第120話 一ノ瀬詩織:追憶 4


 退屈だった。


 なんとなく生を享受していた。


 生きる、とはなんだろう。その問いを考えるには、まず死を定義すると分かりやすい。人間が死ぬという状態は、脈拍や呼吸の停止、瞳孔の拡大、脳死の状態、を指す。


 では、呼吸をしていて、脈拍が正常で、瞳孔が拡大していなく、脳死の状態にないことが生きていることなのだろうか?


 生物学的にはイエス、と私は考えている。


 でも、それだけでは退屈だ。人は自由という刑に処されている、と言ったのはサルトルという哲学者だが本当にその通りだと思う。人には意味がない。あるのは、生存本能だ。どれだけ進化しようとも、どれだけクリエイターとして先に行こうともその呪縛からは解放されない。


 だから私は旅に出た。世界を見て、何かを知りたかった。この心の隙間を埋めて、生きる……ということを実感したかった。


 でも、それは奇しくも叶うことになった。


 私は、デザイナベイビーだったのだ。人工的に生み出された存在。クリエイターのさらに先のクリエイター。七条総士博士の理想。それが私だった。


 研究所での日々は退屈だったけれど、刺激はあった。そして、自分は選ばれた存在なのだとわかった時、確かな高揚感があった。


 彼のいう通り、私は博士に生み出された選ばれた存在。その目的は、人類をさらなる段階に進めること。


 そう、私には生まれた意味があったのだ。確かに、あったのだ。


 他の人類のことなど正直どうでもよかった。自分の心の隙間さえ埋まれば、後はどうでもよかった。


 人はニュースで誰かが死んでいるのを知っても、あぁ死んでるなぁ、かわいそうだなぁ、としか思わない。私もそうだ。これから、誰が生きようと、誰が死のうとどうでもいい。自分が満たされればそれでいい。自己本位が過ぎる、という人もいるだろうが私はそんなに綺麗に生きることはできない。



 人の命は尊い、愛は尊い、恋は美しい、分からないでもない。


 でも、それはただの理想であり、言葉でしかない。そう思うなら、そう思えばいい。ただ私は、満たされたいだけだ。それだけだった。それこそが、私の願いだった。


 あぁ、私は醜い……。



 § § §



「クオリアは馴染みましたか?」

「……いい感じ。かなり馴染んでるわ」

「では、次の段階に行きましょうか」

「世界で示すの?」

「えぇ。有栖川家にはそれとなく話をつけてあります」

「さすがね」



 真っ白になった長い髪を軽く払うと、飲み物を手に取り一気に飲み干す。


 私は記憶を取り戻してからというもの、瞬く間に頭角を現した。いや、ここは元ある力を取り戻した……という方が的確かもしれない。



「それと、その前に彼に接触して欲しいのですが」

「七条……歩だっけ?」

「そうです。まぁ、計画のことなどは別に話さなくても、とりあえずそれとなく接触してください」

「ふーん。ま、いいけど」



 そうして、私は七条歩という少年に出会うことになる。



「……」


 彼のデータに一通り目を通して思ったのは、哀れだな……ということだ。何やら懸命に努力しているらしいが、結果が出ないらしい。まぁ、それもそのはず。彼は普通のクリエイターではないのだ。普通の方法では、並以下のクリエイターになるのは自明だろう。



 しかし、それでも彼は努力を重ねていた。


 

 正直、ムカついてしょうがない。諦めた方が賢明だというのに、何度も、何度も、何度も、足掻き続ける。妹の方が優秀なことも、彼は知っている。ま、血縁関係はないが、それを知らない彼は実の妹の才能の前に打ちひしがれて入ればいいのに……足掻き続けていた。



 まるで、在りし日々の自分を見つめているようだった。



 学校生活は順調。アジア人に対して差別的な人間もいるが、それでもうまくやっている。学業も優秀、スポーツもそこそこ。足りないのは、クリエイターとしての実力だけ。それだけ。


 もっとも欲しいものを、彼は手にできない。


「……ちッ」


 思わず、舌打ちが出てしまう。データを見れば見るほど、吐き気のするほど真っ直ぐな人間だ。別に他人など……どうでもいいのだが、私はこの少年にだけはどうにも嫌悪感を覚える。


 どうしてだろうか。


 でも、接触しなければならない。仮面を貼り付けて、いいお姉さんを演じてやろう。それと、少しだけ手ほどきもしてやろう。彼もまた、クオリアに到れる存在なのだから……。




「は〜い、僕。お名前は?」


「……誰ですか?」


「えーっと、一ノ瀬詩織……っていうだけど、日本語わかるの?」


「僕は七条歩です。それと、日本語と英語は両方できます。一応、日本人なので……」



 接触は上々。いい人間を演じることができている。



「ねぇ、楽しい?」


「……何がですか?」


「クリエイターとして生きていて楽しいってこと」


「別に。でも、戦うのは嫌いじゃないです。勝てないですけど……ワイヤーなんて、なんの役にも立ちませんよ」


「なら、教えてあげる。ワイヤーの戦いってやつをね。よく見てて、歩くん」


「え?」



 そして、私は彼を弟子にして色々なことを教えた。同じワイヤー使いとして、何を持って戦闘をすべきなのか。何を持って、有利な状況な運ぶのか。様々なことを教えた。



 イライラは変わらずあった。しかし、ほんの少しだけ……彼のことを理解し始めた頃、大きな転換期がやってくることになる。

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