと思っていた。本当は大切なことなのに。
「それで、彼女はなんと?」
「別に? 私がいったことにいつも笑って、褒めてくれるの。それにどこかD-7に雰囲気が似ているから何か知っているんじゃないかと思って」
「それはそれは……でも、心当たりはないですね」
「ふーん」
嘘だ。私と彼の付き合いはそれほど長くないが、彼の嘘は最近わかるようになってきた。嘘をつくときに僅かに表情を曇らせる。ほんの一瞬なのだが、洞察力が高いのだろうか。よくわかるようになってしまった。それと同時に、その嘘を許容している自分も嫌だった。でもきっと、その嘘を知ってしまえば決定的な何かを失ってしまう。そんな予感が私にはあった。
「うふふ。そんなことはないですよ?」
「いや、会長は本当に強い!」
「そうだ! 全国だって取れる!」
「私もそう思う!!」
「だって会長だからな」
ICHでは少し口調を変えて、お嬢様のような振る舞いをしている。初めはほんのお遊びだったのだが、今ではすっかりと定着してしまった。
そして、私は裏では
戦っているときは自由になれる気がする。そして、戦えば戦うほど私は何かの軌跡をなぞっている気がする。デジャビュ、というのだろうか。私にはそんな感覚が残っている。この時はこうすればいい、この時は逆にこうする。私にはそれが本能的に、無意識に分かるのだ。無意識を意識しているのはおかしなことかもしれないが、私はそんな感覚がある。
CVAは日本刀と小太刀。その二つを組み合わせて、未だに負けを知らない。D-7と出会ってから、この学園に入り今の場所に至るまで敗北はない。
それほどまでに私は戦いというものを極めつつあった。
一ノ瀬詩織に次ぐ天才だと特集を組まれたりもしている。最近ネットニュースでそんな特集を見たのは記憶に新しい。
「はぁ……私って何なんだろ」
最近はこの手の思考が多くなってきた。構内にあるカフェのテラスでコーヒーを飲みながら、思索に耽る。
天才……なのかもしれない。確かに私は本能だけで戦える。特別な訓練もしたことはない。ただCVAとVAを使っていれば、体がそうしろといってくる気がする。
戦いは私にとって自分を探すためのものでもあった。楽しさはある。でもただ狂っているわけではない。自分を探すためのものが、ここにはある。そんな予感があった。
思えば、私は記憶がなくなる前はどうしていたのだろう。あの時、どうしてD-7は血まみれで倒れていたのか。そもそも、日本人の私がどうしてアメリカのワシントンにいたのか。どうしてそこで記憶をなくしていたのか。謎は積もるばかりである。本当は彼に聞いてしまえば、すべてわかる。彼は知っている。全てのことを。
でも怖かった。今の日常が崩れてしまうことが何よりも怖かった。無意識のうちにその手の話題を避けて、当たり障りのないこと会話する日々。
でもそろそろ、前に進むべきかもしれない。
「……よし!!!」
そう決意すると、私は足早に自宅へと向かった。
「ただいま〜」
「おや、早いですね楓」
「ねぇ、聞きたいことあるんだけど」
「何ですか?」
「私って、記憶をなくす前はどうしていたの?」
「ほぅ……」
「ねぇ私って誰なの?」
「倉内楓ですよ。それ以上でも、それ以下でもない」
「そんなことが聞きたいわけじゃないの!! 私は……わた……し……は」
急激な眠気が来てその場に倒れこむ。
「そろそろ覚醒の時は近いのかもしれませんね。楓、君の終わりも近いようだ」
そんな声が聞こえた気がした。
§ § §
「……あれ、私寝てた?」
「えぇ。帰って来てから、眠いといってそこのソファーで寝てましたよ」
「ふーん。そうだよね。そう……うん」
何もおかしいことはない。私は学校から急いで帰って来て、すぐに寝たのだ。すぐに寝た? 急いで帰って来た? どうして? 私はどうしてそんなことをする必要があったの? 眠いなら、いつもは良くないけど生徒会室で寝ている。どうして今日に限ってそんな行動をとったのだろう。でも、覚えていないってことはどうでもいいことなのだろう。
「ふわあああ〜あ。って、D-7はまた本読んでるの?」
「趣味ですから」
「今日は何を読んでいるの?」
「意識とクオリア、知っているでしょう?」
「えっと、七条総士博士が残した最後の書籍だったっけ? でも、あの人は急にいなくなったんでしょ? そんな人の本なんか読んで楽しいの?」
「楽しいですよ。彼が何を思ってこんな本を残したのか。そして、何をしたかったのかよくわかりますからね」
「ふーん。そうなんだ」
私はD-7が研究者ということだけ知っている。そして、自宅にラボは併設されており、ほとんど自宅にいる。でも彼が何を研究しているのかまでは、詳しくは知らない。
今彼が言った、意識とクオリア。それについて研究しているとこまでは知っている。でもそれが何のためにしているのか知らない。彼には謎な部分が多い。でもそんなことはどうでもよかった。こうして私は幸せに毎日を送っているのだから。
そう、何もおかしなことはない。普通とはちょっと違うけど、私は満足しているのだ。何も間違っていることはない。何も……何もおかしなことは……ないのだ。
「うっ……」
「また頭痛ですか?」
「うん。ちょっと寝るね」
「はい。おやすみなさい。夕食前には起こしますよ。シャーロットが腕によりをかけて作ってくれるそうですから」
「うん……わかった」
まどろみの中で私はまた彼女に会いにいった。
もうじき、何かが終わるとも知らずに私は幸せを享受していたのだった。
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