その『主人公』には特別一切なし

タピ

プロローグ 平凡ゆえに一歩もその場から動かない

 とてもありふれた話ではあるのだが、つい面白い話を一度読むと、似たような物を読んでしまう傾向に俺はあった。

 小学生の頃に漫画の三国志を読んでからは、どっぷりとその世界に嵌まった。小学生が読めるはずのない漢字をふんだんに使われてる歴史小説なんかにも手を出したりしたものだ。

 多少はふりがなが振ってあるとはいえ、小学生向けに作られたものではないのだから、小学校の図書館には、せいぜいあっても子供向けのファンタジー小説。俺は当然、もっと世界観に浸りたいために、親に三国志の小説を買い求めると、親は喜んで揃えてくれた。

 親とは勉強に繋がるものには財布の紐が緩いもので、三国志を買うついでとばかりに、日本で有名な革命児の歴史小説を頼んでもいないのにおまけとして買ってくれたりもした。

 三国志にしか当時は興味がなく、おまけには見向きもせずに、無我夢中で買ってもらった三国志の小説を読み漁った。

 いや、読み漁るということは実際には出来ていなかったかもしれない。

 漢字が読めないのはまだいい。親に聞き、時には自分で辞書を開きつつ、読み進めることは出来た。ただ、言葉の言い回し、つまりは表現や比喩といったものは、今考えるといまいち理解できていなかったように思える。

 小学生の人生経験なんてたかが知れてるし、知識量なんて6年間教科書にそって教えられていても、せいぜい半分も身についていればいい方だっただろう。

 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」だって?

 小学生には虎穴なんて読めるはずもないし、読めてもそんな危険なところに入って、虎の子供をとったところで何の意味があるか分からずはずもない。正直、今でも虎の子供を得る理由は分からん。なんだ、猫の代わりにペットにでもするのか? それとも番犬代わりか? 許可無く我が家に立ち入ったものは死ねと申すか。

 よくて雰囲気、大体は意味も分からず分かった風に読み進める。それが当時の俺の小説の読書スタイルだったと思う。ファッション読書なんて言われても、否定出来ないずさんさだっただろう。

 しかし、きっかけというのは大切だった。

 この三国志を気に、俺は読書家としての人生を歩み始める。

 途中、何を間違えたか、ライトノベル批評家なんてものにもなったりしたが、最終的には活字中毒者あたりに落ち着いた、と思う。

 古今東西、読みたい本を巡って……なんてのは近代的じゃないし、図書館にいれば多くの本はただで入手出来てしまうし、家でインターネットをポチポチしていれば、お金を生け贄に本が不思議と集まってしまうそんな世界だ。

 どこにいても、手軽に本が読める。いい時代になったものだ。

 歴史、ファンタジー、ライトノベルと、時代とともに俺は線路を乗り換え(段々安っぽくなっている気もするが)、常に読んでいない未知の領域へと足を踏み入れて行ったわけである。



 ライトノベルを含めたファンタジーの王道的な展開において、異世界への召喚がある。

 「ああ、勇者よ世界を救ってくれたまえ」と、恥も外聞もなく頭を下げ、魔の大群から世界を救ってもらうために、国、あるいは王様、あるいはそれに属する者により召喚される通称勇者様ルート。

 ライトノベルに限らず、似たような話は年齢制限のあるゲームから全年齢のゲームまで多岐に渡り、話し尽くされたことだろう。

 ありがちなだけに、一定水準の面白さを完備するそれは、俺が一時期どっぷり嵌っていたジャンルでもある。

 それだけに派生系の話も多くあるのだが、まあ決まって異世界が、俺たちの暮らしている現実に近い世界の人間を呼ぶ理由なんて『世界を救う』の大枠からはみ出ないだろう。発想の転換として、逆パターンもよくあることだ。

 世界を救う、征服する。国を治める、作る。これらの枠を外れることは、あまりないものだ。

 そういう世界に浸かるのは、とても心地が良い。

 現実ではありえない魔法や科学。未知の生物に金髪の美少女。現実逃避に暇つぶしの妄想。憧れ。羨望。冒険心。

 思いを馳せ、感情移入し、主役になりきるというのは、自分自身に不満のある人間にとって、たまらない感覚である。

 そして、大半の人が最後に思うのが、自分もそんな世界に行けたらいいのに、である。

 俺は全くそんなことは思わなかったが。


(さて、どうするか。いや、どうもしないのが正解か? 救助を求める際には動かないほうが得策と聞いたこともあるし)


 石の上にも三年というが、あれは正気の沙汰じゃないね。俺は見た目平べったくも、座ってみるとゴツゴツする大きな石の上に座って、30分もしないうちにお尻が痛い。

 地面にベタ座りの方がいいのではないかとも思ったわけだが、さっき見かけた虫を考えるとあまり低位置にお尻を置きたくなかった。

 まだ俺が中学生の頃、おばあちゃん家に何度目かの宿泊をしたのだが、その時に、まるでこの家の主かのように居座る百の足と書くあいつが現れた。

 サイズは俺の手のひらのサイズを優に超え。この世の憎悪を集めましたと言わんばかりの面構え。一本一本がたくましく、けれど器用に小刻みに波打つ足は、俺に本当の恐怖とは何かを心に刻んだ。

 やつに比べればまだ可愛い物だったが、それにしたって平均を上回るそれを目にした以上、無闇矢鱈に奴らが蔓延る地には、俺の大切なお尻を置きたくなかったのだ。

 座り心地の悪い自然の素材で出来た天然の椅子の上で、何度もお尻の位置を変える。


(森スタート、森スタートね。王道における森スタートは危険生物との遭遇から起きる物だが……あー、さっきいたなー)


 獰猛なお前を刺すぞ言わんばかりの百足との遭遇を終えていたことに思い当たる。

 これはもしや、危険生物に追われてどこぞの国の騎士様に助けてもらうというフラグブレイクをしてしまったのではないだろうか。

 ……さすがに百足との遭遇で、手も足も投げ捨てて逃げ回っていたら、助けてくれるはずの騎士様も苦笑いだ。失笑ものだ。むしろ笑われる。笑い草として、酒場で話のネタにされる。

 せめて蜂の集団にでも追いかけられていれば体裁としては十分だったかもしれない。本当に追いかけられたら、その時不思議なことが起き無い限り、身体中を刺されて、助けて貰う前に命がないかもしれないが。蜂は刺されても平気な人は平気らしいので、そういった人種であることに一縷の望みをかけるしか出来なかっただろう。

 現実は非情なのか、有情なのか、そんな未知の危険生物に襲われるということもなく、日が暮れようとしていた。

 日が暮れるまでボーっとしていたわけではない。ここに来てから早1時間しか経っていないが、来た時が夕暮れ1時間前だったのか、この世界の日の巡りが早いのかは知らないが、何か行動を起こそうという決意が固まる前に、夕暮れが訪れようとしてしまったのだ。

 夜は野生動物の時間だと聞く。

 夜によく目が利くネコ科の肉食獣なんかも、夜に活発に活動するイメージが有る。ただ、外国の自然公園の映像なんかを見る限り、真っ昼間にも狩りをしているから、昼夜関わらず、いつも肉を追い求めているのかもしれない。

 百獣の王なんかに出会ったらアウトだな。どうしようもない。その時は潔く死ぬしか無い。あいつらは単体のスペックが高いくせに、集団戦法を取りやがるので、人間一人なんて餌にしかならんだろう。

 噛み付かれて、中途半端に息をして、痛い思いをするのは嫌なので、出来ることなら生存不可能な領域の崖から落ちて安楽死を迎えたい。

 だが、スカイダイビングやバンジージャンプですら躊躇するような俺に果たして自ら底の見えないような谷に身を投げ出せるのか。そうなると、逃げてる最中に突然足元がなくなったかのような漫画でよくあるシチュエーションになることを頼りにするしかなさそうだ。

 異世界で死んだら天国と地獄どこに行くのだろうか。輪廻転生とか、どこらへんに転生させられるのだろう。それともグールとかゴーストのような異世界の住人に晴れて生まれ変われるのだろうか。それはそれで愉快なセカンドライフが始まりそうだが、その時の自我がどうなってるか分からない以上、あんまりなりたくないものだ。

 自我が残っているのに、本能で人を襲ってしまうというのも空恐ろしさがあるが、それで幸せに感じられるのなら、個人的にはありな選択に思わないでもない。

 「人は所詮自己中心的な生き物である」とは個人的に大きく推している持論である。

 というか、そもそも死なないのが一番だ。どうも絶望的な状況のせいかネガティブに思考が傾きがちだ。

 もっとポジティブに現状を捉えよう。

 周囲は森だ。

 毒や食中毒やらを気にしなければ、腹を満たせそうな食材はそこかしこに見受けられる。それこそ百足だって頑張れば食べることが可能だろう。現代社会のオールマイティーな食材の中で育った俺には、その努力はとてもじゃないが出来ない。

 しかし、胃袋が限界になれば、人間どうなるか分かったもんじゃない。その時にはただの食べ物にしか見えないかもしれない。

 直近は、手頃そうな木の実やきのこを食べて腹を満たそう。何が起こるかわからないので、限界までは我慢するつもりではあるが。

 餓死の線はない、と俺は大胆に判断する。

 次は水だ。

 森林に川はつきもののはず……よし、大丈夫だな。

 水分補給も大丈夫、と俺はざっくりに判断する。

 飲食の心配がなくなれば後は、安全に暮らせる場所だ──まあそれが確保できるなら、俺はこの場で困っていたりはしないのだが。

 見渡す限りは雑木林。鳥の囀りや虫の声がひっきりなしに聞こえ、道らしき道は獣道がある程度。ここは広場のように視界が開けているが、少し進めば木々がところ狭しと視界を遮っている。

 何処に進むの正解か、ここに留まるのが正解か。何が最善か分からないこの状況は、どう考えたって安全とは程遠いように思える。

 そして、厄介なことに俺の知識が自らの首を絞めている。

 もちろん、サバイバル知識ではない。ファンタジーに召喚された主人公の境遇に対しての知識だ。自分の境遇がまさしくそれに近い様相となれば、必然と『どんな存在』が、森にいるかについても妄想が膨らむ。

 有名どころでドラゴン。

 男のロマンを詰め込んだような存在であるが、その存在のあり方は非常に多様性に富んでいる。

 古来のヨーロッパでは、ドラゴンなんて存在は悪しき存在だった……みたいな話を何処かで聞いた。まあたいていは、人間以外の知性ある生き物なんて人間の敵であることが多く、ドラゴンもその類にはみ出なかったというだけだろう。

 一瞬で10人以上を容易くなぎ払う巨大で頑丈な尻尾。大きくたくましい翼で空を支配し、口から出る業火は人を燃えカスへと変貌させる。

 最強にして最悪の存在の例えとして頻繁に使われるドラゴン。創作物上では敵であったり味方であったりと、その立場を変えていたが、総じて扱いづらい存在には変わりないだろう。

 だって、人間より明らかに強いんだ。そりゃあ従えるのは難しいってもんだ。

 高い知性を持つという設定もほとんどの場合は備えているため、口説いたり、助命なんかも意外と出来たりするのだが、『ドラゴンの生き血を飲むと不死身になる』設定のせいで、ドラゴンが人間に敵対視してることも、少なからず。

 ぶっちゃけて言えば、関わらないが最も賢い選択なんだろうなと、本を上から目線で読んでいた俺は思っていた。

 そんなドラゴンがこの世界にいるかも知れない、と思うと妄想が捗るのだが、俺は自分自身を陳腐な人間だと自覚しているので、会えば死が待ち受けているだろうことは想像に難くない。

(いや、待て。ここは本当にファンタジー世界なのか?)

 突然の出来事に、小説でのお約束からファンタジー世界であると勝手に断定していたら、ここまでに起きたファンタジー要素なんて急にこんな場所にいたくらいじゃないか。

 出会ったクリーチャーは百足だけだし、そいつだって地球で見たあいつよりは小さかった。

 鬱蒼としたこの環境だって、地球にないわけじゃない。アマゾンの特集を見た時は、これが本当に地球なのかと疑ったくらいだ。日本に生きているだけでは、知らない世界なんていくらでもある。

 比べてみれば、なんてこともなかった。

 ここは今のところは地球と大差がない。

 自分の身に起きたことが突拍子もないだけで、環境自体はオカルト要素のない自然そのもの。

 『どこかに突然召喚、あるいは瞬間移動される』事実だけが、確認できているファンタジー要素であり、これだけであるならまだ『世界のどこかに存在する異能者』によって、こんな状況になった可能性が──

 最も大きい生存の可能性に思考を加速させようとした時、風による以外の草木の揺れる音がした。

 ざあざあという心地の良い音ではなく、ガサゴソというモノが移動をしている音だ。

 そっちに行くぞと言わんばかりに、その不自然な音が大きくなり、こちらに近づいてくるように聞こえてくる。

 思わず立ち上がり、音のする方向へ最大限の注意を払う。化物どころか犬猫でも人様の足では敵いっこないのは十分に承知の上だが、だからといって無防備をさらすのは人生を諦めたものだけの選択だ。

 俺はあいにくとこんな状況でもまだ生きることを諦めていないのだ!


「ォ……ォ……」


 俺は思い出した。

 確かに歴史小説からファンタジーものまで、過去にたくさんのジャンルの小説を読んできたが……


「ゾンビって……ホラーモノかよ……」


 ホラー物は苦手で断固として手を出していなかったことを。


「オニイチャン……」

「俺に妹はいねえ!……あっ」


 勢いで石を投げつけてしまった。

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