第36話 ターニングポイント
「以上で、全学年のタイムアタックが終了致しました。それでは、各学年の代表者10名を発表致します」
全員のタイムアタックが終了したようで、校内に電子音声が響き渡る。
校内にいる全員が予選の結果発表に緊張していると思うが、実際は全員のタイムアタックの得点はすでに出ているのでこれは確認の為の通知のようなものであった。
「では、第一学年より発表致します。順番は得点の高い方からの発表となります。一年生の代表は、有栖川華澄。七条歩。水野翔。長谷川葵。不知火彩花。相楽雪時。――――――――――――の以上10名です。続いて、第二学年に移ります」
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「お、タイムアタックは二位で通過か。で、一位はやっぱり華澄かぁ。これはリーグ戦も大変そうだなぁ...」
歩は紗季の部屋を去り、現在は武芸科の棟に戻る為に来た道を戻っている最中だった。
そして、デバイスを操作しながらその片手間に放送を聞き、軽く不満を漏らす。
「でも全力で戦うだけだし、今はそんな心配する事でもないか。とりあえずは紗季と話した事をまとめとかないと」
そういいながら空中に投影されているモニターに
「ん〜、でもクリエイターの遺伝子操作か... 俄には信じ難いけど、やっぱりなぁ。否定するよりも、肯定的な証拠の方が多いしなぁ... うーん...」
色々と悩みながらデータを打ち込んでいると、歩は前にいた人にぶつかってしまった。いつもなら、このようなことは決してしないのだが紗季と話した内容がかなり気がかりだったため注意力が散漫となっていたのだ。
「きゃっ!!」
ぶつかったのは女子生徒だったようで、歩がぶつかった衝撃でその場に倒れ込んでしまう。もちろん、その女子生徒もクリエイターなので怪我はないだろうが、自分の不注意のせいで相手に迷惑をかけてしまったので歩は慌てて謝るのであった。
「あ!! す、すいません! 少し考え事をしていたので、気がつきませんでした! ほんとうにすいません! 大丈夫ですか?」
すぐにデバイスをオフにしてポケットにしまい、歩はその女子生徒に手を差し伸べる。
「えぇ、ごめんなさい。私もちょっとぼーっとしてて」
一方、倒れた女子生徒は歩の手を握り返し、その場に立ち上がる。
そして、立ち上がる際に肩から胸にかけてふたつにまとめていた髪が軽くなびき、女性特有の清涼剤のような香りがした。
その女子生徒は、顔は極めて整っているが、美人というよりは可愛いと表現した方が適切であり、色素の薄い肌に日本人とは思えない濃い青色の目が特徴的であった。
また長い睫毛がその目をさらに際立たせておりまさに美少女と形容すべき姿である。
そして顔だけでなく、プロポーションも非常に魅力に溢れていて、大抵の男性ならば彼女の容姿を見ただけである程度の劣情を催しても仕方ないと思ってしまうほどルックスが完璧な少女であった。
それを見た歩は、彼女の青い目に心当たりがあったが、それを敢えて言葉に出さず心の内に留めておいた。
「ほんとにすいません... 怪我とかいないですか?」
念のためそう尋ねる歩だが、彼女はその言葉を気にせず制服についた土ぼこりを払っていた。
このとき歩は彼女の並外れた容姿よりも、相手に対しての非礼を詫びることしか頭になかったので、この段階ではまだ彼女の色香に惑うことはなかったのである。
「えぇ、大丈夫よ。そんなに気にしないで.... !!?!?」
彼女は歩の顔を見ると、急に緊張が走ったようで表情が強張る。その表情は驚愕の中に微かな恐怖と疑心が幾重にも混ざったような複雑なものであった。
そして歩も彼女の急な変化に戸惑ってしまう。
「え、えと。その、大丈夫? 凄く驚いてるみたいだけど...?」
「あ、いや。そのなんでもないの。ごめんなさい、驚かせてしまったみたいで」
「えーっと、確か... 長谷川葵さんだよね? こうして話すのは初めてだと思うけど」
歩はそう言って、会話を別の内容に変える。以前から彼女の事は知っていたようだったので、そこから会話を広げていこうと試みる。
「そう言うあなたは、七条歩くんよね? タイムアタック見てたけど、すごかったわ」
二人は話した事は無かったが、互いに顔は知っていたので会話は思ったよりもスムーズに進んでいった。
「はは、ありがとう。でも長谷川さんも、凄かったよ。それに予選も突破したみたいだしね。リーグ戦では戦う事になるね。よろしく」
歩は右手を差し出す。彼はこうして他人と接触する事に何の抵抗も感じないのだが、葵は少し戸惑いながらも右手を差し出す。
「こちらこそよろしくね、七条君」
そういうと軽く微笑む葵。彼女の笑顔は華澄に勝るとも劣らないぐらい、魅力的なもので歩は心臓が思わず高鳴ってしまう。
そして、彼女の微笑みに少し顔を赤くしながらも、何とか平静を保ち再び話し始める。
「そうえば、長谷川さんはここで何してたの? どこか行く途中だった?」
「いや、私はちょっと外の風に当たりたかっただけ。後はついでに、予選の通過のアナウンスを聞くのを待ってたの。でも、今はそれも済んだみたいだから家に帰ろうかなと思って」
「あ、なら一緒に帰らない? 俺もちょうど教室に荷物取りにいって帰るとこだったんだ。あと、ちょっと話したいこともあるし」
歩は臆面なくそう言ったが、葵の内心は色々と混乱していた。
(ど、どういうことなの。いきなり一緒に帰ろうだなんて。昨日の件と何か関係が? でも、反応を見るにそれはなさそうだし。おかしな点はたくさんあるけど、ここは誘いに乗ったほうがいいかも。待って! これは、まさか新手のナンパ!? 彼は非常に優秀なクリエイターみたいだけど、やはり男性という性別には抗えない... 男性は種の保存のために性欲が強い、それも高校一年ともなれば、性欲を持て余しているはず!!! これは、一体何の目的なの!? わからなくなってきた!!! というか、なんか興奮してきた!!! でも、ここは後悔しないためにも、行くべきよ、葵!!! そう、私なら大丈夫!!)
葵は心の中では様々なことを思考していたが、歩はそんなことも知らずに彼女の返事を待っていた。
歩は、昔から鈍感ではないが、相手に対してそこまで物事を考えて接することはない。基本頭にあるのはクリエイターとCVAとVAのことのみ。だからこそ、今のように同級生の、それも女の子を何の
ただし、相手からのアプローチには過剰に反応してしまい、勘違いすることも多々あるようだが。
「....そうね、私も話したいことあるし。じゃあ行きましょうか」
(フッ... 我ながら優雅な立ち振る舞い... これならさっきの動揺はバレていないはず!!)
内心そう思う葵だったが、観察眼が優れている歩には彼女の動揺は容易に見て取れていたのであった。
しかし、指摘するのも変だと思ったので歩は何も言わずに彼女を追いかけていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
二人はICHの近くにある喫茶店に立ち寄った。現代ではオートサーブ、つまりは自動で注文されたものが配給されるシステムが一般的なのだが、ここの店は昔ながらの全て人が接客する店で地味に人気のある喫茶店である。
「ん〜、私はコーヒーにしようかな。ブラックで」
「あ、自分も同じものでお願いします」
歩は特に何かが飲みたいわけでもなかったので、無難に葵と同じものを注文しといた。
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
二人の注文を聞いた女性店員はそのままその場を去っていった。
そして、歩が間髪を容れずに葵に話しかける。
「長谷川さんってたしか、VAの研究してたはずだよね? 何で医療工学科じゃなくて、武芸科を選んだの?」
「え、えーっとそれは....」
(!! こっ、これは一体何を探られているの!? それを聞いてどうするつもりなの!!?? 分からない、彼の思考が全く読めない!!!)
歩はただ単に場を持たせようとして会話の導入にこの話題を選んだのだが、葵は昨夜に戦ったのが歩だったという可能性が捨てきれなかったので柄にもなく激しく動揺していた。
ただ今回は先程と違い、歩に悟られるほどの動揺はしていなかったようであった。
「その、ずーっと研究者ばっかりやるのもいいと思うけど私はそれだけじゃなくて実践的な部分も学んでみたかったの。だから高校の3年間だけは研究する量は減らして、自分の技量を上げようかな〜? みたいな? 感じだね〜、うん」
(よし!! これはナイスな回答! 上手く誤魔化せたはず!!!)
「へー、そうなんだ。結構珍しいことだけど、そう考える研究者もいるんだね。参考になるよ!」
にこにこと微笑むながらそういう歩。純粋に葵との会話を楽しんでいるように見えたが、葵にはそうは見えなかったようでさらに動揺が走る。
(ひいいいいいい!!!!? 一体今の会話の何がそんなに面白いの!? あわわわわわわわわ、怖いわ〜。なんかもう七条くんの発言全部が怖いわ〜)
そうは思いつつも、少しずつ動揺も治まってきたようで今度は葵が歩に尋ねる。
「そういえば、七条くんが私に聞きたいことあるって言ってたけど... 何か大切な話?」
いくら冷静になったとはいえ、まだ若干の恐怖心があるようで葵は歩の返答を
しかし返ってきた返事は彼女が予想もしないことだった。
「実は...」
「実は...?」
「実は、ファンなんです!!!」
「!!!?!?!?!?!?!?!??!?!?!?!?!?!??」
今度ばかりは葵は動揺を隠し通すのは無理だったようで、表情が驚愕の一色に染まる。しかし、それは無理もないことだった。
特に有名でもなく、アイドルのような活動もしていない自分に面と向かってファンと言う人間はまず存在しない。
だからこそ、彼女はもうすでにまともな思考することが不可能なほどに神経がすり減っていた。
「え、ファン? ファ、ファン? え、あ、その。だ、誰かと間違えてませんか......?」
なんとか言葉を絞り出して答えるも、後半部分はかなり声がかすれており、もはや葵は涙目になっていた。
「いや、長谷川葵さんで間違い無いよ! ちょっとこれを見て欲しいんだけど...」
そう言って、デバイスを取り出しモニターを葵にも見えるようにプライベート設定を解除してある情報を見せる。
そこに映し出されていたのは、葵がこれまでに書いてきたVAに関する論文の数々だった。
「特に、この
「あ、え....?」
歩が見せた論文は確かに葵が書いたものだった。しかし、その論文の評価自体はあまり高くなく彼女自身も忘れていたものだった。
「あの、その... 本当にそう思う...?」
顔を赤く染めながら、視線をチラチラと歩を見ながらそうたずねる葵。
すると、歩はさらに興奮した声で説明を加えていく。
「もちろんだよ! まずは個人的には強化系の、しかも一般的なVAを研究対象としてるところが既に最高だよね! いやぁ、最近のクリエイションに掲載されてるものも確かにいいんだけど、やっぱり目新しいものが好まれる傾向にあって、こういう方向性で研究してる人が少ないんだよね。特にVAの中でも強化系はかなり軽視されてるみたいで、俺としては納得いかないんだよ。確かに、視覚系とか感覚系のVAみたいに希少性と実用性を兼ね備えたVAの研究もいいのはわかるよ、うん。でも、そればっかりじゃ進歩しないと思うんだよね。こういう目立たないところの研究って言うのもすごい大事なんだよ! それで、特に好きなのはここの記述で――――」
「ちょ、ちょっと待って。ちょっと、整理させて!!」
「あ、ごめん。つい熱くなって話しすぎたね。あははは」
(え、なに、ただ私の論文が好みだったてこと? それだけ? 本当にそれだけ? あれ、でも私のことすごいって。こういう研究こそ価値があるって。価値がある? 私に?)
葵は先ほどまでの恐怖感や疑念は既にほとんどなくなっていった。今あるのは、自分が褒められて嬉しいという感情のみ。
普通の人ならば、この段階でこのようなことを言われてもすぐに切り替えることは難しいかもしれない。しかし、葵のプラス歪曲思考は一旦、自分がいいと決めつけたらそこから自分の思考がマイナスに行くことはほぼない。
プラス歪曲思考とは、何でも自分の都合のいいように解釈してしまうということである。つまりは、相手が何か不快なことを自分に言ってきてもそれは全てプラスに解釈されてしまうということだ。
この状態になると普通は周りが見えなくなるのだが、葵は違う。彼女はそのような状態に陥るからこそ、冷静さが増すタイプの人間なのである。
また、彼女は簡単に男性に好意を持ったりしない。というのも、今まで外見だけで近寄ってきた人間が大勢いるからだ。そのため普通のアプローチで葵の感情が揺らぐことはない。
しかし、得てして外見がいい人間は外側ではなく、中身を評価してもらいたいものである。自分は生まれ持った外見だけでなく、内面も素晴らしいのだと。だからこそ、歩の言葉は葵の心を揺さぶるのに充分なものであった。
そして、落ち着いた彼女はなんとか言葉を絞り出す。
「え、その... 七条くんは特にどこの記述が良かったの...?」
「あ! ここだよ! この強化系のVAは一部だけでなく全体に使用可能なのでは、ってところからがすごくいいと思ってて!!」
「あ〜、そこは実験大変だったなぁ〜。実験サンプルになってくれる人とかいなかったから、自分で試行錯誤してやってみたんだよねぇ」
「そうなんだ! いやぁ、それなのにこれだけのデータを揃えたのはすごいよ! 未だに評価が低いのは疑問だよ!」
「ん〜、早熟な科学者は評価されにくい傾向にあるからかも。やっぱり評価すると言っても、人間だから感情が邪魔して...ね。それに私は特に誰かの下で研究してるわけじゃないから、ちょっと敬遠されててね...」
そう言うと、肩落としながら下を見つめるのだった。もちろんこれは演技なのだが、歩はそれをフォローしようと一生懸命に説明をし始める。
「あ〜、確かにね。どの世界でも早熟な人は極端に評価されるか、それとも全く見向きもされないかの二択だよね。でも、俺はこの考え方はすごくいいと思うよ!! 確かに、今は評価されないかもしれないけどきっと将来わかってくれる人がちゃんと出てくるよ!」
「そうね... それならもうちょと頑張ってみようかな...? ありがとう、七条くん。とても嬉しかったわ」
葵がそのとき微笑んだ顔はこれまでの中でもとびきり眩しくて魅力的なものだった。
しかし、適度にほおが赤くなっているのも、嬉しくて目元が潤んで見えるのも、まるで作り物かのような美しさも全ては彼女が意図的に行っていることだとは歩は知る由もなかったのだった。
そして、この出会いは二人の運命を大きく変えるものとなってしまうのだが、二人はそのようなことになるとは夢にも思ってなく、コーヒーが来てからもVAに関する話に花を咲かせるのであった。
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