第32話 邂逅

 教室を去った歩は、校内のとある場所を目指していた。


(昨日アポとったからさすがにいるよな...?)


 少し不安がりながらも、確かな足取りでまっすぐと進んで行く。ICH東京本校は途方もなく広いので移動がかなり大変であるが、2120年現在では、校内の長距離移動はムービングウォークが校内に設置されているなど移動に関する懸念事項はほぼ払拭されている。


 歩は武芸科の棟をでて、医療工学科の棟へと向かっていた。


 ICHは武芸科と医療工学科の2つの学科があるが、互いに学ぶ事が大きく異なるので、滅多な事がない限り別の科に行くことはない。しかし、歩は何か用事があるようで神妙な面持ちをしながら歩いていた。


 (そうえば、2年ぶりに会うのか。でも、連絡しろって言われて結局してなかったからあいつ怒ってるかもな。これは覚悟していかないと...)


 そうこう考えながら移動していると、すでに医療工学科の棟に着いたようでエントランスで一旦立ち止まり、デバイスを開く。


 細い棒状のデバイスから、空中にモニターが投影される。歩はすぐさまモニターを操作し、ICH東京本校の校内図を開き、医療工学科の建物内のある場所を探す。


「えーと、確か12階の第4ラボって言ってたはず」


 モニターに映っている情報を片手で操作する。映し出されているモニターを多面ウインドウ形式で展開する。そして、目の前には3つのモニターが映し出されそれを全て同時に操作していく。


 クリエイターは今までの人類と異なり、マルチタスクを容易に行う事が出来る。そのため、歩はデバイスの設定は多面ウインドウにしており、一度に3つのモニターが表示されるようにデフォルトで設定している。


「え〜っと、IDいれてログインして... 医療工学科の棟の詳細は... お、あったあった。うし、それじゃあいきますか」

 

 そして無事、目的地を見つけたようで、ふたたび歩き出した。



 ――――――――――――――――――――



 

 医療工学科という名は創立時の名残で、現在はその方面の研究は日本では盛んではない。もちろん、CVAやVAの医療的、工学的な研究もなされているが2120年では主流なのはCVA学とVA学である。


 また、医療工学科は武芸科とは異なり、授業は座学と実験のみである。しかし、座学といっても、昔のように全員で一斉に学ぶという形態はとっていない。生徒は与えられた課題をこなし、定期テストで一定以上の点数をとれば単位は取ることができる。


 では、残りの有り余る時間で何をしているのかといえば、それは実験を行ったり、論文を書いているのである。ICH東京本校の医療工学科のレベルは非常に高く、世界的に認められる論文が発表されたりなど大学に勝るとも劣らない実績がある。


 中には、飛び級してInternational Creative University―――ICUへと進学する生徒もいるほどである。ちなみに現在の日本では、ほぼすべての教育機関で飛び級制度が導入されている。


 そのような形態をとっているため、医療工学科にある教室は全て個人のラボとなっており、武芸科と違いかなり静かな場所である。


 歩はその静けさに少し呑まれつつも、目的の場所にたどり着いた。


「ここであってるよな。.....................よし、入るか」


 そう思い扉を開けようとするも、開く気配はない。


「あれ? 開かない? 鍵かかってるのか?」


 歩はこれは鍵がかかっていると考え、デバイスを取り出しある人物に電話をかける。


 しばらくコールすると、モニターに女子生徒の姿が映し出された。


「おーい、紗季さき。鍵かかってるんだけどー!!! 開けてくれよー!!」


 モニターに映し出された相手が寝起きみたいだったので、少し声を大きくしてそう言う歩。


「うーん、眠い... あー、ごめんごめん。ちょっと仮眠してたから閉めてたんだよ。僕も疲れててね。じゃ、開けるよ」


 歩はモニターを閉じ、デバイスを制服の胸ポケットにしまい室内へと入っていく。


 中に入ると、白衣を着た女子生徒が椅子に座っていた。体型は小柄なようで、平均的な一般女性よりも身体に厚みが無い。


 髪の長さは少し肩にかかるぐらいのセミロングで、今は前髪をダッカールでとめて、おでこをだしている状態である。


 また肌は先天性白皮症―――アルビノとは言わないまでも、かなり色白のようで一見すると日本人には全く見えない。


 しかし、歩は彼女よりも先にあるものが目につき、彼女に質問をする。


「うわ、こりゃすごいな。紗季、これ全部でいくらするんだ?」


 中に入るとそこにはさまざまな実験器具が置いてあった。中には、MRIとCTスキャン専用の器具といった個人が所有するにはあまりにも高額な器具も置いてある。


 それらは全て最新式の物のようで、歩は思わずその値段を尋ねてしまう。


「ん? えーと、たぶん全部で10億はいくんじゃないかな? といっても僕のポケットマネーじゃなくて、学校からもらったんだけどね」

「えええええぇぇ... 相変わらず、凄いな紗季は。さすが、に認められた科学者だね」


 お世辞でも嫌みでもなく、素直に相手を褒める歩。


 それもそのはず。歩の目の前にいる、綾小路あやのこうじ紗季さきは3年前に発表した論文が世界的に認められ、今や日本トップレベルのクリエイターの研究者なのである。


「ははは、大げさだな歩は。確かに僕の論文は世界的に認められたけど、アレは個人的にはまだまだの出来と思っているからね。だから、世界的な科学者という地位程度で満足はしないよ」


 どこか遠くを見ながらそう答える紗季。彼女は認められる為に研究をしているのではなく、ある目的の為に研究者としての道を歩んでいる。そのため、誰に何を言われようとも彼女が満足する事は無いのだ。


「流石、天才。相変わらず、ストイックだなぁ」

「いやいや、僕よりも歩の方がストイックだって。それに君はCVAに恵まれないだけで、天才なのに変わりはないさ」

「え? そうかな...? まぁ、隣の芝は青く見えるってやつだね」

「はは、違いない。でも、歩はもう研究はしないのかい? 昔はずっと実践と研究の両方してきたじゃないか」

「うーん、研究も嫌いじゃないけどやっぱり俺はクリエイターでいるなら選手として活動したいんだよね。研究もその為にやってきたって感じだし」

「そうか、君らしいね。で、? 連絡をよこしてきたあげく、いきなり会いたいとはどういう了見なんだい?」


 先ほどまでは、いい雰囲気で会話をしていたが紗季はいきなり歩を責めるような口調になる。


 歩は真顔でその言葉を受け止める。身体からは冷や汗が出てきており、次に発する言葉次第ではここに来た目的が果たせないので、正解を導く為に思考を巡らせる。


(お、落ち着け... 冷静になるんだ... 紗季も流石に本気で怒っている訳ではないはず。しかし、言い方にはかなりとげがある。ということは、彼女はまずは謝罪と連絡をしない理由を聞きたいはず。あとは当たり障りなく、可愛くなったねとか美人になったねとか、大人っぽくなったねとかを会話の間に挟んでいけば大丈夫なはず。よし、万事オーケーだ)


 これから話す流れをシミュレーションし、早速実行に移す歩。


「あー、えーっと、アメリカから日本に来る事になったのは家庭の事情でして... はい。あとはそれが思ったよりも深刻な事態だったから、連絡する余裕が無かったんだ。ごめん、紗季」


 そういって、頭を下げる歩。同じ年の、それも男に頭を下げられ紗季は少し面食らい慌てて謝罪を受け入れる。


「い、いや歩っ。そんな仰々しく謝らなくても、僕と君の仲じゃないか! でも、謝ってくれるのは嬉しいよ。それだけ真剣に考えてくれたんだろ?」

「そう言ってもらえると助かるよ。2年ぶりに会ったけど、紗季はますます大人っぽくて、魅力的な女性になっていくね」


 そういうと、にこりと微笑む歩。前半の言葉は本心だが、後半の言葉は明らかなお世辞。もちろんそんなお世辞は紗季にはお見通しだった。


「じとー............ 後半の台詞は少し芝居かかってるね... まぁ、いいさ。お世辞でも褒められて嬉しいし」

「う、ご、ごめん。今後は気をつけるよ....」


 あっさりと見破られた歩は少し気まずくなり、顔を下に向ける。


(うぅ、流石に紗季には分かるか... これは先が思いやられるな...)


 自分の軽はずみな行動で、墓穴を掘ってしまい心から後悔する歩であった。


「まぁいいさ。それじゃあ、久しぶりなんだしゆっくりと落ち着いて話そうか。とりあえず、どこかに腰掛けてくれ。コーヒーで良いかい? 砂糖とミルクは?」


 そう言いながら、紗季はどこか別の部屋に入っていく。


 この室内の広さは、通常の教室の5倍以上あり、実験室、書斎、リビング、キッチンまで備えつけられている。


 また、ここで寝泊まりする事も多いので、最低限の生活必需品は置いてあり紗季はすぐにコーヒーと、そしてケーキまで準備して歩のところへと持っていく。


「おまたせ〜。はい、歩はモンブランが好きだったよね」

「え、そうだけど... わざわざ用意してくれたの? ごめん、なんか気を使わせたみたいで...」

「はぁ〜、そこは素直にありがとうでいいんだよ? 僕も大概だけど、歩は不器用だなぁ。はははっ」

「あ、ごめ... いや、ありがとう紗季。いただくよ」


 今度は心から微笑み、モンブランを食べ始める歩。それに続いて、紗季もショートケーキを食べ始める。


 この研究室は、デバイスで食品を注文すれば5分以内に届くデリバリーサービスがある。しかし、品質は普通なので本当に美味しいものを食べたいなら外に買いにいくしかない。


 紗季はわざわざ昨日、池袋の有名なスイーツ専門店にこのケーキを買いにいったのだが、歩はそんなことには全く気がつかずにケーキを食べていく。


 もちろん、紗季もそのことを言うつもりは無い。というのも、自分が勝手にやった事なのだから、恩に着せるような事はしたくないと思っていたからである。


「で、歩は最近どうなんだい? こっちでも噂になってるけど」

「まじで...? そんなに?」

「うん。さっきのタイムアタックを見た連中は、歩の本当の実力の片鱗は掴んだと思うよ。あくまで僕の考えだけどね」


 コーヒーを飲みながらそう言う紗季。彼女の口調は淡々としていて、客観的な事実をただ述べているように聞こえた。


「うーん、別に目立つのが嫌な訳じゃないけど... CVAとVAを詮索されるのは困るなぁ」

「そうだね。ただでさえ、歩は引き出しが多いんだから三校祭ティルナノーグまでは隠してた方が良いだろうね」

「あ! そうえば、の最新号読んだけど相変わらず紗季の論文は前進的だね」

「まぁ、僕の専門はVAだからね。VAはCVAと違って研究する事が多いから、それだけ新しい事を提示しやすいんだよ」

「でもVAとニューロンの相関関係についての記述は凄いよかったよ。実戦にも応用できそうで為になったしね」

「うん、別にアレを実戦に応用して欲しいと言うか、応用しようとするやつがいるとはね... 歩は中々に変態だね」

「え!? そ、そうか? でも理論を提示されたら、応用するもんじゃないの?」

「君の場合はその行動が速すぎるんだよ... 研究者ならまだしも、先月発表されたばかりの理論を1ヶ月で理解して応用しようとする選手はそうそういないよ。選手なんて最悪、本能的な部分だけでも世界的なレベルにはなれるからね」


 紗季が論文を発表した、クリエイションとはCVAとVA、そしてクリエイターに関する学術論文雑誌である。正式名称は Creation of Creator――クリエイターの創造と言う名である。購読するには普通に毎月金を支払えばいいのだが、媒体は紙ではなく現在は完全に電子媒体に移行している。


 ちなみにクリエイションには論文だけでなく、コラムや解説なども掲載されている。


 そして、紗季が専攻しているのはVA学で、現在はCVA学よりもこちらの方がどちらかといえばメジャーな研究対象である。


「なるほど。まぁ、どんなに変態だろうがこの姿勢は変えるつもりは無いけどね。ワイヤーって言うCVAの時点で他のクリエイターに劣っているから、それを補う為にはなんでもするよ」


 先ほどまでは和やかな雰囲気だったが、歩の目は真剣のそのもので場の雰囲気は緊張が走っていた。だが、それに臆する事なく紗季は会話を続ける。


「ホント、3年前に初めてあったときから変わらないね歩は。僕はそう言うところは素直に尊敬するよ」

「あ、ありがとう。紗季は結構ストレートになんでも言うから少し照れるな。ハハハ」


 歩は少し頬が赤くなっており、ごまかそうとしているのか茶化すようにそのように言う。


「僕は基本空気読むとか、そう言った事はしないからね。思った事はストレートに言うさ。歩ならなおさら、ね」

「紗季も変わらないなぁ。あ! あと、もうひとつ聞きたいんだけど... あの論文から考えると、今は研究しているのは...」


 歩がすべてを言う前に、紗季は声を遮るようにして発言する。


「――――。僕が今取り組んでいるのは、クオリアだよ」

「紗季それは... やっぱり...」

「勘違いしないでくれよ、歩。僕は僕の意志でやってるんだ。誰に指図された訳でも、富や名声が欲しい訳じゃない。ただ、僕がやりたい研究なんだ。誰の為でもない、自分の為の研究さ」

「そうか。それなら良かった」


 そういう歩だが、表情は発言と打って変わって暗いままであった。



 しばらく二人は黙ったまま、ケーキとコーヒーを食していた。そして、お互いにすべて食べたようで今はテーブルには麦茶が置いてある。


 紗季はコップ一杯の麦茶を一気に飲むと、再び歩に会話を振った。


「ふぅ、やっぱり夏は麦茶に限るね。これだけでも日本に残った意味があったよ。ところで、歩は僕がICHに入学したのはいつ知ったんだい?」


 先ほどとは異なり、嫌味ではなく純粋に疑問を投げかける紗季。


 それを聞いた歩からは、再び大量の冷や汗が出ている事が容易に見て取れた。


「え... えっと、先月のクリエイションの掲載論文で... 紗季の所属先がICH東京本校の医療工学科って書いてあって... それで、そこから本当に在籍してるか調べたら... 紗季が医療工学科の特待生として入学してる事が分かりまして、はい。でも、いきなり、というか一年ぶりに連絡するのも恥ずかしくて... ずるずると時間が過ぎて、やっと昨日アポを取ろうと決心して... 今に至るわけです... はい」


 何も後ろめたい事は無いはずなのに、歩は糾弾されているような感覚を味わい再び弁解するような形で紗季に説明をする。


「ふーん。まぁ、僕は入学式の前から歩の事知ってたけどね」

「うっ!!」

「入学してからも、クラスは知ってたしね」

「うっ!!」

「あと、あの有栖川家のお嬢さんと仲いい事も知ってるしね」

「うぅ... なんかごめん...」

「べっつに〜? 僕は先に歩がいる事を知ってたのに、連絡取らないのは悪かったよぉ? でも女の子からアプローチするのは男が廃ると思ってね。前期は僕からは連絡しないと決めてた矢先に、連絡してきたのは.... まぁ及第点かな?」

「はい、以後気をつけます...」


 歩は度重なる失言や今までの言動のせいで、すっかり頭が上がらなくなってしまった。


「で、本題はなんだい? 今までのはただの雑談だろ? そろそろ話してもいいんじゃないかい?」

「あ、紗季と話すのが楽しすぎて忘れてたよ... はははは」

「君も思った事はっきりと言うよね... まぁいいけど...」

「お、お互い様ってことでここはどうか...」


 紗季と歩はお互いに照れてしまい、室内には変な雰囲気が流れる。しかし、それを一蹴するような発言を歩はする。


「実は――――――――」


 話しはまだまだ長引きそうであった。

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