第119話 一ノ瀬詩織:追憶 3



「はぁ……はぁ……はぁ……」



 肩で息をしながら、なんとか呼吸を整えていく。


 そして、私は思い出してしまった。過去の、あの研究室での出来事を。



「気分は……どうですか?」

「最悪の気分よ……今にも吐きそう……」

「そうですか。それは良かった」



 にこりと微笑むこいつを今すぐ殴りたいと思った。そう、あの研究所でよく見たことのある顔を。



「……D-7、あなたがいまさらどうして……」

「変革ですよ。時は来ました。私の組織もようやく波に乗って来た。次の段階は、あなただ。D-9。いや、今は詩織でしたね」

「博士はもういない。あなたが殺したから。そうして、私とD-12の記憶を操作して野に放った……」

「そうです。順調に思い出して来ましたね」

「……いまさらどうして」

「分かるでしょう? 私の目的も、そしてあなたがこれから何を為すべきなのかを」

「……」



 私はびっしょりとかいた汗を拭いながら、この男の言葉をよく吟味する。


 D-projectの成功例である3人。


 D-7

 D-9

 D-12


 博士は人工的なクリエイターを生み出し、そして世界を次の段階へと進めたかった。人間の進化などを待っていては遅い。人は自らの手で、進化を操る段階にまで来た。そして、古いものは消し去り、新しいものが残る。それが、当たり前の自然の摂理。



「博士の意志を継いでいるつもり?」

「いえ……私は、私の為すべきことを成したいだけです」

「どんな犠牲を払っても?」

「えぇ。それこそが、我々の生まれた意味でしょう? あなたはこのまま漠然とした生を享受するというのですか? 私たちは選ばれたのです。新たな人類の……そう言うなれば、神の使徒……ですよ」

「はっ、随分と偉くなったものね」

「で、どうするのです? 別に私は止めはしません。このまま世界をぶらぶらと歩き回り、どこかの男とでも子を作り、家庭を作り、穏やかに死んでいく。良いですねぇ、良い人生だ。でも、そんな人生を送りたいのなら、あなたはなぜ世界に飛び立った? 普通ならば、それは日本でも可能だ。なぜ、あなたはここにいる?」

「そ、それは……」



 即答できなかった。


 私はどうして、世界へ旅立とうなどと思ったのか。



 思えば、ずっと、ずっと何かを欲していた。渇望していた。何かに、何者かになりたかった。日本での生活は楽しかった。でも、それと同時に……どこか偽物のような気もしていた。



 決められた世界に、決められた未来。当たり前にあるそれを私は当たり前に享受することを嫌った。



 だから、世界に出た。いろんな国を回って、何かを掴みたかった。



 そして、奇しくも……その願いは叶った。



「そう……君は何者にもなれなかった。でも、君は選ばれた側の人間だった。そうだ、神の使徒さ。だから僕たちは、この人類を次の段階に導く必要がある。そうだろ? 人には常に指導者が必要だ。革命が起きた時も、常にリーダーの存在が不可欠だった。僕たちはそれに選ばれていたんだよ。そして、僕はその義務を自らの意志で行う。君はどうだい? 詩織?」



 ニヤリと笑う顔が相変わらず不快だった。



 でも、そう言われ始めてから自分の心が高鳴り始めるのを感じた。



 そうだ。私は選ばれた人間なのだ。だからこそ、世界を導く必要がある。博士が望んだ世界を。そして、私が望んだ世界を。実現できるだけの力が、私たちにはあるのだから。



「……いいわ、その口車に乗ってあげる」

「ふふふふ。君ならそういうと思っていたよ。いやはや、これは必然だね」

「それで、D-12はどうするの?」

「彼はこの計画の最後の要です。まだ接触はしません。でも、接触する役はあなたに任せましょう」

「私に?」

「えぇ。彼は七条歩という名前で生活を送っています。現在は、アメリカのワシントンで両親、妹とともに暮らしているようです」

「……で、籠絡でもしろと?」

「まぁ、そこはお任せしますよ」




 そして、私は理想アイディールの一員となった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る