第69話 西園寺家の焦り

 西園寺伊織は焦っていた。七条歩の件もそうだが、何よりあの綾小路紗季の研究が進んでいるのはまずい。このままでは西園寺家の権威が霞んでしまう。それだけは何とかしなければならない。



 ――――――クオリア。これについては本当によくわかっていない。だが、綾小路紗季も七条歩も、何かしら掴んでいるはず。それならばこちらも動くしかない。



 そう思うと伊織はある人物にコールをかける。



「奏か? 今どこにいる?」


「今は外にいるけど? ちょっと一人で買い物してて」


「話したいことがある。すぐに帰って来なさい」


「はい。わかりました」



 デバイスのモニターを消すと、伊織は再び思索に耽る。



 何とか奏を使って、彼らの情報を得なければならない。しかし、あいつはそこまでの事はできないだろうから今は言うだけでいいだろう。問題はどうやって彼の力の正体を探りだすかだ。うちの人間を出すか? しかし、それは難しいだろうな。とりあえずは奏と話すか。





 そしてしばらくすると、奏が伊織の書斎にやってくる。



「奏です」


「入っていいぞ」


「失礼します。それで今回は何の話ですか?」


「七条くんとはあのパーティーで話したな?」


「えぇ。気さくな人でした。それにとても強いと感じました。あの雰囲気はなかなか出せるものではありません」


「単刀直入に言う。彼と婚約する気はないか?」


「それは彼の力を求めてのことでしょうか?」



 奏は突然の提案にも動揺せずに、真っ直ぐな目で伊織に尋ねる。彼女にはある覚悟があるからこそ、このように落ち着いているのだ。



「そうだ。正直、西園寺家の状況は良くない。西園寺は日本でトップのクリエイターの研究者家系だ。もちろん、お前みたいに選手として優れているものもいる。だが、やはりメインは研究だ。そこで成果を上げなければ価値はない。今は綾小路紗季が日本でトップの研究者だろう。おそらく彼女は私すら上回っている。それは潔く認めよう。だが、それではダメなのだ。もちろん、彼女をどうこうしようと言うつもりはない。だからこそ、新しい革新的な成果がいるのだ。それには七条歩が必要だ。言いたいことは分かるな?」


「彼と婚約し、遺伝子を提供させろということですか?」


「もちろん非合法的なことをするつもりはない。だが、西園寺家の人間になれば彼も協力してくれるだろう」



「事はそう単純でしょうか? それに歩はそれほど簡単な相手ではないと思いますが」



「いいか、奏。確かにお前の言うことは正しいだろう。きっと七条歩は一筋縄ではないかない。だが、未来は誰にもわからない。お前の行動次第で西園寺家が変わるかもしれないんだ。私も別で動くが、お前には彼にアプローチをかけて欲しい。できるな?」


「分かりました。最善を尽くします」


「では頼んだぞ」


「はい。失礼します」



 伊織の書斎の外に出ると、奏は歩きながらため息をつく。





「はぁ……私に務まるかしら。それに彩花のこともある。他にも華澄ちゃんや綾小路紗季もいるし、前途多難ね。でもやるしかないわ。だって私は西園寺家の人間だもの。優秀な人間を招くのは義務だわ」




 そのまま彼女は自室へと向かう。




 奏は御三家としての自覚が人一倍強い。自分の父のことは苦手だが、彼女は伊織の苦労をよく知っている。幼い頃に祖父が亡くなり、父が西園寺家当主となった。それからは本当に大変だった。当主として若すぎる父は、ずっとこの家を守るために努力をしていた。深夜遅くまで仕事をしているのもよく見かけた。



 奏の義務感は伊織が無理やり植え付けたのではない。父の苦労と、御三家という特別な家に生まれたという自覚から生じているものだ。そして、気丈に振舞っているが、彼女の心はいつも磨耗している。



 全ては西園寺家のため。自分の意志などいらない。むしろ家こそが自分の意志。家のために尽くすのが自分の人生だと思っている。そのため政略結婚などに抵抗はない。むしろ、自分の使い道がそこならば最善を尽くすまでだ。



 奏はこうして歩と深く関わるようになる。その先に西園寺家の明るい未来があると信じて、彼女も進んで行く。




 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ふう。明後日から本戦か……早いものだなぁ」


「そうだね! 私も学校休んで見に行くよ!」


「いやいや。椿はちゃんと学校に行きなさい」


「えー!!! 一回ぐらいならいいでしょ??」


「う、まぁそれぐらいならな」


「やったー! やっぱりお兄ちゃん大好き!!」


 そう言って椿は歩に抱きつくも、彼の顔は何か別のことを考えているようだった。



「あ、そう言えば制服はどうするんだ? 多分、潜り込むことは容易だけどさすがに中学の制服はまずいだろ?」


「そこは彩花さんに頼んであるから大丈夫だよ! 体のサイズも同じくらいだからね!」


「あぁ。なるほどね」


「今、二人とも胸が小さいもんなって思わなかった?」


「え!!!?? も、もちろんそんなことは考えてないぞ??」


「ふーん。ならいいけど」



 椿が的確な指摘をしてくるので焦ってしまうが、そうしていると突然デバイスにコールがかかってくる。




「あれ誰だろう。というか、パーティーが終わってから連絡多いな……」



 少し呆れながらデバイスを確認すると、そこには西園寺奏の文字が映っていた。先日のパーティーで連絡先は交換したが、このタイミングでかかってくるのはおかしいと思いながらもそれに応じる。



「あ! 歩! 久しぶり!」


「いや、昨日あったばかりじゃん……というか何か用事でもあるの?」


「明日用事でそっち行くから、案内してよ!」


「え、それなら彩花がいいんじゃない?」


「行きたい場所がカップル限定なんだぁ〜。お願い! ここは私を助けると思って! お礼はするから!」


「まぁ幸い、明日は時間あるからいいけど」


「本当に!!? じゃあ、明日の9時に東京駅ね! また明日!」



 デバイスのモニターが消える。そして、その後ろには暗い雰囲気を纏った椿がいた。明らかに激怒している様子。だからこそ、歩は恐る恐る声をかけてみる。




「あ、椿さん? そういうわけだから明日は出てくるな? といっても椿も明日には帰るだろ?」



「……そうだけど。気に入らない。あの女はちょっと怪しいよ」


「やっぱり……?」


「このタイミングだし、話し方もちょっと変だった。普通に振る舞っているように見えたけど、何か焦っているようだったよ」


「……さすが椿だな。人の機微をよく見てる。俺もちょっとおかしいと思ってたんだ。清涼院家は真意を見せてくれたが、どうも西園寺家は引っかかる。これは少し探ってみるか……」



心的捜査メンタルスキャニングを使うの?」


「いや、明日は普通に付き合うよ。接触が増えて、彼女が油断した時に使うかな。おそらく、西園寺家当主の伊織さんもこっちの考えには気がついているだろうし」


「なりふり構っていられないのかな?」



「そうかもな。さすがにこれは急ぎすぎだ。まぁ、奏の独断の線も捨てきれないが……」


「あとは純粋にお兄ちゃんに好意を持っているのかもね」


「いや、それはないだろう」


「なんで言い切れるの……?」


「え、いやそこに理由はないけど」


「とにかく気をつけてよ! 私は明日の早朝には帰るから行けないけど、しっかりね! あとデートなんだからそれなりに気を使うこと!」


「デートか……気が重いな……」




 奏の性急すぎる行動に戸惑うも、歩は西園寺家の真意を試すためにも明日のデートに備えるのだった。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「おーい! 歩〜!」


「奏。予想より早かったね。それより今日は御三家の用事できたの?」


「うん、夜にちょっとあってね。急に言われたから焦ったよ。今日も東京なら泊まってたのにぃ〜。本当に面倒くさい家だよ〜」


「あはは。まぁ、御三家だし仕方ないかもね」



 翌日。早速二人は合流した。


 明らかに性急過ぎる行動。疑問は尽きないが、それでも相手が仕掛けてくるのならその真意を知るまでだ。



 そう思いながら二人は並んで歩き始める。



「で、今日はどこに行きたいの?」


「夜までは暇だから〜、おしゃれなところ行きたいな〜。銀座とかはどう? あとはアンダーグラウンドも行きたいかも」


「カップル限定のところはどこなの?」


「それはアンダーグラウンドの方。有名なカフェでカップル限定のイベントやってるの! 特別なアクセサリーがもらえるみたい! だから今日はよろしくね、彼氏さん?」


「まぁそれなら付き合うよ。じゃあ行こうか、奏」


「うん!!」



 現代は地下開発がかなり進んでおり、地下都市はアンダーグラウンドと呼ばれている。そこは、一つの独立した都市として機能しているのだ。現在は主に若者向けの店が多く、学生街として賑わっている。



 そして、奏は歩の腕に自分の腕を絡ませるとそのまま歩いていく。その姿は端から見ればカップルにしか見えなかった。


 一方、その二人を見つめている二人の女性は苦言を漏らすのだった。



「あー! 奏のやつ、腕なんか組んじゃって!!」


「焦らないで下さい。お兄ちゃんに近づきすぎるとバレます。それに奏さんも感覚系のVAを持っているかもしれません。慎重にいきましょう」


「椿はかなりマジみたいね。わかったわ。ここは落ち着いていきましょう」




 椿は昨日のうちに彩花に連絡し、二人でストーキングをすると決めていたのだ。兄に害をなす者は許さない。その想いが彼女を駆り立てる。今やたった二人の家族だが、椿の行動は明らかにやり過ぎなのは間違いない。



 だが、それでも心配しているからこそ彼女は兄にばれないように行動するのであった。彩花を連れてきたのはカモフラージュのためだが、彼女の利害も一致しているのでそこは問題無いと互いに思っている。



 こうして4人の長い1日が始める。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「あ! 見てみて、これ可愛い! どう思う、歩?」


「そうだね。よく似合ってるよ」


「じゃあこれも買うわね!」


 二人は銀座に行った後は、アンダーグラウンドを回っていた。現在は雑貨屋に来ており、奏がアクセサリーを物色している最中である。



「そんなに買って大丈夫なの? お金とかは……」


「そこは御三家だからねぇ。まぁ色々とあるのよぉ」


「あ、そうなんだ。そこは触れないでおこう……」


「そうしてもらえると助かるわ。じゃあ、そろそろ例のカフェに行くけど……いい?」


「構わないよ、行こうか」


「はーい!」


 そして二人は仲睦まじく話し合いながら歩いていく。椿はその様子を見てかなり悔しがっていた。



「ぐぬぬ。あれは純粋に羨ましい……」


「ねぇ、椿。ちょっと悲しくなってきたんだけど……」


「それでも行くしかないんですよ! 私たちはもう引けません!!」


「そうね……」



 そして、椿と彩花も二人の後についていくのだった。




「ご注文はカップル限定メニューでよろしいですか?」


「はい! それでお願いします!」


「では少々お待ちください」



 席に着いた奏ではメニューを見ることなく、店員にカップル限定のメニューを頼む。ここのカフェは未だに人間が接客をしている珍しいところである。だからこそ一定の人気があり、今日もかなり混雑していた。



「よかったね、奏」


「うん! 本当についてきてくれてありがとう!」


「あ、そうえばうちの妹と彩花が付いてきてるみたいだけどなんか悪いね。妹には後でよく言っとくよ」


「あぁ、そのこと。全然いいわよ。急に頼んだ私も悪いしね。二人も気になるんでしょ? 西園寺家の長女がいきなりあなたにコンタクトをとったから」


「それは……」


「お待たせしました〜。こちら限定メニューのパフェとコーヒーになります。それとこちらは限定のアクセサリーです。それでは楽しんでくださいね」


「はい、ありがとうございます!」



 歩は店員に会話を遮られ、先ほどのことを言及できなくなってしまった。その間に奏はとても嬉しそうにアクセサリーを受け取り、パフェを一人ですべて食べてしまったのだった。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ふぅ。これなら付いてこれないでしょ」


「はぁ……そうだね」



 二人は、彩花と椿から逃げるためにVAを駆使して街中を移動した。もちろん街中でのVAの使用は禁止だが、そこは奏の特殊な感覚系VAを使用した。それによって二人は薄暗い路地裏にやってきたのだ。



 そして、奏は何かを覚悟したように口を開く。



「ねぇ、歩」


「どうしたの、奏?」



「今日、楽しかった?」


「まぁ、それなりに楽しめたよ」


「私たちって相性いいと思わない?」


「それは……そうかもね」



 歩は彼女の声色と表情から、この後に何を言うか悟った。止めることもできる。だが、そのまま聞き続けた。



「―――――私と結婚しない? 今は婚約っていう形になるけど」


「……それは奏が俺のことを好きだからそういうの? それとも七条歩という才能が欲しいの?」


「んー、どっちもかなぁ?」



 そして手を後ろに組んで歩き始める。



 彼女は葵の時とは違う。自分の意志で何かを覚悟している目だ。そう思った歩は、さらに会話を続ける。



「わかってると思うけど、私は西園寺家の長女としてあなたの才能が欲しいの。これは私の意志でもあり、西園寺家の意志でもある。きっと、私は自由に恋愛はできない。それはいいの。でもだからこそ、選びたいの。私は歩のこと嫌いじゃないわ。結婚してもいいと思えるほどには、あなたは人間として魅力的。見た目も中身も好みだし。彩花には悪いけど……私は本気よ?」



「それは本当に奏の意志なの?」


「ええ。私の意志よ。あなたが欲しいの。大丈夫、私たちの子どもならきっといい子に育つわよ?」


「君は、自分を犠牲にしすぎだ……それは自分の意志とは言わないよ……」


「何を言っているの……? 私の意志は西園寺家の意志であり、西園寺家の意志は私の意志よ。御三家とはそういう所なの。世界を背負うとはそんな覚悟がいるのよ。あなたももう無視はできないのよ? その力はもう個人だけのものじゃないわ。きっと多くの人が歩を狙う。それなら、私と一緒になりましょう? 今日のデートは楽しそうにしてたと思うけど?」


「それは確かにそうだよ。奏は見た目も可愛いし、性格も可愛いよ。でも、それは違う。俺は認められない。そんな自分を殺すことを意志とは呼ばない。奏のは外的動機だ。内的じゃない。俺は君とは婚約できない。西園寺家に入ることもできない。それが俺の意志だ」



「ふーん。まぁ、意見の相違は仕方ないわ。あなたと私じゃ、背負っているものの重さが違うし。じゃあ、セックスしてくれない? 子どもだけでも欲しいし。精子の提供だけでもいいけど、そこはロマンチックにいきたいのよ」



 奏はいつも通りの調子でそう言ってくる。御三家とはここまでなのか。一体何が彼女をここまで駆り立てるのか。御三家を軽んじていた。奏の、西園寺家の覚悟は相当のものだ。まだ同い年の高校一年生がここまで自分を犠牲にするのか。しかし、それも犠牲と思っていない。家と自分がひとつになっているのだ。だが、同情もしないし、憐れみもしない。彼女はそのような環境で育ったのだ。


 だからこそ、歩は彼女を拒絶する。奏のような考え方では世界はきっと破滅へと導かれる。求めるのは力。欲するのは才能。手にしたいのは優秀な遺伝子。どこまでも加速していく呪いのような欲望。彼女の心を支配している宿命という名の呪縛。



 葵は無理やり干渉され、洗脳されていたが、奏は違う。彼女は自分の意志だと思っている。それこそが、自分の生きがいだと。西園寺家のために生きることが全てだと。相容れない想い。錯綜し、相反する思考。根本的な考え方が、生きてきた世界が違うのだ。



 しかしだからと言って、そこで住む世界が違うからと言って、終わりにはしない。同じ人間なのだ。必ず普遍的な共通理解があるはずだ。



 そう思考しながら、相手の質問に答える。



「本当に遺伝子が強さの要因になると思うの?」


「後天的能力理論のことを言っているの? あれには私も賛成だわ。でも、どうせなら優秀な遺伝子にその理論を当てはめればいいでしょ? 先天的な才能と後天的な努力で最高で最巧の子を育てましょう?? ねぇ……?」



「……それはクローンやデザイナーベイビーと同じ考えだ。技術と力にはそれ相応の、倫理と抑制が必要だよ。奏の考えは危ういよ……」



 奏はニヤリと微笑むと、右目の色を徐々に変化させていく。歩もそれを感じ取りVAを展開。



 こうして二人の長い1日は続く。互いの想いがぶつかり合う先には何が待っているのだろうか。

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