第110話 七条歩:追憶 3




「はぁ……はぁ……はぁ……う……ごほッ!!」


「はい、お水」


「あ……りがとう……ございます」



 息を切らしながら、なんとか答える。


 現在は養成所の施設内ではなく、山に来ていた。そう、山だ。歩は初めに疑問を感じたが、とりあえずついて行った。しかし、やらされるのは走り込みのみ。ここ数日、CVAは使用していない。いい加減におかしいと思い、歩は詩織にそのことを尋ねる。



「詩織さん……」


「ん? どうしたのかな、歩くん」


「その、CVAは使わないんですか?」


「うん、まだね」


「ずっと、走り込みですか? しかも、この山を」


「ははーん、理由が知りたいわけ? 歩くんは本とか好きな人?」


「まぁ、そうですね。電子媒体が多いですけど、紙の書籍も読みます」


「そっか。なら、理屈や理論で説明したほうがいいね」




 そういうと、詩織はポケットからデバイスを取り出し、脳の図を見せる。



「今、歩くんの脳内をモニタリングしてたけど……ほら見て、赤いところが増えてるでしょ?」


「あ……ほんとだ」



 走る前に、頭に何か小さな輪っかをつけられたが、それはこのためだったのかと得心する。



「人間の体はね、ずっと昔から機能自体は変わってないの。それこそ、一万二千年前からね」


「一万二千年ですか……」


「そう。当時の人類はどうやって生活してたと思う?」


「えっと、狩猟採集でしょうか?」



 歩はやっと息が整ったのか、先ほどよりも理性的に答えることができた。



「そう。で、狩猟採集には何が必要?」


「え? 道具とかですか?」


「ううん。人間はどういった手段でそれをしてたの?」


「そりゃ、移動しながら狩りをしたり、木の実とか果物を取ったり……」


「そう、そこなんだよ」


「え?」



 何が言いたいのかよく分からなかった。歩は頭がいいほうだった。しかし、それは学校という場で言えば。根本的な思考力はまだまだ拙い。それでも、懸命に考えるもこの話の趣旨をつかめない。



「つまりね、人間は動くことに適したつくりになってるの。身体を動かすことで身体だけでなく、脳機能も高まるの。ここ数百年で便利な時代になったけど、それは進化の過程で見ればほんの少しの時間。人間の体はまだ狩猟採集の時からそれほど変化はしてないよ」


「え、そうなんですか?」


「まぁ、脳科学の世界で有名な話だけど……世間にはまだそこまで浸透してないよね〜」



 そういって、詩織は先ほどモニタリングした歩の脳を見せる。



「見て、特に前側あたりが赤くなってるでしょ。ここは前頭葉。言ってしまえば、人間的な理性を司る部分。しかも、前頭葉が発達すればするほど、感情の抑制もうまくできるようになる。ワイヤー使いには必ず、思考力が必要なの。近接武器に負けないためには、類稀なる思考力が絶対にいるわ。それと、戦っている最中にカッとなってはダメ。他のCVAならいいかもしれないけど、ワイヤー使いの本質はその思考力なのを忘れないで。だから、こうして脳機能を鍛えてるわけ。模擬戦とかもいいけど、まずは体力をつけるのも兼ねてこうして走ってもらってるわけ。分かった?」



 にっこりと微笑みながらいう彼女の表情かおはとても優しいものだった。そして、それを聞いた歩は驚いたように眉を上げた。


「え……はい。というか、詩織さんは博識ですね。そんなアプローチで訓練するなんて。前時代的な根性論を踏まえての走り込みだと思ってました」


「はははは、根性で強くなれるなら苦労しないよ。私もワイヤーには苦労させられた。だから、君には私のような苦労をしてもらいたくないの。科学的根拠をベースに思考力を高めて、そのあとにワイヤーでの戦闘の仕方を叩き込むつもりだから。オッケー?」


「はいッ!!」



 元気よく返事をする。輝いて見えた。今までの指導者はワイヤー使いを教えたことがないのか、いまいちな指導が多かった。自分はこうだから、こうしろ……という経験則が多かった。でも詩織さんは違った。彼女は科学的根拠をベースに考え、論理的かつ理性的に物事を教えてくれた。



 それと、もっと読書もするように言われた時もあった。



「歩くん、今も読書は?」


「してますけど……雑談ですか?」


「いや、これも訓練の話。読書も前頭葉を活性化してくれるからね、もっとガンガン読んでいって。それにね、本にはその人の人生が詰まってる」


「人生ですか?」



 詩織はそう言いながら、紙の書籍をなぞる。ボロボロになったそれはいつから持っているものだろうか。歩には予想もつかなかった。



「その人の今までの人生を学ぶことも大切だよ。この人はこう生きたし、あの人はあぁ生きた。小説でもいいよ、この登場人物はこう考えているし、別の登場人物は別のように考えている。そうやって、他人の経験や思考を自分のものにしていくの。それと、いつか論文の読み方も教えてあげるね。歩くんは英語できるし、きっと私よりも上達は早いよ」


「……本当にすごいですね。でも、どうして声をかけてくれたんですか? 詩織さんもやることがあるんじゃ……」




 心配そうに尋ねる。彼は危惧していたのだ。こんなにすごい人に自分だけが教えを乞うていていいのかと。もっと、彼女にはふさわしい場所があるんじゃないかと。



「う〜ん、それはきっと……似てたからだよ」


「どこかですか?」


「目、かな」


「目?」


「どこか諦めてしまっている、でも、諦めたくはない。もっと強くなりたい。もっと高みへ登りたい。そう、願っている目をしてたから。それに、誰かに教えるのも一回して見たかったしね!!」


「はは、そうですか」


「ふふ、そうなの!」



 それから、二人は笑いあった。



 似ている。確かにそうだった。詩織も歩も間違いなく腐っていた時期があった。しかし、共に頼れる人間がいたからこそ……その時期を乗り越え、強くなろうとしている。



 歩はそんな日々が大好きだった。何よりもかけがえのない日々だった。


 そう、あの時までは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る